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13/13

一期一会

13、一期一会

会社の飲み会の日はあっという間にやってきた。

萌々子が最初に知らされた時には1ヶ月後ということだったのだが、仕事が忙しく、プライベートも充実していると時の流れというものは意外と速く感じるものなのかもしれない。

隣接のグループホームとの飲み会は、施設同士で職員がいないときに融通しあうことができるよう、普段からお互いの顔を知っておこうという名目で行われるらしい。

飲み会は駅前の少し大きな飲み屋で盛大に行われた。

参加者は10名近くになっていた。まあ・・・盛大と言ってもお互いの施設から5人ずつ出席者が来れば10名になるのだから、二つの施設の合同の飲み会にしてはそんなに規模は大きいものではないのかもしれない。

席順も同じ施設に固まらずに、お互いが話ができるような席順で飲み会は始まった。

参加者はすずらんからは、ホーム長の安埜朋美、1階のリーダーである萌々子と2階のリーダーである恩田恵。1階からはシフトが空いていた関係で月神雫が・・・2階からは内海敬が参加することになった。

隣接のりんどうからは、ホーム長の田村悟朗。彼は朋美と同期入社だったらしいと萌々子は聞いている。年齢も萌々子と同じだと聞いた。

他にも萌々子たちと同じように4人、職員が来ていた。

『では・・・お疲れ様です!』

田村がビールのジョッキをもって声をかけると、その場にいたみんながジョッキお互いのジョッキに軽くぶつけて乾杯をした。

萌々子の席の前には田村がおり、隣にはりんどうの1階の職員でもある小川麻衣子という女性が座っていた。

麻衣子は萌々子より少し年上の女性だったが、聞くと一時期結婚はしていたものの、旦那と別れて今は独身であるとのこと。理由はよく分からないが、介護業界にはそういう『わけあり』の女性が少なくない。

『よろしくね~。』

『はい。よろしくお願いします。』

麻衣子の声は喉の焼けたような声だった。

かなりのハスキーボイスである。話し方というか・・・全身から醸し出すオーラが彼女の貫禄を表しているような気がしたのは萌々子だけだろうか。

年齢としいくつ??』

『ぎりぎり39歳です。』

萌々子は笑いながら言った。

よく年齢を気にする女性がいるが、萌々子はあまりそのことを気にしたことはない。

年齢など、みな平等に重ねていくものなのだ。そんなことをいちいち気にしていても仕方ない。確かに以前は、この年齢になって結婚もできず、仕事もそこそこで・・・プライベートの充実していない自分を悲観していたが、それも年齢がどうのこうの・・・というよりはそれなりの人生経験を積んできたにも関わらずその程度のことしか積み上げて来れなかったことが悲しかったのである。

以前から萌々子は年齢そのものに関して、さほど気にはしていない。

『え~!!あんた思ったより年食ってるのね~。』

『そ・・・そうですか・・・?』

初対面で年齢としを聞くというのは、ずいぶん不躾な話ではあるが、介護業界は女性の方が多く、

業界が長ければ長いほどこういうことには疎くなる女性は多い。

そもそも萌々子はこの手のことは気にしていないのだが、良く考えてみたら特殊な世界なのかもしれない。恐らく麻衣子がこういうことを言ったのも酒の席だったというのもあるのだろうけど・・・。

『いくつに見えました?』

『20代後半ぐらいかな?』

『え~。そんなに若くないですよ~。』

萌々子はビールをぐいぐいと飲みながら話した。気が付けば目の前には空のジョッキがどんどん増えていく。

やっぱり生ビールは美味しい。

家で飲む缶ビールとはえらい違いだ。

『おお~。良い飲みっぷりだねえ。』

麻衣子は感心したように言った。若干呂律が怪しくなっているところを見ると彼女も少し酔っているのかもしれない。ふと萌々子が見ると内海敬はりんどうの1階のリーダーであると名乗っていた男性と何か真剣な顔をして話していた。

仕事の話でもしているのだろうか。

萌々子にはもう以前のような恋心はないのだが・・・。

ぼんやりと彼を見ているとやはりうっとりとしてしまう。

萌々子は『やっぱりかっこいいなあ・・・。』と心の中でつぶやいてしまった。

『かっこいいよねえ・・・お宅の彼。』

そんな萌々子を見逃さず、麻衣子はさらに敬の方から視線を外さずに言った。

『毎日が楽しいですよ。』

『だよねえ。あたしも彼がいれば毎日が幸せだわ。』

見ているだけで幸せ・・・というような若くてかっこいい男というのは山ほどいるのだが、大体そういう男というのはTVの中いるか、現実にいても近くにはいなかったりする。

これはいい男だけに限らず、いい女にも言えている定義かもしれないが・・・。

ところがすずらんには、近くにそういういい男がいるのだ。そりゃ、仕事にも精が出るというものである。

『残念ながら・・・』

萌々子が言おうとするとその言葉を麻衣子はビールを飲みながら左手でさえぎった。

そしてジョッキの中のビールを半分以上飲み干してから言った。

『いい。そういう負の情報は耳に入れないで。』

そう言われると萌々子は余計に今言おうとしていた負の情報を流したくなった。

『いやいやいや・・・聞いてくださいよぉ~。』

少し酒に酔ってきたのかもしれない。それか酔ってはいないものの酒の力で明るくできるのかもしれない。なんでこんなに楽しいのか、萌々子自身よく分からなかったが楽しければそれでいいや・・・と思った。


宴もたけなわになると席を立っていろんな席に移動しながらたくさんの人と話そうとする者がどんな飲み会の席にも現れる。それなら時間ごとに席替えすれば良いようなものなのだが、それだと落ち着いて呑めないというものもいるから、こういう飲み会というのは難しいのかもしれない。

『川本さんは仕事じゃないときは何やってるの?』

よく言われる質問だ。

初対面の人間に聞くには一番いい質問かもしれない。その会話から趣味が分かるし、趣味が分かれば会話も広がっていく。りんどうのホーム長をやっている田村という男性は少しおしゃべりがすぎるような感じがする。たぶん、普段は会話の苦手なタイプの人間なのかもしれない。

恐らく不器用な人間なんだろう。

人のことはとやかく言えた義理ではないが、田村がこの年齢としまで独りでいるのはその不器用さに起因するのかもしれない。

萌々子自身、基本的には話が得意な人間ではないからそういう人の特徴はよく分かる。

ついつい、酒の勢いに任せて言わなくてもいいような軽口をいってしまうのだ。

『えーと・・・。』

何と答えようかと萌々子が迷っている間に田村は自分の話をしだした。

何と答えるか迷う方も迷う方だが、自分の話をしだす方もどうかと思う。ただ、たぶんこれが彼が会話を苦手としている証拠なのである。

たぶん、田村は萌々子の趣味が自分にはまったく興味のないものだったことを恐れているのだろう。だから先手を取って自分の話をしてしまう。

萌々子にもそういうことはよくある。

実際、何と答えようか迷ったのは、もし田村が自分の言った話など全く興味がなかったらどうしよう、場を盛り下げてしまうのではないか・・・と危惧したからだった。

『本とか映画は好き??』

田村は言った。

きっと彼はそれが好きなのだろう。

残念ながら萌々子はそれらのものには興味がない。

『あ・・・たまに観ます・・・。』

『たまに・・・』という言葉は便利である。5年に1回ぐらいでも『たまに・・・』になるのだ。

『どんなもの読んだり観たりするの?』

『そうですねえ・・・。』

今度は本気で悩んだ。

萌々子は曖昧な返事をしてこうやって答えに困ることが少なくない。大体、本など、『たまに・・・』どころか全く読まないのだ。活字を見ると眠くなるし、映画も特段お金を払ってまで見たいとは思わない。前に見たのも新聞屋が家に置いて行った無料ただ券で数年前に見に行ったぐらいで、見た映画の名前も忘れてしまった。

『坊ちゃんとか・・・。』

萌々子が夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだのはまだ高校生の頃であり、しかも学校の課題図書で仕方なく読んだのである。もちろん内容も覚えていない。

『そうなんだ・・・。坊ちゃんってオレはあまり好きじゃないんだよね~。』

田村がそういった瞬間、田村の左隣から強烈な張り手が飛んできて彼の頭をはたいた。

りんどうのホーム長に対してこんなことができる人物はこの場ではただ一人。

『わ!だ・・・大丈夫ですか?!』

思わず中腰になって萌々子は言ったが、彼の左には怒りに満ちた表情をしている朋美がいた。

『女の子の会話を否定するんじゃない!』

『いてて。いや・・・別に否定はしてないよ。』

『してんじゃんよ。女が好きと言うものは、あんたはキライでも好きというものなの。』

『え?嘘つけっていうの?』

『嘘じゃないわよ。』

朋美の目は完全に座っていた。

これは絶対に酔っ払っている。萌々子は『逃げた方が良さそうだ。』と心の中で思い、トイレに立とうとした。

『ちょっと・・・あんた。どこ行くのよ。』

『え?いや・・・トイレ・・・。』

『トイレ??そんなもんガマンしなさい。』

いつものことだが朋美は酒癖があまり良くない。いや・・・良くないわけではなく絡み酒なわけでもないのだが、なぜか萌々子にだけは絡んでくるのだ。これはどういうことなのだろうか・・・。

『え・・・いや・・・。』

『どうせあんたのことだから嘘ついてあたしから逃げようとかそういう魂胆なんでしょ。』

バレバレである。

『そんなことより!』

朋美は隣にいる田村の方を向いた。完全に呂律が怪しくなっている。

『あんた!そういう話し方やめないといつまでも結婚できないわよ。』

『いや・・・やっぱり嘘は良くないよ。』

『別に嘘つけなんて言ってないわよ。話を合わせろって言ってんの!』

『そんなんで話を合わせたって後々困ることになるじゃん。』

『後々って・・・あんたとこの子の間に後々なんかあるわけないだろ。』

『え・・・いや・・・え、そうなの??』

田村は萌々子の方を向いた。完全に『助けてくれ。』オーラを出している。

『いや・・・その・・・ホーム長。あたしも実は読書はそんなにできなくて・・・。『坊ちゃん』も高校の時に読んだぐらいで、別に中身もよく覚えてないんです・・・。』

『え!?』萌々子のあまりの告白に、朋美と田村は同時に声を上げてこちらを向いた。


場が落ち着いてきたころに、飲み会は解散になることが多い。

酒に強い者はここから誘い合わせておのおの二次会に行く。萌々子はどちらかというと酒は強い方でこの手の飲み会は少し飲み足りないことが多いのだが、よほど仲のいい人がいるような会でないかぎりは二次会に行くことは少ない。

『ももちゃん!二次会行こっ!!二次会!!』

小川麻衣子は完全に酔った声で萌々子の腕をとって言った。年齢としが近いということもあって萌々子は麻衣子と妙にウマが合う感じがした。

『行く行く。内海くん~!ちょっとちょっと。』

『え?イケメン呼んでくれるの?』

耳元で麻衣子が言った。

『うん。』

『きゃー!!嬉しいー!!』

『じゃあ、まいちゃんも誰か呼んでよ。』

『りょーかい!!』

麻衣子は、くだけた敬礼をした。

『ホーム長!!二次会行くよ~。』

萌々子が心の中で『あ~。その人呼んだらダメ~。』と思った時には遅かった。

『なになに。二次会行くの?じゃああたしも行こうかな~。』

朋美はすでにへべれけになっていた。目をそらそうとしたときにはもう遅かった。

『あんた・・・嫌な顔したろ。』

『帰った方がいいんじゃないですか?』

萌々子は酒の勢いもあって普段なら言わないようなこともさらっと言えてしまった。

いや・・・それにしても朋美はかなり酔っぱらっている。

酔っぱらっている朋美はとくに珍しくもないのだが、あまりひどいと次の日にも影響するだろうし、ご主人や娘さんたちも心配するだろうし・・・。

萌々子は絡まれるのが嫌であるという以外にも、いろいろ考えて止めたのだが、そんなことを聞くような朋美ではない。

『へへ~ん!あたしゃ明日休みなんだよ!!だから大丈夫!ノープロブデム!!』

『いや・・・ホーム長。ノープロブレムです。』

『あん?いちごちゃんのくせにあたしにけちつけようっての??』

朋美はいつものように萌々子をヘッドロックした。

『ちょちょ・・・痛・・・痛いです・・・。』

『痛くない!根性根性。』

『いや、意味わからんし。』

萌々子と朋美のやりとりを周りは笑いながら見ていた。


二次会も面白かった。

本のことは否定されたけど、田村は基本的に面白くていい人だし、これを機会に小川麻衣子と仲良くなれたのは良かったと思っている。携帯番号とアドレスを交換した際に、スマートフォンの話でまた少し盛り上がった。

朋美は酒に酔うと萌々子に絡んでくるのは相変わらずだが、そこに悪意はまったく感じないから、萌々子は彼女の呑みに行くのを嫌だと思ったことはない。絡んでくれるというのは実はありがたいことなのだ。というのも入社当初、誰とも話さず、誰からも話しかけられなかった萌々子に絡んできたのは朋美だった。最初は嫌だったがそのうちなんだかお決まりのパターンになりつつあり、最近ではそこに優しさまで感じるようになってきたのだ。

もっとも・・・。

最近では萌々子もけっこうやり返すようにはなってきたが。

まあ、酒の席は無礼講だから・・・と思いながら。

考えてみれば、ここ数か月でいろんな出会いがあった。

内海敬が好きになって、泣きたくなるぐらい真剣に恋をして、でもそんな思いは結局、当人には届けられないまま終わって、なぜかその彼女と仲良くなって・・・。

村瀬瑞希と仲良くなって、写真が好きになった。萌々子は暇さえあれば野良猫の写真を撮っている。近所にいる三毛猫で野良猫のくせにえらくでかい猫がおり、そいつが萌々子のお気に入りなのだ。

告白しよう・・・と背中を押してくれたスリー・オン・スリーの仲間たちとも相変わらず楽しくやれている。

彼らにあわなければ一人で走っているだけだった。


出会いは一期一会。

そんな言葉を萌々子は最近、すごく強く感じる。

人との出会いは自分を成長させてくれるものなのだ。

ソフトボールをやっていた萌々子はスポーツを通してそれを嫌と言うほど理解していたつもりだった。『試合』と言う言葉は自分が練習してきたものを『試し合う』場なのである。だからこそ、試合前と後に礼をするのである。

そういうことはスポーツの世界だけでなく、すべておいて言えていることであるということが萌々子にはわかってきた。

もしかしたらその出会いは一生に一度なのかもしれない。

その機会をしっかりととらえるものにこそ素晴らしい『出会い』があるのである。


紅葉の季節を終え、朝の冷たい空気がほほに当たる。

萌々子はいつものように大きないちごのバッグに必要なものを詰めて出勤するために家を出た。

背筋は伸びており、しっかり前を向いている。

今日、あるかもしれない『出会い』に期待と感謝をこめて萌々子は朝の道を歩いて行った。


(了)


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