幽霊の未練と違和感と
明晰夢というわけではないが、今この瞬間だけはこの後何の夢を見るのか予想がついていた。
本音を言えば、避けられるのなら避けたい。
それこそ、名だたるホラー映画真っ青な悪夢であっても今だけは歓迎する。
そう思う程に嫌なのだが、同時にこれだけは避けられないという事も残念な事に周防は理解していた。
――ほら。始まった。
小さな頃の自分、ワクワクした気持ちで父について行って数日過ごしたこの城宮町の記憶。
今同じ場所にいるのだから同じ夢を見たとしてもおかしくはないだろう。
過疎であるこの町では友人が少なかったらしく、自分はすぐに打ち解けられた。
そこからの想い出は宝石と同じほどに輝かしいものだったと、他の誰でもない自分が知っている。
だからこそ……今の周防にとってそれは悪夢以外の何ものでもなかった。
目を覚ますまでの間、緩やかで楽しい、一番幸せだった頃、取り返せない後悔を見せ続けられた周防は、また今日も世界を呪った。
城宮町のお祭りと言ってもそれは少々以上に変な行事であり、既存の祭りとは色々な意味であらゆる意味で異なっている。
というのも、城宮町には小さな町なのに神社が何故か三つもある。
町にとっての纏め役としての役割を担っている三常神社と、その支部の様であり別の様でもある良くわからない小さな神社が二つ。
赤城神社と兎寿神社である。
どういう理由かは周防は知らないし、恐らくは三常神社の神主も知らないだろうがこの町には常に神社を三つ維持しなければならないと常々語り継がれている。
言い伝えとはそういうものであり、それでも護るべき事に意味があった。
その祭りの儀である『三常鎮魂』には祭りの準備前に行うべき儀が、神を通じ祭りが行われる事を知らせる行事である。
方法としては三常神社よりの使者を二つの神社に出し、祭りが開かれる事を伝えて二つの神社がそれを了承しそれを三常神社が使者を通じて受け取る事で祭りの準備が始められる。
ちなみにその使者の役が周防の最初の仕事である。
この使者になるには幾つかルールが存在しており、その中でももっとも厄介なのが、三常神社の関係者は使者となる事が禁じられていた。
その為本来なら町の誰かにお願いするのだが……階段を何段も上り下りを繰り返すその行事に参加したい若者などいるわけがなく、ご高齢な人は参加したくても体が言う事を聞かない。
そんなどうしようか困っているところに周防からの申し出があり、周防がその使者の役を勤める事となった。
「……ま、今は足を動かした方がすっきりするしな」
朝の悪夢が忘れらず、周防はそう言葉にした後町を走った。
たった数日しか滞在していなかったが、体が町のあらゆる場所を記憶していた。
登り下りの多い道を走り、兎寿神社の下に付き、階段を見上げる。
流石に三常神社ほどではないがその石造りの階段は百段ほどはあるだろう。
その階段を、周防は一気に登った。
どうしようもない後悔と、二度と取り戻せない美しい風景を忘れようと、必死に――無心で……。
そして階段を上り切り、切れた息を取り戻そうと息切れを起こす中目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。
その様子をくすくすと笑う声が聞こえ、周防は目を開いた。
そこには、この世の物とは思えないほどに美しい女性が、優し気で朧気な笑顔を浮かべていた。
そんな顔で、周防の方を見つめていた。
どこか儚く、それでいて可憐で。
今まで見たどの女性よりも外見だけならば好みであり、そして同時にどこかで会ったような……それは絶対にありえないはずなのに、周防はそう思わずにはいられなかった。
「久しぶり」
女性の方は周防を知っているらしくそう声をかけた。
どこか明るく、どこか遠慮しがちな、そんな不思議な声色。
そう言って彼女は笑いながら、涙を流した。
「……私の事、覚えてる?」
そう言われても、周防は返事を出来なかった。
出来るわけがなかった。
間違いなく、目の前の彼女の事は一部たりとも周防は知らない。
だが、それでも……彼女の何か一部は、間違いなく周防の知っている存在だった。
「……ごめん。君は……一体……」
周防はそう言葉にする事しか出来なかった。
「そか。……ううん。無理もないね。前遭った時と姿は違うし。……あの時の姿にもなれるよ? でもね、十二歳の頃の姿になると今の周防さんの横にいたらねぇ……。やっぱり今の私が良いかなと思ったの。……例え仮初でもね」
「……いや、前ここに来た時の事も、そこで誰と会ったのかも俺は良く覚えているよ。でも……君は……もう……」
脳が現実を理解しきれず混乱する。
何を言えば良いのか、何をすれば良いのか。
ただ、一つだけ分かる事がある。
自分は今、あり得ない存在を目の当たりにしているのだと……。
「ごめんね。私、幽霊になっちゃった」
そう言って彼女は……カンナは困った顔で微笑んだ。
「カンナ……で良いんだよな?」
その言葉に、カンナは頷いた。
「うん。……そんなに違う?」
「ああ。別人だな。……色々な意味で」
「……綺麗になった?」
「……そうだな」
「可愛い?」
「否定はしない」
「……生きてたら、私が好きだって言ったら受け入れてくれたかな?」
その言葉に周防は困った。
どう答えても、間違った答えにしかならない。
嫌がらせクイズの方がまだ答えが見つけられるだろう。
「……さて、な」
そう言って周防はとりあえず流す事にした。
恋心を忘れられない周防はそうする事しか出来なかった。
「……私ね、未練があったの。もう一回会いたい。そして、告白したいって。……うん。安心して。未練さえ果たせば、きっと消えるから。……まあ、私も自分の事良くわからないから何とも言えないけどね」
そう言って笑うカンナの姿は幻でもなんでもなく、まぎれもなく真実であると、周防はそう思い始めた。
「……そう……か。……これは、俺の幻覚じゃないんだな?」
「うん。残念だけどね」
「……どっかの美人さんの悪戯とかでも……」
その言葉と同時に、カンナはふわっとした人ではあり得ない動作で周防の体に向かっていった。
そしてぶつかるその直前に……カンナは周防の体をすり抜けていった。
「……というわけで、悪戯でもないのでした」
「そうか。……幽霊って、足はちゃんと見えるんだな」
その言葉を聞き、カンナは無言になった後噴き出した。
「ぷっ。他に言うべき事あるでしょう。それなのにソコなんだ」
明るく笑いながらそう言葉にするカンナの様子は、とても幽霊には見えなかった。
「はは……うん。少し、話そうか。でも、その前に仕事してくるわ。今回の祭りの使者役俺だからさ」
「へー。ん。じゃ、待ってるね。何か私家の中入れないから」
そう言ってカンナはひらひらと手を振った。
愛しそうに周防を見つめながら……。
「……神社に憑いているってわけじゃないんだね」
横を歩くカンナに周防はそう言葉にした。
「うん。家の中以外ならどこにでも行けるし何なら空にも飛べるよ。この町の範囲限定だけどね。と言うか私別に神社の生まれでもなかったし神社とも縁があったわけじゃないじゃん。良く遊んでいた場所だって川だったでしょ?」
「――そうか。そうだったな」
そう言って周防は話を打ち切った。
想像していた現実とはあまりに異なった現実に違和感が警鐘を鳴らす。
だからこそ、周防は彼女に何も言えずにいた。
だって彼女は――。
「ねね。……彼女とか出来た?」
「は?」
「うん。そうよね。そういう反応するのは普通よね? でもさ、私その想いだけで、告白しそびれたって想いだけでここにいるっぽいからさぁ……私にとっては大切な事なんだよ」
それは本当に真剣な様子で、そしてその答えに怯えている様だった。
「……残念ながら、彼女が出来た事はないよ」
自分の気持ちは答えず、周防はそう言葉にする。
それを聞き、カンナは安堵したようにほっと息を吐いた。
「そか……。うん。じゃあさ、お祭りの終わった後、……ちょっとだけ貴方の時間を下さい」
「……ああ。わかった」
それで未練がなくなるなら、まあ良いか。
現状を把握しきれないが、それだけは周防の確かな気持ちだった。
それから、カンナは周防を連れて色々な場所に移動した。
思い出の場所を巡り、カンナはその思い出を時に元気な様子で、時にしおらしく語った。
ずっと蓄えていた、八年間分の感情を吐き出す様に。
その想い出が彼女の口から語られるというのは、周防にとっては違和感を覚えずにはいられなかったが、それでも、決して嫌な時間ではなかった。
後悔が取り戻せない……絶対にあり得ない時間だからこそ、周防が唯一、心の棘が抜ける瞬間だった。
その日の夜、周防は久方ぶりに悪夢以外の夢を見れた。
いつもと見る夢は同じだが、その夢を悪夢と感じる事はなかった。
とは言え、このままにして良い訳ではない。
だが……どうすれば良いのか……何をすれば良いのか。
周防にはわからなかった――。
――このままにして良い……わけがないよなぁ……。
そう思いつつも日々は恐ろしいほどに早く過ぎ去り、祭具の準備等の手伝いをしつつカンナの相手をしているとあっという間にお祭り当日となった。
当日の周防の仕事は三常神社に待機する事だった。
と言うのも、三つの神社それぞれの奥で鎮魂の儀が執り行われ、それが相当な重労働な上に過酷で人手がいる為動かせる人間のほとんどがそちらに行っている。
その間神社を見る者がいない為、周防が待機する必要がある。
という建前で、実際はお守りを売る為の店番である。
儲けが出ない上にあまり買う人のいないお守りだが、それでもその御守りを買おうと様々な理由でそこに訪れる人がいる。
そういう人の為に、出来る限りお守りを買えるようにしておきたい。
お守りを求める人は何かを暗い物を背負っている人が多いからこそ、気休めでも良いから皆の手に渡って欲しい。
それが三常神社の神主の考え方だった。
ぽけーっと店番をしながら、周防はある事に気が付いた。
毎日見ていたカンナが今日は来ていない。
「と言っても……理由は予想付くけどねぇ」
今日が、カンナにとっては最後の日である。
だからこそ、なあなあにではなく、しっかりと告白をして締めたいのだろう。
自分の終わりを――。
「やるせないし、悲しいし、応援したいけど……」
どうすれば正解なのか、何が正しいのか。
この数日悩み続けてきたが、結局答えは見つからなかった。
そんな時に――。
「あら。貴方がお守りを売っているのね」
そう言って現れたのは電車で一緒だった老婆だった。
「……良かった……。来てくれて良かった……」
神主の奥さんに何度も確認して方法を確かめながら洗った重箱が無駄にならなくて済んだと気付き、周防は心の底から安堵の声を漏らした。
「あら? 私に何か御用かしら?」
「いやいや。あ、まずはおはぎご馳走様でした。本当に美味しかったですよ」
「あらまあ。若いのに律儀なのねぇ。お礼なんて良いのよ食べてくれたらそれで十分。でも、その言葉は本当に嬉しいわ」
そう言って老婆はニコニコと微笑んだ。
「そして、この高そうな重箱はお返し致します」
「あら。別に良かったのに。ウチのお店の物だから幾らでもあるし」
――高い事は……否定しないんですね。
ぞっとしながら周防はそう思った。
「いえいえ。これこそ、若い身にももったいないです」
「あらそう。じゃ、お気持ちはありがたく」
そう言って老婆は周防から空の重箱を受け取った。
「とりあえず余計なお節介かもしれませんが、もう少し小さくした方が都会の人には食べやすいと思いますよ」
「あらそう? ……いえ、そうよね。そりゃそうよ。考えた事もなかったわね」
「ええ。次持っていく時はそうして、そしてしっかりとお孫さんに押し付けてあげてください。本当に美味しくて、これを嫌がる様な人なんて都会にも田舎にもいませんよ」
神社生まれで和菓子だけは舌が敏感な周防の、心からの言葉だった。
「……ありがとう。でもね、次は持って行かないの」
「え!? どうしてです?」
慌てる様子の周防を見て、老婆は嬉しそうに笑った。
「私、今度ひいおばあちゃんになるの。頑張ってる妊婦さんに食べ物持っていくのは良くないでしょう? 私の時は食べ物を食べて太れって言われてたけど、今は違って痩せろってお医者さんに言われるらしいわねぇ。だから味気ないけれど迷惑にならなくて、絶対必要な現金をしばらく持っていく事にしたの。おはぎは子供が生まれてからね。そういう訳だから、安産祈願のお守りいただけるかしら」
――その嬉しそうな顔を見せられると、嬉しいという気持ちが伝染してしまうじゃないか。
そう思いながら、周防はそっとお守りを手に取り老婆に差し出した。
「幾らかしら?」
「五円です」
「そう、五ま……え? 五円? 五百円でも五千円でも五万円でもなく、五円?」
「五円です。ご縁ですから」
厳重に、そう言う様に神主に言われていた周防は、言われるがままそう言葉にした。
お祭りの時位は赤字でも良いじゃないか。
そう思った神主の心意気である。
交通安全の時以外はご縁で、交通安全の時は三千円の代わりに三千円する体に貼りつけるタイプの反射テープをお守りのオマケに持たせる。
それが周防の任された店番の内容だった。
「……困ったわね」
「どうかしました?」
「いえ。大きいのしか持ってなくて……」
「……俺が立て替えておきましょうか? おはぎのお礼にしては安いですが」
「そんな悪いわ……でも……」
「でも……」
お互いがあーでもないこーでもないと良い合い、そして間としてお布施に一万円入れて変わりにお守りを受け取るという形で話が付いた。
「うん。ありがとね。こんばババの相手をさせてごめんなさいね」
「いえ。楽しかったですし、美味しかったです」
その言葉に老婆は微笑んだ。
「ふふ。ありがとう。そう言えば……貴方もしかして……あの事件のあの子と関係しているのかしら?」
「ん? どういう事です?」
「あの……五年前の……」
その言葉に周防は察する事が出来た。
大体の空気で、何があったのか、何時あったのかこの町にいたら理解出来るからだ。
特に、少ない子供が亡くなる様な事件なら……。
「はい。どちらという意味でも、関わりがありました」
「そう。でも、大変よね。だって――」
その後老婆から放たれた言葉は、周防の知らない事で、そして周防が目を反らしていた部分だった。
どうしようもない違和感が確かな形になり、同時にピースの揃ったパズルの様に、周防の中が何かが確かな形となっていった。
「……うん。きっとそういう事なんだろうな」
自分の本当の役割を――いや、自分のやりたい事を、やるべき事を見つけ、周防はそう言葉にした。
「ん? どうかした?」
「いえ。貴重な話を聞かせてくれてありがとうございます。……ようやく、現実と向き合う勇気が持てました」
未練でも、後悔でもなく、明日の為に出来る事の可能性。
その掴むべき後ろ髪が、周防に見えていた。
他の誰でもなく、この老婆のおかげで。
「……大変でしょうけど、うん。頑張って頂戴。私も頑張るわ」
「今後の参考なまでに、何に頑張るでしょうか?」
老婆は微笑み、自信満々に答えた。
「生きる事によ。それだけ出来たら、誰でも胸を張って良いと思わない?」
「……金言ですね」
老婆は微笑みながら、神社を後にした。
「……重たい重箱持って、軽々と数百段の階段を降りていらっしゃる。……すげぇな本当に」
下手すれば自分よりも足の速いハイスピード老婆を見送りながら、周防は自分のすべき事を改めて考えた。
このままにして良い訳がなかった。
このまま、告白だけされてお別れして良い訳がなかった。
ありがとうございました。