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突発的エンカウント



 ある夜。


 喉が渇いた俺はリビングのキッチンにいた。


「サイダー、サイダーっと」


 冷蔵庫を開ければ、お目当ての炭酸水のペットボトルが……棚の端に一本。


「うわマジか。買いに行かなきゃな」

「あれ? 兄貴?」

「美玲?」


 聞こえた声に振り向くと、猫の顔が大量にプリントされたパジャマを着た美玲がいる。


「飲み物取るなら取ってよ。あたし冷凍庫開けたいんだけど」

「はいはい。って、お前またアイスか? ダイエット中じゃなかったっけ?」

「今日は小テストも予備校も頑張ったからいいんですぅー」

「それ先週も聞いたぞ。ったく、自分に甘いやつめ」


 俺がサイダーを手に取るやいなや、さっさと押し退けて美玲が冷凍庫からアイスを取り出す。


 そしてテレビの前のソファに向かうと、ちょっと他人様にはお見せできない、だらしない姿勢で寝転んだ。


「お前、学校ではちゃんとやれてんのか?」

「んー? だいじょーぶだって。みんなといる時は優等生っぽくしてるし」

「俺の前では猫かぶる必要ないってか」


 まあ家族だし、こんなもんだろう。妹がいると女子の実態を知った気持ちになるわ。




 存分にくつろいでらっしゃる妹様を傍目に、俺はキャップを開けて炭酸水を口に流し込む。


「あ、思い出した。学校の友達がギャルっぽい美人と一緒にいる兄貴を駅の近くで見たって言ってたんだけど」

「ぶふっ!!?」


 が、中身を飲み下すより前に吹き出した。


 少し気管に入ってしまい、激しく咳き込む。


「げほっ、げほっ……」

「何咽せてんの? 大丈夫?」

「誰のせいだ!」


 ソファの背もたれ越しに呆れた目を向けてくる美玲に言い返しながら、息を整える。


「あーもう、最後の一本だったのに……で? 俺を見た友達がいるって?」

「うん。兄貴、うちの中学でも有名人だったからすぐに分かったんだって」

「あー……」


 中学の時も色々してたからな。多少顔は知られていた自覚がある。


 俺や小百合が通っていた中学に入った美玲は、それで時折頼られるらしい。


「けど、特徴聞く限り小百合さんじゃないよね? 何、ついにフられて、諦めて高校で彼女作った?」

「……ノーコメントで」


 悪戯げな表情だった美玲は、途端にきょとんとした。


「……え? マジでフられたの?」

「ノーコメントつってんだろ」


 これだから血の繋がった兄妹は。言葉のニュアンスひとつで察してしまう。


「そっか。なんていうか、ドンマイ」

「……おう」

「ずっと頑張ってたのに、フられちゃったかー。私、小百合さんのこと好きだったんだけどなー」

「美玲は昔から小百合に懐いてたからな」


 俺がフられたせいで、美玲との交友関係にも影響が出たら心苦しい。


「まあ、色々とあったんだよ」

「ふーん。仲直りとかは無理な感じ?」

「かもな」

「そっか。あっ、それで彼女さんってどんな人? 美人? 性格は?」

「興味移るのはっやいな。まあ、いいやつだよ。それに可愛いし」

「へー。写真とかないの?」


 初デートで撮ったプリクラが脳裏をよぎるも、あんなもの絶対妹に見せたくない。


「ないよ」

「なーんだ、つまんないの。どんなきっかけで付き合ったの? 同い年? それとも先輩か後輩?」

「めちゃくちゃ聞いてくるじゃん。 そんな兄の恋愛事情なんて気になるもん?」

「女子の恋バナ好きは舐めないほうがいいよ」


 それはまあ、美人トリオで身に染みているけども。


「ねね、今度家に連れてきてよ。あの兄貴が小百合さん以外に選んだ人、ちょっと見てみたいし」

「はいはい、機会があったらな」

「あれ? どこ行くの?」

「コンビニ。サイダー買ってくる」

「ならアイス買ってきて。ダッツの新作ね」


 立ち止まって胡乱げな眼差しを向けると、それで追求はやめてやると言わんばかりの顔だった。


「……妹様め」

「よろしく〜」


 まったく、と軽くため息をつきながらリビングを後にするのだった。




家を出て大通り沿いのコンビニへ向かう道すがら、ふとさっきの会話を思い出す。


「小百合と仲直り、ね」


 会話の勢いで流れてしまったが、改めて考えるとどうなのだろう。


 ……したい気持ちは、正直ある。




 誰かに聞かれれば未練がましいと言われるのだろうが、そう簡単には割り切れない。


 そもそも、恋愛云々以前に昔からの数少ない……というか唯一の友人でもあったわけで。

 

 このまま絶縁というのは如何ともし難い。


「でも、めっちゃ避けてられてるよなぁ……」


 普段の様子からして、小百合は意図的に距離を置いているように思える。


 以前はなかった心理的な壁のようなものが、ひしひしと感じられるのだ。




 でも、だったらどうして体育の時は手助けしてくれたのだろう。


 あの行動にだけどうしても違和感を覚えて、俺の中にしこりを残している。


「はぁ……女心はわからん」


 いっそのこと、関わらないでとはっきり言われれば諦めもつくのかね。


 それはそれで、想像しただけでキツイけども。




 色々と考えているうちにコンビニに到着してしまった。


 入店すると早々に何本かのサイダーや新作アイスを手に入れて、レジに持っていく。




 会計を済ませ、重々しいビニール袋を手に出口へ向かった。

 さて、アイスが溶けないうちに帰ろうと自動ドアをくぐり──


「えっ……」

「……あら」




 ──ちょうど入店してきた小百合と、遭遇した。




 突然のことに動きを止める。


 まさかこんなところで遭遇するとは思わず、硬直していると小百合が怪訝な顔をした。


「聡人くん、どうしたの? 大丈夫?」

「っ、あ、ああ」


 我に返り、なんとか返事する。それから咄嗟に不恰好な笑顔を貼り付けた。


「き、奇遇だな。ここで会うなんて」

「そうね。聡人くんは美玲ちゃんのお使い?」


 俺が持つ半透明のビニール袋の中身を一瞥したあいつに、ぎこちなく頷く。


「まあな。自分の買い物のついでにって感じだ」

「相変わらず仲がいいのね」

「顎で使われてるだけだよ。そっちは……勉強の合間の休憩ってところか?」


 改めて小百合を見ると、半袖のシャツにデニムのゆとりあるパンツとラフな部屋着だ。


 長年の習性で可愛いなんて言葉が思い浮かび、慌ててかき消す。


「息抜きにココアを作ろうとしたら、牛乳がなくて」

「そっか」


 ……不思議だ。おおよそ二週間ぶりのまともな会話だというのに、思ったより自然に話せる。


 依然心臓が煩いほど鳴ってるし、緊張もしているが、怖いと思うほどじゃない。


 小百合の雰囲気が今日は柔らかいからか、それとも……晴海といた時間のおかげだろうか。


「その……勉強の調子はどうだ?」

「順調かな。問題なくついていけてる」

「流石だな。俺は毎日必死こいてやってるよ」

「この前は晴海さん達に教えていたじゃない。自分が十分に理解できてるってことだから、いい傾向だと思うわ」

「……見てたのか?」


 何故、どうして。微かな喜びと困惑が同時に心を占める。


「あれだけ騒がしければ、否応無しに耳に入ってしまうから」

「す、すまん。うるさかったか」

「迷惑にはならない範疇だったから問題はないわ」


 小百合の言葉は終始穏やかなものだった。


 そこに棘はなくて、本当に特別関心がないかのよう。


 思わずホッとして……少しだけ、胸が痛む。


「安心した。聡人くんがうまくやれているようで」

「うまくやれている? どういう意味だ?」

「親しい友人もいるし、学業も疎かにしていない。それに、晴海さんとの仲も良好そうだもの」

「だから、いったい何を──」


 真意を測りかねる俺に、静かな表情で小百合が告げる。


「もう、私が余計な心配をしなくても大丈夫そう……ということ」

「──っ。」


 その言葉に、強い衝撃を受けた。


 冷や水を浴びせられたような、とはこういうのを言うのだろうか。


 これ以上、自分が一緒にいる必要はない──そう告げるような一言に、ほんの少し緩んでいた心が容赦なく引っ叩かれた気分だった。


「あなたにはもう新しい居場所がある。そうでしょ?」

「……小百合」

「私はこれ以上、聡人くんの生活に干渉するつもりはないわ。そのつもりでいて頂戴」

「なんで……」


 どうしてわざわざ、そんなことを。




 ……ああ、そういうことか。

 

 なんとなく、わかってしまった。


 これでも幼馴染だ。相手の言葉の中から望んでいることを読み解くことは多少できる。


 もしかしたらこいつもそれは同じで、俺の中途半端なこの気持ちに勘付いていたのかもしれない。


 だから、今この瞬間はっきり線引き(・・・)しようとしているのも……痛いほど感じ取れた。

 



 馬鹿だな、俺。一度壊したものを戻そうなんて、そんな都合のいいことできないのに。



 

(終わってるんだな。あの瞬間から、とっくの昔に)




 初恋が潰えた時、俺と小百合の間にあったあらゆる関係は切れたのだ。


 どんなに惜しくても……後戻りはもうできないんだと、理解した。


「っ……」


 胸が、痛い。


 辛くて、苦しくて、思わず何もかもから目を背けたくなってしまうほどに。




──痛みに負けて目を逸らしても、何も解決しないって知ることができたんだ。




 ……それでも、このままずっと俯いたままではいられないのだろう。


 目を閉じてしまえば、ただ立ち止まるだけだから。


 だとしたら、俺は。


「……一つ、聞いてもいいか」

「何かしら」


 震える手を握り締め、顔を上げると小百合に問いかける。


「小百合は、例の先輩と上手くやれてるのか?」


 あいつは驚いたように体を揺らした。


 無言で見つめていると、やや間を置いて頷かれる。

 

「……ええ。色々と良くしてもらってる」

「そっか。色々、か……」


 その言葉を聞いた途端、黒い感情が湧き上がった。


 俺は必死にそれを押さえ込んだ。蓋をして、漏れないように、ぶつけないようにと。


「ふぅ……小百合」

「……何?」

「この前の体育のこと。保健室まで連れて行ってくれてありがとう。助かったよ」


 醜い感情をどうにかやり過ごすと、今度は笑顔で言いきった。

 

 よほどぎこちない笑い方だったのだろう。小百合はまた目の奥を瞬かせ……やがて、柔和に微笑んだ。


 その顔はまるで、告白する前の頃のようだった。


「いいえ。むしろごめんなさい、周囲によからぬ誤解を与えてしまった。せっかく晴海さんと上手くいってるのに」

「気にするなよ。お前はそういうやつだろ」


 あの時、俺じゃなくてもきっと小百合はああした。


 ただ追いかけてそうなった俺と違い、こいつは本当にいいやつだから。


「……そう。なら、ありがたく感謝の言葉は受け取っておくわ」

「ああ、そうしてくれ」


 答え、また沈黙が訪れる。


 


 それからどれくらいの時間が経っただろう。


 どこか遠くで車の走る音や、木霊する犬の鳴き声に耳を傾けていると、小百合が一歩踏み出した。


「それじゃあ、私はこのあたりで」

「俺も帰るよ。アイスが溶けたら美玲がぐちぐち言うからな」

「ふふ、そうね……おやすみなさい、聡人くん」

「……ああ。おやすみ、小百合」


 最後に小さく笑い、あいつは俺の横を通り過ぎていく。




 程なく、背後で軽快なメロディと自動ドアの開く音がした。




「………はぁ」


 しばらくして、ドアが閉まる頃になってようやく脱力する。


「これで本当に、今度こそ終わり、か」


 胸に手を置くと、じんわりと何かが染み出していた。


「やっぱり、いてえもんだな」


 ジクジクと苛むようなその痛みには覚えがある。


 しかし何故だろう。あの日のように涙は出ない。




 代わりに、しょうがないような、ただ諦めたような苦笑いだけが口元に浮かんだ。




 わからない。どうすれば正解だったのか、壊さなくて済んだのか。


 何もわからないけど……なぜだろう。




 前よりほんの少しだけ、すっきりしていた。


「もう帰るか」




 その痛みを抱えたまま、俺は帰路につくのだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] つまり、ずっと主人公のことを対等ではなく見下して接してきてたってことよね。そりゃ恋心なんて抱かんわな。 こんなクソ女と付き合わなくて良かったと思える話だった。
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