初恋の殺し方
初出:エブリスタ
怒涛の十連勤を終えて、クタクタの身体を引きずって帰宅。翌朝の目覚まし時計をスルーして眠り、今日の休みは寝て過ごすぞ! と決めた私を無情に叩き起こしたのは、宅配便のチャイム連打である。
明るい笑顔のお兄さんから荷を受け取り、ノロノロとリビングに戻る。送り主は実家の母。
たしかに「荷物送ったから」とは言ってたけど、よりにもよって、なんだって今日なんだか。
ついでに電話口で聞いた親戚関係のネタを思い出して、ますます気が滅入る。
実家から届いたダンボール箱には、いつものように食料品が詰まっていて、薄給よろしい二十代半ばのひとり暮らし女子にはありがたい反面、いかに消費するか頭を悩ませることも多々ある。料理のレパートリーは少ない。
私が得意なのは、ちょっとずつ余ってしまったものを混ぜた炒め物。決して他人には振る舞えない、自分で食べるぶんには問題のない料理である。
今回の物資も、大半はそういった「名もなき料理」として消費されることは必須。
忸怩たる思いを抱えながら中身を確認していると、荷と荷の隙間を埋めるように、食品以外の物を発見した。
緩衝材として実家の地方新聞が登場することはよくあるけれど、これはそうではない。薄いグレーのなにかを手に取りあげて、私は眉をひそめた。
「……ぬいぐるみ?」
白だったものが汚れたわけではない短い灰色の毛足は、ふんわりとした手触りを伝えてくる。体長三十センチほどのうさぎのぬいぐるみだ。
なんだってまたこんなものが?
見覚えはある。
あれはたしか幼稚園のころ。家族旅行で訪れた動物園、おみやげを売っている店に大量に陳列されていたぬいぐるみたち。
同じぐらいの年齢の子どもや大人の女性たちが、あれやこれやと群がるなか、幼児の私が選んだのはうさぎだった。
みーちゃん、これがいい!
お手頃サイズのうさぎを指差した我が子を見て、親はひそかに安堵したのではないだろうか。
なにしろ周囲の子どもたちは、自身と同サイズの巨大ぬいぐるみを抱えて得意げにしているものだから、戦々恐々としていたにちがいない。だってほら、ああいうのって平気で万単位するじゃない。
そんなかんじで私は、うさぎの群れを吟味して、一体のぬいぐるみを選び取った。
量産型ぬいぐるみとはいえ、印象には差異がある。目鼻の位置は変わらないはずだけど、不特定多数の人間たちが触ることにより、微妙な凹凸が発生するせいだろう。縫製の甘さもあるかもしれないけど、それは幼子の範疇外。
そうして得たぬいぐるみに、これまたありがちなことに名前をつけて、私は彼とともに数年を過ごした。
うさぎの名前は、イータ。
「お母さんってば、どこから発掘してきたんだかなあ」
苦笑とともに、ぬいぐるみを眺める。
保管状態は悪くない。お母さんのことだから、ナイロン袋かなにかに入れて置いていたのもしれない。
埃を被ることもなく、毛はふんわりとした心地のままだ。やたら手触りのいいワインレッドの布地で作られたベストを着ているのは、たしか祖母の手によるもの。とても凝った作りになっていて、裏地まできちんとついている。こちらは黒色で、リバーシブルで楽しめる服。
「……あー、なんか思い出してきた。これ、仕事をするときは黒いほうを着る設定だったっけ」
軽く伏せられた耳の裏側をぺろりと確認すると、そこには黒い糸で補修の跡がある。目立たない色の糸を買ってこようとしたお母さんを止めて、私は黒い傷跡を望んだ。
いいの。イータは殺し屋だから!
なんだよ、殺し屋って。我ながら殺伐としすぎだろ、当時の私。
いや、うん。なんかね、従兄が中二病まっさかりでさ、「鎮まれ、俺の左手」とか、「目が疼く」とか、そういう痛々しいことを発言していて、それを素直に聞いてくれるのが幼児の私だけだったもんだから、一緒にイータの設定を考えてくれたんだよね。
お母さんはお母さんで仕事をしていたこともあって、なんだかんだと我が子の面倒をみてくれる甥に甘えていたところがあるし、私も従兄を「邦兄ちゃん」と呼んで慕っていた。
八歳上の邦巳くんは、数年も経つと中二病を脱して過去を封印したけれど、高校生になっても小学生の私の勉強を見てくれたし、大学進学でひとり暮らしを始めても、時折我が家に顔を出してご飯を食べていた。
大学の位置が、実家より私の家のほうが近かったこともあるんだろうけど、変わらず近い距離でいられることは、ひそかに嬉しかった。
たぶん、そのころはまだ、イータを見えるところに飾っていた。
イータは、私と邦兄を繋ぐものだったし、親しさの象徴のようなものだったから。誰にも言わない――言えないひそかな秘密を、イータにだけは話していた。ぬいぐるみと会話をするだなんて、私も十分に痛い中二病だった。
ぬいぐるみに話しかける行為は、年齢的なこともあるかもしれないけれど、女子の言動としては、そうそうおかしなものではないと思うのだけれど、私の場合はいかんせん幻聴まで伴っていたのだから、やっぱり中二病だと思う。
私はイータと「会話」していたのだ。私の脳内ボイスではあるけれど、少年ボイスのイータは、よき理解者だった。
私がその中二病を脱したのは、邦兄にお見合い話が浮かび上がったとき。
浮いた話のひとつもない息子に業を煮やして、伯母さんが計画したとか。
伯父さんの会社関係で、なかなかいいとこの娘さんらしいぞ、なーんて話を夕食の場で父親が語るの聞いた私は、目の前がまっくらになるというのは決して嘘や誇張ではないと知ったのである。
恋に恋をしているようなものだったとはいえ、私は邦巳くんのことが好きだったのだ。
お母さんあたりは察していたのではないかと思うけど、お父さんはそんなこと想像もしていなかったにちがいない。だからこそ、「大好きなお兄ちゃんの慶事」を報告したし、それで私も喜ぶと思っていたのだから。
長い初恋と決別すべく、私はイータを封印した。
「……どこに仕舞ったかすら覚えてないんだから、わりと薄情かも。すまんねイータ」
短い手をにぎにぎ動かしながらイータに告げると、プラスチック製の黒目が輝いた。
窓から射す陽光の加減だろうか。まるで生きているような光の反射に驚いたとき、私の脳内に声が響いた。
「ふん、自己完結が得意なおまえのことだ。都合の悪いことはすべて忘れてしまっても無理はないさ」
「…………え」
なに、この低音ボイス。
渋いおっさんの声。歴戦の勇姿のような声。
「なにを呆けている、美衣子」
「どういうこと、私、疲れてるのかな」
「ふん、眠りを望むのならば、俺がそれを叶えてやろう。ゆっくりと休むがいい。……永遠にな」
「そ、その台詞はっ!」
中二病まっさかりだった邦兄が考えた、渾身の、それでいてとても痛々しい台詞ではないか。
「まさか、ほんとにイータが喋ってるの? でもそれにしては声が渋すぎるのでは?」
「おまえが勝手に、俺の声を好きなように変換していただけのこと。俺は生を受けたときから、この声だ」
「なんという赤子。いや、ぬいぐるみだけど」
疲れすぎて、私はちょっとハイになっているのかもしれない。
寝たいのに、イータのせいで妙に目が冴えてしまった。眠いのに、眠くない、みたいな?
正直、よくわからない。
夢かもしれない。
だって、ラブリーなうさぎのぬいるぐみが、渋いおっさんの声で喋ってるんだよ。ありえないでしょ。視覚との差が激しすぎて、脳がバグる。
私は、荷物の中に入っていたレトルト食品を湯煎にかけ、冷蔵庫からチューハイを取り出した。
「昼間から酒か」
「いいじゃん、お酒の勢いで愚痴ぐらい言わせてよイータ」
「まったく、嫌な大人になったものだな……」
「大人――、大人かあ」
イータの呆れ声に、私は思い出す。二十歳になったとき、邦巳くんとお酒を呑んだのだ。
成人祝い。誕生日を祝ってくれた。
邦巳くんはといえば、かつての縁談は結局ご破算となり、独身生活を謳歌していた。伯母さんあたりはもう諦めたのかなにも言わなくなっていて、「みーちゃん、あの子のお嫁さんにならない?」なんてことを言ったりもして、私の心をかなり惑わせてくれた。
伯母さんは調子のいいところがあるので、思いつきでそういうことを言うタイプなのだ。本気にして騙されたことは数知れず。
それをわかっていても、初恋をこじらせていた私は、ほんの少しだけ期待をしていた。してしまっていた。
いつもながら、母さんがうるさくて悪いな、ミイにも迷惑かけてスマン。
手を合わせて謝る邦巳くんに、私はへらりと笑った。
私も彼氏いないし、お互いさまだよーという言葉に忍ばせた想いに、はたして気づいていたのだろうか。
いや、きっと無理だ。
邦巳くんは、どこまでも「邦兄」として私の前にいて、私は彼にとって小さな女の子のままで。成人祝いの時は、「俺もおっさんになるわけだ」と涙していた。
ほんとに、おっさんくさい台詞だ。
「酔ったふりをして寝込みを襲うぐらいのことをすれば、なにか変化もあったのではないか?」
「イータ、その渋い声で言うと、アダルティだよ、エロスだよ。金髪美女とベッドインするダンディかつ渋めのおっさんが見える声だよ。うさぎじゃなかったら、抱いて! ってかんじだけど、うさぎだから私が抱く」
逃げようとするぬいぐるみを、私はぎゅっと抱きしめる。ダンボールの中に詰められていたせいで、複雑な匂いがした。
イータを胸に抱いたまま床に転がる。
フローリングに敷いたラグはまだ冬仕様で、半袖の肌に起毛が触れた。このふわふわ具合は好きだけど、そろそろ暑くなってきたかも。
ずぼらな性格が災いして、忙しいのを理由に掃除をサボっているのが悪いことは、自分でわかってる。
面倒くさがって、目の前のものに向き合うこともなく、逃げてばかりいる自分。
散らかった部屋と、後ろ向きなこころ。
まったく我ながらイヤになる。
「……踏ん切りつけて、片付けないとねえ」
万感の思いを込めて呟いたとき、腕のなかでイータが囁いた。
「始末をつけてやろうか」
「いや、怖いから。なんか命を取りに行きそうで怖いから。それに、始末は自分でつけるよイータ。協力してくれる?」
「ふん、なにを今更。おまえの考えなど、お見通しだ」
「さすがイータ、我が友よ!」
勢いをつけて身体を起こすと、私はスマホを手に取る。地獄の十連勤のあとに、さらに地獄が待っていると思っていたけれど、いまは少し楽しみにもなってきた。
スケジュールアプリに書き込んである予定を、指でなぞる。
邦巳くんと待ち合わせ。
デート? そんなわけがない。
先日の電話で閻魔大王が告げたのは、「邦巳くん、ようやく結婚するんだって。なんでも、子どもができたらしいわよ」の宣告だ。私を撃沈させたニュースのあとに、邦巳くんから「飯、喰いにいこう」とメッセージが届いたときは、スマホを投げたくなった。
律儀な邦兄は、年の離れた妹分に、直接報告をしてくれるつもりなのだろうけれど、そんなのちっとも嬉しくないのだ。まったく女心をわかっていない。
だから、ちょっとだけ意趣返しをしてあげよう。
「よし、ラッピング用品、買いに行くか」
まだ見ぬ赤ちゃんに、かわいいうさぎさんをプレゼントだ。
邦兄の中二病の象徴である、殺し屋・捕食者を、我が子が愛でる姿を見て、「ああああああ」ってなればいいんだ。ざまーみろ。
十代の私が囁きつづけた初恋のすべてを食べつくしたイータは、私の脳内で「任せておけ」とニヒルに構え、そして笑った。
妄想コンテスト第155回「子どもの頃の友達」に参加。
イータの声は、それぞれお好きなものを当ててください。
ちなみに私の脳内では、大塚明夫ボイスです(笑)




