桜の雨が降る頃に 「ただ欲しいと思っただけ」
初出:自サイト
「ファンタジースキーさんに100のお題」を使用
理由なんていらない。
飾り立てた建前なんて必要ない。
「考えすぎだよ、れーちゃんは」
*
自分には「物欲」というものが欠けているのかもしれないと自覚したのは、いつのことだろう。
幼い頃、お誕生日会と称して開かれたパーティーでクラスメイトがくれたささやかなプレゼントにも、胸を躍らせて喜ぶことはなかったように思う。
それでも外面だけはいいものだから、ニッコリ笑って「ありがとう」と微笑むと、女の子達の顔は漏れなく綻んだ。頬を染めて笑う彼女たちを見つめながらも、心の中ではひどく冷徹にそれを眺めている自分がいることに気づいていたのは、己自身と、そして「みーちゃん」だけだったと思う。
みーちゃん、こと「桜井未知」は、俗にいうところの「幼なじみ」だ。又の名を「腐れ縁」
町名は違うけれど「お隣さん」である桜井家とは、この家が建った頃からの繋がりだ。物心ついた頃からの付き合いで、互いに一人っ子ということもあり、半ば兄弟よろしく育ったものだから、哀しいかな言わなくても聞かなくてもわかることがたくさんある。
その時も、内心冷めていたこちらにいち早く気づいたのは彼女であり、「ぼーっとしてる」「何考えてるかわからない」と称されるけれど、これでなかなか聡い未知は、皆が帰宅した後にぽろり、と。まるでなんでもないことのように言ったのだ。
「れーちゃん、ぜんぜんよろこんでなかったでしょ」
「そんなことないよ、ありがたいって思ってるし」
「ありがたいって思うことと、うれしいって感じることはぜんぜん違うよ」
当りさわりない返し方は通用しない。
大抵の人間は騙し通す自信はあるけれど、その仮面は未知にはまるで通じないのだ。
「れーちゃん、欲しい物なかったの?」
「別に、取り立てて」
「ふーん……」
溜め息とともに落とした言葉を聞いて、未知はこう言った。
「ホント我が儘だよね、零ちゃんは」
「どこが」
「どこもかしこもー」
何も欲しがらないということは、欲しい物がもっと他にあるということだから。
ありふれた物じゃない、どこかにあるけどまた見つかっていない物を求めている欲求はすなわち、「我が儘」だと言い切った彼女は、あれから十年以上経った今も、同じことを口にする。
「すっごい可愛い子だったのに、どーして断っちゃうかなーもう」
「付き合う気もないのにその気があるように見せる方が失礼だ、っつったのは、どこのどなたさんでしたっけね」
「それとこれとは別なの」
「別じゃねーだろ」
「だってさ、零ちゃんいつも冷たい顔してるんだもん」
「いつも?」
「そう、女の子のお誘い断る時。内心、何考えてんだかモロわかりでこわーい。どうせ、つまんねー女だーとか思ってるんでしょー。ひっどーい、エッチー」
能天気な口調でスケベだと文句を言う未知に、俺は言葉をぶつける。
「それのどこがスケベだ。顔目当てに寄ってくる奴には興味ないの」
顔がいいって罪だよなーと空に向かって呟くと、「嫌味だなー」と楽しそうな声が返ってきた。
視線を戻すと、少し前を先歩く姿が見える。
長い髪。くせのないまっすぐな髪は、迷いのない彼女そのものだと思う。
彼女はいつも笑顔で、年齢を重ねるごとにますますひねくれていく自分とはまるで正反対だ。向こうが表ならば、こちらは裏。光と影。
離れているはずなのに、違う方角を向いているのに。
結局はこうして一番近くにいることは、まさに表裏一体だ。
けれど決定的に違うこともある。
同じであるけど、同じでないことは、たしかにある。
何も欲していない、留まりつづける自分と違って、彼女は常に前を向いて道を歩いている。
零である自分と違い、彼女には「未知」の可能性が、無数にあるのだ。
0と∞
無と未知数
まるで笑い話のようなコンビだ。
「まったく、難しいこと考えるよね、零ちゃんは」
「おまえが考えなさすぎるんだと俺は思うけどな」
「それが取り得ですからー」
「自分で言うかよ」
物言いに思わず苦笑いを洩らす。と、未知はまた唐突に言う。
「何もない、が、あるんだよ」
「禅問答する気ねえよ」
「もー、我が儘だなー」
「それも我が儘なのかよ」
「でもね」
前をぽてぽてと歩いていた未知はそこで振り返って、当たり前のように笑った。
「ゼロはマイナスじゃないんだよ。始まりなんだよ? だから零ちゃんは、いつだってどこからだって始められるし、何でも始められるんだよ。それってすごいよね」
言い切って頷く姿は、子供の頃と変わらない。
変わりつづける世界の中で、変わらない物もたしかに存在しうるのだと、いつも彼女は無言で提示してくれる。そのことに実は安堵していたのだと、まだこの時の俺は知らないのだけれど――。
「はいはい、それはどうもありがとう」
「どういたしまして。お礼は現物支給でお願いします」
「少しは遠慮という言葉を考えろ」
「えー、だって──」
「そうだな、言うだけ無駄だよな」
「失礼な。零ちゃんみたいに思ってるだけで言わないより、思ったことちゃんと言ったほうがいいに決まってるでしょ」
「言いたいことばっか言ってると、総スカン喰らうぞー」
「時と場所ぐらいわきまえてるもん。言う相手は、零ちゃんだけです」
「個人攻撃はんたーい」
「零ちゃんが言わないから、変わりに言ってあげてるのになー」
口を尖らせて、わかるようなわからないような言葉を吐く。
言いたいならば、言えばいい。
欲しいと思えば、そう言えばいい。
欲求に明確な理由なんてないのだから。
そう思うならば、素直に表現すればいいのだ。
「俺が考えすぎてんのか、そっちが考えなさすぎなのか。どっちもいい勝負だよな……」
「え? なにが?」
「別に、答えのない問題について考えてただけ」
「なにそれ、なぞなぞ?」
「たぶんおまえには永遠に解けない、な」
意地悪く笑ってやると、素直に悔しがるところが、彼女らしさ。
考えていないようで、だからこそ全てを見通しているかのようなことを、すんなりと言ってみせる。
それが、桜井未知という人だ。
「そうやって難しいことばーっかり考えてると、ハゲちゃうんだからね、知らないよ」
「いい男はハゲねーの。むしろ、ハゲてもモテるんだよ」
「あ、スキンヘッドかっこいいよね。ねえ、サングラスかけて、黒いスーツ着てよね、そうなったら。そしたら、ぴゅーって逃げるから」
「逃げんのかよ」
「だって恐いもーん」
「おまえ今、かっこいいつったろ」
到達した曲がり角を、何も言わずに供に右に折れる。
どこに寄り道をするとも、目的地すら口にしなくとも。
細い人差し指をぴんと立てて、未知がおもむろに問いかける。
「ではここで、麻生零二くんに問題です」
「はい、先生」
「桜井未知さんの今日のメニューはなんでしょう」
「わかりませーん。つか、言いたいことははっきり言うんじゃなかったんですか、せんせー」
「んー。じゃあ、今日はガトーショコラが食べたいです」
「生クリーム付き、だろ」
「大正解! お礼に奢られてあげましょー」
「普通は逆だっつーの」
カランコロン、カラーン。
ケーキ屋の扉が、正解の鐘を高らかに鳴らした。
自称探偵ジェイドを書いている時に色々と見えてきた「麻生零二」という人物。
彼が、別世界へと行ってしまう前――、日本にいた頃のお話です。
短い話を繋ぎ合わせているだけで、「本編」と呼べるものがないのですが、とても好きな二人です。