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パスワードの覚え方

初出:エブリスタ


「なあ、覚えてるか? 課長のパスワード」


 第三課の執務室、そのすみっこに設置している共通パソコンを前に、四人の社員が唸っていた。

 画面には小さなウインドウボックスがあり、IDとパスワードを要求している。


「くそう、よりによってなんでこのタイミングで」

「システム部の奴は、お役所すぎる」

「柔軟性がないですよね。ロボットかよってかんじ」

「愚痴っていても、開きませんよ」


 唯一の女性社員が冷静に告げると、男たちはくちごもった。

 そう。入力しないことには、始まらないのだ。


 IDに関していえば社員番号が割り当てられているため、すぐにわかる。問題なのは、パスワードである。

 通常時は入力情報が記憶されており、IDを入れた時点で自動で反映されるのだが、システムの更新が入ったせいでログイン情報がすべて飛んでしまったのだ。

 本来ならば、本人以外はログインしないのだから無問題だが、どうしても課長権限でのシステム承認が必要な案件が出てしまった。

 しかし課長は出張で不在。

 場所がそこそこ遠いため、宿泊することになっている。戻ってこられないこともないが、日付を超えるだろう。

 そして、承認は本日中でなければならないのである。


 パスワードの初期化、という手もあるのだが、その手続きは課内のシステム担当を介して申請することになっており、三課における担当者は課長本人なのだから、どうしようもない。

 そもそも、個人のパスワードを知っているほうがおかしいのであるが、三課ならではの諸事情ゆえだ。


 少数精鋭――といえば聞こえはいいが、人員をかぎりなく絞っているため、承認権限を持つのが課長ひとり。その課長はといえばなにかと忙しく動き回っており、不在になることが多々ある。

 仕事が進まない可能性を考えて、課長権限のシステムへのログインが黙認されている状態と化しており、男たちは課長からパスワードを聞いていたのだ。たしか。

 しかし、自動でログインされるものだから入力することもなく、いまではすっかり記憶の彼方であった。



「昔なら、付箋つけて貼ったりしたもんだけどなあ」

「個人情報云々かんぬんで、デスクまわりが厳しくなりましたねえ」

「どっかにメモってねえか」

「引き出しを勝手に開けるのは忍びないなあ」


 ぞろぞろと課長の机に集まった。

 伏せられたノートパソコンを開けてみても、まっくらなディスプレイがあるだけだ。付箋のひとつも貼られていない。

 机の上はどうかといえば、承認待ちのレターボックス、電話機、ペン立て、卓上カレンダーが整然と並んでいるだけで、余計なものは一切ない。


「さすが性格が出てるなー。綺麗なもんだ」

「ピシっとしてますよね、仁科にしな課長」

「そのぶん、怖ぇけどな」


 仁科にしな航平こうへい、三十二歳にして課長へ昇進した、若手のホープである。

 薄いフレームの眼鏡ごしに見える眼差しは常に鋭く、ついでに口調も鋭い。情け容赦ない追及に、別部署の女性社員が泣いたという噂は後をたたない。

 とはいえ果敢に挑む女性も後を絶たず、「あれが、ただしイケメンにかぎる、ってやつか」と、男性社員はやっかみとともに囁いている次第である。

 それでいて彼が嫌われていないのは、どんな美人が相手であろうと素っ気なく、あるいはこっぴどく振るからだ。アイドル並に可愛いと評判だった受付嬢が公衆の面前で派手にぶったぎられていたのは、後世に語り継がれると言われている。

 なお、当の受付嬢は専務の愛人だったことがバレて修羅場となり、別の意味でも伝説になった。



「名のとおり、公平なんだよ、あれは」と、三課の最年長が言うと、「俺はあのハッキリしたとこ好きだけどな」と、配属時に教育係を請け負った男が言う。

 第三課は、課長を含めた五名で構成されており、仲間意識は強いのだ。配属二年目のまだまだ新米の若者は、紅一点に問いかける。


舟木ふなきさんは、仁科課長と同期なんですよね」

「そうだけど?」

「入社したころって、どうだったんですか?」

「あのまんま。昔から変わってないよ、仁科くんは」

みなとちゃんも、変わんないよね」

「おじさんくさい昔話するより、パスワードは?」

「……現実を思い出させるなよ」


 なんとなく盛り上がっていた空気がしぼむ。

 舟木女史はクールであるというのも、評判だ。化粧っ気のない顔に、黒髪をシンプルにひとつくくりにしている。

 あの(・・)仁科氏の部下ともなれば女性社員の目が厳しくなりそうなものだが、無害として放置されているのは、彼女のクールさゆえである。あれは恋敵にならないというのが、女子の総意らしい。




 さて、パスワードである。

 複雑化が求められる昨今ではあるが、これに関しては、社内独自のシステムということもあり、いまどきめずらしい数字四桁。数打ちゃ当たる方式が使えなくもないが、さすがにそこは制限がある。

 五回間違えたら、ロックがかかる仕様。

 そしてロックの解除に関しても、初期化同様、システム担当者経由での申請。なお三課のシステム担当は以下略。


「よし、推測しよう。パスワードといえば、なんだ」

「ベタなところでいくと、全部ゼロ」


 0000 エンター


 エラー。

 IDかパスワードが間違っています。



「だよな」

「貴重な一回を無駄にっ」

「まだ四回ある。平気平気」

「じゃあ次もベタで、1234にしよう」

「いや、そんなお手軽に試して――」


 1234 エンター


 エラー。

 IDかパスワードが間違っています。



「あ、やっぱ駄目か」

「やっぱ、じゃないですよ」

「承認通らなくても、困るの俺じゃなくておまえだし」

「ひでえ! 真面目に考えましょうよ。一度は聞いてるんですよね」

「つっても、二年は前だぞ。覚えてねえよ」

「なにかヒントは?」


 懇願されて、男たちは天井をあおぐ。


「あんときは、雑談まじりだったからなあ」

「仁科くんも課長になったばっかりで」

「お祝いしようか、みたいな話をしつつ、えーと、あーそうそう」

「思い出したっすか!」

 勇んで前のめりになる新人に、先輩はカラリと笑う。

「や、パスワードとか忘れるよなって話を以前にしててさ。したらアイツ、ずっと同じパスワードを使いまわしてるって言ってた」


 子ども時代で初めて設定するパスワードといえば、携帯電話のロック解除等だろう。


「高校の頃に決めたやつを、いまでもずっと使ってるらしい」

「ということは、なにか思い入れがある番号ですかね」

「もしくは、身近な番号、かねえ」

 最年長が、頭をガシガシかきながら呟く。

「シンプルなのは誕生日か?」

「課長の誕生日は――」

 うっと詰まったところで、紅一点による天の声。

「七月七日」

「七夕かよ」


 0707 エンター


 エラー。

 IDかパスワードが間違っています。


「この並びを見ると、007にしたくなるなあ」

「三文字じゃないっすか」

「じゃあ、いっそ全部7にするとか」


 7777 エンター


 エラー。

 IDかパスワードが間違っています。



 次が五回目。ラストチャレンジとなれば、さすがに真剣に推理しはじめる。


「たとえば、先輩はどんな数字にしてるんですか?」

「1019。子どもの誕生日」

「うわ、意外と親バカだった」

「意外は余計だ」

 面倒くさげで、いかに仕事を楽にするかばかり考えている不良社員の意外な一面に、新人は驚く。

「でも課長は結婚してないですよねえ。あ、隠し子とかは……」

「姪っ子しかいないわよ」

「うわ、それも意外な姿だ」

 続いて、最年長に声をかけた。

「俺は、結婚記念日だな。誕生日と迷ったんだが」

「おお、さすがっす。愛妻家ですね。俺は彼女の誕生日にしてます」

「いやだってパスワードにしとけば、忘れないだろ?」

「え?」


 覚えやすいからパスワードにしているのではなく、忘れないために、強制的に入力せざるを得ないパスワードとして設定しているだけなのだと快活に告げる男に、未婚の二十代前半は肩を落とした。


「奥さんが可哀想なのでは」

「大丈夫、言ってないから。口が裂けても言わないから」

「うまく騙すのも、結婚生活の秘訣だぞ」

「……舟木さんのパスワードは?」

 未婚仲間の女性社員に問うと、わずかにくちごもったあと、「2479」と、呟く。

「なんの番号ですか? 偶数と奇数? どうせなら、2468のほうがわかりやすいのに」

「おまえは阿呆だな」

「なんでですか」

「推測されやすい番号は駄目だろ」

「あ、なるほど。わざとずらしてるんですね。さすが舟木さん」


 朗らかに笑う彼に、舟木女史は曖昧に微笑み、そんな彼女を見て、残りのふたりもまた穏やかに笑む。

 舟木は彼らをジト目で睨んだ。


「……なんですか、なにか言いたいことでも?」

「いやあ、べつになんでもないって」

「うん、なんでもねーよ。あ、そうか。そういうのもアリか」

 なにか合点がいったように呟いて、先輩社員はおもむろに数字を入力する。


 3710 エンター


「あ、ログインできた! え、なんでわかったんですか、なんの数字ですか」

「おまえは阿呆だなあ」

「なんでもいいから、さっさと申請通しとけよ」

「はい!」



 彼女の名前をパスワードにするとか、意外と可愛いとこあるな、アイツ。

 仁科くんに愛されてるねえ、湊ちゃん。


 配属直後からお世話になっている男性ふたりの弁に、舟木湊はそっぽを向いて、不在の男に内心で毒づいた。


 仁科くんのバカ。







エブリスタ、超妄想コンテスト第150回「「ねぇ、覚えてる?」から始まる物語」に参加。

優秀作品に選んでいただきました。


最年長社員と先輩社員のパスワード選定は、実際に職場にいた方々の実話です。

仁科課長と舟木女史以外の名前が出てこないのは、考えるのが面倒だったというのもあるんですが、このあとに募集していた妄想コンテスト「結婚」で、このカップルの馴れ初めを書こうと思っていたからでした。ただの前フリだったんです。


高校時代から付き合ってるとか、若くして課長昇進を目指した理由とか。

ぼんやり考えていたんですが、形にならずに終わってしまったので、いつかリベンジしたいところです。


【追記】

改稿して別の妄想コンテスト第227回「あと一回」に参加しました。

「もっとも大切なことは最後の一回で」

https://ncode.syosetu.com/n9416jj/

ふたりの関係にご興味があれば、どうぞ!

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― 新着の感想 ―
[一言]  友人が、元カレの誕生日をパスワードにしてました。  した当時は、現役の彼氏だったそうです。  別れた後も、変えるのが面倒でそのままにしていたそうです。  よく考えてみると、絶対推測されな…
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