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やってみたい


楽しんでいただけると嬉しいです。

 




 今日もつつがなく学業をこなし、迎えた木曜日の放課後。 




 かねてより予定していたリレーの練習へ行くため、更衣室で体操着に袖を通す。

 入学前に買ったけど、心なしかフィットしてきたように思う。度重なる洗濯で縮んだのか、まだまだ成長期なのか。後者だと思いたい。

 

「よし。行くか」


 財布とスマホだけ持って更衣室を出る。練習中に飲む物買ってくか。


 すぐ側にある自販機の前に立ち、いざ金を入れようと財布の小銭入れを開いてみて、思わず顔を顰めた。


「やべ、小銭全然ない……」


 傾けてもからりと隅に転がるのは一円玉と五円玉。そういえば昼にパン買うので使い切ったんだっけ。

 困った。札もあるけど、この自販機古いせいか高確率で細かくお釣りが出るんだよなぁ。

 

 財布が嵩張るのはあまり好きじゃないが……すぐ側にある窓から差し込む斜陽はまだ力強い。

 飲み物なしに練習などしようものなら、あっさりと熱中症になりそうだ。


「おっ、誰かと思えば高峯か」

「うわっ!」


 仕方なく千円札を取り出しかけた時、後ろから肩を叩かれた。


 


 振り向くと、そこにいたのは大門先輩。

 相変わらず人の良さそうな笑顔を携えて、「悪い、驚かしたか」と頬をかくのが妙に様になる。


「……先輩。お久しぶりです」

「ああ。この前はありがとうな。おかげであの日も部活頑張れたよ」

「なら、良かったです」


 そう言う先輩はスポーツバッグを肩にかけている。

 今日も部活の練習で、俺のように着替えに来たのだろう。そんなことを考えて、ふと猛々しい一本背負いが脳裏を掠める。


「そういえば、優勝おめでとうございます」

「ん? ああ、校内新聞か。あれは先輩方や仲間達の力あってこそだ。俺が主将だからたまたま取り上げられたけどな」

「でも、格好よかったですよ。並大抵のことじゃないと俺は思います」


 その方面にからっきしな俺には一口に凄い、と素朴な感想しか浮かばないが、努力もなく生み出せる結果なんてそうそうないと思ってる。

 二年生で運動部の部長なんて、相当の積み重ねがないと無理だ。きっとひたむきに、その結果を得るに十分なほど空手に打ち込んできたのだろう。

 〝そういう人間〟をずっと近くで見てきたからか、この人もあいつと同じ雰囲気を纏っていることが分かる。


「そこまで言われると照れ臭いが……素直に受け取ることにするよ。それで、高峯はこんなところでどうしたんだ?」

「あー、どうしたっていうか、どうにかしようとしてたというか……」

「……ふむ。察するに、小銭がなくて困っているといったところか」


 秒でバレた。そりゃ手に財布は持ったままだし、自販機の前で立ち往生してれば分かるよな。


「いくら足りないんだ?」

「え?」

「この前のお礼だ。ここは俺が出そう」

「そんな、悪いですよ」

「気にするな。仮にも先輩として、貸されっぱなしは落ち着かないんだよ」


 言うや否や、次の遠慮の言葉を俺が口にする前に硬貨が投入されてしまった。

 さあ、と振り向いた先輩の顔を見たら突っぱねることも難しく、一種の諦めと共にスポーツ飲料水のボタンを押す。


 がらん、と落っこちてきたペットボトルを取り出すと、満足げに隣から頷かれる。


「ありがとうございます」

「なんの。他に困っていて、俺に手伝えることはないか?」

「? これでイーブンになったんじゃ」

 

 もしかして値段的なことを気にしてるのか。確かに飲み物2本分くらいだったけど……


 そんな俺の予想は、爽やかな表情で否定されることになる。


「大会のこと。おめでとうって言ってくれただろ? その分だよ」


 え、笑顔が眩しいっ。まるでもう一つここに太陽があるみたいだ……!

 圧倒されながらも考えるが、正直、何も思いつかない。小百合のことは全く関係なく、日頃から年齢的にも環境的にも違う世界にいすぎて何を頼めばいいのかわからん。


「勿論、無理強いするつもりはないさ。なんでもとはいかないが、例えば前に鍛えていると言ってたし、少しならアドバイスとかできるかもしれないぞ?」

「アドバイス……」


 悩む俺に助け舟を出してくれたのか、その一言を反芻する。


 類まれな空手の実績を持つ先輩だからこそ、してもらえること……無意識に力を込めた指先がペットボトルを鳴らす。


 その瞬間、俺は閃いた。


「じゃあ、ちょっとだけ。助言をもらいたいです」

「おっ、なんだ? 聞かせてくれ」

「実は、今度のクラスマッチで選抜リレーに出るんですけど、そこまで自信があるわけじゃなくて。自分なりに練習してても、あんまりよくわからないっていうか」


 現役陸上選手の動画や、人体の効率的な走法。色々とコツを調べて自分なりに実践してみても、いまいち勝てる実感を得られない。

 どれもが理想的であることは理解できるが、自分の中に馴染まない、もどかしい感覚。それを繰り返してる。

 実を言うと、今日の練習もちょっぴり不安な心持ちで臨むところだった。


「なるほどな。高峯はどれくらいの結果を目指してるんだ?」

「……少なくとも、走ることに関して専門的なトレーニングを積んできた相手とタメを張れる程度は」

「ふむ。具体的かつ、困難な目標だな」

「やっぱりそうっすよね」


 思わず自嘲気味な笑いが浮かぶ。


 試してみてわかった。というより、最初からわかってる。

 ずっとそれだけを練習をしてきた人達のやり方をたった数日で真似しようなんて無理だ。少なくとも俺にはできない。

 好きな相手に並ぶためにあれこれと手を伸ばし、一つを極めることなく生きてきた俺とは、そもそもの土台が違う。


 故にこのままでは、まだ見ぬ他のクラスのライバル達や……あの進藤に勝てる可能性は低い。


「自分でも相当無茶だってのは分かってるんですよ。高い目標だって」


 そう、分かってるのだ。

 スポーツは勝負の世界だ。常に自分の限界を超えるためにみんな挑戦し続けてると聞く。

 踏ん張り方なら知ってる。粘り方だって身に染みてる。でもいざという時の挑み方を知らない俺は、きっと最後には勝てない。望んだ結果を得られない。


 そのせいで失敗したんだから……傷跡(こうかい)が、胸に残ってる。


「でも……」

「でも?」

「それでも、だからこそ、やってみたいんです」


 でも今回は。今回からは、それじゃ嫌だと訴える自分がいた。


「だからこそ、か」

「たかが学校行事の一つでって笑われるかもしれないですけど。でも、たとえ難しくても挑戦したいなって、そう思ってるんです」


 できる限りのことをすればいい。

 リレーに出ることが決まった時、俺はそんなふうに考えてた。いや、本当はもっとずっと前からかも。


 だが今は違う。

 玄関での進藤との邂逅から少しずつ、心のどこかに痛みを上回る熱が溜まっている。

 少し前まで浮かされていたものに似た、なんだかちょっと違うようなこれは、言葉にするなら〝できないかもしれなくてもやってみたい〟、だ。


 けど、やっぱり俺はやり方を知らなくて。


「大門先輩。どうすれば、俺は勝てますか?」


 だからこそ、問いかけてみる。ずっと勝ち続けてきたのだろうこの人に。

 小百合の隣を、一人だけの特別な場所を手にした相手にこそ、教えてほしい。

 小っ恥ずかしいことだってのは百も承知だけど、今は、そう考えてた。


「……ふむ。これはまた、随分な頼み事だ」

「すみません、青臭くて」

「いや、大いにに結構。とは言っても、偉そうにするほど俺もまだ長く生きてないんだがな、ははっ」


 快活に大口で笑った大門先輩は、真剣そうに眉根を寄せると考え始めた。


 どんな答えが出るのだろうと、緊張とも不安ともつかない気持ちで待ってたら、その眼差しがこちらに向いて背筋が伸びる。


「よし、決まった。まず最初に言っておくと、俺の言葉は平凡だ。多分、誰でも言えるようなことだろう」

「それでも大丈夫です。俺から聞いた以上、どんな答えでも受け取ります」

「なら遠慮は要らないな」


 より一層真剣な顔になった。聞き逃さないよう、俺も集中する。


「俺がいつも試合中に考えてることを、高峯に教えよう。その様子だと一通りやれることはやったんだろうしな」

「はい、分かりました」

「いいか、よく聞いてくれ。俺が空手をやってる時、一番大事にしてること。それは──〝負けたくない理由〟を常に思い浮かべておくことだ」

「負けたくない理由、ですか」

「ああ。勝負をする時、〝勝ちたい理由〟も、〝負けられない理由〟も大切だ。でも何より肝心なのは〝負けたくない理由〟だと、俺は考えてる」


 その三つは並べられると、全て同じもののように聞こえる。

 でも先輩の表情から、何かが違うことを察した。


「というのもな。勝ちたい理由はモチベーションになるが、いきすぎると義務みたいになる。負けられない理由も支えになると同時に、あんまり意識すると逆に枷になることもあるんだ。だから念頭に置かないようにしてる」

「なるほど。じゃあ、負けたくない理由は?」

「言うなれば、()()だ。これだけは譲れないという、理屈も理由も関係なく最初にある感情。だからこそ、何よりシンプルにパワーに変えられると俺は思ってるんだ」


 意地、か。

 ……分かるかもしれない。小百合と一緒にいた時、俺の根底にあるのはそれだった。

 追いかけたい、並びたい。具体的な目的なんてものは後付けで、その感情に突き動かされてきた。

 

 今もそうだ。

 陽奈の隣で、一緒に失恋を乗り越えていきたい。あの子をもっと知りたいという気持ち。

 この居場所を誰にも渡したくない。つまるところ、熱の源はそれなんだ。

 これを変わらず、いや、より強く燃やし続ければいいと先輩は言っているのだろう。

 

「その顔だと、納得してくれたみたいだな」

「ええ。改めて気持ちがはっきりしました」

「すまないな。こんな感情論というか、根性論で。説教みたいなのはあまり得意じゃないんだ」

「シンプルだからこそ心に響きました。ありがとうございます」

「なら安心だ。では、俺からのアドバイスもどきはこれまで。存外話し込んでしまったな。今からリレーの練習に行くのか?」

「そうです」

「望んだ結果を得られるよう応援してるよ。だが何より、クラスマッチを楽しめよ」


 その大きな手で俺の肩を力強く叩き、「またな」と笑った大門先輩は更衣室に入っていった。


「……陽奈の気持ち、ちょっとわかったな」


 確かに本人も言ってた通り、漫画の主人公が言うみたいな唯一無二の言葉じゃなかった。

 逆に言えば、実直で、現実的で、ちゃんと自分の中で答えを作って返してくれた。

 あれを極限まで気が滅入ってる時にぶつけられれば、そりゃ惚れる。


 負けてられない。進藤にも、大門先輩にも。

 そしてさっき、張り切って自分の選択種目の練習に行った陽奈のやる気に劣らないように。


「うしっ。頑張るぞ」


 軽く自分の頬を張る。


 気合を込め直して、校庭に向かった。

 



読んでいただき、ありがとうございます。

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