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倉庫の人形たち

ロボットイベント企画のために書いた短編小説です。かなり遅れての投稿になり、さらに五枚ほど枚数オーバになってしまいました。


詳しくはこちら:http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/117008/blogkey/571335/

 僕が死ぬと思ったのは眠りにつく瞬間だった。手足の先っぽから身体がゆっくりと動かなくなり、眠気のような痺れが頭に届き、僕は小さく息を吐き出した。天井で回転するプロペラのようなシーリングファンと壁から飛び出し、幾何学的模様を描くパイプが瞳に映った。

 さあ、ここで全てが終わる――そう、僕は思った。


 目を覚ましたら記憶が消えていた。まるで黒板を濡れた雑巾でゴシゴシこすって、ワイパーとドライヤーで乾かしたように全て消えてしまっていた。自分が誰なのかはもちろん、鏡を見るまでは自分が人間だということさえ忘れていた――いや、知らなかったのだ。記憶がなければ、思い出すこともできない。

 僕はどのコンビニでも売ってそうな、シーツ的に白いYシャツとズボンを履いていて、冷たい灰色のコンクリートの床に寝ていた。上半身を起こすと、背骨が枯れ木のごとく砕けるかと思った。記憶は一切ないのに、そういう比喩はパッと閃いた。僕は倉庫らしき建物なかにいて、周りには大小の段ボール箱が積み上げられていた。奇怪なことに、その段ボールには全て「胴体」や「頭部」とマジックで書かれてあった。

 立ち上がってあたりを見回すと、上から淡い空気が流れてくるのを感じた。突然夕立に襲われた子供のように上を向くと、そこにはヘリコプターのようにぐるぐると回るシーリングファンがあった。

「OK」僕は言った。ここは倉庫で、殺人者が死体を切り刻んで集めたような段ボール箱が並んでいる。それに僕はリセットされてしまったロボットみたいに記憶がない。と言うことは考えられるシナリオは三つある。一つ、僕は記憶喪失の殺人鬼であり、この段ボールには僕がおやつとして食べる人間の肉が氷詰めにされて入っている。それとも二つ、僕は殺人鬼に誘拐され、殺人鬼はこの倉庫のどこかに隠れていて、僕を殺し切り刻む瞬間を狙っている。その場合でも段ボールの中身は変わらない。ただ僕のおやつではなく、殺人鬼のおやつだというちょっとした、でも僕にとってはとても大きい違いがあるだけだ。そして最後に考えられる可能性は僕は宇宙人に誘拐され、密輸団の一員として宇宙をさまよい、茶色いローブを着たおじさんと金髪の少年を自分の宇宙船に乗せ、ついでに悪の帝国を倒し、少年の双子の姉でもある姫と結婚したが、結局記憶を消され、地球のこの倉庫に送り返されたというのも、可能性としては考えられる。

 少し考えたあと、僕は段ボール箱を開けてみることにした。そこになにが入っているのか知らないが、鼻に皺をよせてあたりの空気を吸い込んでみても腐敗の臭いはしないので、もしかしたら段ボールは空なのかもしれない。殺人鬼(もしくは僕)がすでにそこに詰めていたものを食べてしまった、その可能性だってある。

 しかし開けてみて玉手箱、段ボール箱のなかから人間の頭が、首から切断されて僕を見上げていた。驚きはあまりなかった。もちろんギョッとして、飛び上がったけれど、段ボールのなかに入っていた人間の頭はとても綺麗で妖精のような肌をしていたから、死人だと最初は認識できなかったのだ。蝶の羽のように優雅に伸びた上下のまつ毛の間には栗色の大きな瞳があり、生きているようでも死んでいるようにも見えなかった。淡いクリムゾンの頬には張りが残っていて、全体的に無表情の顔だったが、どことなく笑っているような感じもした。目の色と同じ色の髪を後ろに結んだ彼女の顔は美しく、僕は数分そこで見とれていた。

 人間ではないのだ。それに気づくまで僕はゆうにコマーシャル二三本が流れるほどの時間を要した。僕は段ボール箱から僕の頭より一回り小さい卵のような頭を取り出し、まるで黄金の遺物を発見した老古学者のように切断された頭部を天井の小さな窓から差し込む光に向けて掲げた。ガラスのように白く透けている肌は本物であるはずがなかった。異世界が生んだ美しさに違いない――それなのに、なぜこのガラスのような肌は柔らかく、弾力があるのだろうか?

 僕はおそるおそる頭部を回して、首の傷口を調べた。人間だったら切り取られた首の部分に血の跡や、刃物の形跡があるはずだった。しかし首には赤い染みなどなく、代わりに女性の頭は空洞になっていて、頭蓋骨のなかでは時計のように様々の大きさの歯車が回っていた。人間にしては美しすぎて、人形にしてはリアルすぎる頭は人形のものだった――それも旧式のロボットみたいに歯車で動くらしい。

 人形の頭部を丁寧に段ボール箱に戻し、僕は目を覚ました場所に戻り、またコンクリートの床に寝転がった。これはきっと夢なのだ。ここで眠ってしまえばデロリアンDMC‐12の形をしたタイムマシーンを使い未来へ帰ろうととするマッドサイエンティストと彼の助手の少年のように自分の世界に戻れるかもしれない。僕は天井で回るシーリングファンのプロペラを見つめながら眠気に襲われるのを待った。


 目を覚ましたら今度は記憶は消えてなかった。少なくとも目が覚める前のことは思い出せた。僕は薄汚い倉庫で目を覚まし、人間の頭を見つけたのだ。でもそれが現実とは思えないから、また眠ってしまった。

 寝ぼけたまま、僕は過去の自分を笑った。なんて愚かな僕だろう。それは夢だとなぜ早く気づかなかったのか? あんな本物みたいな人形の頭部を作ることができる職人なんてこの世界のどこにもいるわけがない。それに歯車だなんて、バカバカしい! 僕はニヤリとして目を開いた。そこには普通の白い天井があって、普通の目覚ましが鳴っているはずだった。

 だが実際に目を開くと笑うように回転するさっきと同じシーリングファンが視界いっぱいに飛び込んできた。天井から流れるように伸びるパイプは不思議な模様を描き、僕の周りにはまた段ボールが人ごみのように並んでいた。

 ため息をついた。どうやらこの世界が現実らしい。

 まず僕は倉庫を一周してみることにした。サッカーフィールドくらいの大きさの倉庫の奥には大型の機械が仏像のようにごろごろと場所を占領していて、不気味な影を投げていた。天井の脇から差し込む太陽の光は眩しく、舞い上がった埃を照らし出していたが、逆に陽が届かない部分は真っ暗でコントラストが強かった。

 一番奥には小さなオフィスセットが置かれていた。古い机に古い椅子とカビネットが一つと素朴なオフィスで、仕切りの壁さえなかった。だがきちんと掃除されていて、机の上にはランプと筆置き以外なにもなく、埃も落ちてなかった。オフィスの横にはシンクと電気コンロ、それに冷蔵庫がついたシステムキッチンが陣取っていた。残念なことに冷蔵庫は空だった。

 倉庫には二階もあったが、二階の殆どが吹き抜けで、足場があるところには下と同じような段ボール箱が積み上げられていた。手すりが錆び付いていて危なっかしいので、僕はゆっくりと一階に戻った。

 出口は全部で三つあった。段ボール箱が積み上げられた倉庫の一角には鋼製の二枚扉があり、完全に開ければトラック一つ飲み込めそうな大きさだった。それにその隣に人間用の扉が一つ、小さくまるで子供が親にしがみつくようについていた。それにオフィスの後ろにもドアがあったが、それは取っ手が錆びてしまっていて、引いても押しても疲れて座り込んでしまった太った男の子のように動いてくれなかった。

 さて、どうしよう。僕は「手足」とマジックで書かれた段ボール箱に腰掛け、考えた。まだ陽はあるが、朝起きた時とは違う方向から倉庫に差し込んでいる。途中で僕が寝直したため、数時間無駄にしてしまった。

 論理的に考えると僕は迷子だ。迷子の時はあまり歩きまわらず、迷子になった場所で待っていれば誰かが迎えにくるはずだ。僕はうんうんと相槌好きなセールスマンのように自分自身に対して頷いた。なんて我ながら天才的なアイディアだろう、と今度は上司のプロジェクトを称える部下のように心のなかで言った。

 というわけで僕は「手足」「頭部」「胴体」の段ボールを横につなげて、そこに寝っ転がった。そちらのほうがコンクリートより柔らかく、時間を過ごすには絶好の場所だった。そして僕は生きがいを見失った老人のように天井のシーリングファンの回転を見つめながら待った。

「ごめんくださーい」

 ウトウトし始めたころに誰かが倉庫の扉を叩いて叫んでいるのが聞こえた。あなたに渡す「ごめん」はありませんよ、と答えて横になっていたかったが、迷子の僕を探しにきた人間かもしれないので、僕は立ち上がり、渋々と小太りの主婦がスポーツセンターにいくようにドアまで歩いていった。

 やっとのことで鋼の扉を開けると、そこにはエプロンをした女性が立っていた。しかし近所の面倒見がいいおばさんではなく、彼女は二十代前半の目が大きい僕好みの女の子だった。

「食事を持ってきましたよ、アイヒャーさん」彼女は僕を押しのけて、倉庫に入ってきた。そして手に持っていたトレイを段ボールの上に、重そうなバスケットをその隣の床に置いた。

「アイヒャー?」僕は繰り返した。「それが僕の名前なのかい?」

「えっ、違うんですか?」彼女は抹茶色の瞳を見開いて尋ねた。

「違うっていうわけじゃないんだが、ちょっと僕は記憶をなくしてしまったみたいで」

「エクレストンさんがここを去る時、次にくる方のお名前はアントン=アイヒャーだと言っていましたけど」

「エクレストン? 彼は誰だい?」

「ジョン=エクレストン、昨日までこの倉庫に住んでいた方ですが」

 僕は指で十を示すように両手を開いた。「ちょっと待った。最初から話してくれないか」

 彼女の話をまとめると、ここに昨日まで住んでいたのはジョン=エクレストンという男で、動く人形の制作を生業にしていたらしい。そしてエクレストンの世話をしていたのがエイデン、今僕の目の前にいる綺麗な女の子である。エイデンは毎日三食この倉庫に運び、エクレストンはそれに見合った金額を支払っていた。しかし昨日、彼は突然なにかを思いたったらしく、この倉庫を出ていき、僕――アントン=アイヒャーを残してどこかへいってしまった。

「ちょっと待って」僕はエイデンが話し終わると人差し指を立てた。「動く人形? それってロボットのことじゃないのかい?」

「いえ、エクレストンさんは自分の作品を「人形」と呼んでいました。ロボットはチェコ語で「労働」を意味するので、エクレストンさんはその言葉を嫌っていました。自分の作品がアンドロイドと呼ばれるのはまだ許せたのでしょうが、彼自身は「人形」の方が気に入っていたようです」

「ふーん」僕はエクレストンという度に輝く彼女の瞳に見とれながらうわの空で頷いた。エイデンは可愛かった。「で、その人形はどんなことができるのかい?」

「私はエクレストンさんの作品が動くのを見たことはありません。ここにきても普通は入らせてもらえないことがしばしばあって、例え入れてもらっても人形は布で隠されていました。でもエクレストンさんの作品は高い値打ちで買われていたようです。毎週業者のトラックがこの倉庫にきて、数体の人形を運び出していました」

「ねえところで」

「はい、なんでしょうか?」エイデンは笑顔で僕を見た。

「君に恋人はいる?」

 ぽわーっと菊の花が咲くようにエイデンは赤面した。そしてかわいく小さくうつむく。記憶はないのに、ここでまず沈黙を染み込ませ、様子を見るのが得策だということはわかった。だから僕はエイデンの優雅に垂れ下がった髪の毛の分け目を見つめながら待った。

「恋人は――」エイデンは真っ赤になった顔を上げて口を広げた。しかしその瞬間、彼女の表情は凍りついた。まるでなにかが喉につっかえたみたいにエイデンの顔の筋肉は動かなくなり、彼女は目を極限までに見開いた。

「エイデン? エイデン!」僕は叫んだ。彼女の肩を掴んで揺さぶった。しかしエイデンの瞳からは部屋の電気が消えてしまうように生気の輝きが薄れていき、霧みたいに消えてしまった。ずっしりと唐突にエイデンの身体は重くなり、するりと氷細工みたいに僕の手から彼女の身体は滑り落ち、床に板みたいにバッタリと倒れた。

「エイデン!」もう一度叫び、僕は彼女のふっくりとした胸に耳を当て、柔らかそうな彼女の口と鼻に指を近づけてみた。心臓の鼓動はすでに時を刻まず、鼻穴から温かい空気は流こなかった。

「死んでいる!」僕は叫んで転んだ。後ろへ尻餅をつき、蟹のようにエイデンの身体から離れた。指をさして僕はもう一度繰り返した。死んでいる――と。しかし寂しい倉庫で僕の叫びを聞く人間は誰もいない。僕は絶叫しながらエイデンが数分前に入ってきた倉庫のドアから外へと飛び出した。


「で、その死体はどこにあるんだ?」なぜかアメリカのスクールバスを連想してしまうダサい黄色のレインコートを着たおじさんが言った。

「あの倉庫のなかです」僕は彼に言った。倉庫から飛び出して闇雲に助けの叫びを上げたものの、倉庫の周りには建物はなく、偶然自転車で通りかかったこのおじさんしか僕の叫びを聞きつけなかった。

「本当だろうな」でっかい鼻に皺を寄せておじさんは脅すような声でさっきから同じことを繰り返している。

「ホントです」ウソツクわけないじゃないですか――と、言い返してやりたかったが、我慢した。「ところで、なぜそんなコートを着ているんですか? 雨振ってないじゃないですか」はっきり言わせてもらえば、ヘンタイに見えますヨ、オジサン――これも声に出しては言わなかった。

「ふん、天気予報では今日は雨だって言っていたんだ」負け惜しみのようにおじさんは言う。僕はわざとらしく感心したような声を上げた。

「ちょっと待てよ」おじさんは倉庫の入り口を見て立ち止まった。「これは俗にいうオヤジ狩りじゃないだろうな」

「おやじ狩りだったら、人が死んだなんて嘘くさいこと言いませんよ」それに、おやじ狩りだったら金持ってそうなオジサンを狙いますヨ、オジサン――僕は自分の口が歪み、かゆくなるのを感じた。ついつい言い返してしまいそうになるが、ここでこのおじさんを怒らしてはいけない。警察と病院に電話するのには彼の携帯が必要なのだ。

「それになかに入らなくても入り口から見えますから」僕はそう言って鋼の扉にグッと体重をかけて扉を開けた。何年も蝋を塗ってないふすまのようにこの扉を開け閉めするのには相当な力がいる。

「なんだ!」おじさんの声が裏返った。「死体なんてないじゃないか!」

「えっ?」僕は驚いて訊き返した。「死体がないって――」

 自分の言葉が途切れた。おじさんの言うとおり、そこには死体なんてなかった。倉庫の入り口には段ボール箱が積み上げられていて、その手前の一つにエイデンが持ってきた食事が乗っていたが、肝心のエイデンの身体はどこにもない。しかし奇妙なことにエイデンのエプロンと服はそのままになって残っていた。まるでエイデンが幽霊になって服からするりと抜けだしたように。

「こんなはずじゃ」僕は口ごもったが、おじさんはすぐにモンクを言い始めた。

「けっ、ただのいたずらじゃないか。とんだ時間の無駄だったわい」そして彼は僕が言い返すことができる前に自転車にまたがり、カーボーイのように悠長に去っていってしまった。

 おかしい、エイデンの死体は一体どこにいってしまったのだろうか? まさかエイデンは本当は死んでいなくて、また立ち上がって倉庫のどこかに隠れているわけではないだろう。さっき床に倒れていたエイデンに脈はなかったし、例えなにかの間違いで彼女が少しの間仮死状態に陥っていたとしても、服を脱ぐ必要はない。

 論理的な説明が全く思いつかず、僕は倉庫に戻り、蒸発してしまったエイデンが残したエプロンと服のポケットを探ってみた。開いてみるとパンドラの箱のように世界中の不幸が飛び出してきそうなとても薄くて飾りのない財布が一つ。固唾を飲んで財布のなかを調べてみたが、小銭が数枚。お札はなし。その他にボールペンが一本となぜか洗濯バサミが二つエプロンのポケットに入っていた。エイデンは食事を運んでくる前に干し物でもしていたのだろうか?

 最後に出てきたのは小さな紙切れだった。真ん中で一回折られた紙を広げてみると、それは優雅な走り書きで書かれた手紙だった。


 親愛なるエイデンへ


 すでに昨日君に言ったが、私はこの村を去ることにした。私が戻ることはない。

 君に、明日から倉庫で住むことになったアントン=アイヒャーくんのことを頼む。私の時と同じように毎日三食を倉庫に運んでくれ。ただ、最初の日は夕飯の食事だけでいい。最初の料理は腹ペコの時に食べてもらいたいからな。


 愛を込めて


 PS:もしアントンくんが君にいつもの料金を払えなかったら、彼に私の机の一番右の上から二番目の引き出しを探すように言ってくれ。そこに金があるはずだから


 ジョン=エクレストン


 エクレストンの手紙を読み返して、僕は腹が無償に減っていることを思い出し、「頭部」と書かれた段ボール箱に座ってエイデンが持ってきたステーキとごはんを大食いチャンピオン的に食べ始めた。死んだはずの人間が作った料理を口にするのは少し気持ち悪かったが、空腹で腹が痛く、そんな些細なことを気にしていることはできなかった。

 ステーキを半分食べ、まだ口をリスのようにもぐもぐと動かしながら、倉庫の奥に置かれている机まで歩いていき、エクレストンの手紙で指定された引き出しを調べてみた。鍵はかかっていなかったが、古いため引き出しを開くためにはかなりの力を要した。倉庫にある扉という扉の立て付けは悪く、僕はここに住んでいたエクレストンはただで筋肉トレーニングをするために倉庫を建て直さなかったのではないだろうかと考えていた。

 引き出しのなかにはマフィア映画でお馴染みの札束が一束入っていた。鍵をかけないなんて無用心だなと思いながら、しっかりと札束を僕はポケットにねじ込んだ。エクレストンの手紙を信用していいのなら、どうせ彼はもうここには戻ってこないのだ。別に僕がもらっても誰も困らないだろう。

 札束以外にも引き出しにはマジックペンやペーパークリップなど、森の地面を埋める落ち葉のように入っていて、それらの間から小さなノートの端っこが顔を出していた。僕はそのノートを引っ張りだした。

 黒いカバーには綺麗な筆跡で「人形の組み立て方」と書かれていたが、それは僕が読んだエクレストンの手紙の筆跡とは異なっていた。似ているが、じゃっかん文字の丸みが違う。専門家ではないので、断定はできないが、ノートを書いた人間はエクレストンではないのではないかという疑問が脳裏に浮かんだ。誰が記した文字なのだろうと探偵のように目を光らせながらパラパラとノートのページを捲ってみたが、謎はさらに深まるばかりだった。

 全体的にはカバーのタイトルと同じ筆跡の人間が図の間にある説明を書いているのだが、時々スペースがあるところに他のペンで他の筆跡で色んなことが書き加えられているのだ。例えば人形の頭と胴体の繋げ方が説明されているページには赤いペンで歯車は二センチのものを使った方がいいと書かれているのだ。そのようなコメントはノート中に散りばめられていた。そのなかにエクレストンの筆跡に似ているものもあったが、確かに言えることはこのノートは様々な持ち主の手を回ったということぐらいだった。

 ついでに机の他の引き出しも調べてみたが、札束が入っていた引き出し以外、全て鍵がかかっていた。仕方なく僕は段ボールが置かれている倉庫の入り口に戻り、エイデンが持ってきたステーキを平らげた。

 欠伸が口から溢れ、僕は三つの段ボールを合わせた上に横になり目を閉じた。


 倉庫で二日目の朝。起きた瞬間から腹が減っていて、僕は食料を調達するために倉庫から出た。最初はジャングルで遭難した兵士のように野ねずみを狩ろうかと思っていたが、倉庫が建っている小さな丘から大小の家が立ち並ぶ集落が見えたので、そこへ降りてみることにした。金は新興宗教の教祖みたいにたくさんあるのだ。食べ物を買うのにはさほど苦労しないだろう。

 集落には十分ほどでついた。倉庫から見たらもっと長くかかると思っていたが、アスファルトで固められた道路を歩いていると車にもすれ違わず集落に降りることができた。まだ中世から抜け出していないような村の民家は石と木材で簡素に作られていて、村の中心を横切る道路以外にはアスファルトは敷かれていなかった。

 西部劇のように風が吹き、土埃が舞い上がった。この集落の住人はどこにいるのだろう? まさか僕を山賊に間違えて隠れているのではあるまいか。そう考えて僕は下を向いた。どう見ても寝間着にしか見えない絹のYシャツとズボンを僕は履いていた。これで山賊に間違われるはずはない。

 奇怪に思いながらも、僕は集落の一番手前に建っていた精肉店に入った。例え住人がいなくてもハムとソーセージはあるに違いない。

「すみません」

 ドアを開けて入るとカウンターが見えた。少し汚れているガラスを通して山積みになっている肉が見えた。涎が出そうになり、僕は唇を犬のように舐め回した。

 肉屋はカウンターの隣に静止するように座っていて、真っ直ぐ前を向いていた。僕が入ってきて海星みたいにカウンターのガラスにへばりついていても彼はなにも言わず、動きさえしなかった。

 死んでいるのかな? と僕は額に皺を寄せ、肉屋の肩をつついてみた。反応なし。まるでコインを投げ入れないと動かないゲーム機のように肉屋は僕のことを無視していた。

「あの生きていますか、肉を――」

 ガタリと禿頭の肉屋は立ち上がり、機械的に僕の方を向いた。そして一瞬僕のことを穴が開くほど見つめたかと思うと、ニューっと彼は笑った。

「お客さんかい。ようこそダニゲン精肉店へ」

 ふっくらと餅のように膨らんだ腹を踏切のランプみたいに左右に振りながらカウンターの後ろに回り、ブッチャーナイフを取り上げた。

「じゃあ鶏肉をちょっと」

 肉屋はブッチャーナイフを振り上げ、斧を持った死刑執行人のようにまだ羽がついた鶏の頭を切り落とした。


 不気味な精肉店だったが、僕が欲しいものは手に入れることができた。ソーセージを数本包んでもらい、これからは毎日精肉店から鶏肉や豚肉が配達されるように手配し、僕はアイスクリームをしゃぶるようにソーセージを食べながら精肉店を後にした。

 外へ出ると、今度はさっきとは正反対にたくさんの村人たちが忙しそうに集落の路地をいききしていた。普通の農夫もいれば、背広を着て一歩歩くたびに腕時計をチェクするサラリーマンさえ数人いた。目を擦りながら僕はそれが現実だと確認して、トボトボと他の村人たちに追い越されながら、僕は村の反対側に向けて歩き始めた。

 しかし奇妙な村だと僕は思った。さっきは誰もいなかったのに、突然こんなに賑やかになってしまった。これは一体どういうことだろう?

 八百屋に通りかかったので、僕はそこに入り、野菜と果物をいくつか注文して、同じく毎日倉庫に配達してもらうことにした。色々と買い込んだわりには札束は薄くならず、逆にお釣りで返ってきた小銭でポケットが重くなった。

 集落を一周したので、僕は腕を伸ばし、倉庫が経っている丘の方角へと歩き始めた。しかし集落から出て数歩もしない内に呼び止められた。

「君、新しくこの村に住み着いたのかね」キングコングが子供を生んだら絶対こんな感じに見えるというような容姿をした男が僕に尋ねた。彼は禿げてこそいないが、髪を角刈りにしていた。それに彼の鼻はボクサーのように潰れていた。

「ええ、そうですが」しばらく考えた後、その答えが一番的確で面倒くさくない答えだと思い、そう答えた。

「だったらちょっと交番までついてこい」有無を言わせない様な響きで男は言った。よく見ると彼は青い警察のバッジをつけた制服を着ていた。

「警察ですか」僕は呟いた。やっかいな人間に絡まれてしまったようだ。「実は僕はこの村に住んでいるわけじゃないんです」僕は弁解した。「あの丘の倉庫に住んでいるです。だから村の住人ではありません」

「倉庫?」男は顔を上げて僕の背後にある丘の方を向いた。「まさか、あのエクレストンさんの倉庫に住んでいるのかい?」

「ええ、そうですが」

「ならいい。エクレストンさんは信用できるからな」自分で納得してしまい、男は言った。「とにかく夜道は気をつけるんだぞ。このごろ奇妙な事件が起きているからな」

 奇妙な事件と聞いて僕は歩き出そうとした足を止めた。「事件といいますと?」

「神隠し事件だよ。絶対抜け出せないようなところから人間が消えていくんだ。もう薄気味悪くてでしょうがないよ」

 僕は首をひねった。昨日、似たような事件が正に起きたではないか。

「もっと詳しく話してくれませんか?」

「だから人間が突然消えてしまうんだよ。例えば牢屋に入っている罪人が出られるはずもないのに突然牢屋からいなくなったり。一番多いのは仕事や学校にいったやつが戻ってこないってやつだな。一度消えたらそいつは二度と現れない。全く奇怪だよ」腕に鳥肌が立った。「狐の仕業だっていう輩もいるしな。それに本当はみんな死んでいる、っていうやつもいれば、消えるのは死体だけ、って噂もある。とにかく誰も説明できないからみんな怖がっている」

「消えるのは――死体だけ?」

「そんなことを言っていた女もいるんだ。自分の夫が倒れて、消えるのを目撃したってね。誰も信じちゃいないけど」

「彼女は今どこにいるんですか?」

「さあ」警官は首をかしげた。「どこにいるかなんてわからないよ。彼女だって消えてしまったんだからね。家の天井から首を吊るためのロープを垂らしたままどこかへいっちまった。彼女が言ったように首を吊って死んだから消えたかもしれないが、俺はそんなことは信じない」

 間違いない。エイデンの死体がなくなったのも同じ現象に違いない。喉奥から押し上げてくる吐き気を感じて、僕は拳を唇にあてた。

「その神隠し事件を捜査している人はいるんですか?」

「いねぇよ」唾を吐くように警官は答えた。「上層部うえから圧力があって、まともに捜査している警官はいねぇ。もちろん俺は暇な時に資料を読み返して、おまえみたいな不審なやつを見つけたら職務質問をするように心がけているけどな」

 人間の仕業であるわけがない。エイデンは偶然倒れたのだ。彼女の死因はわからないが、誰もエイデンの死を予期できなかっただろう。つまり人間がエイデンの死体を隠すことはできないのだ。なにか違う現象がこの村で発生している。

 僕はオーギュスト・ロダンが制作したブロンズ像のように手を顎に当て、眉毛を合わせながら倉庫へと続く坂道を歩き始めた。


 午前中ずっと僕は考えにふけっていたが、答えは見つからず、頭痛がするだけだった。気分転換に僕はさっき机の引き出しに札束と見つけたノートを開いてみた。最初は難しそうな図を見るだけで、ノートを閉めたくなったが、集中して読んでみると内容が手に取るようにわかり、人形を繋げるのはさほど難しくないとわかった。

 なにもやらないでいるとエイデンのことを考えてしまうので、僕は段ボール箱からパーツを取り出し、人形を組み立てみることにした。しかし最初に思ったほど簡単ではなく、胴体と頭部を繋げることに成功するまで数時間かかった。

 日が暮れると同時に冷えてきたので、僕は精肉店で買ったサラミをくわえながら集落に戻り、毛布を二枚買ってきた。そのあと、倉庫でできあがった女性の胴体に手足をつける作業に取り掛かった。

 人形の身体は本物の人間にそっくりでなにからなにまで瓜二つに作られていた。透明な産毛でさえ綺麗に再現され、人形の身体には染みさえあった。だから女性の人形を組み立ている間、ボディーを毛布で身体を隠しておかないと気が散って仕方なかった。

 その日は二本目の腕を取り付けている間に人形の隣で眠ってしまった。

 次の朝、肉屋の配達とともに起こされ、僕はシステムキッチンで作った簡単な食事を食べたあと、人形作りを再開した。一晩寝たせいか、昨日より速く指が動き、午後には彼女はできあがっていた。

 組み立てたのはいいが、裸の彼女をそこにほったからしておくことはできないので、仕方なく消えたエイデンの服を人形に着せた。着せ替え人形で遊ぶのはこういう感じなのか、と思った。

 できあがった人形を起動させるのは簡単だった。ちょうど心臓があるはずの場所を押せばいいのだ。そうすれば土に巻いた種のように人形に生命が吹き込まれ、立ち上がる――と、ノートには書いてあった。僕は人形の服の上から彼女の胸を探り、そのボタンを押してみた。

 彼女は目を開き、長くて綺麗な指で目を擦った。

「ここは?」首を軽く曲げて彼女は僕の方を向いた。「あなたは?」

「僕はアントン=アイヒャー」慣れない自分の名前を言う。

「アントン=アイヒャー」彼女は繰り返す。「そして私は?」

 少し考えたのち、僕は答えた。「エイデン。君の名前はエイデンだ」


 なぜ最初に作った人形をエイデンと名付けたのかわからないが、その日を堺にして、僕は段ボール箱に眠る人形を一つずつ完成させていった。すでにパーツはできあがっていて、僕は頭部、胴体と手足を繋げるだけなので、人形の容姿を選ぶことはできず、年老いた老人から小さな少女の人形まで、さまざまな人形を僕は作った。できあがった人形に服を着せるのは面倒だったので、僕は人形たちにシーツを一枚かぶせて倉庫の一角に押しやっていた。

 僕が組み立てたエイデンは倉庫の隣に建てられた小さな家に住み、僕のために買い物をやり食事を作ってくれていた。エイデンはただ同然で働き、それについて文句を一度も言わなかった。心のどこかで僕が創作者だということを理解しているからかもしれないが、身近に食事を作ってくれる人がいるのは僕にとって大変助けになった。

 しかし僕が倉庫で目を覚ましてから一週間ほどすると、エクレストンの机のなかで見つけた札束は薄くなっていき、僕は節約を強いられ、結果的にエイデンが作る料理が素朴になってしまった。

 そして金が底をついたちょうど二週間目に一人の男が倉庫を訪ねてきた。

「人形を受け取りに参りました」ガラの悪い灰色のスーツに身を包み、アタッシュケースを下げた男は倉庫の戸を叩いた。

 僕は少年の人形を仕上げる真っ最中だったが、訪問客など今まで一人もいなかったので、興味を持ち、倉庫の扉を開けた。

「あなたがアイヒャーさんですね。あなたのことはエクレストンさんから聞いています。私はスミスと申します。人形を受け取りに参りました」

 ビジネスマンらしくスミスは名刺を僕に差し出したが、それには会社名も肩書きも書いてなく、ただスミスという三文字が黒いインクで印刷されていた。

「人形を受け取りにきた」僕は声に出してスミスがたった今言ったことを反芻しようとした。確かにスミスの後ろには大型のトラックが停まり、三人の大男が腕を組んでこちらを向いている。

「ええ。いつものとおり人形一体につきこちらを支払わせてもらいます」そう言ってスミスは百枚くらいのお札が束ねられた札束を見せた。

 お金は必要だったので、人形を買ってくれるという業者が現れたのはありがたいが、スミスはうさん臭いところがあり、すぐには信用できなかった。

「人形はそれからどうなるんです。つまり僕があなたに売ったあと、人形は――」

 スミスは人差し指をピンと立てた。「アイヒャーさん、それは聞いてはいけません。始めてですからいいですが、買った人形でなにをするのかは詮索してはいけません」

「どうしてですか?」

「それがルールだからです」

「ルール?」

「そうルールです」スミスの愛想笑いの仮面が外れ、悪党の姿が現れた。「我々のことを追求しない。それがルールです。そしてあなたはルールに逆らうことはできない、なぜなら金が必要だからね」

 人形は売らない、とそこで答えればよかったのだ。しかし僕は誘惑に負けてしまった。金の誘惑ではない。なんの心配もなく、人形作りに没頭できる自由の魅了に僕は耐え切れず、頷いてしまった。気づくと僕は札束がぎっしりと詰まったジェラルミンケースを抱え、倉庫の床に座っていた。

 いつも人形を置いている倉庫の一角にいってみたが、やはりそこに人形たちはもういなかった。一つ売るのなら全て売るのと同じだとヤケになってしまい、僕は全ての人形を売ってしまったのだ。多分今は僕はこの近くで一番の金持ちだったが、心の奥底でポッカリと全てを吸い上げてしまうような穴が開いたような気がした。

 そのまま僕はなにもせず、倉庫の窓から差し込む光がオレンジ色に変わり、倉庫が完全に暗くなるまでぼおーっとなにもせず、ただそこに座っていた。やがてエイデンが食事を運んできてくれて、彼女の料理を食べるとまた少し元気がでてきた。

 すると今度は現実的な問題が僕の頭をいっぱいにした。今までは人形のパーツを組み立てて人形を作っていたが、そのパーツが無限にあるわけではない。僕はすでに半分以上のパーツを使っているのだ。スミスは毎週人形を買取にくると言ったが、これでは売る人形がなくなってしまう。

 人形作りをいつまで続けることはできない。このままでは集落で働かなければならなくなる。それは嫌だった。あんな奇妙な集落で仕事するのはごめんだ。だとしたら今持っているお金を投資するしか方法はない。

 僕はジェラルミンケースを開けて、札束を数える作業に取りかかった。その金で贅沢な生活を数週間続けていられるだろうが、投資するためには不十分だった。頭を抱えてため息をついたその時、ジェラルミンケースのなかでなにかがキラリと光るのが見えた。

 錯覚ではないかと思ったが、一瞬光ったその正体はすぐに暴くことができた。ケースの内側にはポケットがいくつもあり、その一つから鍵の先っぽが出ていて、それが反射して光ったのだ。鍵をケースのポケットから引き出して調べてみた。小さな鍵だが、頑丈そうで、先っぽのギザギザは両側についていた。

 なんのための鍵かはわからなかったが、扉やドアを開ける鍵ではなく、もっと小さな箱や引き出しのための鍵だと僕は考えた。それでちょうどエクレストンが残した机の引き出しの鍵はかけられているので、僕はその小さな鍵をいたずら心から引き出しの鍵穴に差し込んでみた。まさか鍵が合うなんて思ってなかったが、差し込んだ鍵を右に回すと、カチャリと音がして引き出しが開いた。

 ジェラルミンケースに入っていた鍵でこの机の引き出しを開けられることにはびっくりしたが、さらに驚いたのは引き出しの中身だった。僕が今まで開けることができなかった引き出しにはノートや手帳、それにメモがぎっしりと詰まっていて、全て人形作りに関してだった。夢中に僕は引き出しから出てきた手書きのノートなどを読みあさり、それが人形を一から作る細かな説明書だとわかった。


 一年後。僕は集落では人形を作るアントン=アイヒャーと知られ、僕が制作する人形は人間と区別がつかないほど精密だった。しかし買い手は相変わらずスミスだけで、彼は毎週僕の人形を買い取りにきた。最初は抵抗を感じていた僕でさえ、もう慣れてしまった。

「夏もそろそろ終りですね」コーヒーを運んできたエイデンが言い、僕は適当に相槌をうちながら、村の新聞に目を通した。おもしろそうなことは今日もなにもない。

「村で昨日聞いたんですけど、神隠しにあった人間が昨日また突然現れたんですって」神隠し事件ももう僕には関係なくなっていた。エイデンが死んで、彼女の死体が消えたのは一年も前のことで、そのころの出来事をもうよく思い出せないでいた。

「じゃあ私はこれで」

「ああ、ありがとう」僕が答えると、エイデンは空になったコーヒーマグとトレイを持ってハタハタと倉庫から駈け出していった。自分が作った人形のはずなのに、僕は彼女に見とれ、惹かれてしまっている。しかし彼女が人形であるかぎり、この気持をエイデンに表すことはできない。エイデンだって、僕の愛をどう受け止めればいいかわからないだろう。やはりこのままでいいのだと僕は毎朝のように再確認した。

 エイデンとすれ違うように倉庫の扉を誰かがノックをした。「こんにちは、アイヒャーさんのお宅ですか? 私は下の村の村長です。あなたの人形を買い取りたくてやってきました」

 最初は追い返そうかとも思ったが村長の声はスミスよりずっと温かみがあったので、いちおう彼の話を聞いてみることにした。人形を売るか売らないかを決めるのはそれからでも遅くはない。

「おじゃまします」ドアを開けて、彼に入るように指図すると村長と名乗った男は小さくお辞儀をして倉庫のなかに入った。「私の名前はノルマン=ネロです。先ほども言いましたが村長やらせていただいてます」

「初めまして。僕はアントン=アイヒャーです」

「さっそく本件に入るんですが、アイヒャーさんに一体の人形を作って欲しいんです」勧めることができるソファーはないので、立ったまま僕たち二人は会話した。「実は息子が二週間前に行方不明になってしまい、病弱な妻はそれが応えたらしく、寝込んでしまいました。時間が経てば彼女も回復するだろうと思っていたんですが、妻の健康状態は悪化するばかりで、お医者さまが言うにはこのままだともう一ヶ月は保たないようなんです。だからあなたに息子に似せた動く人形を作って欲しい。そうすれば妻の病はよくなるかもしれないので」

 僕は少しの間だけ目を閉じた。村長の息子に似せた人形を作るのは簡単だ。人形の頭部を上手く設定すれば村長と村長の妻を両親だと認識させることだってできる。ただ――

「村の警官から神隠し事件はもう捜査されていないと聞きました。上層部から圧力があったと彼は言っていました。あなたですよね、そんなことができるのは」

 鋭く僕が尋ねるとネロ村長はきょとんとした。「そんなはずはありません。私は全力で神隠し事件の真相を突き止めろっと指示を出していました。圧力だなんて、全くの嘘です」

 今度は僕が驚く番だった。村の警官とは村に降りるたびに話しているが、彼は僕にいつも同じ話を聞かせた。神隠し事件を捜査したいのに、上層部がうんと言わない、と。しかし村長も嘘をついていないのは明解だった。どちらかが絶対に嘘をついているはずなのに。

「いいでしょう。その人形を作ります」

 僕が言うと、ネロ村長の顔は明るくなった。


 身長百五十二センチ、痩せていて、手足は長い方。僕は村長から彼の息子の容姿を聞き出し、それに、もらった写真をもとに少年の身体を作っていった。今回はいつもと違って、失敗は許されない。もし村長の妻が人形だと気づいたら、それだけで彼女は死んでしまうかもしれないほど弱っているらしいのだ。だから特に人間の脳にあたる部分は精密に作らなければならない。ナチュラルな表情を作り、人間みたいに会話できる人形を制作するのを僕は目指した。

 身体の動きも大切だ。少年なのだからすばしっこい身体でなければならない。だが同時に疲れた時には寝る、腹が減った時に食べるという子供らしいライフサイクルも考慮した方がいい。それにマクロ的な身体の動きと合わせて、無意識的に現れるボディーランゲージも完璧でなければならないのだ。眉の動き、頬の紅潮、全てが上手く動かなければ人間ではないとバレてしまう。

 今までとは違う創作意欲が僕を乗っ取り、僕は日夜人形を作るのを続け、どんな小さなディーテールも完璧に仕上がるまで休まなかった。そして村長がきた日から数えて六日目の夜に少年の人形は完成した。僕が今まで作り上げた人形のなかでも最高傑作で、半ズボンとTシャツを着た少年を見ると、満足感と達成感で僕はいっぱいになった。

 すぐさま僕は村長を呼びにいきたかったが、倉庫から出る体力も残ってなく、少年の人形の隣に倒れ、眠ってしまった。

「素晴らしい!」次の朝やってきた村長は感激の声を上げた。「親の私でさえ違いがわからないくらいだ」

 僕は無言でニコニコしながら村長の嬉しそうな声を聞いていた。

「しかし君、彼はちゃんと動くのかい?」

「ええ、動きますよ」僕は答え、少年の胸を軽く押した。

「ここは?」少年は瞬きをしながら尋ねた。「君は?」

少年は明らかに僕に向かって訊いていた、僕は村長に答えさせることにした。今はもう彼が少年の父親なのだから。

「わ、私はおまえの父親だよ」震える声で村長は言った。

「父親?」少年は訊き返したが、すぐに理解したようだ。「父さん」彼はそう叫び、村長に飛びついた。

 まるで長い間離れ離れになっていた親子のように二人は互いの肩を握り、抱きしめあっていた。

「アイヒャーくん」少年の人形から離れず、村長は言った。「私に私の息子を返してくれてありがとう。この恩はいっしょうわすれないよ」

 僕は照れた。「礼はいりません」嬉しそうな二人を見ているだけで充分です、と僕は声に出さずにつけ加えた。やっと自分の人形作りが誰かのためになったような気がした。

「そうそう忘れない内に君に渡しておくものがあるんだ」村長は少年の人形を抱きしめるのをやめたが、彼の手をしっかり握ったまま背広の内側のポケットから膨らんだ封筒を取り出した。「代金はちゃんと入っている。それにエクレストンが私の家に忘れていった鍵も」

「鍵?」

「そう。エクレストンは私の家に遊びにきた時、大きな鍵を落としてね。返そうと思っていたんだが、そのチャンスがなかなか見つからなくて。とにかくその鍵も入れといた」

 村長はありがとうと繰り返して少年の手を引き、倉庫を出ていった。僕は彼らが倉庫の鋼の扉を閉めるまで手を振っていたが、二人が見えなくなると同時に封筒を開いた。スミスが僕に渡したエクレストンの鍵を使うことによって、僕は人形作りの秘密を学んだ。今度はエクレストンの鍵はいったいなにを教えてくれるのだろうか? 考えるだけで胸が躍った。

 封筒のなかに入っていたのは掌ほどの大きさの黒いスケルトンキーだった。

 その鍵を数分間見つめ、一体この倉庫にこんな鍵が入るウォード錠はどこにあるのだろう? 思いつくのは毎日使っている倉庫の出入り口だが、僕の直感は違うと言っていた。この鍵は深い謎を解く鍵になるはずだ。

 こめかみに指を当てて僕は考えた。どこだろう? こんな鍵が当てはまる扉はどこに――

 倉庫の奥にある扉だ! 最初に錆び付いていて開かないと思っていた扉を忘れていた。あの扉に取り付けられた錠前は大きく、ちょうどこの黒いスケルトンキーが差し込めそうだ。僕は急いで倉庫の奥まで走っていき、開かずの扉の前に立った。

 緊張で胸が震えた。もしこれで合わなかったらどうしよう? そんな不安が頭を横切った。

 僕は拳を脹脛に押し付けながら片手でスケルトンキーを寂れた扉に差し込んだ。大きさと長さはぴったりだ。しかしここで回らなかったら、僕は息を飲んだ。

 そして鍵を右に回す――

 カチャリと錆び付いて閉まっていた扉が開き、その陰から地下へと続く階段が現れた。このドアは倉庫の裏に続く扉だと思っていたが、実は階段は地下深くまで続いているようだった。

 階段は薄暗く、階段の石段は滑りやすそうだった。僕は急いで停電のために買った懐中電灯を取ってきて、ゆっくりと湿った石の階段を降りていった。階段は長く、天井が低く、腰をかがめて降りなければならなかったが、階段は真っ直ぐ続いていた。やがて僕はまた鋼の扉に差し掛かった。その扉は頑丈そうだった。しかし押してみると扉は抵抗せずに開いた。

 僕は深呼吸してなかに入った。

 そこは奥行きが広い防空壕のような部屋だった。懐中電灯で部屋を照らしてみたが不審なものは見つけられなかった。殺人鬼は隠れていなかったし、ネズミもいなかった。部屋にあるのは一つの木製の机と、白い布を被せられた六体の人形だけだった。

 僕は部屋の電気をつけて、机の方へ歩いていった。誰がその机を使っていたにせよ、ここを去る時に机を片付ける暇はなかったらしい。ノートやメモが乱雑に山積みにされていた。僕はそのなかから皮のカバーにジャーナルと金文字で刻まれた日記を取り上げた。開いてみると、それはエクレストンの筆跡だとわかった。僕は最初のページを開いた。


 今日、私は集落の警官から興味深い事件について聞いた。村人たちの間では神隠し事件と呼ばれているらしいが、村人が突然いなくなるそうなのだ。それも牢屋や絶対に抜け出せないと思われる場所から人間が消えている。これは一体、どういうことだろうか?

 実は私は似たような現象を経験している。最初この倉庫で目を覚ました日にある女の子に出会ったが、彼女は話している間に何らかの発作で倒れて、死んでしまったのだ。

 驚いた私は倉庫の外へいき、助けを呼んだ。すると偶然自転車で通りかかった中年の男が私の叫びを聞きつけ、やってきたが、彼と倉庫に戻ると、女の子の死体は消えていた。

 それは絶対にありえないことだった。もし彼女が死んでいなかったとしても、私は助けを呼んだ時、倉庫からそれほど離れていない。私の目を盗んで倉庫から出ることは不可能だ。さらにその後、私は倉庫を調べてみたが、彼女はどこにもいなかった。正に彼女の死体は蒸発するように消えてしまったのだ。

 さて死体消滅と神隠し事件が関連しているのはわからないが、もし彼女が私の目の前で倒れなければ彼女も神隠し事件の被害者だと思ったのではないだろうか? まだ結論を出すのは早すぎる。時間がある時にこの事件について調べよう。


 僕はいったん読むのをやめた。不思議にエクレストンが経験した出来事は僕のととても似ている。それにこの日記がいつ書かれたのかは正確にはわからないが、数年は経っている。つまり、神隠し事件はもう何年前から続いているらしい。あの集落で月日が全く進んでいないように。


 それに倉庫の近くにある集落はおかしい。最初村へ入ると誰もいなかったのに、一度精肉店に入り、そこから出ると突然集落は村人たちで賑わっていた。とても不思議な経験だった。


 僕が最初に集落にいった時と全く同じだ。これは本当にエクレストンが書いた日記なのだろうか? 誰かが僕を観察してつけた日記のように思える。

 しかし読み進めていく内にやはりこれは僕の日記ではないことがわかった。エクレストンは倉庫で僕がやったように人形を組み立て始めるが、それから彼の行動は僕のと微妙に違うのだ。例えばエクレストンは最初に作った人形をエイデンと名付けていない。

 が、十四ページ目、つまり二週間後にはスミスと名乗った男が倉庫に訪れ、人形を買っていったと書かれていた。細かいところは違ってもあまりにも僕の身に起きた出来事と似すぎていた。

 それから数百枚エクレストンは人形作りに没頭しながら、時々神隠し事件について調べているが、収穫はなかったらしい。エクレストンがなにをどう捜査したのかと経緯だけが記されていた。

 神隠し事件について具体的に書かれたのは最後のページだった。

 

 私は神隠し事件の真相を知ってしまった。


 と最初の行にいままでの綺麗な筆跡に似つかない殴り書きで書かれていた。


 しかし、私はそれをどう受け止めていいのかわからない。いっそう真実を知らなければいいと思っている。神隠し事件は事件ではない。現象なのだ。分別がない無差別的な現象で、私はその原因を知ってしまった。が、神隠しの現象を止めることはできない。

 もっと私は早く気づくべきだったのだ。少なくとも精肉店で出会ったあの奇妙な肉屋を見た瞬間から理解するべきだった。村人たち全員が人形だということを。

 そして私は考えるべきだった。人形が死ねばどうなるか。いつもスミスに息を吹きこんでいない人形お売っているため、そんなことまでに頭は回らなかった。なんて私は愚かだったのだろう。

 村に住む人形たちは自分自身が人形だと気づいていない。人形でありながら、人間だと思い込んでいるのだ。しかし死んだ人形を解剖すればすぐに人間ではないとわかってしまう。だから人形作りを研究し、完璧にした人間は人形に消滅装置を取り付けたのだ。人形は死ねば自然に消えてしまう。それが神隠し事件の真相だ。

 それに人形たちは無意識的に神隠しの真相を暴くのに抵抗している。例えばあの警官は上層部が捜査を許さないと言っているが、村長はそんな圧力はないと言っている。つまり警官は神隠し事件を本能的に捜査したくないから、上層部から圧力をかけられていると思い込んでいるのだ。

 それだけではない。スミスは悪党のような笑い方をするが、この世界では欠かせない人形だった。彼は人形を私から買い取り、それを村に運んでいたのだ。人形が死に、消滅するたびにスミスは新たな人形を起動させていたのだろう。だから時々行方不明になっていた人間がまた戻ってきたという噂が村で流れているのだ。

 だが、精肉店の謎は残る。なぜ私が精肉店から出たら村は村人で溢れていたのだろうか? その答えも私は見つけることができたが、ここに書き留めることはできない。その事実を私が受け入れたくないからだ。


 僕は日記を閉じ、エクレストンがどこかに最後のページを書き続けたのではないかと考え、メモの山を探ってみたが、それらしきものを見つけることはできなかった。仕方なく僕は部屋の済みに置かれている六体の人形を調べることにした。

 埃があまり立たないように気をつけながら最初の一体のシーツを取った。

 黄色いレインコート。そこには僕が最初の夜にであったおじさんが立っていた。

 だが彼は動かない。そこに突っ立ったまま虚ろに遠くを見つめている――人形なのだから。

 次のシーツを捲ると血で汚れた白いエプロンを首からかけた太った男が現れた。彼は村の肉屋だった。鶏の首を切り落とした時と同じようなブッチャーナイフを右手に握っていた。彼の隣には青い征服姿の警官が立っていた。神隠し事件のことを話していたあの警官だ。

 四体目はスミスで、五体目は村長だった。

 そして僕は最後の人形を隠す布に手をやった。しかし布を握ったもの、僕は一瞬ためらった。今まで全ての出来事があまりにもできすぎていた。エイデンが倒れた時、偶然に黄色いレインコートを着たおじさんが寂しい夜の道路を自転車で走っていた。スミスもタイミングよく現れ、引き出しを開けるための鍵を僕に渡した。

 頭痛がした。集落に住む人間はみな人形だとすると、彼らはなんのために存在するのだろうか? そして一体僕はなぜここにいるのだ? 僕の存在理由は一体――

 身体が火照った。

「まさか」僕は呟いた。

 僕は千切るようにYシャツを脱いで、自分の左胸を確認してみた。指先で触っただけで心臓の動きが感じられる。温もりもあり、弾力がある人間の肌だ。

 しかし、そこには小さな四角形のボタンがあった。見ただけでは気付かないが、触ればボタンの凹凸があることに気づく。

 ――僕も人形なのだ。

 やっと深い深い眠りから目覚めたように、その事実を理解した。平手打ちを食らったような衝撃だった。僕も人形にすぎない。

「ありえない」座り込んだ僕は呟いた。「そんなことはありえない……僕が人形だとしたら、僕はなんのために存在する?」

 創作者はなぜ僕を作った? その疑問がぐるぐると頭のなかで渦を巻いた。僕が人形なら、存在する理由をもつはずだ。

 僕は六体目の人形にかけられた布を引っ張った。はらりと布が落ち、一人の男がその後ろから現れた。細かいところは違っても、そこには僕とそっくりの人形がいた。

 僕は理解した。僕がなぜ存在するのかも、なにもかも。


 一週間後。全ての準備を整えた僕は冷たい倉庫のコンクリートの床に仰向けに横になった。

 集落の人形は全て停止させた。誰かが精肉店に入り、そこの肉屋と話すことによって全ての人形はまた再起動する。黄色いレインコートを着た人形は倉庫の近くに起き、叫びを聞きつけたら、起動するように設定した。スミスは二週間後に動き出すようになっている。

 秘密の地下で見つけた人形を使ってしまったので、僕は新たに六体の人形を作り、前と同じように地下に並べておいた。エクレストンが書き留めたものを僕は処分して、代わりに僕が書いた似たような日記やメモを木製の机の上に山積みにした。

 今まだ動いている人形は僕とエイデンだけだ。エイデンには金のありかを記した手紙を持たせているし、「人形の組み立て方」の手帳と現金を引き出しに入れてある。準備は全て整った。

 こうして静かに僕が終わる時間を待っていると、いったい自分の人生はなんて無駄だったと思ってしまう。人形の生命は長くない。平均寿命は一年、一年半生きられば長いほうだ。僕は一歳だが、頑丈に作られているので、生きたければ五年はこの世界に留まることができるはずだ。

 しかし僕は自分が生きている理由を知ってしまった。いや、エクレストンから巧みに知らされたのだ。彼も多分人形だったのだろう。そして彼の創作者も人形で、そのようにこの倉庫では数十年にわたって人形が人形を作っていた。最初に人形を作り、「人形の作り方」を書いたのは人間なのだろうが、その面影はもう残っていない。このサイクルはもう何十回も続けられ、これからも永久に続くのだろう。そして僕はそのサイクルの歯車にすぎない。

 皮肉だ。僕は歯車からできた人形で、この世界にとっても歯車にしかすぎないのだ。そして僕は自由の意思を持つと思い込みながら、無意識的に僕に与えられた次の世代の人形を作るという義務を果たしていた。

 悲しくなり、ゴクリと唾を飲み込んだ。僕には初めから存在する意味などなかったのだ。あったのはこの人形の世界を作り出した人間の計画だけで、僕はその計画の駒一つにすぎない。息をすることができて、手を伸ばして指を動かすことができて、涙を流すことさえできるのに、僕は結局は鉄でできた歯車にすぎない。

 この世界での仕事を終えた僕はもう必要とされていない、さっさと消えてしまったほうがいいのだ。僕は隣を向いた。そこには僕に似た人形が寝ている。次の一年は彼のものだ。しかし彼もまた一年後、僕と同じようにここで横になり、息を引き取るだろう。全てはこの世界が存在し続けることができるために。

 目を閉じた。そろそろいく時間だった。人形がいく天国とはあるのだろうか、と一瞬考えたが、僕は首を振った。人形であるかぎり、僕には作成者の願いがこもっていて、生きる意味を持つ。しかしそんなのは天国ではない。人形であるかぎり僕には自由はないのだ。


 僕が死ぬと思ったのは眠りにつく瞬間だった。

読んでくれてありがとうございました。評価・感想お願いします。次話は一時間後!


あけましておめでとう、今年もよろしくお願いします!


Marian Flayer 4th of December

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