初恋・発覚
今回は結構長いです。
楽しんでいただけると嬉しいです。
その日は一日、小百合に話しかけることすらできなかった。
友達でいてくれると嬉しい、とは言っていたが、流石にあれを額面通りに受け取るほどアホじゃない。
ぼんやりと意識だけが現実から乖離したような気分のまま、気がつけば放課後だった。
「じゃあな、ヒロ」
「おう、また明日。あ、宮内さんにフラれた残念会でもするか?」
「いや、しねえよ」
「なははっ、冗談冗談。まあ、朝も言ったけどあんまり気落ちすんなよ?」
「サンキュー」
なんだかんだと気にかけてくれる親友に別れを告げて、教室を出る。
「はぁ……」
一人きりの帰路。思わず口から憂鬱な溜息がこぼれた。
昨日までは小百合と一緒に帰ってたのに。楽しかった帰り道がこれから無味乾燥なものになると思うと、気分も重い。
「あいたた……」
肩を落として歩いていると、不意に悩ましげな声が聞こえた。
足を止めてそちらに顔を向ければ、教室の中で初老の男性教師が困り顔で腰に手を当てて呻いていた。
「まいったな……これじゃ運べん……」
なにやら困っているようだ。
……見かけた以上、このまま知らんぷりして素通りするのも悪いよな。
それに、今は何かをしてこの重い気分を忘れたい。
「……あの、何かお手伝いすることありますか?」
教室に一歩踏み入り、その背中に声をかける。
先生は驚いた様子で振り返り、俺の姿を認めると、生徒だと理解して表情を和らげる。
「ああ。実は明日の授業の資料を持ってかなきゃならないんだが、ぎっくり腰をやってしまってな……」
そう言って先生が示す机の上には、堆く積まれた白い紙束の山が。
「俺、運びます。どこの教室に行けば?」
「おお、助かるよ。二階の端の資料室に運んで欲しいんだが」
「うす」
紙束の山を両手で抱え上げる。それなりに鍛えているおかげで、軽く百枚以上はある資料は難なく持ち上げられた。
「これで全部ですか?」
「そうだな、これで全員分だ」
「わかりました。先生はゆっくり来てください、置いとくんで」
「悪いな、助かるよ」
温和に笑う先生に背を向けて、俺は資料の運搬を開始した。
崩れないよう資料を注視して、ゆっくりと廊下の向こう側にある階段へと歩いていく。
さながら運搬マシーンになったようだ。ファミレスでよく見かけるアレ。俺もこの一時だけは、彼らと同じようにただ仕事を遂行するだけの存在になりたい。
失恋の痛みも、他の何事も考えず、ただ無心でーーなどと考えていた矢先、階段の横にある女子トイレから人が出てきた。
「おわっ!」
「きゃっ!?」
なんとかたたらを踏み、急停止する。
スマホをいじっていた相手は直前まで気が付かなかったようで、俺の声に肩を跳ねさせた。
「ご、ごめん。怪我してないか?」
「いや、こっちこそごめん。あたしも前見てなかったし……って、高峯?」
「なら良かった。じゃあな」
「あっ、ちょっ!」
無事を確かめられたので、資料に目線を戻して横をすり抜ける。
さあ、ここからは第二ステージだ。階段で左右に揺れる体に資料が引っ張られないようにしないとな。
「……ここか」
そうして二階に上がり、一番手前の教室のプレートに『資料室』の文字を見つける。
片手を紙束から外して扉を開け、中に入って一番近くにあった机に資料を置いた。
「これでよし、と」
さて、仕事が終わってしまった。また重い気持ちが胸に湧き出してくる。
またひとつ溜息を零しながら資料室を後にし、階段を降りて今度こそ玄関へ行こうとーー
「ちょっと待った!」
「ぐぇっ!?」
く、苦しっ!? だ、誰かに襟を掴まれてる!?
動揺しながらも反射的に下手人の手を取り振り向くと、そこにはまさかの人物がいた。
「は、晴海? いきなりなにすんだよ?」
「や、そりゃクラスメイトがあんな死んだ顔してたら気になるっしょ。てか昨日のことだけど、本当に誰にも言ってない?」
「話してないって。もういいか? 俺、帰りたいんだけど」
「そ。ならいいけど。でも、マジで体調とか平気? 保健室行く?」
「……大丈夫だ」
失恋での気落ちで保健室に行ってたまるかっての。
晴海の気遣いはありがたいが、これ以上誰かと話す気力のなかった俺は別れを告げようとして。
「──失礼します」
「っ!?」
言いかけていた言葉が、中途半端に引っ込んだ。
覚えのある声が聞こえた直後、一番近くの部屋……職員室の扉が開いて、咄嗟に壁の陰へ身を隠す。
「うわビビった。何やってんの?」
「しーっ! 声が大きい!」
怪訝なクラスメイトの顔から職員室の方へ目線を移すと、一人の女子が出てくるところだった。
見間違えようもなく、小百合だ。
きっちり四十五度の姿勢でお辞儀をしてから扉を閉める姿に、自分でも憎らしいほど無意識に目を奪われる。
「あれ宮内さんじゃん。なんで隠れるわけ? あんた、普段から仲良いよね?」
「……今は違うんだよ」
「今は?」
何故か一緒に隠れている晴海に小声で返事をしながらも小百合を見ていると、その口元が不意に動く。
「もう、来ているかしら」
この位置からでもギリギリ聞き取れた、微かな呟き。
零したのはその一言だけ。職員氏に背を向けたあいつは、一直線に玄関の方へと向かっていった。
「来ている……っ、まさか」
「あ、ちょっと」
小百合の独り言に思い当たる節があり、後を追いかける。
足を忍ばせつつ下駄箱の影まで移動し、そっと様子を伺うと、靴を履き替えた小百合が外に出るところだった。
一瞬帰るのかと思ったが、玄関先のところでピタリと立ち止まったまま動かないのを見て考えを改める。
「やっぱり、誰かを待ってる……?」
「ねえ。尾行は良くないんじゃない?」
「っ!? 」
びっくりした拍子に叫びかけ、口を手で塞いで押し留める。
それから後ろを見ると、まだ晴海がいた。
「おま、付いてきたのかよ……!?」
「だって高峯、明らかにおかしいし」
「それ、どっちの意味だ」
「んー。どっちも?」
俺に合わせているのか、ひそひそと小声で返してくる。
自覚があるのでまったく反論できない。客観的に見て今の俺の挙動は間違いなく不審者そのものだ。
「で。なんでこんなことしてんの」
「……止むに止まれぬ事情というか」
「ふーん。それってさっき言ってたことと関係あったり?」
「ご想像にお任せする」
曖昧に答えると、晴海はこてんと首を傾げて考えるポーズを取った。
「んー……あっ、分かった。昨日あんたが告白したのって、宮内さんなんでしょ」
「ぐっ」
「うわ超図星の反応。で、今はフラれたけど引きずってて追いかけてる感じ?」
「……そうだよ。笑いたきゃ笑え」
我ながらしょうもないことをしてるのは分かってるが、昨日の全力シャウトを見られた時点で一生分恥をかいたようなもんだ。
今更ストーカーだのと嘲笑われても、痛くも痒くもない。初恋の相手にフラれた今の俺は無敵だ。
「別に笑ったりしないって。あんな叫ぶくらいガチの気持ちだったんでしょ? 馬鹿になんてするわけないじゃん」
「なんだ、共感できるとでも言いたげな……」
「ーーやあ、すまない。待たせたか」
「ーー!」
晴海と言葉を交わしていた、その時。
玄関の方から第三者の声が聞こえて、もう一度顔を出して様子を確かめる。
すると、振り向いた小百合に歩み寄る人物がいた。
校舎の中からではなく外からやってきたその人物の顔を見て、俺は喘ぐような声を漏らす。
「な……!?」
大門、先輩……!?
にこやかな笑顔を精悍な顔に浮かべてそこにいるのは、校内屈指の知名度を誇る上級生。
まさか、小百合の付き合い始めた彼氏はあの人だったのか……!?
「いえ。私も丁度きたところです」
「そうか? それなら良かった。じゃあ、行こうか」
「はい」
唖然とする俺の前で会話をした二人は並んで歩き出し、去っていくのだった。
「嘘、だろ……」
校門を超え、もうほとんど後ろ姿が見えなくなったところで脱力するままに崩れ落ちる。
どうにか両手で体を支えるが、ガクガクと震えて力も視界も定まらない。
「マジかよっ、よりによってっ……」
いくら何でも、相手が悪すぎる。
小百合が選んだ相手だ。並大抵の男ではないことは予想してた。でも、まさかここまでの大物とは……っ!
「う、ぐっ……」
ヤバい。あまりにショックがでかすぎる上、寝不足のせいで気分が悪くなってきた。
なんとかうずくまることだけは避けてーー。
「……そ、っか。あの子が、相手だったんだ」
渦巻く暗闇に引きずり込まれそうになる意識を、深い悲しみをたたえた声が引っ張り上げる。
後ろから聞こえたそれに振り向けばーー酷く、見覚えのある顔をした晴海が立ち尽くしていた。
「ああいう子が、タイプだったんだ。あははっ……めっちゃ、正反対じゃん……」
「晴、海……?」
涙を、流していた。
視界の端から、白く滑らかな頬の上を滑り落ちる透明の雫が斜陽に照らされて冷たく光る。
悲しみと自嘲が入り混じった歪な笑いは、見ているだけでひどく胸を締め付けられて。さながら鏡を見ているような錯覚に陥った。
「あたし、バカみたい……」
『……バカみたいじゃん、俺』
こぼれ落ちた一言に、その感覚は主張を強める。
胸を突き刺す衝動は俺の如何を問わずに手を動かし、ポケットからハンカチを取りださせると彼女へ差し出した。
「晴海、これ」
「え?」
「よければだけど、使ってくれ」
「……ありがと」
晴海は思いの外気落ちした様子で受け取り、涙を拭った。
すっかり湿り気を消し去ったその顔で、次に浮かべたのは照れくさそうな弱々しい表情。
「ごめん。変なとこ見せちゃった」
「気にするなよ。俺に比べたら全然マシなほうだ」
「あはは。そうかも」
少しだけ笑った晴海に、手を差し出す。
勘の良い彼女はすぐに察して、そこに使い終わったハンカチを置いた。
あとはそれをポケットに戻して終わり……そのはずだった。
少しだけ早く伸びてきた手が、ハンカチごと俺の手を包み込みさえしなければ。
「え? 晴海?」
「……ねえ、高嶺」
困惑する俺を見透かしたように、晴海はまた、少しだけ悲しみを感じさせる微笑を浮かべて。
「この後、ちょっと付き合ってよ」
衝撃の事実、発覚。
読んでいただき、ありがとうございます。
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