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押入れおじさん

初出:エブリスタ

 押入れに閉じ込められることは、子どもに対する躾であるとか、場合によっては虐待であるとされるものだが、少なくとも俺はそれを厭うてはいなかった。

 布団が収められた上段は、憧れの二段ベッド、ないしはロフトのようでもある。


 下段は秘密基地だ。襖を閉めて光源を持ちこむよりも、暗闇を好んだ。

 暗所恐怖症、閉所恐怖症といったトラウマを背負う奴もいるようだが、俺はむしろ、闇に安堵したのだ。

 たぶんそれは、「押入れおじさん」の影響だと振り返る。




 彼と初めて話をしたのは、小学校に上がる前だったかと思う。

 父方の祖父母宅はわりと大きな日本家屋で、離れがあった。簡単な炊事場もあり、地域の集まりなどに場を提供することもあったとか。

 幼児期からひとり遊びを好んでいた俺は、離れの広間で過ごすことが多かった。隅に積んである客用座布団を重ねたり並べたりして、アスレチックのようにして遊んだものだ。


 ひとりかくれんぼをして、押入れに入った。苦心して内側から襖を閉じ、暗闇が完成したとき、幼心にときめいたことを覚えている。テレビで見た宇宙空間のようだと思ったのだ。

 両手を広げても何にも隔たれない。あるのはただ床の存在だけ。

 座っていても、横になってみても、仰向けに寝てみても、俺の目にはなにも映らなかった。

 もともと陽当たりの悪い部屋だったこともあり、外からの光源が少なかったせいなのだろう。たぶん、あれは曇りの日だった。


 四つ這いで進むと壁にぶち当たり、立ち上がろうとして、したたかに頭をぶつけて蹲る。

 泣くことはしなかった。

 何故ならば、かくれんぼの最中だからだ。声をあげてしまえば、居場所が知れる。

 ひとりかくれんぼで、誰から身を隠しているというのか。

 今にして思うと、俺は幼児のころからよくわからないこだわりを持っていた。



「痛くないし」


 くちに出したのは、やはり痛かったからだろう。

 血が出ていたらどうしようと、わずかながらに不安を覚えたとき、声がきこえた。


「大丈夫だ。おまえは石頭だからな、カズヤ」


 暗闇のどこかから、大人の男の声がした。父親に似ているような気もしたが、あいにくと父は不在中。両親が所用で出かけた関係で、俺は祖父母宅に滞在していたのだ。


「おじさん、だれ。なんでぼくの名前知ってるの」

「お、おじさんか。わかってたけど、地味にくる……」

「なにが来るの?」

「おまえだって、赤ん坊扱いされたら腹が立つだろ」


 声はそう告げた。

 その言葉の意味を理解したのは、ずっと後になってからだ。「おじさん」とは、自称するのはともかくとして、年下から認定されるとダメージがある。

 ともかくも俺は、押入れのぬしたる「押入れおじさん」に出会ったのだ。




 小学校にあがってから、座敷童という存在を知ったが、俺が知っているアレは、子どもではなく大人だった。

 「小さいおじさん」と呼ばれる、人形サイズの怪異がいることを知ってからは、押入れおじさんはそれ(・・)なのだと結論づけた。


 おじさんは基本的に、なにかをするわけではない。ただ、話をするだけだ。

 彼は驚くほどに、俺の悩みを的確に把握し、アドバイスをくれた。祖父母宅に隠された小さな秘密を含めて、押入れおじさんは物知りであった。両親が離婚したときも、おじさんに救われたといっていい。


 安っぽいドラマのように、中学に上がる直前の俺に対して両親は問うた。

 離婚することになった。どちらについてくか、と。

 それぞれのプレゼンがあり、俺を引き取ることに対してアピールを重ねてきたが、小六の男児には判断が難しい。色恋には無縁のガキんちょである。女子ならばなにかしらの想像もつくのかもしれないが、俺には無理だった。


 母を選べば、生活拠点は今までどおり。父がいなくなるだけで、学校を含めた生活環境は変わらない。

 父を選べば、引っ越しが余儀なくされる。祖父母宅に移り、そこで生活をすることになるだろう、ということだった。


 すぐに答えを出せるものでもないだろう、とのことで、猶予が与えられる。

 その間、両親は速やかに離婚へ向けての事務処理を進めていたようだが、俺は思い悩んだあげく、部屋の押入れを開けて、わずかな隙間を縫って入り込んだ。

 ダンボールに詰められた教科書、衣類が詰められたコンテナなど、自宅の押入れは狭い。襖に背を向けて、暗闇に目をこらす。

 おじさんが現れるのは祖父母宅の離れ。他のどんな押入れに入ろうと、彼の存在を感じたことはなかったけれど、それでもなぜか今日だけはどうしても会いたいと思ってしまった。

 時間がない。両親への返答は明日に迫っている。

 おじさんならきっと、なにかしらの答えを返してくれるのではないかと、当時の俺は信じていた。



「どうした」

「……お、おじざん……」


 響いた声に、俺は泣いた。泣きべそをかく俺になにを感じたのか、おじさんは穏やかに言った。


「そうか。わかった、みなまで言うな」


 そして、しばらく黙った。押入れには、俺がすすり泣く声だけが響いている。


「――正直言うと、俺は迷っている。どちらを選んでも、たぶん間違いじゃないんだ。選ばなかった先に焦がれるし、選んだほうを悔やむだろう。辛いことがあれば、あちらを選択していればと後悔するが、そんなものはどちらに行っても同じなんだ。人生はいつもその繰り返しだ」

「でもさ、聞いたんだ。おかあさんは、他の好きなひとがいるんだって」


 再婚という言葉は知っているが、離婚と再婚がセットになっていることには違和感があった。それはいわゆる「不倫」というやつではないのかと、小六男児だって想像がつく。テレビのワイドショーで、芸能人の何某なにがしがどうとかで、コメンテーターがしたり顔で語っているのを見たことがある。

 それらを嫌悪していたはずの母。

 彼女が行なったことは、それらとなにが違うのか、同じではないのか。

 吐き出す俺に、おじさんは言った。


「カズヤ、決して『いい子』になろうとはするな。無理をしたって意味はない。疲れるだけだ。母親と面会が設定されるだろうが、拒否もできる。おそらくおまえのばーちゃんは、母親のことを悪く言うだろう。女の敵は女だ。じーちゃんを頼れ。父親は、まあ、気の弱い男だが、悪人ではない。そこは信用していい。言葉数は少ないだろうが、話を聞いてやれ」


 おじさんは熱のこもった言葉をくれた。いつになく真剣だった。

 どうしてそんなに親切なのか。まるで俺の周囲の人間関係を把握しているかのように語るのか。

 問おうとしたとき、襖がガラリと開いた。

 両親だった。

 姿が見えない俺を探し、辿り着いたらしい。


 ――やっぱりここにいた。


 俺を見つけ出したのは、父だった。

 言葉数の少ない父と、多く会話をしたことはない。そういった意味では、母のほうが近しい存在だったと思うが、内向的な俺のことを的確に理解しているのは、同じ気質を持つ父のほうなのかもしれないと、すとんと胸に収まる。

 唖然としたようすの母の顔を見た瞬間、俺は迷いなく言った。


「おれ、おとうさんと暮らす」





 祖父母の家に移り住み、離れが俺の部屋になった。

 中学生になったのだから、自分の部屋も必要だろうということだったが、幼いころから入り浸っていたことを知っている祖父母の采配だろう。

 両親の諍いを目の当たりにした子どもを必要以上に構うのではなく、独りになれる場所を与えようという心配り。

 俺はありがたくそれを甘受した。


 しかし、おじさんは現れなかった。

 小学校を卒業したことで、子ども時代と決別でもしたのだろうか。

 あれ以来、おじさんには会えなかったけれど、俺はあいかわらず押入れを好み、入り浸っていた。誰の存在も感じない闇の中は、俺に落ちつきと安らぎをくれた。



 母はといえば、法律が許す期間を経た途端、再婚した。あげく、設定された最初の面会で妊娠を告げられたときは、対応に苦慮した。


 お兄ちゃんになるから、よろしくね。


 幸せそうな笑顔。

 妹か弟が欲しいと思ったことがないわけではなかったけれど、これはさすがに違うのではないかと思ったものだ。



 たぶん、俺の女性観は母によって打ち砕かれた。三十歳を目前に控え、未だ彼女がいないのもそのせいだと思っている。

 いや、わかっている。それは俺自身の人間性の問題であるのだと。

 だが、その程度の責任転嫁は許されてもいいのではないかと思いたい。




 中学高校大学と、女にまったく縁のないまま暮らした俺の趣味はといえば、天体観測だ。

 夜はいい。

 夜景が綺麗なスポットなど言語道断。人工的な光など必要ない。暗闇にチラチラとまたたく光こそ至高である。

 祖父母の家の近くには絶好のポイントがあり、俺は久しぶりにそこを訪れた。

 父は実家を出ているし、俺もひとり暮らし。

 ブラック企業に別れを告げたタイミングで、祖父母の顔を見に行くことにしたのである。



和也(かずや)、おまえ痩せたんじゃないのか?」

「どうだろう。わかんないけど」

「仕事辞めたなら、しばらくゆっくりしていけ」

「なんならこっちに住んで、仕事探せば?」


 中学から過ごしたここは、俺にとっては地元である。進学先で就職したけれど、Uターンもいいかもしれない。

 祖父母は、離れの部屋を整えておいてくれていた。

 俺は久しぶりに自分の部屋に足を踏み入れ、畳の上に寝転がる。こんなふうにのびのびするのは、本当に久しぶりだった。


 ゴロリと転がったところで襖が視界に入り、俺はふと「押入れおじさん」のことを思い出した。

 中学にあがったタイミングで聞こえなくなったおじさんの声。結局あれはなんだったのだろう。

 起き上がって押入れを開けると、内部は記憶よりもずっと狭い。あのころは仰向けになって手を伸ばせるほどの幅があったと思ったが、いまは寝そべることすら難しそうだ。ひょろりと伸びた身長を思い、苦笑する。


 重ねて収納されている座布団を引き出すと、ふたつだけ中に並べて、足を伸ばして座った。上段すれすれに頭頂部がくる。これは少し動いただけでも、ぶつけてしまうのではないだろうか。なにしろこの暗闇だ。気をつけないと。


 ――そういや、初めておじさんに声をかけられたのも、頭をぶつけた時だったんじゃないか?


 思い出したとき、暗闇の向こうで、なにかがぶつかる音がした。続いて小さく子どもの呟き声。


「痛くないし」



 ああ、そうか。

 俺は納得した。

 押し入れおじさんが俺の悩みを知っていたのも、祖父母の家にやたら詳しかったのも。

 彼が俺自身だったからなのだ。


「大丈夫だ。おまえは石頭だからな、和也(・・)

「おじさん、だれ。なんでぼくの名前知ってるの」

「お、おじさんか。わかってたけど、地味にくる……」

「なにが来るの?」

「おまえだって、赤ん坊扱いされたら腹が立つだろ」



 なあ、小さな俺。

 まだ何も知らない時代の俺。

 おまえの未来はどうなっていくのだろうな。

 俺のようになってはくれるな。内にこもらず、明るい場所を歩いていけよ。


 両親の離婚によって迫られる選択の時、俺は昔の俺に何を説くのだろう。

 今なら、あのときの「おじさん」の気持ちがよくわかる。



「ねえ、どこにいるの?」

「俺はここにいる。いつだってここにいるさ」

「……おじさん、だれ?」

「そうだな。俺は『押入れおじさん』だよ」





エブリスタの超・妄想コンテスト第148回「暗闇の中で」に参加。


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