秘め事は薄闇の中に(後)
シャリーマがアレスタシオンに出会ったのは、偶然だ。
師の敵討ちをするため、プラエド・アルパガスが領主となったマレートへやって来た。
しかし、相手は領主。簡単には近づけない。
ひとまず職を探すことにしたが、住まいも身元も定かではないシャリーマができることは知れている。
ここまでの道程では旅芸人の一座に混じって下働きをしたり、身の軽さを買われて興業の手伝いをしていたが、町中で目立つことはしたくない。
となれば、残る道はひとつ。
豊満とは言い難い身体でも、十七歳の肌は需要があるだろう。
異国の血が流れているのか色の白い肌は滑らかで、男たちの目を惹きつけるらしいことはこれまでの旅路で理解している。
覚悟を決めて叩いた花街の店はどうやら相当に問題があったらしく、採用初日に警備隊の立ち入りがあり摘発された。
新参者のシャリーマはなにがなんだかわからないうちに騒動に巻き込まれ、しかしいかにも「仕事始めたばかりです」といった態度に情状酌量され、無罪放免となった。
その過程で、マレートにやってきたばかりで金も職もないと知ったアレスタシオンに雇われ、そろそろ三年。
役職もなく、おとり捜査のために客としてシャリーマの前に現れた男も、今では小隊の長である。
目的のためにはこの町に留まっていたほうがやりやすく、おまけに貴族街に住処を得ることで領主邸に近づきやすくなった。
お金持ちのお坊ちゃんなんて信用に値しないと思っていたシャリーマだが、人のいい主のことをどうにも嫌いになれないでいる。
町を騒がせているコソ泥の正体が自家のメイドであるとも知らず、娼婦になりそこねた孤児の娘を気遣ってくれるのだ。どうにもこそばゆく、いたたまれない。
いつかは別れることになる、ただの腰かけだと思っていた生活は心地よく、シャリーマは忘れかけていた「家」をいうものを――家族の温かさに委ねそうになる心を引きしめ、日々を過ごしていた。
アレスタシオンはどこまでも変わっていて、一介のメイドであるシャリーマを同じ食卓に呼び、同じものを食べさせる。
出会った当初、痩せていた身体を心配されたことが発端ではあるが、貴族の振る舞いには思えない。
ひょっとしたら自分をそういう目的で囲ったのだろうかと思い、夜半に部屋を訪ねたこともある。しかし目を剥いて驚かれ、こんこんと諭されたことから、そうではないのだと理解はした。
(……要するに真面目で、ドがつくぐらいの堅物なのよね、この方は)
男色家なのかもしれない――と、シャリーマはひそかに思っている。
よく訪ねてくるグランツという友人男性も美形で、主が銀なら彼は金。明るい金髪に浮かぶ笑顔は太陽よろしく輝いている。どちらにせよ眩しすぎて、縁のない存在である。
明け方に戻ってきたアレスタシオンは軽い食事のあとに部屋へ下がり、シャリーマは家事を始めた。
買い物は主が起きてからのほうがよいだろう。これといった約束はないが、急な来客がないとはかぎらない。
芋の皮むきだけでもしておこうかと台所にこもっていると、ドアベルの音が響いた。
エプロンを軽く叩き芋の皮を払い落としたあとで出迎えた人物は、太陽の化身たる美形、主の友人である。
「やあ、シャリーマ。シオンは起きてるかい?」
「お部屋に入って二時間ほどですので……」
「まあ、いいや。上がらせてもらうよ」
勝手知ったる態度で進んでいく相手を止める術はない。彼も貴族だ。ただの使用人がどうこう言える立場でもない。
そう思っていると、くるりと振り返り笑顔を浮かべて言った。
「お茶を頼むよ、レディ」
この人も変わり者だ。
シャリーマは頭を下げ、台所へ戻った。
■
友人が帰ったあと、アレスタシオンは頭を悩ませていた。
彼が訪ねてきたのは、昨夜の件だった。
町の司法局に勤める彼も、ノクスの捕縛について領主から厳命されている立場。賊と対峙し、あるものを受け取ったアレスタシオンに、見舞がてら報告にやってきたのだ。
袋の中身は薬物。それも違法性の高いもの。中毒症状を引き起こす可能性を孕んだ、危険なものであるらしい。
主成分に問題はない。一般的な麻酔薬として使われるもので、国内でも簡単に手に入る。
しかし、そこに混合されている別の薬が問題だった。
隣国で流通している新しい危険薬物は常習性も高く、廃人同然と化している人も少なくないという。
最近増えた変死の原因はこの薬ではないかというのが、司法局の見解だ。
領主であるアルパガス卿は、長く隣国で暮らしていた。そのため、あちらの既知が訪ねてくることも多く、独自のルートで交易もある。
もたらされる利も大いにあり、それらは決して悪いことではないのだが、いかんせん彼には黒い噂が絶えない。
領主自身が薬の取引を手引きしている可能性が、ないとはいいきれない。確たる証拠もなく動けないことを苦慮しているのは、司法局のほうだろう。
――いっそノクスが決定的なものでも盗んでくれりゃ、こっちも踏みこんでいけるんだけどな。
グランツが呟いた言葉を思い出し、アレスタシオンは眉をひそめる。
まるで犯罪を許容するかのような発言は、いままでなら不愉快に感じたものだが、昨晩の邂逅を経て気持ちが揺らいでいる。
月光を背にした細いシルエットに、はらりと舞った鮮やかな赤髪。
薄闇の中で、ほんのわずか覗いた素顔。
丸みを帯びた頬は、青白く光って見えた。
――ノクスと会話して情でも移ったのか? だってあれ、女だろ
身体つきから、そうじゃないかと踏んでいるんだと笑って告げた友人の弁を思い出したとき、部屋の扉が叩かれた。
「旦那さま。お茶をお持ちいたしました」
「ああ」
「失礼いたします」
軽く頭を下げて、シャリーマが入ってきた。固く縛った赤髪が、窓から射しこむ光に照らされ炎のように揺らめいている。
言葉少なく静かに、抑えた音量で発する声は心地よく、いつもはアレスタシオンの心を落ち着かせるが、今日はそうではない。
カップを置く右手には、昨日まではなかった傷が斜めに走っており、ついそれを眺めてしまう。視線を感じたシャリーマが慌てたようすで手を引こうとし、追うようにその細腕を掴む。
「傷の、手当てを」
「すみません、御見苦しいものを。調理中に、少々ヘマをしました」
「――すまない」
「いえ。悪いのはわたし。すべて、わたしの責です。旦那さまが謝る必要はございません」
強く言いきった彼女の顔に目を向ける。
この国ではあまり見ない琥珀色の瞳。
孤児で、両親の生まれも知れないという彼女は自身の容姿を嫌っているらしいが、アレスタシオンはそれらを美しいと思う。
思い出すのは出会いの時。
捜査で訪れた、不法な花街の一室。
明かりを落とした薄暗い部屋の壁に映る影は、彼女の身体をより細く見せており、アレスタシオンは戸惑った。
緊張しているのか指先は震え、けれどなにかの覚悟を秘めた瞳だけは鮮やかにこちらを見据える。
燃えるような赤髪とともに、それはひどく印象に残った。
きっぱりと線を引き、踏みこませない彼女の内心を知ることはできない。
関わらせてはくれないのだろうか。
息を吐き、アレスタシオンは彼女の手を取り引き寄せた。
あの頃よりも肉がつき、滑らかになった肌が心地いい。流れ出た血が固まった傷跡に唇を寄せる。
「だ、旦那さま?」
耳に届いた上擦った声に頬を緩ませたあと、アレスタシオンは表情を戻して顔をあげた。
「あまり無理はしないように」
告げた言葉に、「むしろ、楽をしてばかりですよ」とシャリーマは困ったように微笑み、アレスタシオンの胸はちくりと痛んだ。
夜の町を、黒装束に身を包んだ人影が走る。
警備隊の笛から遠ざかるように角を曲がり、石畳を駆けあがって、さらに高く舞う。
見下ろす先に見えるのは、月の光に映える銀髪の男性。
それを目にしながら、ノクスは――シャリーマは呟く。
――ごめんなさい、旦那さま
軽業師のような身のこなしで、高い壁を、屋根を跳ぶ姿を追いながら、アレスタシオンは誓う。
もうあんなふうに、天から落下する姿は見たくない。
だから、自分がどこまでも追いかけよう。すぐに助け出せるように。
己の姿を偽っているメイドと、己の心を隠している主。
二人は、昼と夜の顔を使い分けながら、今日も何食わぬ顔をして暮らしている。
仮面が剥がれるその日まで。
エブリスタの超・妄想コンテスト第134回「隠しごと」に参加。
読んだ方に「続きはー?」と言われ、
「ちゃんと書いたら長編コースです」「ですよね」で同意を得ました。




