桜の雨が降る頃に 「涙」
初出:自サイト
「ファンタジースキーさんに100のお題」を使用
「空っぽのコップに入る水って、何滴だと思う?」
「なんだ、それ」
「この前読んだ本にあったの。ねえ、どう思う?」
帰り道。
ついさっきまで、今日出た宿題の話をしていたはずなのに、彼女はいつもこうだ。唐突に話題を振る。
その「いきなり」具合があまりにも突拍子ないがため、周囲からおかしな目を向けられていることに、果たして彼女は気づいているのだろうか。
けれど気づいていたところで、そうされる理由がきっと思い当たらないに違いない。
教科書の詰まったカバンをブラブラと振りながらこちらの返答を心待ちにしている幼なじみに、彼は吐息と共に返した。
「ってゆーか、そのコップの大きさもわかんねーのに、どうやって答えるんだよ」
「えー。それってば屁理屈だよ」
「どこがだ」
「じゃ、誘導尋問なんだ。もう、ずるいんだから」
「前提条件もなしに答えさせる方がよっぽどずるいだろが」
しばしの睨み合いの後、先に視線を外したのは彼女の方だった。
悩みぬいて答えを搾り出すように、それでいて目だけは楽しそうにこちらを覗き込み、口を開く。
「じゃあね、ヒントね。えーとね、大きさはあんまり関係ないと思います」
「思いますっておまえ、それはアバウトだろ」
「ヒントは一個だけですー。はい、答えは?」
「……知らねーよ、そんなの」
「えー。零ちゃんならわかると思って訊いたのにー」
つまんない、と口を尖らせて足を速める背中を、こちらも歩を進めて追いつく。
一歩と一歩。
歩数は同じでも、距離は驚くほど簡単に縮まっていく。
難なく追いつくと、隣に合わせて速度をゆるめ、「──で?」と、次を促した。
「一滴」
すると、一言が返る。
「なにがだって?」
「だから、答え。一滴なんだよ」
「それでどうやってコップに水がいっぱいになるんだよ」
さらり、髪が揺れ。
小さな顔はこちらをわずか下から覗き込む。
「いっぱいにするなんて言ってないでしょ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。あのね、空っぽのコップに一滴垂らすじゃない? そうすれば、ほら。もうそれは空じゃないんだよ」
「──なあ、それこそ屁理屈だろ」
「そんなことないもん。事実ですー」
歌うように言うと体勢を戻し、元のままに歩き始める。
揺れる後ろ髪は、どことなく楽しそうだ。
勝った、と。
きっとそう思っているんだろう。
わずかに上下する肩からも、それが見て取れる。
仕方なく白旗宣言を兼ね、彼は尋ねた。
「で、なんでオレならわかると思ったんだよ」
「だって零ちゃん、頭いいし」
「でもこれは、頭で解く問題じゃないだろ」
「うわ、頭いいっていうの否定しないし」
「だって事実ですー」
節を真似て返すと、顔を崩して彼女は笑う。
これは数字で解する問題ではなく、感覚と発想によって導き出す問題。
こういったことには自分はかなり不向きだと、彼は思うのだ。
零。
なにも「ない」自分には。だから――
「なあ、未知」
「んー、なあにー?」
まだ楽しそうに笑いを残している顔を見ながら、精一杯意地悪そうな声で告げる。
「お返しに問題だしてやろうか」
「え、やぁだ。いいよー、どうせ意地悪な問題出すんでしょ」
「そんなことねーって、○か×か答えるだけ」
「そうなの?」
「ただし、制限時間10秒な」
「え?!」
「はーい、問題」
くるくると目まぐるしく動く思考。
予測もつかない場所へと辿り着く柔軟な発想力。
未知の答えを宿す幼なじみは、すでに泣きそうな顔をしながらも、考えることは止めたりはしない。
彼女の身体の中には、常に「なにか」が渦巻いているのだろう。
時折、全ての事柄を捨て去ってしまいたくなる自分とは違って。
「ずるいずるい。いいもん、泣いてやるんだから」
その瞳から零れ落ちる涙を、空の小瓶に受け止めれば。
空っぽの心は、埋まるのかもしれない。
その、一滴があれば。
乾くことなど、ないのかもしれない。
永遠に。




