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恋の花咲くこともある


初出:エブリスタ


 春爛漫。

 ひんやりした空気は消え去り、暖かというよりむしろ暑いぐらいの日差しのなか、俺はひとり桜の木の下にいる。

 自然あふれる市立公園。大きな池もあるし、散歩やランニングをするひとも多い。桜の季節は絶好の花見スポットとなり、屋台やキッチンカーも出店、お祭りの様相を呈する。

 現時点での開花は三割程度だが、それでもちらほらと花見客はいるようで、レジャーシートを広げている団体がそこかしこに。


 昼間っからいいご身分だねえ。

 なんてことを言っている俺も同じように思われている――ことは、たぶんないんだろうな。面積の広いブルーシートを敷き、その中央に陣取っている背広姿の男なんて、どう見たって『花見の場所取り係』でしかない。



 うちの職場において、花見の場所取りは新人の仕事とされている。

 俺の在籍する部署にはあまり新入社員が配属されないため、入社七年目に入っても、未だ『新人』として場所取り係を担当している。上に逆らえないのは、体育会系男に染みついた隷属体質なのだろう。


 正確にいえば、四年前に一名配属はあった。

 だが女性だったのだ。


 働き方改革。女性にも働きやすい職場を。

 誰であってもできるように仕事を変えていくのが時流。

 そんななかにあっても、場所取り係は女性に割り振られることはなかった。


 部課長が協議した結果、「やっぱりやめたほうがいいよな」となったらしい。課長に呼ばれ「谷川(たにかわ)、悪いんだけど今年も頼めるか?」と申し訳なさそうに言われてしまった。


 毎年のことだから場所も決まっているし、周囲にも馴染みの顔が見え隠れする。

 あそこの会社はあの辺、みたいなお約束もできあがっているため、あとからやってきた誰かに「ここは俺たちが先に目をつけてたんだぜ」的な、子どもの陣地争いみたいなものは起きたことがない。だからこそ新人へお任せできる仕事である。


 それでも女性を派遣することをためらった上司たちに対し、否やはなかった。


 場所取りは昼からおこなわれる。

 その時間帯は、すでに弁当をつつくお花見客が存在するのだ。

 子どもたちと一緒に座るお母さまグループ、近隣の保育園・幼稚園の子どもと引率の先生は微笑ましいものだが、昼間から飲酒をするどこかの学生サークルは厄介な存在。

 大声で騒ぎ、自分たち以外の存在は考慮していない。

 ただでさえ視野が狭いのに、アルコールのおかげで気が大きくなり、我こそがすべてとばかりにどんちゃん騒ぎを繰り広げる。治安が悪いなんてもんじゃない。


 そんな場所に、だ。つい先日まで高校生だった女性社員をひとりで送りこんでみろよ。酔っぱらったアホ男子が絡んでセクハラしまくるのは目に見えているじゃないか。

 危機管理のできている管理職らはリスク回避のために彼女を送り込むのは断念し、実績のある俺に乞うのは間違っていない。


 ちなみに「一緒に行けばいいのでは?」という案は、暗黙のうちに却下された。

 高校生の雰囲気が抜け切れていない小柄女子と、ガタイのいい二十代半ばの筋肉男。間が持たないだろうし、最初から俺を見てビビっていた彼女が気の毒だ。

 部署のおっさんお兄さんたちは全員そう思って、俺が単身で花見担当となったのは自然の流れというもの。


 まあ、そんなふうに気をつかった後輩ちゃんは、二年目の一月末で退職したけどな。身ごもって寿退社。

 しっかり冬季ボーナスを確保して、新しく付与された有給休暇もぜんぶ使って、一月はほぼ休んで退職した。うちの会社の有給休暇は一月支給です。

 会社の制度をフル活用。事務のベテラン女性は「誰かに入れ知恵されたんじゃない? ってぐらいの手際。すごいわ」と感嘆。


 いいことだよな、うん。晩婚で少子化の世の中にあって、喜ばしいことだ。どうか俺の老後のために人口を増やしてくれたまえ。

 しかし早ぇよ。まだ二十歳だろ。あの子より六歳上の俺なんて、就職してからこっち、浮いた話のひとつもないぞ。

 これは完全なひがみである。



     ※



 伝説をつくった後輩ちゃん以降、うちの部署には新入社員がいなかったのだが、今年ついに配属があった。しかも男。

 これでついに俺も花見担当から卒業できる。毎年恒例の花見場所で、周囲の担当者の顔ぶれが変化していくなか、常連中の常連で『会社の花見における場所取り係の顔役』みたいな存在と化していた俺も、ついに後進に道を譲るときが来たのだ。感慨深いなあ。



 なーんて思っていた時期が俺にもありました。今年もここにいる時点でお察しである。

 べつに新人が一日目でバックレたわけでも、二日目に出社しなかったわけでもない。

 Z世代とやらの新人は「それって仕事じゃなくて、ただの雑用ですよね。なんでそんなことしなくちゃいけないんですか」と発言した。


 それはたしかにそうだ。

 俺に限らず、歴代の花見担当はみんな内心で思っていたことだ。敢えてくちには出さなかっただけ。


 なるほど時代だなあ、こういうこと言えちゃうんだ、すっげー。


 たぶん、みんな内心で拍手したと思う。豪胆な新人だ、この度胸は期待できる、と。

 花見は、新人歓迎も兼ねた新年度スタートの決起集会であることを、上司が説明。

 飲酒を強要されることもないし、俺のような下戸のためにウーロン茶や炭酸飲料も買い込まれる。飲みたいやつは二次会へ行くが、それとて強制ではない。こと飲み会に関しては優しい部署だと思う。

 顔見せ、コミュニケーションの一環。大学のサークルとかでも、新歓コンパあったでしょう?

 みたいなことを言うと、新人は頷く。

 そして言った。


「教えてもらってないのでやり方がわかりません。マニュアルをください」




 たしかにさ、マニュアル化はしてないよ、うん。俺だって前任だった先輩に、会社帰りに事前に現地へ連れていってもらって、口頭で説明されただけだしさ。会社の備品倉庫にあるブルーシートを社用車に積み、送ってもらったあとは座り込みを励行する、ただそれだけ。わざわざ文書化する必要ってある? ってレベルのもんですよ。


 第一、自分で「これ仕事じゃないですよね」って言っておきながらマニュアルを要求するって矛盾してね? 作業基準書って業務に関するものをいうのでは?


 なんてことを思っていると、矛先は俺に向いた。

 ずっと新人枠で花見担当を務めてきた俺。その歴七年。

 俺が入社したころからすると、時代はずいぶんと変わった。昭和のノリは通じない、ハラスメントに抵触しないように、上司のほうが神経を尖らせる時代になった。

 花見担当も口伝で引き継がず、後任のために準備をしておいてやればよかったのかもしれない。


 だからってさ。


「七年もやってたのに、引継資料すら準備してないんですね」ってひどくね?

「だから雑用係をずっとやってるんですね、仕事できないから」って、ひどくね?

 おれはもう三十になったおっさんだから手はあげなかったけどさ、気の短いひとは怒ると思うよ?


 このたび部長に昇進した、俺の元上司である課長に「すまん、ほんとすまん」って頭下げられてさ。「今年も頼んでいいか?」って言われて断れるわけなくね? あのひとには配属してからずっとお世話になったし、現在進行形でもお世話になってるし。

 やりますよ。やればいいんでしょ、やってやるよ!



 ということで、今年もスタンバっている次第。

 新人くんに「無能だから場所取りと称して外に出されてるひと」と判断された俺。

 たしかに初年度は座ってるだけだったけど、二年目からは仕事しながら座ってたよ。モバイルパソコンってべんりだねー。

 ここ数年はリモートで会議に参加もできるわけで、野外で参加してた。ほらー咲いてきてますよー、なーんて背景の桜にカメラを向けるサービス精神にあふれた俺、立派立派。

 今年は『新人くんに言われたから』というわけでもないけれど、現地確認しながらマニュアルの作成にいそしんでいる。写真も撮って貼ってやんよ。完璧な基準書に仕上げてやろうじゃねえか。



     ※



 損な役回りっぽい花見担当だが、俺は意外と嫌いではなかった。そりゃ最初は、なんでずっと俺がやってるんだろうって腐ったりもしたけどさ。

 周囲のひとたちも、ずっとひとりに任せていることに後ろめたさがあるのか、輪番でまわっている部内のレクリエーション担当は免除されている。

 会社主催のレクや会合の幹事も含まれているそれは、参加者を集めたり費用を集金して提出したりと雑務が多い。年に一回のお花見担当でその役を逃れられるんだから、場所取りするほうが楽である。拘束時間が長いため、昼食代・飲み物代として、部署の公金から一定額を支給してくれるし。


 春の陽気にあてられて持参した昼食が傷んではかなわない。

 安全を考慮し、出店しているキッチンカーのひとつを利用するようにしている俺は、今年もそろそろ出陣。あまり早く行っても混んでいるから、頃合いを見計らって出かけることにしていた。


 売り切れてしまう心配はない。毎年のようにやってくる常連な俺を知っているキッチンカーに、取り置きをしてもらっている。

 キッチンカーというと軽食ばかりを取り扱っているイメージだったが、ここの品揃えはちょっと違う。母体となっているのが仕出し弁当の会社だそうで、いわゆる『お弁当』を売っているのである。ガッツリ食べたい俺としては、ここ一択。

 味付けもいい。非常に俺好みであり、さらに店員も可愛い。

 どこもかしこも俺好みなのであった。


 汗を拭き、シャツの皺も手で伸ばして、悪あがきのように身なりを整える。

 よし、行くか。

 香ばしい匂いを放つ屋台を抜けて、目的の場所へ向かう。車体に桜の花びらがペイントされているキッチンカーが見えてきた。意中のお店『デリカ・サクラ』である。




「こんにちは。頼んでいた弁当を受け取りにきました。谷川です」

「いらっしゃいませ。おつかれさまです。用意できてますよ」


 朗らかな笑顔の店員女性が、弁当の入った袋を渡してくれる。そのあと、ペットボトルの緑茶とミネラルウォーターを左右の手に持って問うた。


「どっちがいいですか? サービスでお付けしますよ」

「いや、悪いですよ。ちゃんと買いますって」


 弁当と一緒に飲み物も売っている。表示されている価格は自販機で買うよりも高い。こういった場所における代金設定が高いのはわかっているから持参するようにしているが、今日の陽気で喉が渇き、手持ちの水筒はすでに空になっていた。

 たしかにどこかで買おうかな、とは思っていたけど、だからってタダで貰うのは気が引ける。


「いいんです。今日はいつもよりお客さんが多くて、用意していた弁当がはけちゃって。もう撤収するつもりだったので」

「あ、もしかして俺待ちでした? すみません、連絡先を言っておくべきでしたね」

「お気になさらず。わたしも花見がてらのんびりしてましたし、そちらはお仕事の都合もあるでしょうから」


 毎年大変ですねと微笑みを浮かべられ、テンションがあがる。

 毎年ってことは、去年のことも憶えてるってことでいいっすか。いいっすよね。

 フヒッとあやしい笑いが出そうになって、なんとか引っ込める。かわりに「ではお茶をいただきます」と言って受け取った。


「さっき、いろんなところを写真に撮ってましたよね。社内報みたいなやつで使ったりするんですか?」

「社内報とかよく知ってますね」

「同じようなことをしている方がいて、この店も写真に撮っていいかって聞かれたんですよ。宣伝になりますよって」

「ああ、なるほど」

「出店計画はその年によって変わるので、せっかく来たのに居ないじゃないかーって、トラブルになる可能性もありまして。一般企業さんにはご遠慮いただいているんです。撮影許可はタウン情報誌までですね」


 規模の大きな会社だと、何百人というひとの目にさらされる。クレーマー気質のやつもいることだろう。


「俺が写真を撮ってたのは、マニュアル作成のためなんですよ」

「公園整備かなにかをされてるんですか?」


 まあ、そうなるよな。


「お恥ずかしい話なんですが、じつはですね」


 新入社員にマニュアルが存在していないことを指摘され、ごもっともだなあと思ったので、作ってみることにしたのだと説明する。

 店員は頷いて「最近の若い子って、そういうのありますよね」とこぼした。

 妙に実感のこもった呟きだったので話を向けてみると、仕出し弁当の会社でも似たような新人がいるらしい。

 学生アルバイトなのだが、なにかをやってもらおうとするたびに「聞いてない」「教わってない」の一点張り。煮物をつくっている鍋を見ていてと言えば、本当に『見ているだけ』で、戻ってみたら焦げ付いていたのだとか。


「危なっかしくて、フライヤーの担当はさせられないねって話になりました。黒焦げになったら廃棄だし、なんだったら油ごと全交換です。同じときに入ったべつの女の子は器用で、手際がいいんですよね。ためしに賄い用のナゲットを揚げてもらったら問題なさそうだったので実践レベルに持っていこうとしたら、『ずるい』って。一緒に入ったのに差別だって社長に直談判。そういう度胸だけはあるんですね。ビックリしちゃった」


 腹に据えかねていたらしく早口でまくしたて、我に返ったか顔を赤くした。

 はい可愛い。

 怒ってる顔も照れてる顔も、どっちもめちゃ可愛い。


「若い子って、店員さんも俺からすれば若いですよ」

「ところがもうすぐ三十なんですよね。気持ちは全然変わってないんですが、肉体年齢だけは嵩んでいく」

「マジっすか。俺も先日三十歳になりました」


 細くて白い手には指輪がないし、未婚の二十代前半ぐらいだと思いこんでいた。

 勝機! とかは考えてないぞ。別の場所で出店しているのを見かけても、個人的に話すわけでもないし、唯一会話があるこの公園出店は年に一回。そんな相手にヤバげな思考は持たない。ちょびっと親近感が湧いたぐらい。

 うん、それだけ。ウキウキなんてしてないから。


「あ、すみません、長々とお引き止めしちゃって」

「いいですよ。どうせ座ってるだけなんで」

「そんなことないと思います。座っていらっしゃるの、治安維持に役立ってますよ。見張り役みたいになってて」

「へ? 俺が?」

「わたしが出店して六年ぐらいになりますけど、最初の年は様子見だったんです。女性ひとりでやると絡んでくる輩がいるかもしれないから、ヤバそうなら来年からやめようって話で。でも、大学生ぐらいの男の子たちが女性だけのグループに絡んでるところを、谷川さんが諫めてるところを見たんです」


 そんなことがあっただろうか?

 花見担当を始めたばかりのころは、たしかにもっと治安悪かった気もする。だから、後輩ちゃんを単独で行かせるのはやめようって判断になったんだし。


「相手を威圧するんじゃなくて、やわらかーく声をかけて引き離して。近くで屋台を出していた方が、あの兄ちゃん手馴れてるなあって褒めてました」

「テキ屋のバイトやってたことあるんですよ。あー、なんか思い出したかも。屋台のおっちゃんが、褒美だっていってたこ焼きくれて、他の屋台のひともいろいろくれて。そうだ、ここのキッチンカーを知ったのもあんときだ」

「お渡ししたのはうちの社長です。詰めろって言われてパックに入れたやつ、持っていってました」

「屋台は粉もんばっかりだったから、おにぎりがすっげー旨くて。あと玉子焼きが最高だったんだけど、お弁当には入ってないですよね」


 あの味に惚れて、もういちど食べたいと思って、ショップカードを保管しておいたのだ。翌年の花見で遭遇し、以降ずっと買っているが、出会っていない幻の味。


「じつはあれ、正式なおかずじゃないんです。ちょっと半熟気味だったと思うんですが、完全に火が入っていないものは野外販売には向かないから、個人的につくったもの。わたしなりの御礼というか。でも、そっかー。あれがきっかけで毎年来てくださるようになったとか、うれしいなあ」


 俺の言葉に、彼女は笑み崩れた。

 最高。その顔、最高。

 いままで見たなかで一番の笑顔です。こころのシャッターを押しました。俺の脳内フォルダに保管しました。盗撮じゃないから許してほしい。


「マニュアルをつくるってことは、もしかしてお役目を引退されるかんじですか?」

「新人が入りましたからね。慣例としては後輩へ引き継ぐんですが、一筋縄ではいかなさそうで」


 無理強いしたら「じゃあ、辞めます」とか言って退職しかねない。あの新人は、それぐらいのポテンシャルを秘めている。


 高年齢化が進みつつある我が部署。若者を入れて世代交代をしていかなければならない時期にきていた。その第一号が今年の彼で、居ついてもらわないと困るのだが、奴にとっての地雷はそこかしこにありそうで怖い。


「ひとまず基準化して、上司に相談ですね。引き継ぐとしても、来年は一緒にやるとか、そういう流れになるんじゃないかと」

「なら今日で最後ってことにはならないですよね。よかったあ」


 ものすごく嬉しそうに言われて、俺のこころは春の嵐に見舞われてます。

 脈ありとかうぬぼれちゃっていいですか。

 いやでも、自分で言うのもあれだけど、俺の見た目はクマだ。後輩ちゃんが怯え、隣に立つと三歩離れたぐらいには威圧感がある。

 紅一点である事務の(あね)さんは「谷川くんは森のクマさんだよね。イヤリングを拾ってあげる、優しいクマさん」と言っていた。みんな納得してたけど、それ褒めてます?


 勝負のかけどころを間違えてはいけない。

 玉砕したところで、この逢瀬は年に一回。次から別の弁当屋を探せばいいだけの話。

 俺は名刺を出して、余白に携帯番号を書き込む。そして彼女に差し出した。


「谷川春樹(はるき)と言います。年に一回しか顔を見ないようなやつに好かれてドン引きかもしれませんが、あなたに会うのが毎年の楽しみです。できましたら、お会いする頻度をあげたいと考えております。ご検討よろしくお願いいたします」


 一気に言って、背を向けて足早に歩く。森のクマはすたこらさっさと逃げるのみ。

 ところが後ろから足音が聞こえてきた。

 振り返ると、お嬢さんがあとから付いてくる。


「あの、待ってください。えっと、その、動揺してて。図々しく話しかけて、いっぱいお話できたと思ったらいきなりこんなことになって、わたし白昼夢でも見てます? 春の夢は短く儚いものだし」

「ただ春の夜の夢の如し、ですね。俺としては、長く続けていきたいところなんですが」

「わたしも、です」


 キッチンカーはその構造上、受付カウンターが高い場所にある。

 だから俺は、はじめて本当の彼女と相対した。俺の胸元ぐらいまでしかない背丈で、気恥ずかしそうにこちらを見上げてくる姿にグッとくる。


 おい、また可愛い顔を更新したぞ。どうしよう、こころのフォルダ容量足りるかな。


 彼女が白い紙を差し出した。ショップカードではなく、会社の名刺だ。



 仕出しのヤマヤ 山谷桜



 来客があったときなどに利用している、付近ではわりと知られたお店である。小ロットで融通が効くところも重宝している理由のひとつ。


「ヤマヤの社員さんだったんですね、やまたにさん」

「やまたにって書いて、やまやと読むんです。だいたい間違われます」

「谷ってたしかに『や』って読みますね。失礼しました。やまや――、え、やまや?」

「実家に就職した世間知らずですみません」


 お嬢さんは、お嬢さまだった。社長令嬢ってやつ? ん? ってことは。


「あの、じゃあ俺におかず詰め合わせをくれた社長さんというのは」

「父です。谷川さんみたいなひとがいるなら、あの公園で出店しても安心だなって」


 社長ーーっ。


「今年もあのひと買いに来てくれたよって、いつも報告してるんです。父もニコニコ聞いてます」


 お嬢さーーん!



 知らないあいだに、外のお堀は埋まっていた。

 お花見が終わった翌日、俺は有給休暇をもぎとって公園へ赴き、ついに念願の『玉子焼きが入った手作り弁当』を食べ、様子を見に来たお父さん――もとい社長さんにご挨拶した。



 お花見担当を七年勤めあげたら、可愛い彼女ができました。

 雑用係も悪くない。





エブリスタの超妄想コンテスト第218回「お花見」に参加。

季節ネタなので、結果を待たずに投稿しておきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うわぁ~(*´艸`*)ほっこりしました♡ Z世代の新入社員くんには苦笑いですが(;´∀`) 彼がいなかったら二人がまとまらなかったかもしれないと思うと複雑です(笑) 酔っ払いを穏やかに…
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