桜の雨が降る頃に 「ほんの少しの寂しさと」
初出:自サイト
「ファンタジースキーさんに100のお題」を使用
もしもいつか、離れることがあるのだとしたら。
それってなんか、寂しいなぁ。
*
囁きが聞こえて立ち止まった。
呼ばれたわけじゃないから止まる必要なんてないんだけど、こそりと聞こえた名前が気になったから。
特別聞くつもりなんてなかったんだけど、ああいう声って必要以上に耳に届くような気がするの、どうしてかな?
「未知、どうしたの?」
「んー、ちょっとー」
「ちょっと、なに」
「んー……」
答えあぐねて言葉を探していると、さっちゃんは「別にいいけどね」と呟いて、こっちにならって止まり、窓を外を眺めた。何を訊ねるわけでもなく、ただ外の陽射しを浴びている。
春のあったかい太陽は、のどかですごく気持ちがいいと思う。
そんな柔らかい光の下でさざめいているのは、新入生さん達だ。
「可愛いもんよねー、二年の違いって大きいわ……」
「そうだね、私達もあんな風だったのかな」
そよそよと吹く風が髪を揺らす。
窓枠に手をついて姿勢低く外を見ているさっちゃんは、こっちを向かずに訊いた。
「で?」
「んー。なんでもないんだよ。ほんとに」
さっちゃんは他の子と違って、しつこくは訊かない。
私の言うことも変な顔しながらも、それでもちゃんと答えてくれる唯一の女の子。すごーく頭がよくって、私の自慢のお友達。
だからこそ隠し事とかするつもりはないんだけど、たまに自分でもよくわからないことがあって、それをどうやって言えばいいのかなって思って、迷ってみたりするだけ。
中学から数えて実に八年にも至る時間で、それをきっと察しているんだろうな。
さっちゃんは特別訊き返そうとはしないで、そのまま外を見てるから。
だから私も一緒に眺める。
「高校から持ち上がった子、じゃないんだろうね、あれ」
「あそこの子達?」
「そう。あたしもさ、中学組だからなんとなくわかるんだけど、途中で入ると結構最初浮くんだよね」
「そうなのかなー?」
「幼稚舎からのあんたには、絶対わかんない感覚よ」
「そうかなー……」
「そうなの」
「うん。わかった」
言うと、くすりとさっちゃんが笑う。
いつもキビキビとしたイメージがあるんだけど(実際、クラス委員とかもよくやってたから、余計にそう思われてたのかもしれないけど)、さっちゃんは笑うとすっごく可愛いの。こっちもにっこり嬉しくなって、胸の中がほんわりあったかくなれるんだ。
「さっちゃん、大好きよ」
「……あんたって子はまた臆面もなくそーゆーことを」
窓枠についた腕に顔を埋めてさっちゃんは溜め息をつく。
「だって、私、さっちゃん大好きだよ」
「はいはい、ありがとう」
大好きな人がいて。
そんな「好きな人」を誰かが褒めていたとしたら。
それってすっごく嬉しいことだって思うんだけど。
「──なんでだろうなぁ……」
「なにが?」
疑問のカケラをつかまえて問い返されて、浮かんだことを言葉に乗せる。
「あのね、さっきね、聞こえたの」
「なにが?」
「あの子たちの声」
楽しそうに騒いでいたのは、今年この大学に入学してきた女の子達。
たぶん入学式が終わった後、教室に行って。それから学内を見学しているんだと思うんだよね。かつて私がそうだったから、わかるんだ。
勿論、学園祭とか、学校の行事で何度も学内に入ったことはあったんだけど、お客様としてみるのと、生徒としてみるのとでは、たぶん見えるものは違うから。
校舎の壁も、窓も。すごく新鮮に見えてくる。
ドキドキして楽しい気分になってくるの。
だからあの子たちも、ああやってキラキラしてる。眩しいぐらいに。
さっきさっちゃんも言ってたけど、新入生って可愛いなーって、そう思う。
良かったね、って。そう言ってあげたくなるのに。
「零ちゃんの話、してたんだよね」
「麻生くん?」
「うん、たぶんそうだと思うの。零ちゃん、入学式のお手伝いするって言ってたし、代表さんだからたぶん、どこかのクラスの案内したと思うし」
それがあの子達なのかなー。
考えながら呟いていると、さっちゃんは訊く。
「それで? 麻生くんがどうしたって?」
「うん。あのね、褒めてたんだよ」
カッコいい人だったよねー。
すごく頭いいんだって、あの麻生零ニって人。
全国模試の常連だって聞いたよ。
うそ、ほんとに?
中学ん時の先輩が、ここの高等部入学でね、聞いたことあるの。
頭良くて顔も良くて、性格もいいなんて、言うことじゃーん。
運動神経も悪くないって話だよ。
うわ、完璧超人だ。
彼女いんのかなー。
いるでしょ、そりゃ。
そうだよねー。
でも、先輩の話だと、付き合ってる人はいないらしいよ。
うそー。
でも、競争率高そー。
だけど、あんな彼氏いたらいいよねー。
頑張ってみようか。
無理無理、あんたじゃ。
「──ああ、なんか騒いでるの、話題はそれなんだ」
「うん、そうみたい」
今なお、続いてる話。最初に漏れた名前を聞いていなかったさっちゃんは、話題の主が誰なのか今まで知らなかったみたいだった。
「ふーん。言われて納得、だね」
「納得?」
「そ、納得。騒ぐ気持ちはたしかにわかる」
「わかるの?」
「目立つでしょ? 麻生くん」
「うーん……、そう、かな」
「──じゃあ、言い方を変える。知名度あるでしょ?」
「そうだね、それは、そうかも」
「同じ高校から来てたらともかくとして、知らなかったとしたら。話題にしたっていいんじゃないの?」
身体を起こして、窓枠に腰を預けて。
今度は背中に光を浴びたさっちゃんがこっちを向いて、まるで確認するみたいにそう訊いた。
いいとか、悪いとか。
そういうことじゃないんだよね。
たしかに零ちゃんは小さい頃から知られた人だったと思うんだ。
今思い返してみるとわかることだけど、幼稚舎の時も小学校の時も。担任だった女の先生は、零ちゃんには優しかった──と思う。
だけど誰もそれを「贔屓だ」って言わなかったし、そう思う人もいなかったと思う。そう言うと、「あんたが気づいてなかっただけじゃないの」と、さっちゃんなら言うかもしれないけど。
それでもたしかに零ちゃんは、うん。女の子に好かれてた。
告白とかもいっぱいされてて。
だけどいつも断っちゃって。
その度に「どうして?」って訊くの、なんかもう日課になっちゃったよ。
そうなんだよね。それと一緒のことなんだよね。今のことも。
でも、それなのにどうして寂しいなって思うんだろう。
さっちゃんが自慢の友達なのと一緒で。
零ちゃんは、自慢の幼なじみ。
誰かに好かれていることは、嬉しいことのはずなのに、どうしてかな?
「変だよね、おかしいよね。どうしちゃったのかなー」
「……たいした進歩だ──」
「どういうこと?」
「そのまんまよ」
「?」
さっちゃんが意外な物を見るような視線を向けるから、ちょっと尻込み。
なんかおかしなこと言ったかな、私。
不思議な顔をしてたんだと思う。
さっちゃんはいつもそうするように、例え話を持ち出して問いかけてきた。
「麻生くんに彼女が出来たとするじゃない」
「うん?」
「どう思う?」
「良かったなーって思うけど」
「それだけ?」
「えー? うーん……。どうかなぁ。だけど、零ちゃんが嬉しくて笑顔になれるなら、やっぱり良かったなって絶対思うと思うんだよ。私も嬉しいって思うよ、きっと、うん絶対」
確信を持っていうと、予想してたみたいにさっちゃんは頷く。
その鷹揚な態度は、すごくさっちゃんらしい。「じゃあね──」と、またいつもみたいに話を続ける。
「そうするとさ、必然的にあんたは一人になっちゃうわけだ」
「さっちゃんがいるよ」
「それは置いておいて。あたしがいない時は、麻生くんといるでしょ、きっとあんた」
「うん。それはそうかもしれないね」
「ところが、麻生くんに彼女が出来ちゃったとしたら、当然あんたじゃなくて彼女と一緒にいるわけだから、あんたは一人になっちゃうんじゃないの、って。そういうこと」
どう思う? そうなったら──
*
「嬉しいのに寂しいって、やっぱり変だよねぇ」
誰もいない室内に、呟いただけの小さな声がビックリするぐらい大きく響いた。
うーむとまた悩んでみて、悩みを悩みにしないためにここへ来た目的がちっとも達成されてないことに気がついて、もう一回落ち込んだ。
さっちゃんと別れて、私は部活塔に来て。とりあえずキャンバスの前に座って筆を握って。
そして出来上がったのは、よくわからないもの。
我ながら、もやもやした絵だなーって思って、止めることにする。
うん、本日の任務終了。
美術室を出たところで、ばったりと零ちゃんに出会った。
ついさっきまで考えていた人がいきなり目の前にいたからビックリして言う。
「お化け?」
「誰がだよ」
「だって、ずっと考えてたから、頭の中から出てきちゃったのかと思ったんだもん」
呆れた顔をして溜め息をつく姿は、見慣れるぐらいに見慣れちゃってる姿なんだけど、どうしてか今日は遠く思える。
窓の外にいて、それを遠くから見てるみたいな、そんな気持ちになる。
「零ちゃん、本物なの?」
「分裂した記憶ないから、本物だろ」
「そういうのって、知らないうちに増えるもんなんだよ」
「じゃあ、探し出して倒して一人になんねーとまずいよな」
今度は笑う。楽しそうに。
「で、俺は偽者に見えるのか?」
そう問いかけられて、そこで初めて足が動いた。
一歩二歩。
近づいて目の前にまで来て、そうして顔を見上げてみると、見下ろした瞳に出会う。
そこに映るのは私の顔。零ちゃんが見てる、私の顔。
「本物かな?」
首を傾げてわざと言うと、大きな手で頭をそっと叩かれた。
たしかな感触。
零ちゃんは、ここにいる。
当たり前のことだけど、今日はすごく素敵なことに思えた。
「本物さんだったら、私の欲しい物、ちゃんとわかってくれてると思うんだけどー」
「カフェオレロールと、ノンスイートのカプチーノ」
「大正解ー。よしよし、本物だねえ零ちゃん」
「で、なんだったんだ?」
「なにが?」
「考え事」
「なあに、それ」
「なんか命題があったから、絵描いてたんだろ」
「……えーとね。もういいの」
「そうか?」
「うん。いいの。ねえ、あのね──」
もういいって思ったのは、たしかに本当。
零ちゃんと話していたら、どうでもいいやって忘れてしまうぐらいに。
だけど、心の隅っこの、奥の奥の、ずっとずっとずーっと奥の方で。
小さな疑問はたしかに形になって残って、少しずつ重みを増していったことに気がついた時には、取り除くには大きくなりすぎていて。
だけどそれがぽっかりと空いた穴を埋めていたこともたしかなことだから。
寂しさを抱えることは、嫌なことばかりじゃないのかもしれないなって。
今ならそう思えるんだ。