ほんの少しだけ
長くなりそうな気がしたので、キリの良いところで投稿です。
楽しんでいただけると嬉しいです。
再開して十分も経つと、リビングはすっかり元の雰囲気を取り戻した。
落ちかけていた集中力も回復し、着々と勉強は進んでいる。
……そこは問題ないのだが。
気づかれないよう手を動かしつつ、こっそり隣を見る。
黙々と問題を解く晴海の姿は真剣そのもの。
思ったより姿勢が綺麗だな、なんてありきたりな感想が最初に浮かんだ。
いやいや、そうじゃなくて。
もう少し観察していても、彼女がこちらを気にする気配はない。
「……気にしすぎか」
「ん、ごめん。なんか言った?」
「いや、なんでもない」
「そう?」
いかん、口に出してた。
誤魔化すように笑うと晴海は納得したようで勉強に戻る。
ほっとするのと同時に、余計なことを考えるのはやめようと思った。
自重したことで完全に意識がテスト勉強の方に集中し、順調に知識の定着を行えた。
みるみるうちに時間は進み、あっという間に六時半を過ぎてしまう。
「んあー…数字見すぎて頭痛してきた……」
「……俺もそろそろ容量オーバーしそうだ」
その頃になると、二度目の限界がやってくる。
途中休憩を挟んだとはいえ、二時間以上も色々と詰め込んだ頭は悲鳴をあげていた。
「時間も時間だ。今日は切り上げてもいいと思うけど」
「そうしよ〜……」
合意も得られたところで、本日はこれにて試合終了。
途端にガクッと晴海はテーブルに突っ伏してしまった。
「つ〜か〜れ〜た〜。もうマジ無理。これ以上頭に入んない」
「初日でよくやったと思うよ」
そう言うと、顔だけをこっちに向けて上目遣いに見てくる。
「高峯はもっと疲れたでしょ。ただでさえ自分の勉強もあるのに、あたしのまで面倒見てくれてさ」
「むしろいい復習になったくらいだ。おかげで抜けてる部分にも気がついたし」
大抵は教えられたが、全部の質問に答えられたわけじゃない。
補完すべき箇所を知れたのは僥倖だ。
だが、どうやらその答えはお気に召さなかったようで頬を膨らまされてしまう。
「いーや。高峯は疲れてます」
「えっ。いや、本当に平気……」
「教えてもらったあたしが思ったんだからそうなの」
「そんな横暴な」
突然強引なことを言い始めたかと思えば、立ち上がった彼女は後ろのソファに座った。
そうすると、困惑する俺に向けて迎え入れるかのごとく両手を広げるではないか。
「てことで。はい、いいよ」
「えっ。な、何が?」
「もー、にぶちんめ。膝枕だよ。ひ、ざ、ま、く、ら」
「膝っ……!?」
びっくりし過ぎて声が裏返った。こいつはいきなり何を言い出してるんだ。
「な、なんでいきなり膝枕なんて」
「今日のお礼も兼ねて?みたいな。それに一応、お家デートですし? それっぽいこと一つはやっておきたくない?」
「……あの、変なことはしないって約束だった気が」
言い訳のように聞くと、ニヤリといつもの笑みを浮かべる晴海。
「へえ、膝枕するだけなのにやらしいんだ。高峯、なにするつもりなの?」
「な、なんもしねえよ! 仮にやってもいたって普通の膝枕だ!」
「そ。じゃあやればいいじゃん。ほらほら、人目があるとこじゃできないよ?」
売り言葉に買い言葉とはこのことか。
やってはいけない理由を封じられ、ぐっと詰まりながらも目が太ももにいく。
細過ぎず太過ぎない、美脚と呼んで差し支えない健康的な脚。
頭を預ければさぞ心地よさそうな……やめろ俺、変態じみてるぞ。
「は、初めて来た男の家で、そんなこと簡単にしていいのかよ」
「む。簡単じゃないし。ガチで心から感謝してるからやろうと思ったんですけど」
最後の悪あがきをしようとしたら睨まれた。慌ててごめんと謝る。
「と、とはいえだな。俺も一応男だし、万が一変な気を起こしたら……」
「しないでしょ。高峯はそんなこと」
「どうして言い切れるんだよ」
「だって、あの時何もしなかったじゃん」
「え?」
言葉の意図をすぐに理解できなかった。
戸惑う俺を可愛いものを見るような眼差しで見て、晴海は言う。
「普通、失恋して心が弱ってる女の子がいたらチャンスだって思うでしょ。でも高峯は、何も言わず隣にいてくれたよね」
「あ、ああ。カラオケの時のことを言ってるのか。いや、あの時は俺も失恋してたからで……けど、そんなことで?」
「そんなことだからこそ、って言ったら。高峯はどう思う?」
「どうって……」
核心を読み解けない。どうしてあんな些細なことで信じてくれるのだろう。
そんな疑問は、彼女の伏せられた瞳の奥によぎった物憂げな色を見て消えた。
「あたしにとっては、何より安心できる理由なんだよ」
「──っ」
怯え、失望したような何か。
一瞬だけ垣間見え、すぐに笑顔で隠されたそれには、計り知れない感情が込められていた気がして。
もしかしたら、だけど……前にそういうことがあったのかもしれないと邪推してしまった。
「それで、どうすんの。どうしても嫌ならやめるけど」
「……俺は」
……ここで断っても、いいと思う。
別に晴海は怒ったりしないだろう。
でもそれは、こいつの寄せてくれた信頼を無下にする行為じゃないだろうか。
そう考えると、単に恥ずかしいからという理由では突っぱねられなくなってしまう。
「じゃあ、ちょっとだけ」
「お、そうこなくっちゃ」
しばらく逡巡した末に観念して、晴海の隣に移動する。
「お、お邪魔します」
「はいはい、どうぞー」
覚悟を決めて体を傾けるが、どうすればいいのか分からず中途半端に止まった。
本当にやっていいのか、と思った瞬間にくすりと笑われる。
臆病心を見抜かれたようで対抗心が芽生え、ええいままよと脱力した。
次の瞬間、未知の柔らかい感触に受け止められる。
「ひゃっ」
「ど、どうしたっ?」
「ごめんごめん。高峯の髪がくすぐったくって」
「そ、そうか」
ちょっとエロく聞こえてしまった。煩悩退散、煩悩退散。
「それで、ご感想は?」
「……むず痒い、な」
「あー、いけないんだ。そこは最高だよって言わないと」
「そ、そういうもんか? すまん、こんなの初めてで」
同世代の女子にこんなことをされた経験ないので、馬鹿正直に言ってしまった。
でも実際、悪くない感触だった。
頬に触れる肌はきめ細やかで、かつしっとりとしている。入念にケアしてるのだろう。
その奥から伝わってくる体温は、不思議と心を落ち着かせてくれた。
「不思議な感じだ。自然と力が抜けるっていうか」
「気に入ったみたいじゃん。じゃ、おまけで初回サービスもつけちゃおっと」
ぽん、と頭の上に何かが乗せられる。
髪の流れに沿うようにゆっくりと左右に動かされるそれが手だと気付いて、少し目を細めた。
「なんか、手慣れてるな」
「妹にもやってるからねー。色々頑張りすぎちゃう子でさ、時々こうやって甘やかしてるの」
「ああ。道理で」
いわゆるお姉ちゃん気質というやつか。
晴海の面倒見の良さというか、甘えさせ上手なのはそこからきてるのかもしれない。
……そういえば、こんなふうに誰かに甘えるのはいつぶりだろう。
子供の頃、親にしてもらって以来な気がする。
「高峯って、うちの妹とちょっと似てるかも」
「そうなのか?」
「あたしの主観だけどね。一人でコツコツ頑張るところとかー。あとは……弱いところを隠そうとするところも」
「っ」
突然の言葉に驚いて起き上がりそうになった。
しかし、押さえつけるように頭を撫でられてそれはかなわない。大した力でもなかったのに。
「強い自分でいようとして、嫌なことだったり、辛いこともしまいこんじゃうところとか。すごく似てるよ」
「……別に、そんなこと」
「あ、またそっくりな反応した」
「うっ」
全部見透かされているようで恥ずかしい。
せめてもの抵抗に目を逸らせば、彼女は囁くように笑った。
「大丈夫。怖がらなくても嫌ったりしないし、ちゃんとここにいるから」
「……!」
……ああ、俺は馬鹿だ。やっぱり気付かれてたじゃないか。
晴海のその言葉は自覚させるのと同時に、無理に話さなくてもいいという意味をも含んでいるようにも聞こえた。
「……ちょっと、くだらないこと話してもいいか」
「ん。いいよ」
だけど、自宅という自分のテリトリーにいる安心感がそうさせたのだろうか。
もう少しだけ、自分を打ち明けてみたい気持ちになった。
「俺、さ。今まで小百合以外の友達が一人もいなかったんだ」
「一人もって、小さい頃からずっと?」
「小学生の頃はちょっといたけどな。でも中学に上がってから、周りの奴らが急に俺と小百合のことをからかいはじめてさ」
「あー、ね。なんか想像つく」
全くもって面白みのない、よくある話だ。
思春期に入ったばかりの中学生にありがちな、一緒にいる男女を囃し立てる風潮。
不幸にも俺達もその対象になってしまったという、ただそれだけのこと。
「正直、あんまり気にしてなかった。それまでにも似たようなのはあったし。でも、だんだんエスカレートして手に負えなくなったんだ」
「ああいうのってまともに取り合うと余計にやるからねー。あたしには何が面白いのか全然わかんない」
「全くの同意見だ。やめさせようと相手してたのが間違いだったよ」
やれカップルだの夫婦だのと幼稚だった。
それが根も歯もない噂にまで発展し、しまいには如何わしい仲なんじゃないかと言われるようになり。
いよいよ看過できないレベルになって、ようやく始末の追えなさに気がついた。
「嫌だったんだ。恥ずかしいとかじゃなくて、小百合の邪魔をされるのがさ」
「宮内さんのことが?」
「ああ。あいつは誰よりも努力してるのに、どうしてあんなくだらないことで煩わされなきゃならないのか、不快で仕方がなかった」
別に俺はどう思われてもよかったんだ。
小百合の後ろを追いかけたのも事実だし、その頃にはもう、純粋な憧れだけじゃなくなってたから。
ただ、一緒にいることであいつに余計な迷惑をかけることはすごく申し訳なかった。
「まあ、その時でさえあいつは全く気にしてなくて、ちょっと拍子抜けしたんだけどな」
「あはは。なんか宮内さんらしいや」
冗談で少し空気を軽くしてから、一拍間を置き、思い切って告げる。
「……そのうち疲れて、相手するのをやめた。そしたら途端に、今度はつまらないやつ、変な奴って言われだして……ああ、もういっかって……なっちゃってさ」
「……嫌になったんだね。人と関わるのが」
言わんとしたところを察してくれた言葉に、少しだけ頷いた。
「ぷっつり糸が切れたみたいだった。お前らがそうやって扱うんだったら、俺ももう期待するのをやめようって考えた」
それは怒りだったかもしれないし、諦めだったかもしれない。
いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、ただよく知りもしないやつらにこれ以上掻き乱されるのが我慢ならなくて。
結果的に、俺は心を閉ざすことを選んだ。
「今もまだ怖いんだ。同じことが起きたらって考えると、どうにも他人に踏み込みきれない」
「それでも、目の前で困ってる人がいたら高峯は助けるよね」
「まあ、それとこれとは別問題だからな」
たとえ心のどこかで人を恐れてたって、自分にできることがあるならしたい。
ちょっと矛盾しているような気もするけど、それは確かなことだ。
「じゃあ城島は? 結構仲良くない?」
「あいつは特別っていうか、別枠っていうか。入学式の日にいきなり絡まれて、なし崩し的に友達になったといいますか」
「へー、初日からの付き合いだったんだ」
「第一声が〝お前、見てると面白そうだから友達になろうぜ〟だぞ? ストレートすぎて笑っちまったよ」
「うわ。すっごい明け透け」
「疑うどころか、いきなりぶっちゃけられて警戒も何もなかったよ」
でも、そういうやつだから一緒にいても楽だったところはある。
揶揄われることはあるけど、毎回邪気がないものだから気が付けば絆されてた。
「今では立派な悪友なわけだ。まー城島ってチャラいけど、性格はいいからねー」
「二つの意味でな」
おかげで学校生活が少し楽しくなったのも事実だ。
また笑われそうなので言わないが、ヒロには感謝してる。
「まあ、そんなんだからさ。誰かを家に呼ぼうと思えたことがなかった」
「そういうことだったんだね」
納得したように頷く晴海に、恐る恐る尋ねる。
「その、本当にくだらない話でごめん。幻滅したか?」
「ん? なんで?」
「お前は人との繋がりを大切にしてるだろ。なのに俺がこうなのは……なんか、アレかなって」
「ぷっ。アレってなんだし」
軽く笑われたことにちょっとムッとなる。これでもかなり勇気を振り絞ったんだが。
けど、そんな俺に晴海は言った。
「高峯は馬鹿だなー。そんなことで嫌いになったりしないのに、気にしすぎ。うん、ほんと馬鹿」
「……え」
顔を上げる。
数分ぶりに見たその顔には、しょうがない子供を見るような微苦笑があった。
「別に、あたしの生き方をあんたに押し付けたりはしないよ。そりゃ人と関わること全部が嫌だって言ったら、ちょっとは相談乗ろうかってなるけどさ」
「……流石にそこまでじゃない」
「だったらいいんじゃない。高峯は高峯なりに悩んで、苦しくてそれを選んだんでしょ」
ゆっくりと、俺の頭を撫でながら。
冷たいガラスに覆われた心をじんわりと溶かしていくように、柔和な声音で。
「誰だって、受け止められる感情には限界があるんだよ。だから高峯のそれは、何もおかしくなんてない」
「……そう、かな」
「無理に抱え込む必要ないって。あたしはただ、それでも誰かに優しくできるあんたがいいって思って、こうして一緒にいるんだからさ」
「……そっか」
ふと、張り詰めていた緊張の糸が途切れる。
ちょっと、傷つけられることや一人になることを怖がりすぎたかな。
今まで誰にもこんなこと話さなかった。
なんというか、本当にこいつには敵わない。
「……なあ、晴海」
「んー?」
「もうしばらく、こうしててもいいか?」
「もちろん。気の済むまでいいよ」
髪をくすぐる柔らかな指先の感触に、安心する。
あと少し、ほんの少しだけ。こうしていたいと、心から思った。
読んでいただき、ありがとうございます。
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