命を懸ける人より人生を懸けていただけると素敵なんですが
訴えに、
『私は自らの命を懸けております!』
自分の意思がどれだけの物か伝えるため、言葉を大袈裟に使うだろう。そう本人、大袈裟と思わずとも。
悪が潰れれば良いと頷けるのなら正々堂々と、理路整然に、青いなぁってくらい全うに戦おうとする。
鼻で笑う。
「将棋を指した事、ありませんかね」
伊賀吉峰が内心込めたくなる怒りは、軽々しく。そして、無責任で偽りな感情にだった。
『”共に悪を倒しましょう”!おかしいじゃありませんか!』
多くの国、社会。
「それは1人が怖いだけじゃありませんか?」
自らの訴えに全力を掲げながら、相手の失態について掲げる。真剣に批判するのは構わないが、まるで居酒屋に通うおっさん共の愚痴だ。人の心が良い話より、悪い話の方が意識するのはそうだが。未来を明るくしたいのなら、不毛な愚痴を吐き出している場合じゃないだろう。
金、人脈、宣伝。やらなきゃいけないこと、必要だったものを揃えなきゃいけないのにな。
「王将を崩せば勝ちなんですよ」
非道で正しき事じゃなければならないと、正々堂々と戦う誠意は評価するも結果伴わず、敗戦する者に『頑張りました』などと、良い子してましたねという言葉が贈られて満足するならば、
あんた本当に命を懸けてやってたの?
悪に屈するわけにいかないのなら、悪を消すといい。なんだろうか?正々堂々と倒さなきゃいけないと思っているのなら、負けて良いのか?
善良な市民が、食い殺されている市民が、可哀想だから自分が命を懸けますと言う。
でも、負けました、ごめんなさい。
「死んでも王将をとりなさい。責任は謝罪ではなく、行動です」
悪に花道なんざない。だから、引導を渡してやればいい。悪を滅しろよ。悪を裁くのは神様や天使じゃないといけないのか?人間が人間を喰らうのなら、こちらも喰らえば良いこと。相手は関係ないし、忌み嫌っているのならなおさらに殺すのだ。
◇ ◇
そーいう意味では率直に、立派な訴えと行動。立派過ぎる悪であり、悪の悪だった。
パァン パァンッ
『テロです!銃を持った男6人が市民に向けて発砲を……』
邪魔する奴がいれば消せばいい。排除に対して多少の愉悦を感じながら、人に迷惑をかけている生き方を選ぶ者。強い訴えが敵わぬのなら、より強い訴えよりも、ただ強い武力でねじ伏せれば良い。それだけの事。
それこそシンプルに、勝った者の支配。
そうじゃない?違う?
悪を倒したいと、話し合って決めることは、和解や脅迫といった手段でどうにも、結果がそぐわないと伊賀は思っている。
遠い道のりであるのは変わらずも、誰もが速い収束への近道と可能性への開き。復讐者を産もうと、こちらも応戦すること。銃を喉元に突き付け、納得させること。
悪い奴がいるのなら、良い奴ぶる必要もない。
「もっともですが」
そーいったロジックをかけた場合、最後に生き残るのは人間ではないだろう。
上空を飛ぶ無人戦闘機は、遠くの母国から発信された指令を行うため飛んできた。迎撃の難しい上空にて、人が無謀な迎撃を試みたり、逃げようとして動き回る間に、数百の爆弾を落としていくのだ。無差別に、そこにいる人が死ぬように落とされた爆弾。
ドオーーーンッ
人が死なず、人を殺す。そーいう時代。自分という人が、平和を訴えるのにはちょうどいい理不尽な戦い方。
「まぁ、互いに遠いです」
伊賀は爆撃によって、何もかも吹き飛んだ土地を買いこんだ。なにかを得るのは訴えるよりも、破壊する、自分で立て直す、息のかかった人材を投入していく、しっかりと発展させていく。
不利な事があろうと、自分の命が絶たれようと、悪人だと罵られようと、非道に慣れること。
ゴクゴクゴク
コーヒーブレイクをしながら、今日も悪だの正義だの、訴えの合間を縫って、見ず知らずの人々を殺しながら生きている伊賀吉峰であった。




