これが大人だった
僕が子供の頃、「24時間戦えますか」と歌いながら、栄養ドリンクを飲むCMが流れていた。子供心に「無理だよ」と思った。ただでさえ小学校に上がったら友達100人を目指さないといけないのに。
そんな24時間戦う大人はニュースで連日「子供の日射病」の心配をしていたが、絶対に大人は子供の心配なんてしていないと思った。
大人たちはこぞって僕たちに、「ゲームは一日一時間」と繰り返し、「子供は風の子」と言って真夏でも真冬でも家から追い出した。夏の暑さに一個下の「まこと」が「うちに行こう」と誘ってくれたが、僕と幼馴染の「ゆうや」は首を横に振った。
まことのお婆ちゃんは、僕のことが嫌いだった。まことが僕を招待すると機嫌が悪くなり、「埃が立つから外で遊べ」と、他所の子でも平気で怒鳴り散らした。
そうやって家から追い出す癖に、毎日夕方5時に鳴り響く町のチャイムが鳴ったら、僕たちは家へと帰らなければいけなかった。
あの頃、うちの両親は「5時までに帰らないと宮崎勉に殺されるぞ」と、僕を脅しては笑っていた。しかし門限を破れば僕の頭を何度も叩いて、「罰」として家から追い出すのだ。宮崎勉にも、うちの両親にも困ったものだった。
まだコンビニが全国に普及していなかったあの頃、どの店も遅くて夜の8時には閉店していて、僕の住んでいた田舎は暗くなったら自販機の灯りか、田んぼの真ん中にポツンと立つ分譲マンションの外灯しかなかった。
今ならコンビニを避難所代わりにできるが、ファミリーマートができたのは、それから6年後だった。「ファミマ行こうぜ」と、よくファミマに行った。田舎の友達との間でコンビニは兎に角、格好良い場所でお洒落で最先端で未来的だった。
家を追い出された僕は自動販売機へと向かった。自動販売機の缶ジュースは1缶100円。1.5リットル300円のペットボトルのジュースも自動販売機で売られていた。当時、1日のお小遣いは50円。お腹もすいて、喉も乾き、暗い中で、親に捨てられた僕はわーわーと泣き続けた。
「泣きっ面に蜂」という諺を覚えたのはそれから8年ぐらい先だが、泣いている僕の周りには、いつに間にか暴走族が集まっていた。特攻服に全国制覇とか喧嘩上等と刺繍をしたリーゼントのお兄さん達に囲まれていた。
ヤンキー漫画なら優しいヤンキーが、ヒーローのように僕を助けてくれるのだが、生憎そんなヤンキーには一度も出会えなかった。フィクションはフィクションだ。嘘と作り話は、目的は違うが真実は一緒。どちらも存在しない。
集会の邪魔をしてはいけない、子供でも理解できる無言の圧力を受けて、僕は下を向いたまま自販機の前からどいて、田んぼの方へと歩き続けた。
分譲マンションには外灯が設置されて明るいのだが、地元では幽霊マンションと呼ばれいて、僕はあまり近寄りたくなかった。田舎の分譲マンションだから売れないので住民が少なく、たまに明かりがついてるからマンション住民のことを地元の人が「幽霊」と揶揄して呼んでいただけで、実際に幽霊など出ないのだが、子供にはそんな事はわからなかった。
それに目の前のヤンキーと幽霊を天秤にかけたら怖いのはヤンキーだった。もしヤンキーの幽霊がいたのなら、当時の僕はもうどうしようもなくなっていただろう。結局、外灯の下で一時間は過ごした頃、母親が迎えに来るのがパターンだった。
父親は一度も迎えには来てくれなかった。だから僕は一度も父親を尊敬しなかったし、ヒーローとも思わなかった。あの人は最低で最悪だが、母と結婚できた幸運だけは凄いと思えた。
家に帰ればテレビが1台しかなく、それを寝転がって見ている父親。テレビでは幼かった僕には全く関係なかったけど、湾岸戦争でイラクが空爆され、ベルリンの壁が崩壊している中、隣の川島兄弟の長男「まーくん」は「受験戦争」という偏差値での殺し合いをして、世界中で血が流れていたのに、東京では「ジュリアナ東京」というディスコで、ワンレン・ボディコンファッションの女性が、お立ち台の上で何故かセンスを振り、「加トちゃんケンちゃん」がコントをしてお茶の間を笑いの渦に巻き込み、ゴールデンタイムの時間に「アイドル水泳大会」でおっぱいが映ったり、岡本夏生のハイレグが流行り、歩行者天国では竹の子族が踊り狂い、バンドブームでロックのダサさと格好良さが綯交ぜになっていた。
あの頃、カオスと熱気と暴力と不条理が溢れていて、秩序を誰も持っていないようだった。
それでも一つの共通目的が存在した。
良い学校に行って、良い会社に就職して、花金はお洒落なイタ飯屋でデザートにティラミスとエスプレッソを食べる。
そんな僕の大人が始まった。
★24時間戦えますか
リゲインのCM曲の歌詞。今だと電波ソングにも聞こえる。販売元の第一三共ヘルスケアの中の人がいれば、労働環境を聞いてみたい。そもそも24時間戦えるお薬はアレしかないと思うのだが、CMを作る時にイメージが「ヤバイ」というラインが存在しなかった時代。田代まさしが当時、大人気だったがCMキャラクターは時任三郎。
★友達100人
「一年生になったら」の歌詞。この歌を信じたり、実践したりして苦しんだ人がいるのなら、同情を禁じ得ない。どうかあの時の素直な気持ちだけは手放さないでほしい。貴方は悪くないのだから。この歌が悪いのだ。こんな歌こそ禁止にするべきだ。
★日射病
強い直射日光で起こす熱中症。連日のニュースで日陰へ移動、帽子をかぶれ、そんなアドバイスがされていたが、一方運動中に水を飲ませてもらえなかったり、うさぎ跳びをさせられている人たちもいた。ポックリ病という病気もあったが、脳卒中という名前にいつの間にか変わっていた。
★ゲームは一日一時間
元ハドソンの広報「高橋名人」の名言の部分抜粋。ハドソン全国キャラバンというゲーム大会での発言。要約すると「たった一時間しかできないから、全力集中することで上達するよ」という意味と捉えてる人もいるが、高橋名人はゲーム大会の時に、父兄たちが怒った顔をしていたのでつい口に出た言葉だそうで、その瞬間「よく言った!」と父兄たちの頷く姿を見てホッとしたそうだが、その後社長に呼び出され怒られたそうだ。結果的に世論が見方をして高橋名人は、会社で干されずに済んだ。「GAME KING 高橋名人VS毛利名人」という映画が有り、16連射でスイカを割るのに憧れた。
★5時のチャイム
市町村防災行政無線の動作確認のために流されている。地元では味気なくキーンコーンカーンコーンと鳴る。「キンコンカンコンだから帰るわ」と言ってダッシュして帰る友達がいた。当時は恐怖のチャイムでもあった。
★宮崎勉
幼女4人を誘拐して殺害。日本のシリアルキラー。私が知る限りでは、オタク犯罪者第一号。オタク=犯罪者という確固たるイメージを作り上げた巨星。2008年6月17日に東京拘置所で死刑が執行された。
★ジュリアナ東京
伝説的なディスコ。正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」
当時のリア充の巣窟、総本山。
★自動販売機
1.5リットルの巨大ペットボトルが当時売られていた。煙草のセブンスターは220円だった。煙草の自販機の一番端っこのボタンには、メロン味のコンドームも売られていた。
★ファミリーマート
有名コンビニ。地元の店舗はまだやってる。「ファミマ クオカード 社員」で検索するとブラックなニュースが出てくる会社。大本は伊藤忠商事というコングロマリット。収益4.838兆円とフリーザを瞬殺できる戦闘能力を有してる。合コンで男が勤め先を「伊藤忠」と答えて「しらなーい」といってバカにする女子もいるとか。
★花金
はなの金曜日という意味。週休二日制の導入で土曜日を気にせずに夜遅くまで楽しめるようになったことから。89年には「はなきんデータランド」というテレビ番組も始まった。内容は今のランキング番組と同じ。実は当時も今もあまり番組作りは変わっていない。
★イタ飯
イタリアン料理屋のこと。平成生まれに「イタ飯行く?」と聞いたら「なんすか、それ?」と言われ「炒めた飯? まさかタイ料理?」と聞き返された。