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「遠天」をどうして書いたか。

文学フリマ東京には、フリーペーパー含めて4つの小説を持ち込んだ形になります。早速4つ読んで下さった方がダントツ「遠天」が好きと言って下さいまして。

ついでに「遠天」について質問をいただきまして。質問への答えです。

noteのコメント欄に書こうとしたら、500字以内にしてくれと注意されたので、記事にしてます。


この作品についてもっと掘り下げた話が聞きたい、との質問に答えられてるかわかりませんが、とりあえず、これが答えです。


遠天をそもそも書こうと思ったのは、たぶん、昔見た「原爆の投下前の長崎の姿を描いたアマチュア劇」の影響もあるのかな、と。

タイトルは忘れたんですが(作者は知ってる)とても鮮烈な印象を受けた作品で、見たときの余韻は十年以上経っても未だに覚えてます。

その時に受けた感覚を、自分も何らかの形にして残したかったのだと思います。


小説はほとんどフィクションですが、高校生の活動の話と話中の被爆者の話は資料を元にしたノンフィクションです。

曾祖父母の被爆のエピソードは、私の祖父母の話をそのまま使っています。私に語れる原爆の話はそれくらいのものですが、何処かに書いていないと、消えていくだけの事実なので、今回折り込みました。


周りにいた被爆者も被爆2世も、この作品で描いたように人目を気にしていた(る)のかは、全くわからないんですよね(身内だから余計にかもしれません)。だから、その意味では、この作品はフィクションです。

被爆者たちの話は資料を元にしているので、気にしている人たちが確実にいるのは間違いないと思います。ただ、その人たちはきっと口にしないままでいるのだと思います。


響いたと言ってもらえて、それだけでも書いた甲斐がありました。

結末のその先は、読者さんに委ねます。

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