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恋初め

初出:エブリスタ


「おめでとうございます!」


 カランカランと大きなベルを鳴らしながら言われて、寿ことぶき叶恵かなえは固まった。


 新年を迎え、初売りで賑わう近所の『あけぼの商店街』における、空クジなしの福引き。八角形のガラポンを回して出てきた玉は赤だった。

 狙っていた景品は黄色玉だったこともあり、希望商品以外の色については気にとめていなかったため、戸惑いが大きい。

 さてはて、自分はいったい何を当てたのだろうと視線を景品一覧へ向けたとき、赤いハッピを着たおじさんが大声を張りあげる。


「大当たり~。特賞! 温泉宿ペア宿泊券!」


(お米が欲しかったのに、どうしてこうなった!)


 新潟県産こしひかり10キロと書かれたそのうえに燦然と輝く、ペア宿泊券の箇所に花が付けられるのを眺めながら、叶恵は胸中で嘆いた。



     *



 賞典と書かれたのし袋を両手で渡され、思わずこちらも両手で受け取る。周囲の客から拍手が上がり、叶恵はヘラリと笑みを浮かべた。

 ペコペコ頭を下げながら人垣から抜け出して、錆ついたシャッターが降りた店の前で立ち止まる。隠れるように端へ寄って、どっと息を吐いた。


 新年早々、めでたいといえば、めでたいと思う。

 二十年生きてきて、こんな大きなクジに当たったのは初めてだ。


 温泉宿といっても、地域活性化を掲げた地元商店街の催し。隣市にある観光スポット近くの宿であり、言ってはなんだが、さほど高級旅館というわけでもない。

 とはいえ、バイト生活の大学生にとっては十分すぎるほどに豪華だし、少し前なら喜んでいたと思う。

 しかし、クリスマス前に彼氏と別れた女子にとって、ペア宿泊券など嫌味でしかないだろう。


 誰かにあげようにも、宿泊券だ。友達にジュースを奢ってあげるのとはわけがちがう。気軽に渡せるものではない。具体的な宿泊料金は知らないけれど二人部屋だ。素泊まりのビジネスホテルとは異なり万単位は確実だろう。おまけに観光地にある温泉宿である。

 家族と行くという選択肢は使えない。進学のため越県している叶恵の実家は、電車とバスを乗り継いで四時間かかる場所にあるからだ。


 貰った袋を睨んでいると、「あ、居た」という声とともに、誰かが前に立った。

 ちらりとやった視線の先には、ジーンズとショートブーツを履いた大きな足。声の調子からしても、若い男か。

 これはもしや、いいカモだと思われて、取り上げられるパターンでは?


 冷汗が垂れる。

 一歩うしろに足を引いたが、逃げ場所がない。寂れた店先にみずから逃げ込んでいることに気づき、己のうっかりさを呪う。



「さっき福引きで特賞当てたよな」

「は、はひ?」

「それ。中はまだ開けてない?」

「だったら、なんですかっ」

「べつに取って食いやしないよ。説明聞かずに行っちゃったのは、そっち」


 そこでようやく相手の顔に目を向けると、黒縁の眼鏡をかけた同世代の男が立っていた。

 黒いセーターの上に、あの赤いハッピを羽織っていて、運営側に携わっていた人物なのだろうと頷ける姿をしている。


「説明しようと思ったら、さっさと行くし、待てって言っても聞いてねーし。仕方ないから、俺が追いかけてきた」

「すみませんでした」


 おずおずと頭を下げると、呆れたような息をついて、「場所、移さない?」と言った。

 たしかに道端で立ったままする話でもないだろう。


 選択したのは、歩いて数分のところにあるスーパー。休憩用のスペースがあり、自販機も完備されている。互いに飲み物を購入し、壁際の席へ座る。


「俺、こういうの当たってる現場、初めて見た」

「私も初めてですよ、こんな豪華なの当たったの」

「の割には嬉しそうじゃないよな」

「嬉しくないわけじゃないですよ」

 ただ、一緒に行く相手に悩んでいるだけで。


 だってこれはかなりの難題だ。大学に入って出来た友人は、地元の子、叶恵と同じく県外の子が入り混じる四人組。この中で一人だけを誘うというのは、人間関係にヒビが入りそう。

 バイト先の喫茶店は、店長夫婦以外に女性もいるにはいるが、二十代半ばの新婚さんである。気軽に誘える相手ではない。



「それで使い方だけど、電話でもネット予約でもOK。そのときに、あけぼの商店街の福引って申告な。ネット予約の場合は、備考欄に入れておいてくれたらいいらしい。で、宿泊するときに、その中に入ってるクーポン券を持っていって、向こうに渡す」

「はい」

「使用期限があるから、半年間のうちに使って。でも、ゴールデンウイークは対象外」


 半年先なら五月の大型連休が――などと考えたときに、先手を打たれた。商売ってシビア。


「それから、これ誤解されがちだから忘れないでほしいんだけど、タダなのはあくまで宿泊料金。めし代は含まれてないから、夕食朝食は自腹な」

「え?」

「毎年いるらしい。タダだって聞いてたのに詐欺だって文句言ってくる奴。だから悪いけど、これ書いて」


 そう言って男は、持っていた茶封筒から一枚の紙を取り出した。そこにはさっき説明されたことが箇条書きで記されており、氏名を書く欄が設けられている。

 ご丁寧なことにボールペンも持参していたようで、芯を出した状態で机に置かれた。試し書き用か、チラシを切って作ったメモも出てくる。


 誰かを誘うにしろ譲渡するにしろ、ハードルが上がった気がする。

 これはタダ券であってタダ券ではない。

 温泉宿に行って、コンビニやファストフードで買って持ちこんで食べるなんて、情緒がなさすぎるだろう。

 つまり、必然的に飲食代はかかるわけで、こういう宿のご飯だ。そこそこのお値段はするだろう。


 難しい顔をする叶恵が渋っていると思ったのか、相手の男は溜息を落とした。


「そこまで考えなくてもよくね? まあ、たしかに飯代は別って聞けば、いくらかなって思うだろうけど」

「仕送りとバイト代でやりくりしているので、わりと切実です。やっぱりお米のほうがよかった」


 ついぼやいてしまうと、相手は噴き出した。


「米って10キロだろ。一人暮らしの学生がそんなに貰ってどーすんだよ」

「まとめて炊いて冷凍しておくという手もありますし、おにぎり作って昼食代を節約できるし。あー、でももうひとつ狙ってたんですよね、肉屋のクーポン券」


 商店街には昔ながらの個人商店も多く軒を連ねている。それらの店にはスーパーとは違った良さがあるのだろうが、叶恵のような大学生の利用頻度は少ない。出来合いの総菜が多いスーパーに軍配が上がってしまう。

 そんななか、肉屋の揚げたてコロッケは心惹かれる一品なのだ。店の前を通るたびにお腹が空く匂いを発している。

 ひとつ130円。普段、スーパーでふたつ入り100円のものを買う叶恵にとって、滅多に食べない贅沢品。

 魅惑のコロッケ券、十枚つづりである。


 そのうえ、上位種ともいえるメンチカツ券が三枚ついてくるのだ。小籠包かと思うほど溢れる肉汁のメンチカツの破壊力は凄まじい。値段もお高く180円。そうそう買えたものではない。



「それはどうも御贔屓に」


 商店街の男に頭を下げられ、叶恵もいえいえと頭を下げる。


「寿さん、いつもガン見してるもんな、コロッケ」

「なぜ、それを。って、なんで名前?」

「気づいてなかったのかよ」

「何をでしょうかっ」

「俺、みついミートの従業員なんだけど」

「みついさんの?」


 件の肉屋の従業員だと告白され、だからかと納得しつつ、それでも名前を把握されている理由にはならない。机上の書類にはまだ名前を書いていないのだ。どこで知ったというのか。


(まさかストーカー? 調べられた?)


「いや、してねーよ。彼氏と別れて恋愛からは遠ざかったんじゃなかったのかよ」

「心を読んだ!? いや、別れたとか、え、なに、なんなのあんた」


 カバンを手繰り寄せ、ダッシュで逃げる算段を始めた叶恵に、肉屋の男はくしゃくしゃと髪を掻きまわして呻いている。


「妙によそよそしいと思ってたら、しょっちゅう顔合わせてる俺のことわかんねーとか、マジかよ」

「知らないし、誰よ」

「言ったろ、みついミートって。納品に行ったとき、何度も対応してくれただろ」

「納品?」

「喫茶みつすみ。店長は姉貴の旦那。あの店で使ってるカツサンドのカツは、うちの商品」


 バイト先の名を言われて思い出したのは、みついミートと書かれた臙脂えんじ色のエプロンと、同色のキャップを目深にかぶった男の姿。愛想らしい愛想もなく、淡々と荷を運んでくる男子だなという印象だった人物が、目前の男と一致するかといえば微妙だった。


 ただ、そういえば店長の奥さんはやけに親しそうに声をかけていた。もっとも彼女は誰にでも朗らかなので、配達人だけが特別といったふうでもなかったけれど。


 とりあえず名前を知られていることについては納得した。受領伝票には名前を書くから、知られていても不思議じゃない。



奈津なつさんが、話したんですか?」

「姉貴がなんだって?」

「だから、その、わ、別れた、とか、そういうの」


 もごもごと呟くと、相手はどこかばつの悪そうな顔になって、視線を外す。


「彼氏ってさ、松下まつした広樹ひろきだろ? 高校の先輩なんだよ。当時から女癖が悪いって有名で、裏では数人同時進行とか当たり前でさ。評判悪いわりに女を切らしたことがない。相手を見極めるのがうまいんだろうな」


 元彼の悪行を聞かされながら、出会いを思い出す。

 松下広樹はふたつ上の先輩だ。大学生活も二年目になり、ようやくいろんなことに慣れてきたかなという六月に出会った。


 友人らとは違う講義を取っていて、そこには知り合いがいなかったので、端っこに座って講義を聞く日々を送っていたところ、優しく声をかけてくれたのが彼だ。

 講義のマメ知識や単位の取り方などを教えてくれて、連絡先を交換して、そのうち食事に誘われるようになって、共に過ごす時間が増えていった。

 出会った当初は未成年だった叶恵は、二十歳になる七月の誕生日にドレスコードのあるレストランで食事をして、初めてアルコールを飲んだ。酔い覚ましに川縁を歩き、そこがファーストキスの場所。


 キス以上の進展がないまま過ごし、クリスマスがそうなるのか、でもやっぱりちょっと怖いなあ。

 なんてことを思いながら、公園で予定を話していた十一月の頭。ホテルの宿泊に躊躇した叶恵を見て、それまでずっと優しい態度を取っていた松下が、顔を歪ませた。


 少しの違和感。

 でもきっと見間違いだと自分に言い聞かせてその場は別れ、ハンドタオルを落としたことに気づいた叶恵が戻ったとき、その会話を聞いてしまった。

 スマホで誰かと電話をしているらしい松下の声が、叶恵の耳に届く。



 この期に及んで、泊まりはちょっと、とか言いやがってよ。こっちはどんだけ我慢したと思ってんだか。

 ああ? 当然だろ。女に不自由してねえよ。でも、それとこれとは別だろ。ああいうのを相手にすんのがいいんだし、いかに落とすかが大事って、おまえも言ってんじゃん。

 まあ、部屋だけは抑えておいて、じわじわ攻めるって。任せとけ、あのテの女を何人も喰ってきた俺に不可能はねえ。



 電話を切った松下と目が合い、こちらが聞いていたであろうことを察すると、態度が豹変。



 おまえみたいに冴えない女が男と付き合えたんだ、俺に感謝してもいいぐらいだろ。もったいぶるほどの身体してねーくせに、恥ずかしがってもちっとも可愛くねえ。ブス。

 もういいよ、別の女誘うし、どうせ抱くならそっちがいい。

 あ、言いふらそうとしても無駄。大学では、おまえが俺につきまとってるストーカー扱いだから、痛い女扱いされるだけだぞ。




 一方的にまくしたてられ、そのくせ去り際に、「関係続けたいなら連絡ちょーだい。おまえはどうせ誰にも相手にされないだろうしな」とねっとりと言われ呆然。


 とりあえず自分はフラれて、でも奴からすれば、叶恵にフラれたことにするらしい。

 まったく意味がわからなかった。


 そういえば大学内でイチャついたことはなく、恋人っぽい振る舞いはいつもデートだけだった。

 それは、初彼氏に戸惑う叶恵に合わせてくれているのだと思っていたが実はそうではなく、学内では「同じ講義に出ている後輩を無下にできない優しい先輩」に見えるように仕向けていたのだと気づく。


 思えば、松下から「好き」という言葉をかけられたことはなかったかもしれない。

 惚れているのは、あくまで叶恵のほう。

 言質を取られないように、巧妙に誘導されていたような気もする。



 友人たちは怒ってくれた。けれど相手がふたつ上の先輩ということもあって、女子だけで乗り込んでいくのは難しかった。男を相手に啖呵をきれる強気な性格の子はいなかったこともあり泣き寝入り。身体の関係に至っていなかったことは幸いかもしれない。


(だって、なんか、裸の写真とか撮って脅されたりとか、そういうのあったらヤだし)


 それでも、松下の言葉は大きな傷となって叶恵に残っていて、「どうせ誰にも相手にされない」はエコー付きで常に反響している。

 別れたその日はバイトが入っていて、とんでもなくひどい顔をしていたらしい叶恵は、店長夫人である墨田すみだ奈津なつに心配され、洗いざらい暴露する羽目になってしまったので、破局事件は皆に知られているところだ。



「松下先輩、あんたみたいな、いかにも男慣れしてなさそうなのを相手にするの好きなんだよ。初物好きって言われてて」

「はつもの?」


 年が明けて最初に水揚げされるマグロの競売が頭に浮かぶ。


「……私はマグロじゃない」

「初めてならそんなもんじゃねえの? あ、いや、俺もよく知らねーけど!」



 慌てたように言葉を付け加える男に、叶恵も言う。

「マグロ、あんまり好きじゃないから私も食べないんですけど」

「は?」

「え?」


 問われて、問い返す。

 マグロが苦手でどこが悪い。日本人がみんな大トロが好きとか思うなよ。


寿ことぶきって名前のせいか、寿司好きだといじられますけど、たしかに嫌いじゃないですけど、赤身は苦手なんです」

「……あー、うん、わかった。俺が悪かった。忘れて」


 何が『わかった』のかはわからないけれど、叶恵は頬を膨らませたまま、ふんと息を吐く。初対面の男に失礼な態度を取られて、これは怒ってもいい案件のはず。

 いや、正確には初対面ではなかった。名前も知られている相手だった。

 そういえば、こちらは相手の名を知らない。


「あの、みついミートさん」

「なんで店の名前なんだよ。そこは三井みついでいいだろ」

「あ、みついって苗字だったんだ」

「知らねーのかよ。姉貴と一緒にいるくせに」

「奈津さんは墨田だもん。旧姓なんて知らない」

「――まあ、たしかに」


 頷く姿を見ながら、叶恵は冷めつつあるココアを飲む。ミルクと砂糖がたっぷりなのか、咥内が甘みで満たされた。バイト先の喫茶店で飲むココアはこんな甘くない。甘いことは甘いけれど、あとに引かない甘さなのだ。

 いったん置いて、今度はボールペンを手に取る。さっさと名前を書いてしまおう。



 寿叶恵


 なんとも、おめでたい字面である。苗字が寿なうえ、叶って恵まれるときたもんだ。

 我が親ながら盛りすぎじゃなかろうかと、叶恵は人生何度目かの疑問をくちに乗せる。


「いいんじゃない? それも親の愛だろ」

「名前も思考回路もおめでたいなって、よくバカにされましたけどね」

「そういうことを平気で声に出すほうがバカなんだよ。俺なんて、秋に生まれたからアキオだぞ」


 そう言って、男は机上のボールペンを取り上げると、傍らのメモ用紙に文字を書き始める。


 三井秋生


 意外と丁寧な字が並び、それが彼の名前なのだとわかった。



「そういえば、奈津さんは八月一日生まれだっけ。だからナツだったり?」


 叶恵の誕生日が七月末日ということもあって、バイト先で一緒にお祝いをしてくれた。本当に良いバイト先に恵まれたと思っている。

 大学に入学して数ヶ月後に見つけたバイトだったが、二年目も祝ってもらっていて、なにか恩返しができないものかと思う日々だ。


「あ、そっか。恩返しになるかな」

「なにが」

「これ、宿泊券。店長たちにはずっとお世話になってるから。でもお店をやってると難しいかな」

「そんなことねーんじゃねーの? 年中無休を謳ってる店じゃねーし」

「じゃあ、次のバイトのときに奈津さんに――」

「あれ、秋? やだ、女の子と一緒にいる」


 背後から響いた声に、目前の秋生あきおがあきらかに動揺した。人間こんなに顔に出るのかと言わんばかりの狼狽ぶりに、叶恵はポカンとする。


「こんにちは、こいつの姉の――え、叶恵ちゃん? うそ、ほんとに?」

「あけましておめでとうございます、奈津さん」


 ついさっきまで話題にしていた相手がやってきて、内心で驚きつつも叶恵は頭を下げる。新年の挨拶も早々に、奈津は弟である秋生に詰め寄った。


「ちょっと、いつのまにデートに誘ったの」

「誘ってねえ!」

「じゃあ、告白ほやほや? 叶恵ちゃーん、こんな弟だけどよろしくね。カッコつけてるくせに、ご覧のとおり超ヘタレでさ。叶恵ちゃんに彼氏ができて相当へこんでたけど、手ひどくフラれたって知って、でもそこにつけこむのは男としてどーのって煮え切らなくて。なにが男として、よね。一年以上片想いこじらせてるくせに、いまさらなに言ってんのって話でさあ」


 ペラペラと朗らかに続ける姉に対して、弟のほうは頭を抱えて突っ伏している。ちらりと覗く耳が赤いのは、寒さのせいではないだろう。


「奈津、そのへんにしとけ。秋くんが死んじゃう」

「……もう死んでる」


 正月用の紅白袋を持ってやってきたのは、奈津の夫にして叶恵の雇い主であり、秋生の義兄。

 彼の登場により奈津のテンションが下がり、やっと普通に会話ができる空気になった。

 もうこの流れで聞いてしまおうと叶恵は賞典袋を見せて、「店長。温泉旅行、興味ありますか?」と問いかけた。


 特賞だったこと。

 福引に使った引換券は喫茶店の買い出しで集まったものでもあり、自由に使っていいとは言われたけれど、こんな豪華なものが当たってしまっては気が引ける。

 そして、そもそも誘う相手に苦慮していることを付け加え、掲げるように進呈する。


「秋と行けばいいのに」

「それはちょっとハードルが高いし、秋くんの神経が持たない」

「いいからもう帰れ」


 突っ伏したままの男が唸り、義理の兄はすべてを心得たとばかりに肩を叩くと、妻を連れて去っていく。嵐のような夫婦を見送って、叶恵は未だ顔を上げない秋生に声をかけた。


「すみません、なんか誤解されちゃったみたいで」

「寿さんが謝ることない。むしろ俺が謝らないといけない」

「大丈夫、奈津さんには誤解だって言っておくから! たしかに私は恋愛とか疎くて、松下さんのことも、そもそも私が勘違いしちゃったのが悪いんだし、好きとか言われたわけでもないのに彼女とかそんなわけないのに、ほんとバカで、これだからおめでたい思考しているって言われちゃう――」

「好きだから! 俺は、寿叶恵って子が好きだから、姉貴の誤解じゃないから!」


 好きって、なにを? と、反射的に言いそうになって。しかし顔を赤くしてまっすぐこちらを見つめる秋生に、くちをつぐんだ。

 じわじわと熱くなってくる。おかしい。ここ、こんなに空調効いてたっけ?


 秋生はメモ用紙を取って何かを書きつけ、一枚取って叶恵の前に置くと、立ち上がった。


「これ俺の番号。俺はバイト始めたころから寿さんのこと見てたから、ずっと好きだったから。その、まずは友達でいいので、嫌じゃなかったら連絡欲しい。あと、店に来てくれたらコロッケぐらいいつでも奢るから」


 早口で告げると秋生は立ち去り、叶恵はまだぼんやりとしながら残っているココアを飲む。甘い。



 好きだから。



 衝撃の言葉はしばらく脳から離れそうにない。

 元彼の発言があっさり消え去ってしまった自分は、お手軽すぎるのでは。

 告白というのは、もっとロマンチックなものだと思っていたけれど、あんな唐突にやってくるものなのか。


(唐突じゃないか。ずっとって言ってた……)


 紅潮する頬を抑える叶恵に、店内放送が朗らかに新春を告げた。



 おめでとうございます。

 良き一年の始まりとなりますように。





妄想コンテスト第165回「おめでとう」に参加。


あの子、説明聞かずに行っちゃったよ。

となったとき、「俺、あの子知ってるから行ってくる」と立候補。


新年早々に会えるとか超ツイてる!

とか思って、平然としつつ内心はドッキドキだった秋生くんですが、顔を覚えられてないとわかって凹む。

それでも好きな子とやっと業務以外の会話ができて喜んでいたら、姉登場。

全部暴露されて撃沈。

やけっぱちになって逃げるように告白。


三井秋生くんの明日に幸あれ!(笑)



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― 新着の感想 ―
[一言] >初物好き  この一連のくだりは笑いました(^^)  でも、「初物」でマグロは、普通思いつかないと思ふ。  ん~、旅行は誰と誰が行くのかしらね~?(^^)
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