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スリの少年とお嬢さまの小さなお茶会(後)


 いままでジェフが知っていた文字は、数字や食べ物といった、日常に即したものばかりだったため、アリアに読み聞かせるという本は困難をきわめた。

 文字なんて読めないし書けないと告げると、アリアの家庭教師である年嵩の男性が、ジェフに読み書きを教えてくれるようになったのは面倒だったけれど、後々のことを考えると、知っておいたほうがよいと考えなおした。


 この生活がいつまでつづくかなんてわからないのだ。金持ちの道楽か酔狂かはわからないが、そう遠くない未来には見限られるだろう。

 それよりも、己の所業が露見するほうが先かもしれない。

 いずれ知るに違いない。ジェフは下働きではなく、命じられるがままにひとごみに紛れて物をかすめとる、ただの盗人なのだと。

 そうなれば、どんな目に合うかわからない。投獄された身寄りのない人間の末路など、いやというほど耳にしてきた。

 体を壊し、手を差し出されることもなく息絶えていく。

 転がったむくろを億劫そうに片付ける男たちは、日常的な光景だったのだから。

 バレる前に逃げればいい。さいわいにもここは資産家で、こちらの動きを見張っている人間もいない。いつも近くにいるお嬢様は、目が不自由ときている。ちょっとした小物をかすめとったところで、気づかれる可能性も低い。足がつきにくいもの――どんな物がさばきやすいか、ジェフはよく知っていた。

 だが、こんなふうに穏やかな食卓は知らなかった。

 具のない薄いスープはただの水分。味がついているだけマシというだけのもの。

 日によって食事量は変化するが、それらを孤児たちで分け合うとなれば、平等とはならない。己のものは己で奪う以外、方法なんてない。

 それがジェフの知る食卓だ。

 調理場の片隅に置かれたテーブルには、温かな料理が並んでいる。

 主人であるカーティスやアリアに供されるものとは別のメニューではあるけれど、やわらかいパンはおなじものだった。切れ端とはいえ、肉やハムを焼いたものが並ぶ日だってある。

 ボイルされた腸詰めのソーセージは、ナイフをいれるとやわらかく切れる。噛みきれない食べ物しか知らなかったジェフにとっては、夢物語の世界だった。



「ジェフもいっしょに食べられたらいいのに」

「――それは無理だと思います」

「でも、わたしがお願いすれば、きっとだいじょうぶよ」


 カーティスが不在の昼間、アリアはひとりで食事をする。

 目は見えずとも器用にカトラリーを使いこなすのは、生まれた環境のせいなのだろう。自分で削った木のさじ、欠けた食器。穴が()くまで使う鍋など、このお嬢様は知らないにちがいない。

 空いた皿を片付けるために部屋を訪れた際に、アリアが名案とばかりに声を明るくし、ジェフは呆れながら言葉を返した。


「旦那さまだって、許すわけないです」

「じゃあ、今夜きいてみるわ」

「……なんでそんな意味のないこと」

 慣れない丁寧な言葉使いが乱れる。

 ぼつりと漏れた呟きは、視力に難があるゆえに耳のよいアリアには聞こえていたらしく、ぷうと頬をふくらませた。

「だってひとりはつまらないわ。おともだちと一緒に食べてみたいのよ。お茶会とかしたいの」

「なら、そうすればいいんだ」

「だから、そうしようとしているんじゃないの」

「なんだよそれ。おれが友達だっていうのか?」

「ちがうの?」


 さも当然のように問われて、カッとなった。

 熱くなったのは、顔なのか頭の中なのか、はたまた体の内側なのか。

 爆発しそうななにかが湧きあがり、ジェフはまくしたてた。


「バカじゃないのか? おまえとおれが友達になんかなれるわけがないだろ、そんなことあるわけがないっ」

「――っ」

 アリアが息をのんだ様子が伝わってきたが、ジェフはとまらなかった。

 能天気にもほどがある。

 自分とお嬢様には、天と地ほどの差がある。

 それはなにをどうしたって埋まらない差なのだ。

 年のころがおなじという理由だけで、傍にいることを許されているにすぎない。

 可哀想な孤児に対する憐み――温情だ。

 けれど、これでもうおわりだ。

 大声に駆けつけてくる使用人たちをすりぬけて、ジェフは外へ飛び出した。



  *



 ケインズ通りは、いつものとおり大勢のひとに溢れている。

 定位置ともいえる場所に座りこみ、ジェフはひとの波を見つめていた。


 皆どこかへ向かい、そしてどこかへ帰っていく。

 けれど、ジェフにはもう『帰る』場所がなかった。

 ついさっき、おそるおそる近づいてみた元の家には、立ち入りを禁じるようにロープが張られていた。

 外れた扉、割れたガラス窓からは、ひとの気配を感じない。(あるじ)をはじめとした使用人たちはもとより、手足として盗みを働いていた孤児たちすら戻ってきてはいないようだった


 まだ、投獄されているのだろうか。

 寒くもないのに、ぶるりと体がふるえる。

 見苦しいあざが薄くなってもなお、ジェフには肌を覆う衣服が与えられた。

 庭を含め、屋敷の掃除をしただけでほめられた。

 ジェフのために取り分けられた食事があった。

 おひさまのにおいがする、やわらかいふとんがあった。

 過ごした日々をおもうと、胸のうちがあたたかくなる。


 いつだって騒がしく、他人の目に怯えて生きていた。

 『家』とはいったものの、屋根があって横になれるだけの場所。孤児たちが生活するのは地下室で、下水の臭いが充満する部屋は、疑心暗鬼に満ちた空間だった。

 あそこへ帰りたいかと問われれば、積極的には肯定できない。他に選択肢がないというだけの――ただ、それだけの理由で求めたにすぎない。

 さいわい、この界隈には詳しい。雨風をしのぐ場所には心当たりはあった。手段を選ばなければ、どうとでもなる。

 元に戻っただけだ。

 頬に傷はあるけれど、この手は動く。

 ならば、なんだってできる。

 立ち上がり、ひとごみに身を投じようとしたその時、道の向こう側から、ありえない声が聞こえた。


「ジェフ、どこにいるの?」

 杖をついたアリアが、ぐるりと頭を巡らせている。カツカツと靴音を鳴らして歩いてきた男性とぶつかりそうになるが、すんでのところでアリアは立ち止まった。肩で息をつき、そうして再び声をあげる。

「ジェフ」

 少年は立ち上がり、ひとの波をすり抜けて向こう側へと辿りつく。アリアの手を引くと、建物の脇へ移動させた。通行人の胡乱(うろん)なまなざしを受けながらも、ジェフはくちを開く。


「なんで、こんなところに」

「ああ、ジェフ。よかった、見つけられたわ」

 安堵した少女の声に、ジェフは苛立つ。

「おまえ、バカなのか?」

「そうよ、とってもバカなのよ。だから、ジェフを怒らせてしまって。ごめんなさい」

「怒られるのはおれのほうだ」

「どうして? わたしがわがままを言ったせいなのに」

「ふたりとも落ちつきなさい」


 割って入った声は、穏やかな男性のもの。ジェフが目を転じると、カーティスが苦笑を浮かべて立っていた。彼は、随従していた家令に娘を引き渡すと、ジェフへと向き直る。

 こちらへ向かって伸ばされる手。

 主の拳を思い出し、衝撃にそなえて身構えたジェフの頭にそっと置かれたそれは、ゆっくりやさしく、まるでなだめるように動いた。

 こわばりがとけ、ジェフのくちから小さな声がもれる。


「――おれを捕まえにきたんだろ」

「出迎えにきたんだよ、ジェフ」

「迎え……?」

「皆が心配している。家に帰ろう」

「おれに家なんて、ない」


 吐き捨てた言葉はあまりにも弱々しく、ジェフは己が情けなくなった。

 いつからこんなに弱くなってしまったんだろう。


「なあ、ジェフ。きみが本当に出て行きたいのであれば、止める(すべ)を持たない。けれど、できることならば、我々と暮らしてほしいと願っているよ」

「でも、だって、おれは――」

「庭師として来ている青年はね、きみとおなじような子だったよ」


 変わらない穏やかな声で、カーティスは告げた。

 都市の影には、身寄りのない子供を使った犯罪組織が後を絶たない。そういったものをひとつひとつ潰すなか、使われていた子どもたちをどう生かすかは、個々の警備組織に委ねられている。

 カーティスは、そういった子どもたちをなんとか助け、社会で生きていく術を身につけさせたいと思っているひとりだった。自身の屋敷で雇用し、更生の手助けをしているという。

 彼は知っていたのだ。

 ジェフがいままでなにをしてきたのかを。

 そのうえで、自身の娘と引き合わせたのだ。


「アリアはね、目の障害のせいで、家にこもってばかりなんだ。おなじくらいの女の子たちに笑われたことが、ひどく堪えたらしい。それ以来、屋敷から出ることを拒んでいる」

 子どもの残酷さは、ジェフだって身に染みて感じている。

 打撲の多くは、主ではなく、周囲の子どもたちによるもの。

 もっとも幼く、それでいて器用に仕事をこなすジェフを、彼らが厭うていたことは自覚していた。

「きみは、アリアの知らない世界を知っている。アリアもまた、きみの知らない世界を知っているだろう」

「……おれとあの子はちがう」

「違うから、いいんじゃないか」


 きれいなもの、汚いもの。

 人生には、その両方が必要なのだとカーティスは言うが、ジェフにはわからなかった。

 汚いものなど、なければないほうがいいに決まっているじゃないか。

 眉を寄せる少年に、カーティスは微笑んだ。


 では、わかるようになるまで、うちにいなさい。


 落とされた言葉は胸に染みて広がり、どうしてか泣きたくなった。



   *



 オルフェン邸に響く時計の鐘は、どこにいても耳に届くほどに大きな音がする。

 目が不自由なアリアのために選んだそれは、振り子を揺らしながら時を刻む。


「ねえ、ジェフ」

「駄目です」

「まだなにも言っていないわ」

「言葉にしなくとも、わかります」

「黙っていれば、わからないと思うのよ」


 物置と化している空き部屋にお菓子を持ちこんで、お茶会の真似事をしていることは、ふたりだけの秘密だというけれど、子どもの考えることなんて、まわりの大人たちにはバレているにちがいない。

 茶葉も菓子も、わかりやすい場所に用意しているのは、大人たちなのだから。気づいていないわけがないのだ。

 能天気さに呆れつつも、アリアの意思を尊重しようとするジェフの行動もまた、大人たちにとっては簡単に察せられる程度であることを、ジェフは知らない。

 手先の器用な少年が、お嬢様の求める菓子やお茶を淹れられるようになるのは、そう遠くない未来のおはなし。





エブリスタの超・妄想コンテスト第107回「人ごみ」に参加。


舞台設定は、19世紀英国的な疑似世界。

児童文学っぽいものが書きたかったんです。


上限の8000字以内でどこまで書けるのだろう、ということを考えながら書いた話。

オチが弱い。



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