公園の客人(まろうど)
初出:Twitter
診断メーカー こんなお話いかがですか
「やあ、また会ったね」という台詞で始まり「静かで優しい夜だった」で終わります。
https://shindanmaker.com/804548
それを改稿して、エブリスタへ投稿。
「やあ、また会ったね」
涼やかな声とともに、彼は現れた。
昼間の暑さはなりをひそめ、草木も眠る時刻になれば、肌に感じる空気もすこしひんやりする。月明りの下、近づくにつれ見えてくる穏やかな微笑みに、私は胸を高鳴らせた。
彼に初めて会ったのがいつだったのか、正確にはもう覚えてはいないけれど、あれはまだ、吐く息が白くにごる寒い冬のころだ。
それ以来、ふと思い出したようなタイミングで、私は彼に出会う。
すんなりと家に帰る気がしない時に立ち寄る、近所のちいさな公園。
集合住宅からすこし離れた場所にあるせいか、陽が落ちると誰もいなくなるのだ。長時間ベンチに座って、ぼーっと空を眺める酔狂なひとは、そうはいないだろう。
だからこそ、この夜空を独り占めのつもりだった。いってみれば、穴場スポット。
それを、邪魔しはじめたのが、彼だ。
名前は知らない。
私も名乗ってはいないのだから、まあ、お互いさまだ。
そんなあやしい関係だけど、私は彼がいる空間が嫌いではないし、むしろ居心地がいいと思っている。
ブラック企業に勤めているわけではないけれど、日々の仕事に疲れてしまう瞬間は、誰にだって訪れると思う。
そんなとき、私はこの公園のベンチに座る。
日常のわずらわしさから解き放たれたような、そんな安らぎをもたらしてくれる。
心の奥に沈殿している鬱屈とした気持ちが晴れて、おだやかさを手にいれることができる、私にとって貴重な時間だ。
たぶん彼も、おなじなのだろう。
私たちは最初のあいさつを交わしたあとは、それぞれ黙ったまま、ただ夜空を見上げて過ごす。たいていは私のほうが先に帰ってしまうのだけど、そんなときでも手を振って見送ってくれるだけ。
私と彼は、この公園の中だけで完結していて。
だけど、なんとなく繋がっているような気がしている。
もっともこれは私のひとりよがりな気持ちであり、彼がどう感じているのか、本当のところは知らない。
でも、嫌われてはいないと思っている。
願望かもしれないけどね。
明るい時間に見ると、陽射しで劣化してすっかり色褪せているベンチだけれど、そんなことは太陽も沈んだ今の時刻では関係ない。おまけに街灯はずっと遠くにあるものだから、色なんてそもそも気にならないのだ。
一番近くにある光源は、ジュースの自動販売機だろう。
ベンチに座るまえに、そこで缶コーヒーを買うのが、私流の過ごし方。
もっとも、買うとすぐに離れるようにしている。なにしろ、ほかに明かりがないものだから、そこには唯一の光に集まる虫たちがうようよしているわけでして。
とてもじゃないが、好んでお近づきにはなりたくない場所なのである。
そういえば、彼と初めて会話をしたのは、自動販売機の利用についてだった気がする。
私に倣うように自販機の前に立ったはいいけれど、何を買うか迷ったらしく、声をかけてきたのだ。
変わったひとだな、というのが、第一印象。
だって、好きなものを飲めばいいじゃない。それ、わざわざ赤の他人に訊くことじゃないでしょ。
だから、最初はちょっと勘ぐってしまった。ナンパかな、って。
でも彼は妙に真剣な顔つきをしていたもんだから、そういう目的ではなさそうで。直前に私が利用したときにはなんともなかったけど、自分がさわったあとで故障とかしてるのは後味わるいなーって気持ちもあって、おそるおそる隣に立った。
ひょろりとした身体つきで、簡素な長袖のTシャツ姿。寒くないのだろうかと思ったことを、覚えている。
自動販売機はといえば、ランプがついていなかった。
ようするに、お金が入っていないのだ。
こんなの、選ぶ以前の問題じゃないの――
思わず呆れてしまって隣の男を見上げた私は、そこで気がついた。自販機の光源に照らされた顔は、どこか日本人離れした顔をしている。
――外国のひと?
この近くには大手企業の工場があるので、外国人労働者の姿は珍しくない。彼も、そのひとりなのかもしれない。
それゆえ、日本の自動販売機にはまだ慣れていないし、缶を見てもどんな味なのかピンとこないのだろう。そんなときに、私という先客がいたものだから、是幸いと訊ねることにしたのだと思えば、突飛なお願いにも納得がいく。
それでもまあ、あやしいといえばあやしいんだけどね。
底がしっかりして、鋲がついている鞄を胸に抱える。
――いざってときには、これをぶつけてやる。
決意を胸に、私はひとつひとつ、指さしながら説明をしていった。
炭酸飲料、スポーツドリンク、コーヒー、ミルクティ、オレンジジュースに野菜ジュース。寒い時期にふさわしく、おしることコーンスープもラインナップされている。
さびれた場所に設置しているわりに、バラエティーに富んでるんだよね、ここ。
以降、左端から順番に選んで飲んでいったのち、彼のお気に入りはココアになったらしい。
今日も今日とて現れた彼は、あいさつをしたあと自動販売機に向かう。ガコンと缶が落ちる音が響いたあと、ゆっくりこちらへ歩いてきた。
いつもなら、別々のベンチに座って、お互いとくに干渉もしないまま過ごすのだけれど、今日にかぎってなぜか、彼は私の座るベンチにまでやってきて、隣に腰かけた。
これはどういう心境の変化だろう。
すこし――いや、ものすごく気まずい。
自惚れるわけじゃないけど、これってそういうシチュエーションだったりするのだろうか。
ひとりで葛藤していると、彼が安堵したようにつぶやいた。
「いい天気でよかった」
「……え?」
それは、夜に言う台詞なのだろうか。
見上げると、雲のない夜空が広がっている。
ここは大通りから離れているし、住宅からも離れている。余計な光が入ってこないぶん、闇が濃くて、星の瞬きが綺麗に見える場所。
ここを気に入っている理由が、それだ。
「待ち望んだ星巡りの日だ。今日を逃してしまえば、次は六十年後だよ」
その言葉で思い出した。
くわしくはないのだけれど、今朝見たニュースによれば、今日はなにやら天文に関係する一大イベントがあるらしい。
彼が言ったように、次に同じ現象が起こるのは、六十年先だとか。
――そうか、このひとは天文マニアなのか。
それと同時に、納得した。
たぶんこのひとは、滅多に訪れない特別な時間を、同じ星好き仲間として分かち合いたいと思って、隣にやってきたのだろう。
単純にしんみり、ぼーっと星空を眺めることが好きなだけの私は、ひどく申しわけない気持ちになる。
「今日、会えて本当によかった」
「……白状すると、なにが起こるかよく知らないんです。それ、ここでも見えるんですか?」
私が言うと、彼は驚いたように目を見開いた。
なんか、ごめんなさい。
バカで本当にごめんなさい。
穴があったら入りたい気持ちになっていると、彼はくすりと笑って立ちあがる。そして、私の前に立つと、大仰な仕草で両手を広げた。
「君なら見えるかもしれない。いや、君には見てほしいと思っているんだ」
「なんの話ですか?」
「今夜、道が開く」
「みち?」
「やっと帰ることができる」
「帰る?」
言っていることの意味がわからない。
静まりかえった公園に、彼の声だけが響く。
風の音すら聞こえず、己の吐く息すらもどこかへ消えてしまったかのようだ。
「この世界に落ちて途方にくれていたけど、君のおかげで楽しく過ごすことができたよ」
「え、あの……、はい?」
「君に会えて、本当によかった」
このひとはいったい、なにを言っているのだろう。
いいようのない不安が私を襲う。
視界の片隅で、白くなにかが輝いた。
目で追うと、細く雨のような筋が地に刺さり、消える。
光が降っていた。
驚いて見上げると、大きな丸い月と、たくさんの流星。
スポットライトのような光が彼を包んだかと思うと、その輪郭が淡く溶けていく。
まばゆい月光を浴びながら、「帰る」だなんて、なんだそれ、まるでかぐや姫みたいだ。
なによ、男のくせに。
やっと帰ることができる、なんて。
迎えが現れて安心した、迷子の子供のような顔をして。
なんてずるいんだろう、このひとは。
――そんなの、引きとめられないじゃないの。
彼が何者なのかとか、そんな疑問は不思議と消えていた。
それぐらい彼は、もともとヘンテコなひとだったのだ。
エキゾチックな顔をしているくせに、流暢な日本語を話す。
出会ったときから変わらない、季節感のない服装。
まるで生活感のない――、なんだか別世界の住人のような雰囲気で。
私はきっと、どこかで恐れていたのだ。
だから訊かなかった。
なにも訊こうとはしなかった。
怖かった。
知るのが、怖かった。
彼が人間じゃないのかもしれないことが、そんなひとにうっかり好意を抱いているかもしれないことが、ひどく恐ろしかった。
ああ、でも。こんなことになるのなら、もっとちゃんと話をすればよかったのだ。
時間はいくらでもあったのに。
あると思っていたのに。
けれど、すべては私のくだらない感傷だ。
笑みを浮かべた彼には、なんの関係もないことなのだ。
だから私も、せいいっぱいの笑みを浮かべて、彼に告げる。
「もう迷子になるんじゃないわよ」
「迷ったら、また見つけてくれるかい?」
「甘いココアを用意して待ってる」
季節が変わって自販機から消えてしまった、彼の大好きな飲み物。
それは、うれしいな。
弾んだ声を残して、光は消えて。
そうして、彼の姿も消えた。
銀色の燐光が、霧雨のように降りそそぎ、私を濡らした。
以来、なんだか気が抜けて、あの公園から足が遠のいてしまった。
くだらない感傷だと笑わば笑え。
私は自分で思っていた以上に、あのひとのことを好ましく思っていたらしい。
胸にぽっかりと空いた喪失感を埋めるものが、見つからない。
あの日は、月と地球の位置に関係する特別な日であったらしく、まったく同じことが起こるのは、六十年後になるのだそうだ。
ならば、それまで生きていたら、私はふたたび彼に会うことができるのだろうか。
すっかりおばあちゃんになった私に、気づいてくれるだろうか。
それとも、私のことなんて忘れているだろうか――
そんなことを考えていたせいだろう。私の足は、ひさしぶりに公園に向かっていた。
今宵は満月。
いつもよりずっと明るい月光のおかげで、目的のベンチも不思議と浮かび上がって見える。
公園の入口で、私は立ち止まった。
ベンチに腰かけているひとがいる。
気配に気づいたのか、そのひとが顔をこちらに向け、そして立ち上がった。
一歩、一歩。
そこへ向けて、私は地面を踏みしめる。
「やあ、また会ったね」
「……また、迷子になったの?」
「ちがうよ。今度はきちんと許可を取ってここにきたんだ。もう一度会って、君に聞きたいことがあったからね」
「聞きたいことって……?」
「君の名前を教えてくれるかい?」
涼やかな声が、耳の中にすべりこむ。
本当に、なんてずるいのだろう、このひとは。
こみあげてくる涙を呑みこんで、私は口を開く。
夜空にひとつ、流星が走った。
提示されたお題を見たとき。
「夜の公園、ベンチに座っている女。声をかけてくる優男」の図が見えました。
男はたぶん人外のはず。
異類婚姻譚だぜヒャッハー!
が、なぜかこうなった。
書きたいものは、いつだってうまく書けないのです。
改稿して、妄想コンテスト第129回「星降る夜に」に参加しました。




