忘れ物を取り戻しに
鎮魂の儀が終わった後、周防は神主にお願いをした。
夕飯を明日に回してもらう様に……j。
どうしてもやらないといけない事が出来たからだ。
夕食をゆっくりする時間もないほどに忙くなるとわかるような、そんな事が……。
神主は何も言わず了承した。
『どうせ私達はほとんど食べられない。主に食べるのは君だ。だからいつでも良いとも。ただ、出来るだけ美味しく食べて欲しいから出来たら明日には頼むよ』
そう言われ、周防は泣きそうな気持ちで感謝を示した。
それだけでなく、神主は周防のやるべき事の手伝いをしてくれた。
儀式で疲れた体で車を出し、周防の足となった。
周防は感謝以外言葉が出てこなかった。
そして色々な場所に向かってやるべき事を済ませ、事実を調べ……そして最後、墓標の前に向かった。
赤城柑奈の墓標の前に――。
「うん。そうだよな。見ないフリをするわけにはいかないよな……」
赤城柑奈は既に死んでいる。
それだけは絶対の事実である。
五年前、交通事故で。
だが、事実はそれだけではない。
ずっと残っていた違和感が警告を出していたのだ。
赤城柑奈とカンナは決してイコールではないと……。
目を反らしていた。
知らないフリをしていた。
それで彼女が満足ならと思いスルーした。
違和感はずっとあった。
それでも、その気持ちを飲み込んだ。
自分の気持ちに嘘を付き続けた。
それが彼女の幸せならと思い……。
だが、そうではない。
このままだと、誰もが不幸にしかならない。
周防はそれに気づいた。
「……っし! 気合入れようか」
両頬をぴしゃりと叩き、周防は最後の場所、約束の場所に向かった。
神社の裏にある裏山の、その三合目。
植林の関係か交通の便は恐ろしく良くて迷う心配はなく、同時に大人がもう立ち寄らない場所。
だからこそ、そこは子供達にとって遊びの楽園であった。
そして、思い出の場所、最後の場所という意味で言えばここ以上に適切な場所はないだろう。
木々の隙間を抜けて照らされる月光に、さざめく虫たちの美しい鳴き声。
告白という意味でも、そこは確かに適していた。
「すまん。待たせたな」
「……ううん。今来たとこだよ。……嘘。今日はずっとここに居た。デートっぽい事言いたかったから」
そう言ってカンナが舌を出して笑うと、周防は優しく微笑んだ。
「あら? 本当はそんな顔して笑うんだ」
カンナがそう言葉にすると、周防は首を傾げた。
「ん? ずっと笑っていただろ?」
「うん。でも、ずっと曖昧でなあなあな笑みだったから。うん。そっちの笑顔の方が素敵だよ。惚れ直しちゃう」
周防は照れ隠しも兼ねて頬を軽く引っ掻いた。
「さて、私カンナから大切な、とても大切なお話があります。たったこれだけを言いたくて、私はずっと生き……てはないけどずっとこの場所に残っていました。……聞いてくれますか?」
真剣な表情のカンナの言葉を聞き、周防は少しだけ目を閉じ、そして小さな声で呟いた。
「その前、俺からも良いかな。大切な話があるんだ」
「え。それってまさか……」
きゅんとした表情、熱く潤った眼差しでカンナは周防の方を見つめた。
「いやそう言うのではない! 違うぞカンナ」
「……ちぇー。まあ言われても困ったけどね。私たぶん残れないし、残っても体ないから周防君独りにしちゃうし。んで、何、大切な事って」
「ああ。……カンナ。お前、自分の苗字わかるか?」
「え? そりゃわかるわよ。私は……」
そこまで行って、カンナは言葉を止め……酷く狼狽した様子となった。
「……嘘。何で? 幽霊になった時の副作用? 確かに幾つか記憶があいまいだけどそんな……」
「いいやそうじゃないさ。カンナ。俺の事は良く覚えているんだよな?」
「え? うん。間違いなく覚えてるよ。それだけは何があっても間違えない」
「じゃあ、俺達ってさ、いつも何人で遊んでた?」
「え? 私と、周防君の二人じゃん。何を言って――」
「三人だよ」
「……へ?」
「俺達は、三人だった。町に二人しかいない女の子は、二人共、男で難しい年頃の俺と遊んでくれたんだよ」
「いや……え? だって……私、そんなの……」
だから、周防はずっとカンナと呼ぶ事しか出来なかった。
だから、カンナは自分の苗字がわからなくなっていた。
そこに残っていた違和感とは、そういう類の物だった。
「赤城柑奈。明るくて、俺達を引っ張って、そして良くドジをした明るい子だった。崎上柑奈。引っ込み思案だけど優しくて、誰かの為に我慢をしすぎるのが偶に傷の……いや、そういう女の子だった。なあカンナ。……あんたは……どっちなんだ?」
『私達二人共かんなって名前なの! だから周防君は私達を苗字で呼んでね。紛らわしいもん。あ、あだ名とか付けてくれても良いのよ? 親愛の証としてー』
『わ、私は別の名前でも良いから赤城さんをカンナちゃんって呼んでも良いよ周防さん?』
二人と最初に会った時の会話。
それを思い出し、周防はカンナをじっと見つめた。
「……知らない! わた……わからないわよ! 私は私よ! 周防君が好きな、告白して消えるだけの、ただのカンナよ! それで良いじゃない!」
ヒステリックにそう叫ぶのと同時に、カンナの姿が形を変えていく。
はっきりした目立ちは大人しめな表情に変わり、赤に近い明るい茶色の髪は艶やかな黒となる。
それと同時に……幼い様子の明るい少女がカンナから独立するように体から外に抜けて行き、一人が二人となった。
「待って! 行かないで! 私は良いの! でも、でも……」
そう叫ぶ少女は、成長しているものの周防の知る崎上環奈本人だった。
明るい性格と外見だがドジを良くする神社の跡取り娘の赤城柑奈。
暗い性格だが情に厚く優しい一般サラリーマン家庭に生まれた崎上柑奈。
十五歳位の二人が、周防の前に並んでいた。
それは紛れもなく、周防の知る二人だった。
「ああ……どうして……だって……だって私……」
そう言って、崎上は泣き崩れた。
それは、どうしようもない未練だった。
赤城は死にゆくその瞬間まで、周防にもう一度会って告白出来なかった事が、それだけが大きな未練となっていた。
だが、同時に息絶えそうな崎上の場合はその様な未練では済まなかった。
二人同時に死に絶えそうなその瞬間、崎上の考えていた事は、後悔と罪悪感である。
崎上もまた、周防の事が好きだった。
だが、それ以上に赤城に強く友情を感じていた。
選ぶとすれば赤城を選んだだろう。
だから崎上は、その気持ちに我慢する事にした。
自分の気持ちに蓋をして、黙っていた。
その気持ちが大きくなり、爆発しそうになっても、赤城にはずっと隠して来た……。
その心を封じたが為に、崎上は赤城にすら自分の気持ちを伝えなかった事を後悔した。
その後悔は大いなる罪悪感と交じり合い、そして……崎上は赤城の魂をその胸に秘めた。
『自分なんかはいたらいけない。だからこの魂を赤城さんに上げたい』
『自分は醜い存在だけど、それでも私も周防さんに告白したかった』
その二つの願いが共に、赤城と崎上の魂は綺麗に交じり合いカンナとなった。
同じ人物を同じ様に好きだった同じ名前。
まるで奇跡のような偶然は、魂が交じり合うという偽りなき奇跡を引き起こした。
だが、その奇跡の時間ももう終わりとなった。
二人共、自分の本当の名前を思い出してしまったからだ。
倒れ込むようにして泣く坂上を無視し、赤城は笑顔で手を上げた。
「はいというわけでやる事ちゃっちゃとやるね。うんうん。周防君は周防君でこの後ちゃーんと、やるべき事あるもんねー」
そう言葉にすると、周防は少しだけ驚いた顔をした。
「……わかるのか?」
「わかるよ。ずっと見てたんだよ。わからないわけじゃない」
「……もしかして……それで……」
「その先は絶対言わないで。そうであっても、そうでなくても、それだけは言ったらいけない事よ」
鋭い剣幕に押され、周防は押し黙った。
「……悪かった」
「よし。許してしんぜよう。というわけで、良いかな?」
「……ああ」
周防の返事を聞き、赤城は大きく息を吸い……そして周防の方を見つめた。
「私、赤城柑奈は、ずっと、ずっと……ずーっと、周防君の事が好きでした。……ふふ。やっと言えた。言えたよ……」
赤城は泣きながら、ぽつりと呟いた。
「……ありがとう赤城。こんな俺の為に。でも俺は……」
「はいストップ。聞きたくないし言わなくても良いわよ。わかってたわよちくしょー。でも満足よほらほら!」
そう言って赤城は自分の体を指差した。
その体は、若干透けていた。
「……幽霊ぽいな」
「寿司職人に寿司職人ぽいって言うのは無礼にあるけどさ、幽霊に幽霊ぽいってのはどうなんだろうね?」
「知らんがな」
「じゃあ課題にしておきます。明日までに千二百字で提出する事」
「多いな。つーか明日にいるのかよ赤城」
「いるわけないじゃん。未練もうないし」
そう言った後二人は目を合わせ、そして笑いあった。
こんな掛け合いがしたかった。
こんな学生生活が送りたかった。
そう言葉にするのを二人共堪え、笑いあった。
「待って……行かないで……。赤城さんがいないと私……周防君に告白出来ないよ……」
涙ながらに縋りつく崎上に、赤城は何とも言えない悲しそうな顔をして冷たく答えた。
「え? すりゃ良いじゃんちくしょーめ」
「出来ないよ……私そんな資格ないよ……。私がいなかったら赤城さんも死ななかったじゃない。私何かが……」
その言葉に、赤城は切れた。
これはもう見事に燃え上がった。
赤に近い茶髪を振り乱し、ヘドバン繰り返すギタリストの様な動きのままじたんだを踏んだ。
「あーもう! ああそうですね。あんな告白出来ないでしょうねきっと! 良いから黙って、成り行きをみまもりなさい。あんたの大好きな、私と周防君を信じて!」
その言葉で、崎上は泣くのを止め、立ち上がって周防の方を見た。
悲しそうで、苦しみで潰されそうな表情だが、それでも立ち上がった。
「……あー。その……良いのか?」
周防が申し訳なさそうに尋ねると、赤城はそれはもう嫌そうに頷いた。
「本当は今すぐでも消えたいけどさ、今消えたらこの子壊れちゃいそうじゃん! しょうがないよ! でも怨む。二人のお気に入りの飲料の二十ミリ位毎日飲んで仕返しする気概を持って今生きていないけど生きていきます」
「……お前、そんな愉快な性格だったんだな」
「無理でも話さないとフラれたショックで泣きそうなのよ。察しろよ」
「その……すまん」
周防の言葉に赤城は苦虫をかみつぶしたような顔をした後、周防の脛を蹴る動作をしてそっぽを向いた。
「……崎上さん。ちょっと……良いかな?」
「……うん。何でしょうか?」
「えっと……その……」
「あ、私邪魔なら消えましょうか? 告白の邪魔ですもんねそうですね」
そう言葉にする崎上に、赤城は目を丸くした。
「え? さっきの聞いてないの?」
「え? 何かあったんですか?」
赤城は、崎上の頭をポカポカ殴った。
髪がぐちゃぐちゃになるまでかき回した。
子供の悪戯の様な行動だが、それでも、赤城が崎上にした最初で最後の暴力だった。
「いたっ! 痛いよ赤城さん! 何で!?」
「五月蠅い! さっきから傷口抉られ続けている私に一生謝れちくせう! 良いか。もう二度と言いたくないぞ! 私は、もう告白して! そしてフラれた! どぅーゆーあんだーすたん?」
「え? どうして!?」
「ぎゃーす!」
赤城は再度崎上の髪をぐちゃぐちゃにした。
最初の最後の暴力パートツーだった。
「……あーもう話進まない。いい加減残り続けるのもきつくなってきたわ! ほら見てよこれ。もう体すっけすけで限界っぽいでしょ? つか実際限界なのよ! 早く消えさせて下さい!」
「ご、ごめん」
「謝るよりも言う事済ませろ。もう雰囲気とか知るか。早くしろ! さっさとしろ! しばくぞ!」
「サーイエッサー」
周防は何とも言えない気持ちで返事をし、そして崎上の方を見つめた。
「えっと……崎上さん。その……ずっと、ずっと好きでした」
「……え? どう……して……」
混乱しきった様子の崎上。
気づいていないのは、いなかったのは崎上だけである。
それこそ、今から八年前、十二歳の時であっても、赤城は気づいていた。
周防は崎上が好きな事に――。
ただ、その気持ちをずっと持っていたとは再び会うまで思ってもみなかった。
少しだけ悔しくて、羨まして……そして、とても嬉しかった。
「……ありがとう。でも、ごめんなさい」
崎上の言葉に赤城は目を丸くし、周防は困った顔を浮かべた。
予想をしていなかったわけではないが、やはり少しだけ悲しかった。
「……理由を聞いても良いかな?」
「うん。だって……私、死んでるから。だから私の事なんて……」
「あーちょっと待った。周防。そう言う事なんでしょ? あんたが急に意識を切り替えてキリッとした顔になったって事は」
赤城が話に割り込んでそう言葉にする。
その言葉に、周防はしっかりと頷いた。
「……どういう、事です?」
「つまりね、私、ゴースト、あんた、ノーゴースト。所謂生霊って奴? オーケー?」
「そんな……だって私、赤城さんと一緒に車に……」
「赤城さんの言う通りだよ。……今日、色々な人に聞いて調べて、病院の方に行って来た。ずっと意識が戻らないけど、確かに生きていたよ。そして……家族は皆待っているよ……」
周防の言葉に、崎上は泣きそうな顔になった。
「ほれ? 生きているのなら告白どう返事するのかな? ん? ん? やべ、ちょっと楽しくなってきた。これがえぬてぃーあーるって奴か……」
「止めなさい」
「うぃ。ま、真面目な話、貴女はどうしたいの?」
赤城の言葉を聞き……それでも、崎上は首を横に振った。
「どの顔下げて……私だけ生き残れるのですか……。私じゃなくて……赤城さんが生きていれば……私だけ生き返るなんてそんな事……」
「私を理由にするな!」
あり得ないほどの怒声に崎上の体は縮み上がった。
「ねぇ。私はそんなヒトデナシに見える? 貴女と周防の幸せを願わない、そんな人間に見える? 私が貴方に友情を感じてないと思ってるの?」
「そんな事ない! そんな事ないよ! でも……だから……素敵な貴女じゃなくて私なんてって……いつも思っちゃうし……これからも……」
その言葉に赤城は溜息を吐いた。
赤城の魂はもう限界だった。
最後の未練が立ちきれ、もう輪郭すら確認出来ないほどに薄くなっている。
本来ならとうにこの世界から消えているのだが、それでも残っているのは崎上への友情が理由に外ならない。
だが、その無茶ももうどうしようもない部分にまでなっていた。
赤城は最後の力を振り絞り、崎上の背中を押した。
もうそれしか出来る余力が残っていなかった。
消えながらも無理やりに押し出し、周防の方に彼女を贈り届けた。
慌てる崎上に、受け止めようとする周防。
それは確かに、抱きかかえる形となった。
触れる事は出来ないが、それでも、二人は確かに抱き合っていた。
――前向いて進んでよ。私の分まで。
声は聞こえなかったが……それでも、周防は赤城がそう言っている様な気がした。
もうそこには、たった二人しかいなかった。
「……聞こえた?」
その言葉に崎上は頷いた。
「はい。しっかりと」
「じゃ、どうしたら良いかな?」
「……その……えっと……保留という事で」
「え? ほ、保留?」
ちゃんと答えが返ってくる事を、少しだけ良い返事が来るような雰囲気を感じたからこそ周防は目を丸くし、しょんぼりした顔となった。
「はい。……次にまた会った時に……その時に……今度は私から……」
そう言って、今度は崎上もその姿を消した。
目の前で消えていく崎上だが、悲しくはなかった。
崎上とはもう一度必ず再開出来る未来が待っていると理由はわからないが確信していたからだ。
そして病院にて――。
およそ五年ぶりに、少女は目を覚ました。
幼い印象の残っていた少女は確かに成長しており、黒く艶やかな髪をした、綺麗な大人の女性となっていた。
そして彼女は……その青年と昨日ぶりであり、そして同時に数年ぶりの再開を果たした――。
久々の短編でしたがまさかの一日がかりとなりました。
少々いつもと違う雰囲気にはなりましたが、楽しんでいただけたら幸いに存じます。
では、お手に取って下さいありがとうございました。