良い役者の条件
良い演技をするのが良い役者である。では、良い演技とは何か。人それぞれの捉え方があるだろうが、「役に合った演技」こそ良い演技であると私は考えている。
だから、役を押しのけて演じている自分を前に出すような役者は苦手である。
当たり役を掴んだ役者がその印象に引きづられ、どの作品でも同じような演技になってしまうというのはよくある話である。成功体験によってその後の可能性を広げることが困難になるというのは、ある種の悲劇と言える。
先日、仕事から帰ってテレビを点けると深夜アニメの放送に出くわした。タイトルだけ目にしたことがある作品で、内容については何に知らなかったが、仕事疲れからの惰性でそのまま流し見をしていた。
ふと主人公の演技が気になった。温和な性格の主人公が、とある場面で相手に冷たい言葉を浴びせかけている。相手の所業に怒りを覚えた故の行動なのだが、どうもその前後の演技との連続性がない。
普段優しい人間が不意に恐ろしい言動や表情を表に出す、という演技はその変化に意外性があるために、観るものの目に劇的に映ることになる。常日頃から怒っている人よりも、穏やかな人が急に怒る方がずっと効果がある。
大事なのは意外性であり、その意外性はその人物の普段の人となりを基礎としている。
そこで、上記の深夜アニメの主人公の演技である。穏やかな演技→怒りの演技→穏やかな演技という流れが一つの場面で展開されているのだが、穏やかな演技と怒りの演技をまるで別人として演じているような印象を受けたのである。穏やかな人間が怒っているという演技をしているのではなく、ただ怒っている人間の演技をしているようにしか思えなかった。同じ人間の感情の動きを表現しているとは言い難い。
これでは意外性などなく、劇的な効果を生み出すことはできない。主人公を演じた役者は新人というわけではなく、芸歴もあり、いわゆる売れっ子と呼ばれる役者である。
演技が達者で、器用に演じわけることも出来るのだろうが、うまく演じている自分というものを前に出しているように思えてどうも苦手である。売れっ子の役者の演技にケチをつけるとは何事かと叱られそうだが、苦手なものは苦手なのだから仕方がない。
役者の評価というのは、作品ごとの演技において決められるものであり、この役者だから良いと言ったような属人的な評価は馴染まないような気がする。役者をアイドルのように愛でる層には相容れない考え方かもしれないが。
本業でない人間を役者に起用することは何かと批判されがちだが、実際の演技に触れる前に評価するのは早計だろう。演技が達者でない分、役に合わせる姿勢が本業の者より上という場合もあるように思える。
何をおいても大切なのは、その作品、その役柄に合った演技が出来ているかどうかである。良い役者とはそういうものであり、本業か否かというのは単なるレッテルに過ぎない。終わり




