三度目の偶然
やっと調子が戻ってきたかもしれない
うちの高校は定期テストの順位を公表する仕組みだ。
学年ごとに順位が印刷された表は分けられ、それぞれの階に貼り出される昔ながらの方法を取る。
「おー。混んでるな」
「まあ、みんな初めてのテストで気になるんだろ」
登校して早々、校門付近で出会したヒロと共に俺は掲示板の前の混雑を見ていた。
「アキさんは今回、どれくらい自信がおありで?」
「手応えは悪くなかった。そう言うお前は?」
「可もなく不可もなし、ってとこかね」
「不安はなさそうだな」
一見不真面目に見えがちだが、ヒロは結構勉強もできる。
なんでもそつなくこなしてしまえるというか。努力家な小百合や、地頭の良い晴海ともちょっと違うタイプだ。
「気になるねぇ。この一週間、彼女とイチャイチャしながら勉強したお前の点数」
「普通に真面目にやってたわ」
「またまた。俺のアドバイスも有効活用してくれたみたいだし、一つくらいイイことあったろ?」
「……別に?」
「あ、嘘ついてる顔だ」
愉快そうなツラに無言を返す。
実際、初日にうちで勉強した時以上のことは起こってない。次の日からは学校の図書室とかファミレスに場所変えたし。
……すごく頑張っていたが、あの約束も少しは彼女の役に立ったのだろうか。
「あれ、ちょっとニヤけてね?」
「気のせいだろ。ほら、見にいこうぜ」
「へーい」
人の波をかき分けるようにして、掲示板に近づく。
二人いたおかげかすんなりと表が見える場所まで辿り着き、ズラリと並ぶ二百十余名の名前を確かめる。
一緒に記載された点数と共に流し見していくうち、自分の名前を見つけた。
「……62位か。まあまあだな」
「おっ、47位ー。俺の勝ち」
「競ってないだろ」
「へへ、まあな」
しかし最初のテストで100位圏内は、なかなかに良い滑り出しだ。
この調子で、期末はヒロと同じ50位以内を目指してみるのもいいかもしれない。
「で、彼女の順位はどうかね」
「晴海のは……あった」
自分のから少しだけ下に目線をずらし、94位のところにその名前を見つける。
総合点も悪くなく、努力の成果がしっかり現れていた。多少なりとも勉強を見ていた身としては嬉しい。
「あっ、100位超えてる! やった!」
「うおっ、晴海」
「おー、噂をすれば。おはようさん」
いつの間にか隣に本人が立っていた。
順位表を見て目を輝かせていたが、声を上げた俺達に振り向いて「おはよ」と手を挙げる。
「いま登校してきたのか?」
「うん。てか見て見て、二桁入ってんだけど。凄くない?」
「ああ。すごく頑張ってたし、よかったな」
「にひひー。半分は誰かさんのおかげだよ」
上機嫌そうに軽く肩を押し付けてくる。
その拍子に揺れた髪から甘い香りが漂い、膝枕の時のことを思い出して少しむず痒い気持ちになる。
「手取り足取り教えてくれたもんねー?」
「ふ、含みのある言い方するなよ」
「あ、照れてる」
「照れてるー」
「お前はさっきからやかましいっ」
「あててっ、脇腹はギブギブっ」
ヒロが笑いながら大袈裟に身を捩り、近くのやつがちょっと迷惑そうにする。
加えて晴海と話してる最中から頂戴していた嫉妬の目線が強まり、慌てて手を離した。
「二人とも、朝から元気だね」
「陽奈こそ見せつけてくれてんじゃーん」
「わっ、真里」
「あたしらを朝から胸焼けさせんなよ」
「そうだそうだー。二人の世界つくるなー」
「二人も来てたんだ。てか見せつけてないしー」
おまけに美人トリオも参加し、あっという間に人口密度が増した。
その騒がしさに思わず苦笑して……ふと、また表を見上げる。
無意識の行為だった。これまで何度も繰り返してきたがゆえの、染み付いた習慣。
ある、一つの名前を探して……予想通りの場所にそれを探し当てる。
「やっぱり、な」
「およ、まだ何か気になることでもあるのか?」
「いや、大丈夫……」
「おい、あれ……」
その時、少しだけ周りの空気が変わる。
廊下を埋めつくさんばかりの喧騒の一部がひそやかなものになり、どうしたのかと意識をつられて──掲示板の前に立つ小百合を見つけた。
ただそこにいるだけで目を引く冷然とした美貌と、落ち着いた佇まい。
あいつの近くにいる奴らが、好奇の眼差しを送りながら何事か話し合っている。
「────。」
一切を意に介さず順位表を注視していた小百合だったが、やがてふっと興味を失ったかのように身を翻した。
そのまま教室の方に行ってしまい、一瞬空いた道をすぐさま他の生徒達が埋める。
「凄いよね、宮内さん」
「ねー。入試もトップって噂じゃなかった?」
「おまけに可愛いとか、持ってる子っているよね〜」
そんな言葉が聞こえてくる。
俺は最後にもう一度、順位表の一番上にある名前を読んだ。
一学期中間考査、主席──宮内小百合。
点数は全教科満点。
そこに記されていたのはまさしく、一つの欠点もない完璧な結果。
相変わらずのトップ独走。中学の時も三年間、誰にもその座を譲ることはなかった。
俺も越えようと必死に勉強して、結局一番良かった時でも学年11位だったっけ。
今回はさらに、はるか遠くとさえ言える差が開いているが……まあ、こんなものだろう。
(昔はもっと落胆して、自分に失望してたけど。なんだろう、今はすんなり受け入れられる)
収まるべきところに収まった、ともいうべきか。
なんにせよ、不思議なほどあっさりとそう思って──。
「──チッ。あのまま風邪引けばよかったのに」
冷たい悪意に満ちた言葉が耳を撫でた。
顔を振り上げ、辺りを見渡す。
しかしいくら探しても、ごった返す同級生達の姿があるだけ。
「……?」
「おーいアキ、そろそろ教室行こうぜ」
「……ああ」
気掛かりなことがあったものの、時間が経ってさらに人が増えつつある。
諦めてその場から退散することにした。
◆◇◆
「よし、各自ちゃんとテストの復習しておくように。明日からの授業にも繋がってくるからなー」
響く予鈴に合わせるような、教師の間延びした声。
それによって午前中最後の授業が終わり、そこかしこから声が上がった。
俺も集中を解いて一息つく。
今日の授業はテスト返却と問題解説が主だったので、いつもよりは疲れてない。
(概ね予想していた通りの配点だったな。間違っていると感じたところも一致してる)
若干ヤマが外れたところもあったが、やはり悪くはない結果だ。
あとは午後に残りの教科を受け取れば、今回の中間テストは完全に終わりとなる。
「ねね、高峯高峯!」
「晴海か。やけに嬉しそうだな」
「うん。これ見て、あんたに教えてもらったとこちゃんと合ってた!」
軽やかな足取りでやってきた晴海が机の上に自分のテストを広げた。
いくつか低めなものの、どれも赤点には程遠く平均点前後を取れている。
「ほら、こっちとこっちも! いやー、ここまで取れると気持ちいいね」
「流石。飲み込みが早いから、あんま心配はしてなかったけど」
「にひひ。あたし、やればできちゃう系?」
「おう、できちゃう系だ」
いつもよりさらに高いテンションで得意げにしてる顔が可愛らしく、思わず頬が緩む。
「さて。午後を乗り切るためにも腹ごしらえといくか」
「おっけー。お弁当持ってくる」
一旦戻っていく晴海を見送り、机の横にかけた鞄を持ち出す。
中から弁当を取り出して……そこであることに気がついた。
「あれ……」
「お待たせー。って、どうしたの?」
「なんか、水筒忘れたっぽい」
俺としたことが朝、鞄に入れ忘れたらしい。
「ちょっと購買まで飲み物買いに行ってくる」
「わかった。急がなくていいからね」
「悪いな」
昼の購買に行くのは気が進まないが、仕方がない。
ポケットに財布があるのを確認し、席を立った。
テストから解放された影響だろうか、いつもの倍は賑やかな廊下を抜けていく。
そうして購買の前にたどり着くと、合戦が起こっていた。
バンジュウいっぱいに敷き詰められた惣菜やパンを我先にと取り、三人いる購買のおばちゃん達が捌いている。
「はは。いつもながらすごいなこりゃ」
毎日毎日、戦争さながらに皆よくやるものだ。
幸い飲み物のコーナーは空いていたので、お茶のボトルを取る。
(晴海にもなんか買っていくか)
ついでに小さめのミルクティーを追加して、計2本を手にいざ合戦場へ。
会計の列自体は比較的早く進み、ものの数分でおばちゃんの一人の前に辿り着けた。
「これお願いします」
「はいよ、二つで220円ね」
「むむ……どこにもないか」
「なんだ、あんたお金持ってないのかい?」
財布から小銭を取り出すために開けて、不意にそんな会話が聞こえてきて隣を見た。
そして驚く。
俺の横でパンを片手に困った顔をしていたのは、なんと大門先輩だったのだ。
びっくりして固まっていると、視線を感じたのかこちらに振り向く。
「おっ。君はいつぞやの一年生か」
「……うす」
「恥ずかしいところを見られたな。どうやら財布を忘れたらしい。はは、テストが終わって気が抜けたようだ」
「みたい、っすね」
しばらくぶりに話すが、まだ少し緊張する。
何を言えばと思っていると、後ろにいたやつが不機嫌そうに言ってきた。
「おい。早くしろよ」
「あ、悪い」
「おっと、俺もどかなくては」
少し残念そうにしながらも、パンを戻そうとする先輩。
……それを見て、自分でも何故かわからないがこんなことを口にしていた。
「あの、そっちの会計も一緒で」
「む?」
「いいのかい? だったら520円ね」
「じゃあこれで」
自分と先輩の分を合わせて払い、お釣りを受け取る。
一応見ると不思議そうな顔をしていて、それから逃げるようにして列から抜けた。
「なあ、待ってくれ」
当然というべきか、背中越しに投げかけられた言葉に振り向くと先輩が追いかけてきていた。
「どうしてわざわざ俺の分まで?」
「いや、なんか困ってるみたいでしたし。それにほら、前に荷物拾うの手伝ってくれたじゃないですか」
それらしいことを口にしてみるが、正直自分でもなんでかよくわかってなかった。
今言った通りの理由かもしれないし、あるいは小百合の彼氏である先輩がカッコ悪いところはあんまり見たくない……とでも思ったのか?
「そんなことで払ってくれたのか」
「まあ、腹減ってるとやる気出ないですしね」
「……そうか。ありがとな」
「うす。じゃあこれで……」
「待ってくれ」
まだ何かあるのだろうか。一応立ち止まってみる。
「せっかくだから名前を聞かせてくれないか?」
「え……」
マジか、と渋くなりかけた顔を押し留めたのは我ながら上出来だった。
薄々気づいてたけど、先輩は俺が小百合の幼馴染だってことを知らないみたいだ。
万が一名前を知られてバレると余計に気まずくなるので、言いたくないが……すごく期待を込めた目を向けられている。
「………高峯です」
居心地の悪さに耐えきれず、苗字だけ名乗っておくと満足げに頷かれる。
「高峯か。よし、今度また会った時は俺から奢らせてくれ」
「え。いや、ちょ」
「じゃあな、高峯!」
二の句を継ぐ暇もなく、先輩は行ってしまった。
取り残されてしばらく呆然としていたものの、そのうち我に返るとため息が出る。
「はぁ。相変わらず嵐みたいな人だな」
勢いといい存在感といい、なんというか強い。
小百合はああいうのがタイプだったのだろうか、などと考えながら俺も来た道を戻った。
教室に戻ると、晴海は俺の席の近くでクラスメイトと話していた。
「ただいま」
「お帰り。思ったより早かったね」
「うまく確保できた。はいこれ」
「あたしの分? わざわざいいのに、ありがと」
「まあ、待たせたお詫びだ」
「そっか。じゃ、貰っとくね」
またねー、と離れていくクラスの女子を見送って一緒に席につく。
改めて弁当を机に広げると、揃って手を合わせた。
「いただきます」
「いただきまーす」
と、そうだ。話そうと思っていることがあったんだった。
「晴海。食べる前に週末のことなんだけど」
「ん、もしかしてあの約束の話?」
察しがいい。頷いて、早速話を切り出す。
「江ノ島に行かないか? 今週末はすごい晴れてるみたいでさ、景色もいいと思うんだけど」
ちょうど土日は晴れのようで、降水確率は20%。
景色を楽しめる場所にしようとサーチしていたら江ノ島を見つけた。
「江ノ島ね。うん、いいよ」
「よかった。じゃあ、集合時間とかはどうする?」
「そうだねー。お昼前くらいにする? どうせならいっぱい遊びたいし」
「わかった、そうしよう」
約束を取り付けられたことに安堵しながら、楽しませてあげられるよう努力しようと心に決める。
この前のデートは俺の一方的な事情で変な雰囲気になってしまったし、今度こそちゃんとやろう。
「高峯のエスコート、期待してるね?」
「おう。任せろ」
期待を込めたような晴海の言葉に、俺は大きく頷いた。
読んでいただき、ありがとうございます。




