時空濃縮中毒
初出:エブリスタ
あと5分。
よく口にする台詞だ。
意味合いとしては、「もう少し待って」「あと少しだけ」といったところだろうか。
少し、というのであれば、2分でも3分でもいいではないかと思うのだが、ところがなぜかこれが5分なのである。
思うに計算のしやすさがあるのだろう。時計の文字盤の配置を見ても、カウントしやすい数字だ。
また、デジタル目覚まし時計におけるスヌーズ機能は、5分おきに覚醒を促してくる仕様。学生のころなぞは、急き立てられているように感じたものだね。
話を戻そう。
5分である。
5分とはすなわち、300秒だ。
もしも1秒が1日に相当するとすれば、300日。
1年とはいわないが、それに準ずるほどの日数となる。
まあ、待て。要領を得ないと席を立つのは早計だ。話は最後まで聞くものだろう。
時間が足りない。
1日が48時間になればいいのに――などと思ったことはないか?
私はある。常に感じている。
小説家である私は、文字をつづる行為が仕事だ。気分が乗っているときなどは、気がついたら数時間が経過していたこともざらにある。そうして時計を見て思うのだ。
ああ、もっと時間が長ければいいのに、と。
そうすれば、私はもっと執筆に時間を費やせる。
思索にふけり、それを言葉に変換し、その世界を表現するに相応しい語彙を模索し、キーボードを叩くことができるのに。
けれど現実に1日は24時間であり、生きていくためには食事も睡眠も必要で、24時間すべてを執筆にあてることは不可能なのだ。嘆かわしい。
ところが、それが可能になるとすればどうだ?
1日で、とんでもなく記録を伸ばしたスポーツ選手。
飛躍的に成績が上がった学生。
彼らはきっと、この時空濃縮計を使っているはずだ。
一見すると砂時計に見えるかもしれないが、これを使えば、1秒が1日になるのだよ。
無論、時計にはいくつか種類があるさ。
これは5分計だが、1分計もある。私もはじめはそれを利用していた。
1分、すなわち60秒であり、60日。つまり、約二ヶ月だ。
手軽に利用するなら、こちらがベストだろう。なにしろ使いはじめたら最後、砂が落ちるまで抜け出すことはできないのだからな。
だが、一度この魅力を体験してしまえば、1分計ではものたりないのだ。
考えてもみたまえ、せっかく執筆が乗っているというときに、通常の時間軸に引き戻されてしまうのだぞ。ここでまばたきを一回する時間が、あちらでは2日に相当するのだ。そのあいだに、どれほどの言葉が生まれると思っているのだ。
世間では速筆の作家だと言われている私だが、なんのことはない。私はあちらで何冊分もの文章をつむいでいるにすぎない。
しかし、咎められるいわれはない。
どんな手段を用いようとも、これらの物語を書いているのは私なのだ。ゴーストライターがいるのだと揶揄する者もいるが、とんでもない。私は、私の時間を費やして、私の中から物語を生み出している。ただ、時間の使い方が違うだけなのだ。
どうだ? 興味が湧いてきたか?
なに、副作用?
さてな。とくべつ風邪を引きやすくなったわけでもないし、腰痛なのは昔からだ。普通に生きて暮らしていれば起きる程度の体調不良しか、起こしていないさ。
強いていえば、子どもは1分計以外を使うものではない、というところか。
だってそうだろう。大人の1年と、子どもの1年は同じであって同じではない。
例えていうなら、5分後に進級するようなものだ。
子どもの1年は、大人にとっての何年分にも相当する情報吸収をする時間であるし、身体的な成長も伴うものだ。まばたきするごとに四肢が伸びていく、早回しの映像のような成長をするさまは、悪影響だろうよ。
大人になると、1年で姿形が激変するということもないから、周囲の人間も私が時間を濃縮して過ごしていることに気づかない。わずか5分の間に、私が300日を過ごしていたなど、想像もしていないだろう。
さて、そんな5分計が欲しくないか?
別に金を取ろうだなんて思っちゃいない。私はこれでも、それなりに稼いでいるんだ。ただ、もう必要がないと判断したから、君にゆずってやろうと思ったまでだ。
もういいのかって?
とんでもない。こんなものじゃ足りないと思ったのさ。
この砂時計を使いながら、この砂が減っていくのを見ながら、私はいつも思っていた。
あともう少しこの時間をくれ。
5分。
あと5分。
私は切実に望んでいた。
だがこれは、連続しては使えないのだ。すぐに裏返すことはできない。
おそらく、身体に負担がかかるのだろう。日に1回が限度だ。
待てないのだよ。
だから私は手に入れた。
10分計だ。
10分。すなわち、600秒であり、約1年半。
すでに二度使ってみたが、素晴らしい。
書き溜めがどんどん増えていくのに、現実にはまだ1時間すら経過していないだなんて、痛快じゃないか!
ゴホッ、ゲホッ。
ああ、失礼。すこし喉が詰まってしまった。
そうだな、これが副作用といえなくもないのかな。
なあ、君。私がいくつに見えるかね?
遠慮はしなくていい、素直に言ってくれたまえ。
60代半ば?
なかなかいいところをつくねえ。
正解は、30歳だよ。正確には、30歳になったばかり、かな。
大学生の時に時空計を手に入れてね。当時、小説家になりたかった僕は、これを使ってひたすら書いたよ。
それを小説投稿サイトに出した。
毎日更新を続けて、完結したら即座に次の作品をあげて、こっちも当然毎日更新さ。
それとはべつに出版社の公募にもあれこれ送った。
あれからそろそろ10年。
でも、僕の身体はその何倍もの時間を生きているからね、当然ながら身体はそれだけの時間を過ごしている。何回使ったのかなんて覚えちゃいないが、これだけ顔が老いているんだ。僕の身体は、30年ぐらいは余計に動いているんだろうね。
口調もなるべくそれっぽくするようにしているから、誰も僕の実年齢が30歳だなんて思っていないだろう。
さあ、手に取れ。
そして、砂時計を逆さにするがいい。
濃縮された5分間を楽しみたまえ。
いつか君も望む日が来るだろう。
あと5分、と。
エブリスタの超・妄想コンテスト第130回「あと5分」に参加。
しばらく参加していなかったので、短編のリハビリを兼ねて参加することにしたはいいけれど、我ながらわかりにくい文章になりました。




