暗殺者の噂
「ねぇ聞いた? 昨日の話?」
「聞いた聞いた! イオナ様の部屋に暗殺者が入り込んだって話でしょ」
ハミット家邸宅の侍女棟での廊下にて。
メイド2人がコソコソと小耳に挟んだ話を共有する。
「しかも3人も死んだのよね。怖いわぁ……」
「イオナ様のお世話係だったメイドたちでしょ、死んだのって。でも、なんで夜中にイオナ様の自室にいたのかしら?」
「ああ、どうせ宝石でも盗みに入ったんじゃないの? ミケエラさんたち、イオナ様のこと随分と下に見てたじゃない? 今回死んだのも、これまでの天罰が下ったのよ」
話しながら廊下を練り歩く2人のメイド。それを追い越すように、早い足取りでハミット家の本邸へと向かう1人のメイドがいた。
「あっ、……ねぇっ、ちょっと待ってソフィア!」
追い越そうとしたのはイオナの世話係であるソフィアであった。それに気づいたメイドの1人が彼女を呼び止めると、ソフィアは驚いた子猫のようにビクリと肩を跳ねさせる。
「貴女って確かイオナ様のお世話係だったよね。昨日のこと何か知らない?」
「っ! い、いえ、私はその……何も」
モゴモゴと歯切れの悪い返答をしてから、彼女はセカセカと歩いていってしまう。
「……? 変なの。話くらい聞かせてくれてもいいじゃない」
「急ぎの用でもあったんでしょ。それより私たちも早く仕事に行きましょう」
◆
「ちょっと! それってホントなの!?」
ミケエラたち死亡の翌朝。鏡の中にいるイオナは、レイのその言葉に声を荒らげた。
「ああ、昨夜暗殺者が来たんだ。お陰で部屋は血の海。もうビックリだよ」
昨夜の一件、レイの〝うっかり〟でイオナの入ったメイクミラーをお手洗いに忘れてしまった。そのため事件の全容を知らない彼女にレイが事情を説明をしていた。
「それでアンタは無事だったわけ?」
「おや? 僕の心配をしてくれるのかい。嬉しいな~」
「ち、違うわよ! あくまで私の体が心配なだけだし!」
「ハハハ、そう照れないでよ。――僕は見ての通り無事だ。ちょうどお手洗いに起きた時に暗殺者が来たみたいだね。けど運悪く部屋にいたミケエラたちは殺されてしまって……お手洗いから帰ると死体が3つあってどれも首が――」
「そ、そこまで生々しく言わないでよ! こ、怖いじゃない!」
「ごめんよ。確かに君には少し刺激が強すぎる話だったね。――それよりも、良かったね。彼女らが死んで」
「……え?」
溌剌とした笑みで語りかけるレイ。その笑みにイオナは少々困惑した表情を浮かべる。
「だって、君は彼女らに嫌がらせを受けてたのだろう? 偶然とはいえ、ミケエラたちの死は君の心の安寧に繋がるのでは?」
「……そ、……それは」
複雑な心境のようでイオナは言い淀む。
きっと彼女の中でせめぎ合っているのだ。今まで自分を苦しめていた人間の消失への歓喜と、人が死んだことを喜んでしまうことへの罪悪感。そのせめぎあいの末に、
「……よかったとは、言いたくないわ。人が死んでるんだもの。そんなことを言ったら……ダメよ」
イオナは罪悪感が勝った。
「……ふむ」
「(随分と心優しいのだね。……なるほど、彼女はこういうやり方を好まないのか。ならば今後は控えよう)」
納得したようにレイが自身の顎を撫でていると、
――コンコン。
と丁寧なノック音がイオナの仮自室(前の自室は血の汚れがまだ取れず、仮で部屋を設けている)に響く。珍しいことであった。今まではノックなんてなく、壁を蹴破る勢いで入ってくるメイドばかりだったからだ。
「イオナお嬢様、朝食の用意ができました」
扉の向こうからは、ソフィアの丁寧な声が聞こえた。
「わかりました。直ぐに向かいますわ。……じゃあちょっと行ってくるね。イオナ」
「ふんっ、人が鏡に閉じ込められてるのに食事なんていいご身分ね」
「後でデザートでも持ってくるからそう怒らないでよ」
「鏡の中で食べられるわけないでしょ! バカにしてるの!?」
◆
朝餉の用意が整った食卓へと向かう道中。
「昨日のことは上手く伝えてくれたみたいだね。安心したよ。ソフィア」
「っ……、い、いえ、ご命令に従ったまでです」
レイの2歩後ろを着いて歩くソフィアは、顔色が優れない様子であった。それも当然である。
ソフィアは昨夜のレイを見てしまったのだから。
「はは、そう怯えなくていいよ。君を殺すことはないからさ。……困ったことにならない限りはね」
「……!?」
冷酷な感情を孕んだその言葉に、ソフィアの背筋はゾクリとする。
「(人を掌握するので、確実なのは「愛情や信頼」。そして手っ取り早いのは「恐怖」。リスキーでも手っ取り早い方法を取ってみたが……ソフィアの様子からして昨夜のことが漏れる心配はなさそうだね)」
「(子供を虐める大人なんて――僕が一番嫌いな人種だ。のさばらせておくには流石に許容できない)」
レイの頭には、一瞬過去がよぎる。
思い出したくもない、悲惨な過去を。