午後三時のシンデレラ
初出:エブリスタ
カン カン カン
鉄の板を金槌で叩いたような無骨な音が三回。
なんの感傷も感慨もなく、空虚な道に吸収される。
いつ耳にしても、何度聴いても、間の抜けた音だと思う。
台座に鎮座したカボチャや動物、鐘を鳴らす人物。
統一性に欠ける数体のオブジェを載せた台座が、極めて電子的な笛の音色を響かせながら登場し、そして一分もしないうちに退場していく。
かつては小さな噴水がそれらに合わせて放出の仕方を変えていたらしいが、今は噴水自体に水がない。
雨が降れば溜まり、そして乾いていくだけの場所には、誰かが放り投げたペットボトルがひとつふたつ転がり、パンの空袋やレシート、コンビニの袋に入った弁当の空箱などが散乱している。
先にゴミがあれば、その後に追従する人は絶えない。
罪の意識は薄れていくのが、集団心理というやつなのか。
僕は、可燃・不燃を選別しながら、別々のゴミ袋へと入れていく。
シャッター街、という言葉があるが、ここもきっと、そう呼ばれる場所だ。
僕にとっては当たり前の光景だけど、大人にとっては感傷を呼び起こすありさまらしい。
かつては賑わい、人が集まった商店街。
だからこその、カラクリ時計だ。
昼を告げる十二時、夕方を告げる六時に鐘がなり、音楽が流れるその時計は、商店街の中央に建っている。
かつて人々はそれを見上げ、買い物や飲食に興じたという。
人が集えば、自然とそういう店も増えていく。
時計台がある広場近くには、食事が取れる店が軒を連ね、昼時だけではなく、三時のおやつタイムにも賑わいを見せたらしい。
時計が、十二時と六時の中間――、三時にも時刻を告げる理由は、おそらくそれだったのだろう。
三時を告げるメロディは、他のふたつと少し違う。
出てくるカラクリもやっぱり違う。
よりメルヘンで、子供向き。
噴水を中心にした円形の広場、円周上に据えられたベンチは、赤や緑の原色に彩られ、カラフルに、鮮やかに、時計台を演出していたという。
中でも祖父が営んでいた喫茶店は、この時計が窓から見える絶好の場所で開業しており、カラクリ人形が見える窓際席は人気だったのだとか。
ここへ座っていれば、おまえもいつか、お姫さまに会えるよ。
窓の外で音を鳴らす時計を見ながら、祖父は幼い僕にそう教えてくれたが、果たしてそれはどういう意味なのか、僕にはよくわからなかった。
どうして「今」じゃないのか。
訊ねてみても、「大きくなってからだ」と言うだけだった。
そうこうしているうちに、膝を悪くして立ち仕事が困難になった祖父は、店から手を引いた。
祖母との思い出がつまっているという店は、近隣にできたショッピングモールのせいで開店休業。続けていく気力が失われてしまったのだろう。
周辺の店も似たようなもので、ほぼ撤退。シャッターがおりている。閉店しました、なんて張り紙すら、見る人もいないまま風に飛んで消えてしまった。
町の美化なんてものは、人が集まる場所に予算を振られ、寂れた商店街は恩恵にあずかることもない。
ゆえに、僕はこうして袋を持って、ゴミ拾いに勤しんでいるというわけだが、なにもボランティア精神に則っての行動、というわけではないのだ。
ゴミアートという言葉を知っているだろうか。
僕がやっているのは、それだった。
別にそれがお金になるわけではないし、趣味の領域だ。材料費がかからないため、道楽でおこなえる安上がりな趣味だと思っている。
気楽に言えるのは、僕がまだ高校生で、親の庇護下にあるからだろう。
ゴミを拾っていれば、商店街の会長さんに褒められるし、ちょっとした作品をつくって悦に入ることもできる。まさに一石二鳥。
祖父の喫茶店は、木目の調度品が揃うアンティークカフェ。揃えられた食器は外国製で、こちらは、亡くなった祖母のこだわりだった。
祖父の気持ちが折れてしまったのは、先立った祖母にも起因しているのかもしれない。
辛いけれど、手放すことのできない場所は、僕や両親によって定期的に掃除がされ、一応「店」としての体裁は保たれている。
僕はそんな店の一角に、作品を置いてみた。
今までは机に乗る程度の、例えば玄関の靴箱の上にちょっと飾ってみたりする程度の物だったけれど、その時に制作したのは、腕に一抱えするぐらいに大きな物だったからだ。
窓から差し込む陽光が陰影をつくり、なかなか素敵に映えた。
せっかくなので写真に撮って、SNSにあげた。
ゴミアートのタグをつけてアップしたそれは、学校の知人以外の人にも見てもらえたらしく、僕にしてはビックリするぐらいの通知がきて動揺した。
部屋に飾ってあるいくつかの作品も、せっかくなのでお引越し。
クロスが掛かっていないテーブルの上、木枠が影を作る窓辺、いい具合に色褪せたカウンター、脚の長いスツールの座面。
合いそうな場所に置いては、パシャリ。
空間との相乗効果があるのか、僕のあげた写真はたくさんの人に閲覧され、知らないうちにフォロワーが増えていった。
今日は、収集してきたゴミをさらに選別し、使えるものと、そうでないものに分ける日だ。
人通りなどないに等しい祖父の喫茶店の脇で、僕は軍手をした状態で目を凝らす。
陽の光を浴びて輝くものは、なかなか掘り出しものといえるので、こうして外での選別作業は理にかなっている気もする。
カチ。
ゴトン。
なにかが動く音がして、僕は顔をあげた。
音は時計台の方から聞こえ、長針が頂点を指そうとしていることに気づく。
三時の合図だ。
ふと、祖父の言っていた「特等席」を思い出す。
こんなタイミングで店の前にいるということは、神さまがくれたチャンスではないだろうか。
ギギギ……。
軋んだような音がして、時計台の窓が開く。
建てつけの悪い、変形した引き出しのように、ゴトゴトと迫り出してきたオブジェ。祖父が言うところの「お姫さま」など、存在しない――と思っていた。
ところが、こうして見上げると、奥にかすかに人型が見えた。
裾の長いスカートがひだを作り波打っている。頭に王冠のような飾り――ティアラというやつだろうか、なにかが載っている。いかんせん角度が悪く、影になっていてよく見えないけれど。
僕は喫茶店の中へ入ろうとしたが、鍵を開けていないことを思い出して焦る。
ゴト、ゴトン。
回転した像が、奥まった位置に隠れている女の子を僕の視界から遠ざけ、鍵を取り出そうとしている間に、一行は時計の中へと帰還したのである。
嘘だろ、なんだあれ。あんなの知らないぞ。
祖父が言っていた「特等席」の意味はつまり、角度の問題だったのだ。
あそこから見なければ、きっと彼女には会えない。
そして、小学校低学年児の身長でも、やはり見えづらい位置に隠れている。
一日に一度だけ、そして指定された場所でしか見ることの叶わない相手。
僕は翌日もそこへ赴いた。三時に合わせて席に着く。
迫り出してきた台座、カン、カン、カンと叩くだけの乾いた金属音が三回。
奥の方に隠れるようにいるお姫さま。
ふと、その足元がキラリと光るのが見えた。
片足だけが光を反射し、輝きを放っている。
ぐるりと回転するカボチャのオブジェと、四本足の動物。
劣化して、いくつかの箇所が欠落しているから気づかなかったけど、ひょっとしてあれは「カボチャの馬車」なのだろうか。
商店街だから野菜が載っているのだとばかり思っていたが、動物がいて、棒を振り上げた人がいるのは、そういうことなのか。
おそらく、部品がどこかに引っかかって、手前に出ることができなくなった女の子は、片方だけに靴を履いたまま、見つけられる日を待っている。
しかし、なんだってシンデレラなのか。
どうせなら、十二時に登場させればいいじゃないかと思ったが、何度か見ているうちに僕は気づいた。
足元に差し込んだ光が当たる時間帯は、三時の太陽なのだ。
十二時では高すぎるし、六時では低すぎる。
だから彼女は、午後三時のシンデレラなのだ。
無機質な電子音と、錆びついて壊れた、響かない鐘を復活させるにはお金が必要だけど、寂れた商店街に、時計に割くお金はない。
学生の僕にだってそんなものはないし、自分で修理しようにも、技術がない。
自宅兼店舗として住んでいる人に話を持ちかけても、積極的に動こうとしてくれる人はやっぱり少なかった。
商店街に人を呼ぼうと思っても、便利なショッピングモールが近くにあるのだから、買い物目的での集客は望めないだろう。
ゴミアートを飾り、写真を撮ってはSNSにアップしながら悩む日々をつづけていると、美術部の同級生に声をかけられた。彼は僕のSNSを友達経由で見たらしく、飾ってある場所に行ってみたいのだと、熱心に乞う。
さして隠すことでもないので、両親に話をしてから、彼ら(他にも仲間がいたらしい)を店に案内した結果、展示物が増えることになった。
祖父の喫茶店は、僕らの展示会場と化した。
鑑賞しに訪れる人まで現れはじめた。
これはSNS効果だ。
僕以外の人もSNSに写真を上げるようになり、どうせなら共有しようということで、固有のタグを決め、各自がアップするようになったせいだろう。
学校を飛び越して、他の校区の生徒にまで知れ渡るようになり、僕らの活動は賑わいをみせることとなった。
商店街は、以前よりも人が増えた。
広場のベンチは学生たちの休憩場所になっている。
昔からやっている食堂は、学生をあてこんでジュースやアイスクリームを販売するようになった。あそこのおじさんは、なかなかに商魂たくましい。
アンティーク観満載の祖父の店は、そういった要素が好きは人にはストライクだったらしく、展示よりも建物や食器を見るためにやってくる人――主に女子が増えてきている。もともと実用品だし、飾るためのものではないため、「お触り厳禁」というわけでもない。
だが、さすがに怒られるだろうかと祖父に事情を説明したところ、塞ぎがちだった祖父が腰をあげ、久しぶりに店へ足を向けてくれた。
僕のゴミアートに加え、美術部員たちによる作品、最近では金物細工が趣味だというクラスメイトも加わり、多国籍を擁する状態と化している。
ゆっくりと店内を歩きながら、作品を見てまわり、そして祖父はひとつの席に辿りつく。
時刻はもうすぐ午後三時。
カン カン カン
乾いた鐘の音が聞こえるなか、僕は祖父の隣に立って、同じく外の時計を眺めた。
おじいちゃん、僕、お姫さまを見つけたよ。
恥ずかしがって、奥に引っこんでしまったお姫さまを、いつか太陽の下に出してあげたいんだ。
壊れてしまったガラスの靴を修復して、今度は両足に履かせてあげようと思うんだけど、それはやっぱり無粋かな?
午後三時のシンデレラは、まだ僕と祖父だけの秘密だった。
エブリスタの超・妄想コンテスト第102回「3時」に参加。
いろいろ難航した。




