強く、『夏の記憶』を読んで欲しいと思った。
この時期になると、長崎に生まれたことを実感する。
8月9日の原爆の日があるからだ。
私が最後に作った本『夏の記憶』のテーマの1つ。
8月9日だからといって、私自身に特別な何かがあるわけではないですよ。
私にとっては、当たり前の、変わらぬ景色。
誰かの原爆を体験した話も、今に残っている原爆投下後の写真も、そういうものだと、脳に刻みつけられている。
まだ知らないことは沢山あるんだろうと思うけど、目を背けることはないし、背けようと思ったこともない。
すぐそこにずっとあるものだから。
だけど、他県に住む人(広島に住む人を除く)にとっては、当たり前ではない景色なんだよな、と改めて思う。
『夏の記憶』に載せた『遠天』の主人公は、そういう意味では、私ではない。彼女には、原爆の話が当たり前にすぐそこにあるものではない立ち位置で動いてもらったから。
実はそれには大きな理由がないと今まで思っていたのだけど、やっぱり理由はあったらしい、とこれを書きながら気づく。
そもそも、私の「すぐそこにずっとあるものだから」って感覚が、きっと伝わらない気がしたんだと思う。
動物的な感覚で、避けたんじゃないかな、と。
余計なことを考えないで小説を読んでもらいたかったんだと思う。
だって、高校生の頃から心の奥底にあったずっと書きたいと思い続けていたものを描いたから。
この小説を書き上げたから、私は筆を折るのを躊躇しなかった。
私も誰かに伝えるモノを書けた、と思えたから。
ここ数日は原爆の話が増えるので、テレビを見ながら、一人でも多く誰かに『遠天』を読んでもらいたいな、と気持ちが溢れた。
テーマは重く感じるかもしれないですが、現代の大学生の前向きな話なので、読んでもらえると嬉しいな、思います。




