バブみについての考察
どんどん規制が厳しくなっていきそうなので、なんか書いてしまったヤツを投稿。ちょっとしたコミュニケーションみたいなものですかね。
友人に「ロリコン」と言われているやつがいるんですが、これは間違いなく仮性のほうのロリコンですね。女性にもてないことを知っているから二次元の女の子に走った、ってやつ。彼は食わず嫌いしないので、二次元の女児もダメということになればすぐに宗旨替えできると信じています。というか、彼のほうが対人スキルが高いですから、私がこんな心配をすること自体が筋違いなのかもしれませんね。
考察
愚者の黄金という言葉がある。言わずもがな偽物であり、それを手にして喜んでいる大馬鹿者がいる、という皮肉だ。それは黄金ではなく、色が似ているだけの真っ赤な偽物。溶かしてみれば、何ということか、それは鉄の鉱石であった―― という結末になる。
が、偽物ではいけないのだろうか?
黄金の価値自体が「見ていて美しいから」「誰もが価値を感じるから」という至極あいまいなもので、本物を手にしたから幸せになるとは限らないとすればどうだろう。ほかにも本物を手にして幸福でない場合がある。
例えばここになにがしかの汚いかけらがある。目を輝かせた青年が「これは縄文時代の遺跡から発掘された(略」と説明を始めても、あなたはそれに価値を感じられるだろうか。歴史博物館のお土産に売られた、縄文風カップ(980円)の方がよほど価値のあるものではないだろうか。
本物を重視する人は多い。かけらに対して「遺跡の価値を(中略)、放射線計測を行えば時代(中略)しかも土の成分(以下略)」というふうに熱く語る人も多かろう。「それに対してこのカップは装飾をそれっぽく(中略)、歴史的価値など皆無!」とむごいまでに貶す人は多いに違いない。売ってあって買う人がいるかどうか、自分で言い出したものながら微妙である。
使いようのない汚いかけら(本物)と、その時代っぽい装飾を施したカップ(真っ赤すぎる偽物)そのどちらの価値が高いかは、見る人の目によっても変わるが、はかりがたいものがある。粗悪すぎて困る本物と、良質な偽物どちらが良いのだろうか?
バブみ(読み:ばぶみ)……
いわゆる母性愛のこと。男性が使う場合は「この人から俺に向けられる母性愛を感じる!」というもので、女性の場合は「この子に対して愛したいという気持ちが湧き上がってくる!」というもの。オタク用語だったが汚染されつつある。
最近はネグレクト(育児放棄)が増加している。増加しているというか、表に出つつあると言うべきかもしれない。子育てができるような精神状態ではないなど原因は多岐に渡るが、抽象的に述べるのならば「無私の奉仕が消えつつある」とでも言えようか。
母性本能というものが否定されつつある。ストレスによって母乳が止まるのはもはや常識であり、産みたくなくて中絶することも増えている。女性は子を産んで育てる機械ではない、と女性自身が訴えている。個人のわがままによって次世代の命を適当にいじることが可能になったのだ。今は産みたくないが卵子を冷凍保存しておく、などという傍から聞くと大丈夫かと思うような超理論も展開されている。いつ産みたくなると言うのか、いや、その頃には着床が可能なのだろうか。
夏目漱石あたりが(読んでいないので適当だが)誰もが「個人」になって角付き合わせてそれを主張するようになったのだ、と嘆いた通りである。
子を産んで育てるのは「やるべきだがやらなくていい」ことであり、「べき」の部分を自分の勝手にできるならやりたくなるまで放っておいてよい、ということになった。義務として押し付けられなくなった結果、志を持つか偶然やらなくてはならなくなった人以外が子育てをすることがなくなったのだろう。それ以外の事例ももちろんあるだろうが、ここではそのようになったものだと考えよう。
さてここで本題に入ろう。「バブみ」について、である。
オタクという種類の人間を、この文中の言葉を用いて説明するならば「偽物で満足している人」ということになろうか。何の偽物かというと「愛の偽物」だ。
筆者が大きな影響を受けている本田透の『電波男』では、恋愛とはすべてが偽物だということになっている。つまり二次元に恋をするのも同じだ、という言い訳めいたものを感じるが、間違いは少ないと考える。
実際に抱きしめられて「好きだよ」と言われたときの脳の反応と、ゲームキャラクターが録音されたボイスで「好きだよ」と言ったときの脳の反応が同じであれば、両者は同じものであると考えることができる。本物と偽物は同じ価値を持つことになるのだ。
ゲーム内の恋愛であれば、当然ながらボイスは声優のセリフでありテキストは打ち込まれたもの、そのキャラクターが好意を寄せているわけではなく好感度が一定水準に達しただけである。ある条件に対してプログラムが反応したにすぎない。
ここで、本物の恋愛に価値があるかどうかということを考えてみると、一概に「仮想の恋愛は現実の恋愛に劣っている」と言えないのではないか。恋愛に費やす金額や飽きるまでの期間、人間そのものの価値などを考えると、しばしば現実の方が劣っていることに気付く。この辺りはオタクの主張する「二次元女子と三次元女子の差」をご覧いただければ簡単に分かるものだと思われる。経年劣化や同時に相手できる人数なども、仮想の方が勝っていることがある。ことがあるだけで完全に優っているとは言えないが。
本物の愛を得られる人はあまりにも少ない、ということは暗黙の了解である。暗黙にもほどがあるため公には口にされず、口にされないと分からない輩を騙すためのトンデモプロパガンダが飛び交っている。だったら偽物でも、と思った人々を彼らは決して許さない。現実世界で生きることばかりに囚われ、誰も現実を脱出できないのだ。
とっくにゴミに変わった本物と、現役時代のそれと同じように使える偽物があったとしたら偽物の方に軍配が上がる、と私は思う。言わずとも分かろう、現実の愛が得られないのなら架空の愛で済ませてしまう人は非常に多い、ということである。
だいたい現実の愛を得られない人が多すぎる。不細工、奇妙な行動をとる人、やたらカッコつける人や趣味が変な人、どれも「モテない」。男女どちらでも同じである。いっとき性交の相手を務めることがあっても、その後が続くことはない。
そもそもからして筆者の恋愛の基準は「まず顔を見て、そこからは好きになればいい」という極めて自分勝手な物言いなのである。後半部分だけ切り取ってみれば聖人のようにも聞こえようが、筆者は男、「まず美人じゃねえと恋愛対象にはならねえ」というとんでもない発言をしちまっている。事実を分かりやすく取り出すとはなんと残酷なものだろうか。
ところが偽物の愛というものを得るには、いや、何もいらない。道具、机、空間、誰かからの指導や特殊な薬剤もいっさい必要ない。いや、もしかしたら手も足も、目も耳もなくても、体が半分なくとも実行できるのかもしれないほど、偽りの愛は簡単に手に入る。というのも、他者から向けられる愛を自分の中で再現すればよいだけだからだ。突き詰めて簡単に言ってしまうと「誰かに愛されるという空想をする」ことができればよい。
偽物である。それは間違いないことだ。というかそんなことは自明の理にもほどがあり、気にされることは少ない。夢は叶わないから夢なのだ、と言われることがあるが、空想は現実にないから空想なのだ。現実にあったら気持ち悪いものも空想の中では独自のリアリティーを持って存在することができる。モン娘や人外と呼ばれるジャンルなど、とてもじゃないが現実に存在できるとは思えない。キュクロプス、アラクネ、どれも気持ち悪くてとてもとても恋することができる女性には見えないだろう。
そこで、逆に考えてみよう。現実の異性はあなたを愛してくれるだろうか? ここでイエスと答える方にはこれを読む必要も資格もない。本物の愛が手に入る人には、偽物の愛など必要ないからである。逃避的に「こちら」へやってきた人物が作り出したものが架空の愛なのだ。この架空の愛は、オタク用語で「萌え」と呼ぶこともできる。
ここでようやく、本当に本題に入ることができる。実に長い道のりだった。当然ここまでで「長すぎ」と言って投げ出している人もいることだろう。
ここで「愛する対象」に目を向けてみよう。何でもありだが、いやいや、よく考えると自分を愛してくれそうにない相手もいる。
若い女性…… は、現実では自分を相手にしてくれない。とするとリアリティーが薄いと言える。不可能ではないが、きちんとした動機付けは難しい。
現実に存在しないものだと、世界観は強制的に固定されてしまう。ファンタジーなりスペースオペラなり、そのようなキャラクターが出てこられる世界観でないといけない(『血界戦線』のようなカオスもあるが)。
すると、意外に相手は限られてくることになる。自分に対して無条件の愛情を向けてくれそうな相手とは、誰だろうか? そう考えたときに我々は原初の風景へ戻ることができるかもしれない。できない人は、それを想像することができないかもしれないが…… それに関しては、私は何もして差し上げられないのが本当に悔しい。
家族である。
子供が生まれることはただの現象であり、そこに一切の感情は必要ない。力みがあれば子供は子宮から経膣分娩できる。帝王切開が必要な場合も…… いや違う、そうではなく、究極的には愛がなくとも子供が生まれることは生まれる、ということなのだ。
母親の愛情というものがある。お乳を飲ませたりおむつを替えたり、というまあ基本的な世話である。義務感からなされているにせよ、子供はここに確かな愛情を感じる。アタッチメント、という専門用語で表されるそれである。
これはありとあらゆる人にとって、唯一絶対の愛情なのだ。
大きくなるにつれて非行をするだとか可愛くないだとかわがままだとか、親はさまざまに言うが子供は親を信じている。それは間違いない。主に育ててくれた親は、人にもよるが、やはり母親だろう。マザコンが増えるのも致し方ない。なぜなら、愛情を示してくれた(とは限らないが、本人はそう受け取る)相手が母親しかいなかったからだ。
ならばこのキャラが母親になってくれるかもしれない、というそれは、つまり相対化不可能な強い愛情をこのキャラクターが注いでくれる、ということなのだ。いわゆる「オレ以外の男を知らないから、ずっとオレを愛し続けてくれるだろう」という「処女厨」に似ているところがあるかもしれない。そのキャラクターが、自分だけを愛し続けてくれる、しかも歳をとったからとか他に好きな相手ができたからという理由で愛情が変わることはない。親子だから、関係の変化もしようがないのである。
本田透の言う「愛を求め、幸せになるために」「現実世界において犯罪等の危険な行動を引き起こす要因を癒すため」偽物の愛を得るのは、自分にも他人にも優しいことだと私は考えている。幸せになれないことが分かってしまうと人間は混乱し、精神を病んでしまう。そして些細な(発言者はそう思ってはいるが、かなり無神経な)言動で傷付いて爆発してしまうことになる。
ここで抑え込むことができれば、それも表面上誰の助けも借りないで、自分の力だけで立ち直ることができたら、どうだろう。求めたがゆえに不幸になる現実の愛より、ずっとずっと価値があると思えるのではないだろうか。
恋をした女性は美しくなると言われる。前よりも明るくなったね、と言われた人は誰かとコミュニケーションをとるようになったのだろう、と推測できる。愛情は人間にとって不可欠な、精神的必須栄養素なのだ。
オタクは犯罪者予備軍だと言われる。が、予備軍くらいいくらでもいる。というかオタクなどよりはるかに危険な連中を野放しにしていながら、フォーカスをずらしているにすぎない。愛情に飢えているという点で見れば、そして嘲笑されることが多いとすると、確かに犯罪者予備軍が紛れているかもしれない。だがそれは解決可能な課題だ。オタクに限らずやるやつは何をやっていても、そこにいてもやる。それが事実なのだ。あんな人がやるとは思わなかった、ではない。その人を見抜けていなかっただけのことだ。
空想することをキモいと罵る相手について、現実で満たされているのだろうか、などと考える必要はない。本当に満たされている人はそんなことに時間を使わないのだ。まあどこかに雇われて炎上芸や「オタクのイメージダウン」を仕事にしているか、他人を馬鹿にしないと自分を保つことができない弱い人間だろう。相手にしないか、助けると思ってゆるやかに対応してあげよう。
いかなゴミのような人間でも、筆者のように放射性廃棄物級のいらない人間でも、愛が欲しいのは事実だからだ。バブみに走ることこそないが、空想世界をいくつも作ってそれを旅することで、気分によってその日の旅を変えていたりする。
現実で愛を得られない人は、圧倒的に多い。というより、最近の風潮ではこれも致し方ないと言える。男女のコミュニティーはそれぞれ分かれており、通常の恋愛をする機会はほぼない。好きな相手を見つけることはあるが、アタックする人はかなり少ないことだろう。女と見れば口説く男というものも、もはや古代の遺物になりかけている。文字通り「美男と美女が」恋愛をしていることはあるが、普通以下だと何も起こらない。異性から愛を得られることがある可能性というのは、こんなにも少ないのである。
草食系だの絶食系だのとばかばかしい**みたいな分類が少し前に流行ったようだが、あれは恋愛によって利益を得る大人の世代が懐かしんで「なんで!? なんで恋愛しないの!?」と叫んでいるだけだ。じっさい、性欲だの食欲だの根源的な欲求と結びついた商売はなかなかに儲かる。既得権益保守がしたいのはよく分かるが、からくりを見抜かれては致し方ない、方法を変えるべきだろうと筆者は思う。
結論として、さまざまに流れゆくブームでも底にあるものがまったく同じだ、ということを言っておこう。要するに愛されたいのであり、愛したい。だから「愛してくれそうな」キャラクターを脳内に作るのだ。「俺の嫁」しかり「妹」しかり、ここで主題として取り上げた「バブみ」も。現実では決して得ることのできない愛と充足感を得ることができる。そのような相手が、精神の傷を癒したり安定を得るために必要なのだ。
現実世界に「生きすぎている」人は、ストレスを溜めやすい。だが、自分の身一つでストレス解消が叶うとしたら、アルコール依存やタバコや、薬物、そんなものよりずっといいのではないだろうか。過度の食事や睡眠、やたらと金がかかる趣味、それよりもずっと健康にも財布にもいいのではないだろうか?
現実でないと現実感を感じられない、という人は多いだろう。むしろその方が自然かもしれない。二次元に飛んで楽しんでいる人は、進化において奇形かもしれない。だが、進化論で言うところの「自然淘汰」が消滅させるのは、いったいどちらなのだろう?
答えを言うまでもないこの問いに、読了したあなたは答えることができるだろう。
つい書いちゃいました。いや、あんまりうるさいものだから。ロリコンがどうの、オタクキモイの例のあれがやたらと目につくんですよね。コメント稼ぎにまんまと釣られているとは気づきつつ見るアホ。そんで書いちゃう馬鹿。
犯罪者予備軍という言葉をよく目にしますが、本当のところ爆発みたいなものが犯罪なので、ストレスたまってる人はぜんぶこれなんですよ。原因を見つけて安心したいのは分かりますが、短慮は良くない…… って感じに冷静に言っても、これを見ない人のほうが多いんでちょっとあれですが。見たところで止められる人のほうが少ないですし、衝撃動画とか言って撮影してるんですよね? そっちのほうがよほどイカレてるような。
あと、だれが追い詰めたのかってところも、犯人探しにならない範囲で重要だと思いますね。たまに同情の余地がない人間はいますが、おおかた治療できる人間なので。
以下、本文中に出てきた用語の解説です。
用語
「仮性のロリコン」
仮性ペドファイル(小児性愛者)のこと。真性ペドファイルは性欲や恋愛の対象が女児だが、仮性の場合は自信のなさやトラウマなどから同年代、適齢期の女性を愛せなくなっている状態。治療すれば『普通の』男性になると思われる。普通が幸せなのかどうかは本人次第だが……。
「愚者の黄金」
「fool's gold」の邦訳。黄鉄鉱など、金に似た鉱物全般のこと。輝きは金に似ているが、まったく別物。鉱物の本を見ると必ずと言っていいほどよく掲載されている話題なので、興味があれば調べてみるのが良い。
「黄金の価値」
不明。宇宙全体で見て確かに貴重ではあるが、電子部品などかなり雑な使われ方もしている。
「ネグレクト」
育児放棄。広義では子育てを怠ること。具体的には食事の世話をしない、教育を行わない、精神に悪影響を及ぼす行為をする、関わらないなど。これらを受けた子供が親になったときこの行動は反復されるため、ネグレクトはもっと認知され、治療されるべきである。
「母性本能」
母親になった女性が持つとされる、子供を守り育てようとする感情のこと。実在は非常に疑わしいが、動物には多くそれらしきものが確認される。
「愛の偽物」
現実世界で恋愛関係にある二人や親族関係にある数人が互いに持つのが「愛の本物」だとして、現実から架空世界へと向けられる愛のこと。一般にキモイとされるが、理由は明確。現実の男性や女性に価値がなくなると困る人が多いため、マイノリティー扱いして参入者を減らさねばならないからである。
「ゴミに変わった本物」
この場合、普通の男性が愛することができない女性のこと。いわゆる「こいつのこの条件はいくらなんでも無理だわ」というイメージがあれば、それこそがこれ。確かに、どうあっても、間違いなく本物だが使えないこともまた事実。
「モン娘・人外」
美少女キャラクターの変形。体の一部、もしくは半分以上に怪物の特徴を持つのがモン娘。設定上人間ではないキャラクターが人外。人外はモン娘も含む。
「若い女性」
確かに価値がある現実の人間。正しい自己評価ができず苦しんでいることが多い。
「家族」
定義が難しいため、ここでは読者の調査に丸投げする。
「本田透」(ホンダ・トオル)
思想家、ライトノベル作家…… と、筆者は思いこんでいる。wikipediaなどにはそんなことは書いていない。なお少女漫画の主人公にも同姓同名の人物が存在するが女の子で、ライトノベル作家本田透のほうが先にこの名前を使い始めたとしている。真相は不明。
「犯罪者予備軍」
最近よく使われる言葉。将来犯罪を犯すとされる集団をさす。こんなに見えやすい予備軍がいるわけがないのだが、何かしらの原因を見つけて安心したい**の集団がこれらを定義しているのだろう。現実にこれらの例を見つけたら、できる限り予防に努めるべき、だが……。
「自然淘汰」
ダーウィンの提唱した進化論の重要な考え方。「適者生存」とセット。自然に適応できる形質を持つものと適応できない形質を持つものがあり、適応できなかったものが消えていくという学説。これが提唱されてしばらくは「お前が奴隷になったのは自然淘汰の結果だからwww 勝ち組の俺マジ進化してるwww」というようなくだらないことをいうアホが増えたらしい。