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第40話

私は夕飯も食べることなく、家から出ていく。

目的地は田島家、一年前までは自分が家主だったはずの我が家だ。



背伸びをして購入したマイホームが、眼前に見えて来る。人生の半分をこの家で暮らしてきた。


生まれた冬樹のために探し回って見つけたこの家。

引っ越してきて、四季と2人でささやかなお祝いをしたこの家。

四季と喧嘩をして飛び出した事のあるこの家。

冬樹と秋樹とサッカーに興じたこの家。

ただただキラキラした幸せな思い出だけ、頭の中を駆け巡る。


ここに引っ越して既に10年以上になるが、ここに他人として訪問するなんて考えても見なかった。


玄関に着くと、インターホンを鳴らす。

普通に何も言わずに入っても良かったのだが、何故か私はそれを憚かる。


春樹の記憶はあっても既に他人なのだ。

その事実が、私の手をインターホンのボタンを押させる。


ピンポーン。


かつては家の中から聴いていた、聴きなれた電子音が私の耳に届く。


家の中から足音がしたと思うと、玄関が勢いよく開く。四季が飛び出してきた。


「…四季さん、こんにちは」

私は笑顔で四季に挨拶をする。


「…春。いや、夏樹ちゃん…。いらっしゃい」

四季は私の笑顔に怪訝そうな表情を浮かべる。


「なんで…呼び鈴なんて押したの?いつもみたいに入ってくれば良かったのに」


「…これが、私のケジメだから…」

私がそう言うと、四季は「そう…」と言って家の奥に入って行く。

私はその後ろを追い、かつての自宅へと入って行く。


玄関には秋のものであろう靴がある。

2人で冬樹と話をしたのだろう。

だが、そこに俺以外の男の靴がある事に違和感となんともいい難い気持ちになってしまう。


玄関を抜け、リビングに入って行くと予想通り秋がソファーで座っている。

だが、その表情はいつもの軽い雰囲気はなく、鎮痛な面持ちで頭に両手を当てていて、私の事も気付いていない。


「秋…さん、なにをなやんでいるんですか?」

私は頭を抱えている秋に声をかける。

その声に身体を揺らした秋がこちらを見る。


「…ああ、春樹か」


「夏樹ですよ、秋さん」

私は苦笑いで秋に訂正を求める。


「違う、俺の中ではお前は春樹だ。夏樹じゃない」

力なく、秋はつぶやく。


「いいえ、私は夏樹です。それ以外の何者でもないんです」


「…そうか、それがお前の答えが?」

秋は苦悶の表情で私を見つめる。

その様子を見ながら私は目を瞑り頷く。


「答えかと聞かれたら、そうかもしれません。私の中にある春樹さんはそれを求めています」


「…それって」

四季が口に手を当てる。

それの意味がわかっている。だけど、頭では整理ができない様子で居る。


「私の中にある田島 春樹は…あなた達に、家族に幸せになってほしいと願っています」


「だが、俺は違う。俺はお前の家族じゃない。それは四季にとっても、冬樹にとっても変わらないはずだ」

秋はこちらを見ることなく話続ける。

四季もその様子を見てただうな垂れる。


「はっきり言われたよ、お前はパパじゃないって。俺もそんなことは百も承知だし、なれるとも思っていない」

この家に蔓延する空気の重さはおそらくこれが原因なのだろう。


冬樹が否定した秋という異分子がこの家に存在しているという事が2人には重く心にのしかかり、先へと進めない。


「私もそのことは冬樹くんから聞きました。パパは春樹さんしかいないって。その事は…嬉しかった。だけど、私はもうあの子の父親には戻れません。夏樹という存在にしかなれないという事が分かってしまったんです。それは、秋さんがあの子の父親になれないのと同じか、それ以上に辛い」

頭の奥に悲しみが募り、言葉が詰まる。

声が震えて涙が出てくる。


そして、私は後ろで立って聞いていた四季の方を向き、胸に寄り添う。

四季も戸惑いつつ、私を抱きしめる。私より大きくなった四季の優しく、心地よい抱擁が私を悲しみをそっと包み込む。


「じゃあ、あなたも私と一緒にいればいいじゃない。再婚の話も決まったわけじゃないし、イギリスも…」

抱きしめられた私は四季の胸の中で首を振る。


「あの子の心の奥に私の思いとは違う物がある。それは、あの子にとって不幸な結果しか招かない。それなら、今はあの子といっしょにいないほうがいいと分かったんです」

親として我が子と会えなくなるのは辛い。それ以上に、我が子に不幸になって欲しくない。


私の中に春樹が消えない以上、俺の家族だった人達は幸せになれない。


四季から離れた私は秋の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「だから、あの子には広い世界を見て欲しいんです。その事は冬樹にも伝えました。あとは…秋に任せたい…。私の家族をお願いします」


「分かったよ、兄弟。いや、兄妹か?」

私と視線を交えた秋は力なく笑う。


「今はおじと姪にしか見えないと思いますよ?」

私も秋の目線に笑いかけると、秋は真面目な表情に変わる。


「お前はもう1人の俺だ。今のままでも、これからもお前が困った時はすぐに駆けつける」

そう言った秋は私に抱きつこうとする。


だが躊躇している。私が女になってしまった手前、簡単に抱きつく事は出来なくなってしまったようだ。


その様子を見て私は笑う。

そして、私はゆっくりと秋に抱きつく。


「昔はよかったな。ただゴールを決めれば、なんの躊躇いもなく、こうやって喜びを分かち合えたのにな…」

抱きつかれた秋は「ああ」とだけ言って、私を抱きしめる。秋の瞳からはポロポロと涙が溢れている。


四季とは違う力強く、そして暖かい抱擁が私を包む。そのまま、しばらく私達は泣いていた。


「コホン…」

秋との長くそして一瞬の抱擁は、四季の咳払いによって解かれた。


「秋、私はまだ行くなんて言ってないわよ。それなのに、可愛い娘を泣きながら抱きしめるなんて…そんなに嬉しかったの?」

ジト目で四季が秋を見つめる。その視線に秋はたじろぎ取り繕う。

私はその様子を見て、さっきまで泣いていたのが嘘のように、笑った。


「…夏樹ちゃん。私は…春樹を忘れられないし、これからも忘れない。なら、どうしたらいいかな?」

四季が、私の事を夏樹と言い、春樹と分けて言った。それは彼女が私を夏樹として受け入れてきたと言う事なのだろう。


「忘れないでいて欲しい。私は夏樹として、春樹の過去を忘れない。一生受け入れて生きて行く。だけど、私はあなたと同じ道は歩めない…。もう春樹じゃないから…」

私は秋の手を握ると、四季の手に重ねる。


「なら、春樹と同じくらいに愛してくれる人について行っても…いいと思う」

私の行動に戸惑っていた秋が、私の真意に気づく。

そして、私が手を離し身を引くと同時に四季の手を握る。


「…四季、俺は出会った頃からずっと好きだった。

一度振られても、春樹と結婚してもその気持ちは変わる事はなかった。たとえ家族じゃなかったとしても、家族として愛していた。だから…今度は俺と…家族になってくれ!!」

秋は20年にも及ぶ思いを四季にぶつける。

その真摯な言葉に四季の瞳が揺れ、私を見る。


私は胸を刺す痛みを堪え、笑顔を作る。

きっとこの痛みは春樹の残滓なのだろう。

悲しみを、怒りを、喜びを、幸せ全てを四季と分かち合ってきた。その過去は消える事はない。


だからこそ、彼女の幸せは私の幸せだ。

その幸せを私以外に分かち合える人がこうしているのだ。


春樹という人間は本当に幸せだったのかもしれない。そう思いながら、私は静かに部屋を出る。

そして、冬樹の部屋から荷物を取り出すと…田島家を後にした。


帰る道中、俺はただ…流れる涙を声が出ないように必死に抑えた。


その後、四季は秋のプロポーズを受け入れた。

その事を私は笑顔で祝福した。


春樹が愛した人を一途に思い続けた春樹の片割れである秋が守ってくれる。その事に私は胸に痛みを覚えつつ、安心した。


その後、冬樹も私の説得に従い、イギリスへ行く事を決意する。

そして1ヶ月後、彼らは新たな環境へと旅立つ。

その後ろ姿を見送った私は、新たな両親と共に自宅へと帰る。


その途中、家主の居なくなった自宅を見てそこで下ろしてもらう。3人が海外にいる間はこの家は誰にも貸さず、そのままにしておくそうだ。


誰も居なくなった田島家の敷地に入ると、そこには思い出の数々が残っているだけだった。

四季の洗濯物を干す姿も、冬樹が迎え入れてくれる事もない。鍵は預かっているが、この家に入る事はもうないだろう。


これで私は、夏樹になれるのだ…。


そう思うと、涙が溢れてきた。

しばらく家の前で泣いた私は、涙を拭い家から出る。


そして後ろを振り返り、昔の我が家にさよならを告げる。


「あなたは…」

家の前で私が感傷に浸っていると、右手から声が聞こえてくる。その声の方に振り向くと、そこには女の子が立っていた。





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