もしもの話
いやはや、新生活に慣れるのでかなり間が空きました。
楽しんでいただけると嬉しいです。
月が変わって最初の週末。今日は朝から千穂さんのところでバイトに勤しんでいる。
昼のピークを過ぎ、店内はちらほらと長居をしている常連客を残して程々に落ち着いていた。
無事にラッシュを乗り越えた達成感と少しの疲労。凪を取り戻した空気を感じながら、洗った食器の水気をせっせと拭う。
「それじゃ、みんなでリレーの練習をするのね」
「はい。やっぱり、ガッカリさせないくらいにはしとかなきゃですから」
「ふふ、いいわねえ。青春って感じ。私もね、高校生の時は借り物競走とかやったりしたのよ?」
「借り物競走ですか、鉄板ですね。もしかして、お約束の気になってる人と一緒にゴール、みたいな?」
「さあどうかしら。でも本当、懐かしいわ」
はぐらかされてしまった。懐古する横顔は本心を包み隠し、何も言えなくなってしまう。
でも千穂さんは母さんと結構歳が離れた姉妹だし、学生だった頃の記憶は未だに鮮明なものだろう。
そんな微笑みは、ふとした拍子に微かな心配を混じらせてこちらに向けられる。
「でも、大丈夫? 聞いたらメンバーには小百合ちゃんもいるみたいだし。その、例の彼女さんはなんて……?」
「頑張ってとは言ってくれてます。でも、不安にはさせないように………したいんですけど」
「あら……」
ダメだな。断言したかったのに、つい咄嗟に付け加えてしまった。
正直、あまり上手くやれてる自信がないからだ。自分なりに距離を縮めてみようとはしてるものの、所詮は初恋が終わったばかりの恋愛初心者。
恋人の心を常に惹きつけておけるテクニックなど、当然まともに持ってないわけで。手探り状態でやってるのが現状である。
「すみません、はっきりしなくて」
「確かに、自分に興味を持ち続けてもらうって難しいものね。でも、だからといって遠慮しすぎちゃだめよ」
「はい、分かってます。むしろ怪しくなりますし」
「というのもあるけど、自分で自分を追い込むのが一番良くないわ。結局、伝えられたはずのことが心の中で埋もれてしまうから」
「あー……なんとなくわかります」
その感覚を、俺は知っている。
魅入られて、追いかけて。それなのに長く隣にいればいるほど自分が相応しいと思えず、ただ差を埋めることばかりに目がいっていた。
それを無意味とは否定しない。あの努力がなければ、七年も関係は保たなかっただろう。
だが、まず何より気持ちを示していれば、何か違ったんだろうか?
今更なイフが頭をよぎった。
「今の聡くんにはちょっと苦手意識があるかもしれないけど、大事なことよ。むしろ小百合ちゃんにできなかった分まで、精一杯伝えるくらいの勢いでいなくちゃ」
「そうですね。二の舞は避けたいですから」
「頑張って。おばさん応援してるわ。後の方法自体は聡くんなりに、ね」
はい、と答えながら、拭き終えた最後の一枚をそっと同じものに重ねる。
話がひと段落した、まさにその時だった。
からんとベルが新たな来客を知らせ、顔を上げて姿を確かめる。
「千穂さん。ラベンダーの卓がお帰りになりそうなので、対応してきます」
「お願いね」
トレーを片手にキッチンを出ていく。
先んじて入り口手前のレジへと向かう道すがら、新たにやってきた相手とすれ違った。
「おっ、聡人くん。久しぶりじゃないか」
「ご無沙汰してます。いつもの席、空いてますよ」
「助かる。ありがとな」
短く言葉を交わし、男性がカウンターへ向かうのを見送って俺も行く。
レジに立って丁度、立ち上がる気配を見せていたお客がやってきたので伝票を受け取り会計した。
「ごちそうさま。今日も美味しかった」
「ありがとうございます。また是非いらしてください」
「ああ、来週ね」
にこやかに常連客が出ていく。さて、席に戻って片付けてしまおう。
ラベンダーが飾られたテーブル席の方に舞い戻り、穏やかなランチタイムの後片付けに勤しむ。
トレーの上に食器を積み上げていく傍ら、ふと横目でカウンターの方を見てみる。
「いつものコーヒーを頼む」
「もう。来る度に同じものばかりね。色々と揃えてあるのに」
「あれが一番美味しいんだ。どうにも千穂のが気に入ってる」
「あら。そこまで言われたらしょうがないわね」
そこでは唯一花が飾られた席に座る男性と、千穂さんが語り合う姿があった。
鮮やかな紫蘭を挟み、笑顔と言葉を交わす様は、身内贔屓を差し引いても絵になっている。
きっと叔母の表情が、少し前とは違い一人の女性としての熱を帯びているからだろう。
昔から変わらない光景。
千穂さんがまだ、俺くらいの年頃からずっと大事にしているもの。
……伝え続ける、か。
年月でいえば俺と小百合の倍以上紡がれてきたものをああして見ると、なるほど。説得力も増す。
二人の間にはっきりとした言葉があったことはないというが、それでも千穂さんは千穂さんなりの方法で示し続けて、今も絆が絶えてない。
ある意味では理想のお手本と言えるだろう。
また、もしもを考える。
さっきとは少し違う妄想。似ているようで、もう何歩か臆病な選択。
たとえば、だ。一ヶ月前、あの教室で何も伝えなければ、まだ幼馴染ではいられたんじゃないだろうか。
少なくとも今みたいに関係になんてーー
「………あれ?」
……そういえば、どうして小百合に告白しようと思ったんだ?
なんとなしの空想が、一つの疑問を呼び起こす。
何故俺は、小百合に自分の感情を曝け出すことを選んだんだろうか。成功する確率なんてほとんどなかったのに。
だってそうだ。千穂さんみたいにアプローチというアプローチもできず、一回告白したくらいで上手くいくと思うほど楽観的でもなく。
小百合から好かれてる確証だって一つもなかった。あったのはただ、幼馴染としての時間だけ。
そんなリスクしかないような状態で、どうして?
何か、抑えがきかなくなった以外の理由があったんじゃないのか?
………分からない。ほんの一ヶ月前のことなのに、当時の自分と繋がれない。
モヤモヤする。考えるほど渦にはまり、思考は謎に溺れていく。
判然としない気持ちを覚ましたのは、大きな来客のベルだった。
「っ! いらっしゃいま、せ……」
「ちわー。って、あれ?」
「え。谷川?」
「なんだ。誰かと思ったら高峰じゃん」
なんと、新たな来客者は近頃関わるようになったクラスメイトだった。
上から下までバッチリ決まった姿はまるきりモデルのようで、思わず驚いた声が出る。
「なに、バイト?」
「あ、ああ。まあな」
「ふーん、結構似合ってんじゃん。なんかレアだし撮っとこ」
「えっ、ちょ」
止める暇もなくカシャリと軽快な音。相変わらず構えるのからシャッター押すまでが速いな!
そのまま何やらスマホを操作し、立て続けに愉快じゃない通知音が鳴った。
「おっけ。陽奈に送っといたわ」
「おま、マジか!? せめて送る前に言えよ!」
「減るもんじゃないしいいっしょ。で、一人なんだけど入れる?」
「はぁ……大丈夫だ。お好きな席にどうぞ」
「さんきゅ」
揚々と手を振り、奥へと向かっていく。まったく、教室でもかなり自由だが学校の外だとさらに拍車がかかってるな。
ため息を呑み込み、さっさと残る食器を回収して後を追いかけるのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。




