ゲーム
濡れたドレスと身体を乾かすため、レイはフィアーナに連れられ公爵夫人の部屋へと案内された。
そこはイオナの部屋に負けず劣らず豪勢な部屋であった。白を基調とした部屋には幾つもの宝石が家具や装飾品やらに彩を与えており、公爵家の財力が測り知れないと感じさせるほどである。
「さぁどうぞ、そこに座ってください」
ソファに腰掛けるように促されるが、レイは首を横に振った。
「いけません。そうしたらお義母様のソファが濡れてしまいます」
その言葉にフィアーナは一瞬目を見開いてからクスリと微笑む。
「そんな些細なことは気にしませんから、気にせず座ってください」
フィアーナは優しくレイの肩に触れ、そのままソファに座らせる。
「今メイドに着替えを取らせに行っていますから、少しの間こちらを羽織っていてください」
自分が羽織っていたブランケットをレイの肩に被せる。
「温かいお茶でも入れましょう。そうすれば身体も温まります」
フィアーナはテーブルに会ったティーセットでお茶を入れ始める。
「……あのお義母様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「……? なんですか」
「何故、これほど私に良くしてくれるのですか?」
レイから見たフィアーナ・ハミットは、気弱で温厚な事なかれ主義者。
フィアーナの性格上、相手が目下のメイドであろうと怒鳴って糾弾するようなことはしないとであろうとレイは考えていたが、その予想は大きく外れた。
「(イオナに取り入りたい魂胆でもあるのか?)」
「その、……と……くれたから」
するとフィアーナは持っていたティーポットをテーブルに置き、気恥ずかしそうに視線を逸らしてボソボソと何かを言う。
「あの、申し訳ありません。聞き取れなかったのでもう一度……」
「っ……、あ、その、……お義母様と、呼んでくれたから」
恥ずかしそうに眼を泳がせている。
「えっと……それだけですか?」
「そ、それだけだとダメですか?」
「(呼び方が重要なんじゃない。あくまで自分を母親と認めてくれる言葉にそう感じたのだろう)」
フィアーナはイオナの実母の死後、まるで代替え品のように公爵夫人の座を与えられた人物。
オズフォードもイリエナもあのような性格である。彼女がこの屋敷に温かく迎え入れられることはなく、肩身の狭い思いをしていたのだろう。
そんな中、自分を「お義母様」と呼び、自分の存在を認めてくれる存在がいたとしたら、それはまるで砂漠に映るオアシスのようにすら見えるだろう。
「(承認欲求の渇望。なるほど、僕は意図せずそこに上手く付け込んでいたのか)」
「そんなことはありません。ただ私がフィアーナ様をお義母様と呼ぶことをご不快に思っていなくて安心しまして」
「え……?」
「私はお義母様の実の娘ではありませんから、もしかしたらお義母様は内心私のことを疎ましく思っているものと——」
俯きがちにレイが言うと、
「そ、そんなことありませんっ!」
フィアーナはレイの元へと駆け寄り、膝をついて優しく見上げる。
「イオナさんは正真正銘私の娘です! 例え血の繋がりがなくとも、私は貴女の母親です! だからこれからも、私を「お義母様」と呼んでください……!」
「……! はいっ、お義母様っ……!」
無邪気な子供のように明るく笑い、レイはフィアーナに抱きついた。
すると彼女は優しく微笑み、レイの背中を優しく抱き寄せた。
「(誰かに認められないと生きられない弱い人間。実に取り入りやすく、扱いやすい存在だ)」
レイの表情からは優しい笑みが消えていた。
「(イオナ・ハミットの幸せには、必要なピースとなるだろう)」
同時刻の公爵オズフォードの執務室。
そこではオズフォードただ一人が机に向かって仕事をこなしていた。
その静謐な空間に——コンコンと扉をノックする音が響く。
「イリエナです」
「入りなさい」
イリエナが部屋に入ってくるが、オズフォードは視線を書類に向けたままである。
「失礼します。来週に行われるデビュタントについてお話したいことが——」
「デビュタント? 誰のだ」
「……私のです、お父様。八日後に十五の誕生日を迎えるので、それに合わせてデビュタントも行う運びとなっております」
「ああ、そうだったな」
「(相変わらず子供のことには無関心な父親ね)」
イリエナは呆れたような小さい溜息を吐く。
「それで話とはなんだ」
変わらず仕事の片手間で会話をするオズフォード。
「はい。そのデビュタントに第三皇子殿下をご招待したく、招待状を送る許可を頂きたく参りました」
「好きにするといい」
必要最低限な受け答えには、用がないならさっさと立ち去れという意図があった。
「他に何かあるか」
「いえ、なにも——」
言いかけた途中、ふとイリエナ思い出したように尋ねる。
「そういえば最近イオナが変わったという噂が屋敷内に流れております」
「イオナが?」
「はい。授業にもサボらず出席し、先生からの評判も良いと聞きます。それにメイドたちからの評価もよく、以前のような横暴な態度は見られないと」
「……それで? その話を聞いて私にどうしろというのだ」
威圧的な瞳で実の娘を威嚇する。
「いえ、ただお耳に挟んでいただいた方がよろしいことかと」
その眼光に臆することなく、イリエナは淡々と言葉を続けた。
「……そうか。もう用がないなら立ち去れ」
「はい、失礼いたします」
イリエナが部屋を立ち去る。
長い廊下で一人、イリエナは三階の窓から見える木に鳥の巣があるのを見つける。
親鳥がひな鳥に餌を与えている光景を眺めながら、イリエナは ポツリと呟く。
「……本当、嫌になるわ」
その日の晩。
イオナの自室には五人の侍女が招かれた。
その五人はミケエラとその取り巻き四人のイオナ専属メイドだ。
「お嬢様、どのような御用でしょうか」
ノックもせず部屋に入って早々、ミケエラは眉をひそめながら、しかしご機嫌を窺うような表情で尋ねる。
部屋では大きな丸テーブルを前に、椅子に腰かけたイオナの皮を被ったレイがいた。
足を組みメイドらと相対するその姿は月光に照らされ、妖艶にほくそ笑んでいた。
「いらっしゃい、皆さん」
いつもの彼女らなら強気な態度で夜中に呼び出したことに反感の意を唱えただろうが、今日はやけにおとなしい様子である。
ミケエラたちは焦ったような表情をして冷や汗を流していた。
「(昼間のことを気にして焦っているのか。なら好都合だ)」
レイは優しい笑みで彼女らに応対する。
「昼間のことなら安心してください。お義母様にお願いしてお父様にはお伝えしないようにしましたから」
その事実に安堵したのか、メイドたちはホッと胸を撫で下ろす。
そして先程までご機嫌を窺うような目を、人を見下したような目に変える。
「こんな夜更けに呼び出してどういうおつもりです?」
「我々も暇じゃないんですから、易々と呼ばないでください」
イオナ・ハミットは自分たちにいじめられるような格下のお嬢様。
だから悪口を言っても問題ない。無礼な態度を取っても咎められない。水をかけても罰せられない。
そんな固定観念が彼女らを何処までも付け上がらせているのだ。
「(今までのイオナに対してなら、愚かなメイドのままでもよかったかもしれないな)」
だが彼女らが目の前に相対するのは、イオナであってイオナではない。
「ハハっ、何処までも愚かだね。君たちは」
鼻で笑いながら、レイは嘲るように言った。
「え……?」
突然豹変したイオナの姿をしたそれの態度にメイドたちは言葉を失う。
「僕がお義母様に口止めしたからといって、君たちのやったことが罰せられないというわけではないんだよ」
「ど、どういうことです……? こ、公爵夫人には言わないって……」
「確かに僕はお義母様に口止めしたが、それは君たちの手綱を僕が握るためだ。もしも僕が何かの気まぐれでこの事態をお父様にお伝えしてしまったら、君たちは即日解雇となるだろうね」
「ッ! お、お嬢様、そのようなことをいっても公爵様は気になど止めませんよ。なんせお嬢様は——」
「いつまでもそんな陳腐な罵倒が通じるとは思わないことだよ。ミケエラ・バーネット」
「ッ!?」
いつもの反応ではないことにミケエラは狼狽える。
「君たちは公爵家の娘に水を浴びせたんだ。そのことはお義母様も証言してくれるから、僕一人の戯言と処理されることもない。つまり君たちは僕の言うことに従う他この家に残る手段はない。そうでしょう?」
ようやく身の程を理解したのか、怯えた子犬のように縮こまるメイドたち。
それに対してレイはにこやかに応対する。
「まあそう怯えないでくれ。何も君たちをクビにするためここに呼び出したわけじゃない。むしろ、私は君たちにチャンスを与えるつもりさ」
「チャンス?」
「そう、君たちだってこの屋敷を出ていきたくはないだろう? だからここは——」
レイは丸テーブルの前にトランプを置く。
「君たちの〝クビ〟を賭けて、一つゲームをしよう」