変心
一応、第一章の最後です。
楽しんだいただけると嬉しいです。
週明けの学校は、朝から玄関が賑やかだ。
友達と会えて喜ぶ声や、また一週間が始まることが億劫そうな声で溢れている。
登校してきたばかりのあたしも、その一人。
自分の下駄箱から上履きを取り出し、革靴と履き替えた瞬間、一日が始まるといつも感じる。
「……よし」
けど、今日はいつもと少し違う。
下駄箱の蓋を閉め、覚悟を決めると自分の教室に向かって歩き出した。
急ぐように、あるいは何かを期待するかのように、自然と逸る足取り。
それは胸の中に抱えたある思いのせいで、先走りそうになるのを堪えて廊下を進む。
(高峯はもう学校に来てるかな。普段は結構早いし、きっといるよね)
思い浮かべたのはある男子の顔。クラスメイトであり彼氏でもある、高峯のことだ。
週末のデート。途中までは上手くいっていたのに、奈々美達と偶然再会して昔のいざこざに巻き込んじゃった。
本人はなんでもないように言ってたけど、きっと嫌な思いさせたよね。
おまけに落ち込んだ勢いで、普段じゃ絶対言わないようなセリフ連発しちゃうし。
うちに帰ってからめちゃくちゃ悶えた。顔から火が出そうな気持ちって、ああいうのを言うんだろうな。
だから決めた。今日からはちゃんと、いつも通りのあたしで高峯と接しようって。
これ以上気遣わせるのは悪いし、湿っぽいのは好きじゃないもん。
(……まあ、そうは言っても簡単にはいかないんだけど)
問題は、昨日から何度もデート中のことを思い出してはこみ上げる正体不明の熱だ。
(あーもう、まだ手繋いだ時の熱が残ってる気がする。こんなんであたし、高峯と顔合わせたらちゃんとやれんの?)
我ながら自信なさすぎて笑えるんですけど。
なんて思ってる間に、クラスの前まで着いちゃった。
ドアの向こう側から聞こえてくる、クラスメイト達の声。あたしは手を胸の上に置いてゆっくりと深呼吸する。
「すぅ、はぁ……おっけ、落ち着いた」
この扉をくぐったら、いよいよだ。
最後の最後に自分へ気合を入れ、ゆっくり取っ手の窪みに指先を引っ掛ける。金属っぽいその冷たさを確かめながら、思い切って横に引いた。
「あ、陽奈来た。おはよー」
「晴海、やっと来たじゃん。よっす、遅かったな」
「みんな、おはよー」
入ってすぐ話しかけてきた友達に対しては、普段と同じように返事することができた。
すぐに馴染みの面子が次々集まってきて、週末にやってたドラマや遊びに行ったところの話が始まる。
振られる話題の一つ一つに応じながら、教室の中に目を向け、それとなくあいつの姿を探し──見つけた。自分の席に座ってる。
「ごめんみんな。ちょっといい?」
話が盛り上がってるところを心苦しく思いながらも、キリのいいタイミングで声を上げた。
すると一斉に声がやんで、みんな残念そうだったり、あるいはニヤニヤと生暖かい顔で見てくる。
「あーあ、今日はもうウチらとの時間は終わっちゃったか」
「まあ、彼氏が相手じゃ仕方ないよねー」
「ほんとにごめんねー。また後で話そ」
両手を合わせて謝ると、いいよーと言われた。
いきなり抜けて嫌な気分にさせたくないのできっちりと断っから、会話の輪を抜けたその足であいつのところに向かう。
歩きながら、とびきりの笑顔を作る用意をして。スカートの裾を手で伸ばし、んっ、と軽く喉の調子を整える。
そして、ついにテーブルを挟んで正面に立ち。
「高峯、おはよっ!」
明るく弾ませた声で呼びかける。
高峯がゆっくりと顔を上げた。近づくあたしに気づいていたのか、柔和な表情に驚いた様子はない。
「おはよう。今日も元気だな」
「まあねー。月曜だし、気分上げてかなきゃ」
よしっ、何とか最初はうまくできた。この調子だ。
「あの後、大丈夫だったか? 体調を崩したりとか……」
「全然ヘーき。あのくらいでバテたりしないって」
「そっか。ならよかった」
「心配してくれてありがと。高峯こそ風邪引いてない?」
「これでもちょっとは鍛えてるしな。ばっちりだ」
「そっか。もし具合悪いなら、看病してあげようと思ってたんだけど」
「……その顔はまた何か企んでないか?」
「えー、そんなことないって。りんご剥いたりとか、プリンをあーんするのとかやろうかなって考えてただけだから。あ、あとは頭撫でながら寝かしつけるとか?」
「定番だな。というか、後半はむしろ熱が上がりそうなんだが」
「あははっ、そしたらもっと看病しなきゃだ」
まあ、本当に風邪を引いたらお世話してあげたい。いろんな意味で守ってもらったしね。
そこであることを思いついて、高峯の方に顔を寄せると内緒話をする時のように囁いた。
「また膝枕もしていいよ?」
「っ」
ふふっ、耳の先が赤くなってる。ずっと宮内さんと一緒にいたにしては、こういうのに耐性があんまりないっぽいんだよね。
「じゃあ、その時は頼むかもな」
「え? あ、う、うん」
び、びっくりした。いつもならちょっと恥ずかしそうにしながら遠慮するのに。
いつもと違う高峯は、お返しをするようにニヤッといたずらっ子みたいな笑みをあたしに向けてきた。
「むしろ、晴海も何かあったら遠慮なく甘えてくれよ。彼氏なんだしさ」
「っ」
──なに、その顔。初めて見るんだけど。
「じゃ、じゃあもしもの時はお願いしちゃおっかなっ」
「ああ、いつでも待ってる」
「うん。あ、あたしもう自分の席行くね」
「おう」
会話を切り上げ、踵を返す。
顔は自然と下を向いていた。クラスメイトの誰にも……高峯にも、顔を見られないように。
(……危なかった。もうちょっとで、色々爆発するとこだった)
マッジで限界ギリギリだった。変なこと口走る一秒前って感じ。
話してる最中、ずっと心臓の音がうるさくて高峯に聞こえてるんじゃないかって気が気じゃなかった。
今もまだ小さく鳴っている。手で押さえてないと心臓がどこかにいってしまいそうだ。
高峯はいつも、話す相手がリラックスできるよう優しい表情や声を心がけて話してる。同じことをしてるあたしにはそれが分かるんだけど、今日は一段と強く感じられた。
(一番は、あの目。あの真っ直ぐな目が、やばい)
昨日、橋の上であたしを見ててくれると言った時と同じ眼差し。
あの時だけのものだと思ってたのに、思い返してみればいつも変わらないことに気づいちゃって……そっからはもう頭がフットーしそうだった。
(どうしてこんなにドキドキしてるんだろ。前はこんなことなかったのに)
ほんの何日か前まで、高峯と一緒にいると、じんわりと心が温まるような居心地の良さを感じてた。
今もそれは変わらないはず。なのに息苦しいくらいに感情が昂って、しかも、それが全然嫌じゃない。
こんなの、まるであたしが高峯に……。
「よっ。なーに百面相してんの?」
「ひゃっ!?」
何かの答えが出そうになった時、肩を叩かれて正気に戻った。
気がつけば自分の席の近くにいた。
隣から光瑠があたしの顔を覗き込み、真里と大耶の二人も待っていたように近くの席に座ってる。
「うわ、今の声おもろ。やっと我に返りましたー的な?」
「下見て歩いてると怪我するぞー」
「てか何回か机に引っかかりかけてたし。無意識に全部避けてんのちょっとウケたわ」
「ちょ。あ、あんま見んなし」
いくらこの三人でも、今の顔は見られたくない。
そうやってあしらおうとして……でも、あたしは忘れてた。昨日のデート中にやらかしたあのことを。
「そーいうわけにはいかねーなー?」
「ねー? だって……」
「昨日グルに送りつけてきたもんについて、根掘り葉掘り聞かないと、ねぇ?」
「……………あ”っ」
そうだった!? えのすい回ってる途中に色々テンパって変な写真誤爆したんだった!?
三人はこれでもかってくらい面白そうなおもちゃを見つけた顔でニヤニヤして、光瑠の両手があたしを逃さないようがっちり肩を掴んでる。
「あ、あははー……モクヒケンを行使しまーす、なんて?」
「「「それ通じると思ってる?」」」
「……思ってないでーす」
哀れ、あたし。てか息ピッタリかよ。
ガックシとうなだれながら席につくと、光瑠が左に座った。
そして正面に真里、右には大耶。これもしかしなくても包囲網できてない?
「それでー? メッセ送るのミスったっていってたけど、本当はどうだったわけよ」
「しょーじきに答えろー。チャンスは一回だぞー」
「ううっ……あの、あれはほんと間違えて。別に見せつけようとかそんなんじゃなくってさぁ」
「や、別にそうは思ってないけど」
「あれ? そうなの?」
てっきり調子乗ってんじゃないのって絞られるの覚悟してたんだけど。
「まー陽奈はそういうことする感じじゃないしなー」
「ね。高峯とのやりとり見てると結構ウブだし、幸せアピなんて小狡いこと思いつかないよね」
「むー。なんか微妙に馬鹿にしてない?」
「してないしてない。で、その上であたしらが聞きたいのは昨日のデートどうだったん?ってとこなわけよ」
結局そこにいくんかいっ。
うーん、でも変にいじられるよりはマシかなぁ。真里達が嫌な方に勘ぐってくるタイプじゃなくて助かった。
や、野次馬根性丸出しなのはアレだけど。
「あれでしょ? ついあんな写真送っちゃうくらい舞い上がってた的な?」
「ちがっ……くない、けど」
「まあいいじゃん。三回デートして上手くいってんなら長続きするんじゃない?」
「それは……まあ? そうなればいいかなー?的なことは思ってなくもない……的な?」
「おー。のろけの気配がするぞー」
「だ〜い〜や〜?」
「ぎゃー!」
身を乗り出してきた大耶の頭を抱き寄せて軽くグリグリしながら……ふと無意識に高峯の方を見る。
あいつはいつの間にか城島と話してた。
真里達と似た表情で何か言ってる城島に対して、ちょっと面倒そうな、でもどこか楽しそうにも思える顔で相手してる。
……あんな気心が知れてる感じの顔もいいなぁ。
あたしにも同じように、なんて、欲張りすぎだよね。
「おーい? どうした陽奈ー?」
「ん〜? これって、もしかしてもしかする?」
「聞くまでもないって感じ?」
「もがもがっ」
ひそひそと三人が話してるけど、あまり耳に入ってこない。
ただ自然と、吸い寄せられるように……高峯のことをじっと見つめていて。
そうしていると感じる胸の疼きがもう知っている感情であることを、この時のあたしは気付いてなかった。
◆◇◆
授業の合間の休み時間。
トイレを済ませて手を洗いながら、ふと今朝の晴海のことを思い出す。
あいつ、大丈夫だろうか。話してる最中は顔が赤かったし、微妙に挙動不審というか。いつものキレが足りないような気がした。
晴海は一見強いように見えて、その実、何かあっても笑って誤魔化す節があるから少し心配だ。
(当たり前のことだけど、全部が全部、見たままじゃない。昨日の様子を見ると、なおさらに)
みんなが多かれ少なかれ、ありのままより、ありたい自分を演じて生きている。
周りに合わせるため、他人によく見られるため。理由は人によって様々だろう。
俺も小百合みたいになりたくて、ずっとそうしてきた。
晴海もきっと、そうなんじゃないか。
いつだって自分に正直に見えるけど、その実たくさんのものをあの笑顔の裏に抱えている。
(俺は、それを知りたい。いつかあいつが知られても良いと思ってくれるような男になりたいんだ)
あの斜陽の中で微かに見せた怯えさえも預けていいと信じられるほどの存在になれればと、そう願う。
その第一歩として、まずは自分から積極的になってみたが……今朝のはさすがに失敗だったかもしれない。
「まあ、ちょっとずつ確かめてくしかないよな」
独り言を言いながらハンカチで手を拭き、トイレを出た。
教室に戻っていると、廊下の向こうから偶然にも見知った人物が歩いてくる。
頭からつま先まで、一本の芯が通ったような姿勢。
凛々しいその面持ちは堂々と前を向いており、確かな足取りは誰にも恥じることがないようだ。
そんなあいつを……小百合を見て止まりかけた足を、またすぐに動かす。
徐々に距離が近づいていき、やがて、互いの横を通り過ぎて。
「よう」
「……こんにちは」
一言交わし、先に進む。
振り返ることはない。ただの友達なら、きっとこのくらいの距離が普通だろうから。
そう思いながら、いつかコンビニで別れた時のように反対へと進んでいく。
「……よかった」
──だから、背後で小百合が立ち止まって浮かべた表情も。
「──どうか、良い日々を」
あいつが何を囁いたのかも、俺はずっと知らなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
本当に紆余曲折ありまくりですが、これからも自分なりに頑張っていくのでよろしくお願いします。




