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春雨の中で




 普段は賑わう放課後の教室は、雨のためかいつもより閑散としていた。


「じゃあなーアキ」

「おう、また明日」

「あ、ちゃんと誘えよ」

「分かってるって」

「なんなら、どっちかの家で二人きりの勉強会なんてのも……」

「アホなこと言っとらんではよ帰れ」

「なはは。まあ頑張れ」

 

 呆れた目でヒロのことを見送り、それから晴海のところに行く。


「晴海、一緒に帰ろうぜ」

「あ、高峯。他クラの子に呼ばれちゃったから、ちょっとだけ待っててくれる?」

「じゃあ玄関で待ってる」

「わかった」


 仕方がない。先に行ってよう。

 



 教室を出ると、暖房の恩恵がない廊下はかなり寒かった。


 なのでさっさと一階へ降りて、下駄箱で靴を履き替えて外に出る。


 途端に雨の匂いがより濃厚になった。


「けっこう降ってんなぁ……ん?」


 音を立てて降り注ぐ雨粒にいよいよ梅雨が来たことを確信していると、玄関先に見覚えのある後ろ姿が見えた。


「小百合?」


 あっ、やべっ。


 思わず名前を呼んでしまうと、相手は小さく肩を揺らしてこちらに振り向く。 


「聡人くん」


 遅かった、認識されてしまった。


 隠れるのを諦めて、笑顔を顔に浮かべる。


「おう。今帰りか?」

「そうね」

「そっか」


 隣に立ち、雨の降りしきる様子を眺める。


 シャワーのように降り注いで、地面も、校舎も、下校する生徒達の傘も等しく濡らす大粒の滴。


 そこに談笑する声や、建物に当たる音が混じり合い、まるで一つの不思議な曲を奏でているようだ。


「…………」

「…………」


 ……気まずい。


 以前は沈黙さえ共有できるならと思えたが、今ではとても居心地が悪かった。


「あー。誰か待ってるのか?」

「……そういうわけじゃないけど」

「じゃあどうして……」


 聞き返そうとした拍子に見た、物憂げに外を眺める横顔から自ずと察する。


「まさかとは思うけど……傘、なかったり?」

「……今日は、持ってくるのを忘れてしまって」


 やや苦々しい口調。どうやら気付かれたくなかったらしい。


「珍しいな。お前が物忘れなんて」

「私にだって、そういう日はあるよ」

「だ、だよな。ははは……」


 我ながらぎこちない愛想笑いだった。




 くそっ、まだ距離感を測りきれない自分に腹がたつ。


 何年も一緒にいたのだからそれも当然なのだろうが、早く慣れなくてはいけないのに。


「えっと、そうだ。例の先輩に連絡してみたらどうだ?」

「今頃は部活中だと思うわ」


 そういやあの人、空手部だっけか。主将ならなおさら抜けらなさそうだ。


「だったら…困ったな……」

「そうね」


 やけに暗い声音で返事をしながらも、ぼうっと暗雲が敷き詰められた空を睨むようにして。


「困るわ……本当に」




 その瞳の色を、どう表現すればよかっただろう。

 

 

 

 まるで揺れる蝋燭のように不安定な、弱々しい眼差し。


 少しでも目を離せば消えてしまいそうだ──そう感じさせるほどに、今の小百合が醸し出す雰囲気は儚いものだった。


「仕方がない、か」

「ちょっ、おい!」


 次の瞬間、外へ踏み出そうとしたのを慌てて呼び止める。


 幸いにも小百合は留まってくれた。


「お前、まさか行くつもりか?」

「傘がない以上、それしかないから」

「……ちょっと待ってろ」


 肩に引っ掛けていた鞄の中から折り畳み傘を見つけ出し、それを差し出した。


「これ使えよ。多少は濡れるだろうけど、ないよりずっとマシだろ」

「……聡人くんはどうするつもりなの?」

「俺はまあ、晴海の傘にでも入れてもらうよ。持ってたらだけど」

「もし持っていなかったら、代わりに聡人くんが濡れるだけじゃない。それくらいなら……」

「あー、じゃあ体育の時のお返しってことで。今度こそこれで貸し借りなし。どうだ?」


 あくまで強情な姿勢を貫くようだが、こっちとしてもずぶ濡れになって帰るのは見過ごせない。


 睨み合うように、とまではいかずも真剣に見つめあって……そのうちふっ、と声が漏れる。


「……そういうことなら、受け取るのも吝かじゃないわ」

「おう」


 不承不承という様子だが、折れてくれたようだ。


 遠慮がちに伸ばされた手が引っ込む前に傘を乗せる。


「ありがとう。ちゃんと明日返すから」

「気にすんなって。俺がやりたくてやっただけだ」


 恩着せがましくする気もないのでそう言えば、小百合が微苦笑を浮かべた。


「そうやっていつも、なんでもないように笑うんだから」

「え? そうか?」

「自覚がないのね」


 キュッと、傘を持つ細指に力が込められる。


「昔からずっとそう……だから、受け取ってしまうの」

「え? 今なんて……」

「──なんでもないわ」

「お、おお?」


 振り上げた顔の冷たさに、雨音に紛れた一言への疑問を咄嗟に飲み込んだ。


 小百合は傘を広げると、そっと肩に添えて玄関口から踏み出していく。


「本当にありがとう、聡人くん」

「ああ。気をつけて帰れよ」


 小さく頷いたあいつは、そのまま校門を目指して揺れ動く傘たちの一つとなった。




 下校する生徒達の中に姿が紛れ、途端に雨音が大きくなったよう錯覚する。


「さて。あとは誰かさんが傘を持ってるのを願うばかりだな……」

「なーに黄昏てんの?」

「うおっ!?」


 肩を叩かれてびっくりすると、ひょっこり顔の横に晴海の悪戯げな笑みが現れた。


「ふふっ。高峯の驚く顔、ちょっと好きかも」

「き、来たのか。ていうかそのセリフ、心臓に悪いからな?」

「ごめんごめん。じゃあ帰ろっか」


 片手に携えていた傘を広げようとして、慌てて切り出す。


「その、実は傘がなくてさ。できれば入れてほしいんだけど」

「あれ、忘れ物なんて珍しいね」


 どこかで聞いたセリフだ。


 物珍しげにしていた晴海だったが、何かを思いついたように表情を変える。


「もしかして、高峯のことだから誰かに貸しちゃったんじゃないの?」

「えっと……」

「図星のリアクションだ」

「ぐぬっ」

 

 あっさりと見抜かれた。晴海の察しがいいのか、はたまた俺がわかりやすいのか?


「しょうがないなー。いいよ、入れたげる」

「助かる。俺が持つよ」

「ん、お願いね」


 晴海らしいピンクに柄の入った可愛らしい傘を受け取り、開きながら外に出る。


 一歩遅れて隣に入ってきた彼女は、空いた左手で俺の腕を取った。


「お、おい」

「いーじゃん。……相合傘だね?」

「……だな」


 そういやこれ、普通に相合傘じゃん。

 

 少々恥ずかしいが、背に腹は変えられない。沸き起こった羞恥心をぐっと抑え込んだ。




 帰り道は、またいつもと違う様子を見せた。

 

 一つの傘の下にいるせいか、隣にいる晴海の存在をより間近に感じる。


「土砂降り一歩手前だね。ちょい早めに傘常備しといて大正解」

「おかげで俺も助かったよ」

「マジそれ。お人好しの彼氏がいると大変だ」

「苦労おかけします」

「あはは、冗談だって」


 少し気の滅入るような天気の中でも、晴海の明るさは損なわれない。


 隣にいるとこちらにもその明るさが乗り移ったのか、雑談する口が軽かった。


「けどもう梅雨の時期かー。早いよね」

「ああ。それに、もうすぐ中間テストだしな」

「うっ。そうだった……」


 急に晴海の表情が曇った。どうやらこの話題は都合の悪いものだったらしい。


「不安なのか?」

「あー、あたし目的がないと頑張れないタイプっていうか? ぶっちゃけ、いくつか赤点覚悟してるといいますか」

「確かに、普段からあんまり熱心ではなさそうだしな」

「うー。耳が痛い」


 この様子だと相当先行きは不安なようだ。


 しかし好都合……というと人聞きは悪いが、例の話を振るにはベストなタイミングだろう。


「よければ一緒に勉強するか? 俺が教えられる範囲でなら手伝えると思うし」

「えっ、ほんと? 超助かるんだけど! てか高峯が手伝ってくれたらめっちゃ心強い!」


 思った以上の食いつきだ。提案して正解だった。


「じゃあ、明日からでも早速やろうぜ」

「オッケー。今更やーめたとかなしだかんね?」

「心配しなくてもそんなことしねえよ」


 言質とったからね、と言った晴海は本当に安心したように胸を撫で下ろした。


「よかったー、これで補習回避できるっ」

「責任重大だな」

「頼りにするね。それで、どこでする? 学校の図書室?」

「それは……」




──なんなら、どっちかの家で二人きりの勉強会なんてのも……




 答えようとした瞬間、ヒロの言葉が脳裏をかすめた。

 



 いやいや、いやいやいや。いくらなんでも付き合って半月で自宅に呼ぶのはない。


 がっついてると思われても嫌だし……いや、ある意味では下心がないとも言い切れないけど。



 そんなふうに言い淀む俺から何かを感じ取ったのか、晴海がニヤリと笑った。


「あ〜、わかった。自分ちに呼ぼうとしてるんでしょ? 高峯ったら奥手なふりして時々大胆だよね」

「えっ」

「……えっ?」


 どちらからともなく立ち止まって見つめあう。


 数秒後、小悪魔的な笑みを湛えていた晴海の顔がみるみるうちに赤く染まった。


「へ、へぇ。もうそこまで考えてたんだ」

「ちがっ……くはないけど! 別に変な意味があるとかじゃなくて、ただの候補の一つっていうか、誰かさんのロクでもないアドバイスのせいっていうか!」

「ふ、ふーん」


 必死に弁明したが、そっぽを向かれてしまう。


 くっ、せっかくうまくいってたのにおかしな雰囲気になってしまった。


「だ、だから、普通に図書館とか、ファミレスとかでやろうと……考えてる、けど」

「……そ」




 苦し紛れの言葉も虚しく、傘の中に沈黙が舞い降りた。




 どうしようこれ。変な方向に拗れた気がする。


 し、しかしここで足踏みするのはもっと良くない。どうにか軌道修正を……!

 

「……いいよ」

「へっ? な、何が?」


 やばい。話の持ち直し方を考えて聞いてなかった。


 すると、晴海はいまだに赤い顔のままジトッと目を向けてくる。


「だから、別に高峯の家でもいいよって。恥ずかしいから何度も言わせんなし」


 晴海の返事を理解するのに、たっぷり十秒の間を要した。


 アホのように口を開け、ようやく脳の処理が追いついてから溢したのはたった一言。


「……………マジで?」

「まあほら、自分の勉強もあるのに見てもらうわけだし? なるべくそっちがリラックスできる環境の方がよくない?」

「た、確かに一理あるな」

「言っとくけど、変なことはなしだからね。いくら付き合ってるって言っても流石に……」


 自分の体を抱いてちょっと距離を取られ、あわてて頷く。


「と、当然だ! 真面目に勉強するって約束する!」

「あはは。声でか」


 勢い余った俺の大声に笑った晴海は、恥ずかしげに目線を外しながら小さく頷いた。


「うん。それなら……あんたんちも、ありじゃない?」

「な……なら、そういう、ことで」


 ……これは、結局うちで勉強会することになったってことでいいんだろうか。


 



 本当にこんなつもりはなかったのだが。顔に出やすいの、直したほうがいいかな。


 反省していると不意に腕を引かれて振り向く。


「なにはともあれ、さ。頼りにしてるからね、せーんせ♪」

「……ご期待に応えられるよう頑張るよ」




 ひとまず、直近の課題としては。




 この可愛い笑顔に変な気を起こさないよう、全力で気をつけねばなるまい。







読んでいただき、ありがとうございます。


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