第95話 闇に棲む少女
「マノン・ルブランさま、ですよね?」
リュカは、突然、マノンをフルネームで呼んだ。
フルネームで知っている者は、そうはいない。俄に警戒心が沸き起こった。そこは紅烏団団長である。職務を忘れたことは、一瞬たりともない。
「―いや、失礼いたしました。ルブランさまとは少々縁があるものですから、つい、口走ってしまいました」
「縁…?」
「警戒なさるのも無理はない。が、私のフルネームは、リュカ・ジラールと申します。ジラールに聞き覚えはございませんか」
「ジラール…。あっ!? もしや、オリヴィエ・ジラールさまでは?」
マノンは、古い記憶を呼び起こした。当時の軍は皇子ごとにわかれてはおらず、皇帝グレゴワールが統括していた。父はブランシャール軍の下級騎士だった。その父の親友の一人がオリヴィエ・ジラールという名ではなかったか。
「覚えていてくださいましたか、父の名を」
「では、あなたはオリヴィエさまの…」
「息子です。親友のルブランさまの名は、よく父から聞いていました。私と同い年のマノンと仰る娘さんがいらっしゃることも」
「……」
聞き耳を立てているコレットが困惑する様子が伝わってきた。いつかはバレることだ。どう見てもリュカは16歳には見えない。コレットの存在は無視することにした。
「ルブランさまが戦死なさって、残された幼いお子さま方をどうするか、父が悩んでいることも子ども心に承知していました。それから、エリザさまの計らいで、アニェス殿下付きの侍女になられたことも聞き及んでいました」
「そう…だったのですね」
言われてみれば、亡き父から、ジラールに同い年の息子がいると聞いた記憶がある。残念ながら、名前は聞かなかったが。
「その後、我が家にもいろいろあって、ガブリエルさまの生母・クレールさまのご実家であるシラク侯爵家の推薦でガブリエルさまに仕えることになったのです」
こんな近くに、自分の素性を知る人物がいたとは、思いもしなかった。何という縁だろう。縁で片付けていいものかわからないが、不思議と言わざるを得ない。
「アニェス殿下付きから、シルヴィア妃殿下付きの侍女になられて、陰ながら応援していました。弟君のギーさまも、今ではリオネル殿下の股肱の臣となられている。慶しい限りです」
ガシャン、と食器の割れる音がした。
「―し、失礼いたしましたっ!」
コレットがティーカップを床に落としたらしい。慌てて片付け始める。
「―私としたことが、長居をしてしまいました」
リュカが立ち上がった。
「コーヒー、大変美味しかったですよ、マノンさま」
「……」
マノンは、見送るべくドアの横に立った。返事をするのも忘れて。
「では、失礼いたします。シルヴィア妃殿下によろしくお伝えください。―あ」
部屋を出ようとして、リュカはふと振り返った。
「―こうしてマノンさまと親しくお話しできたのも、女神フレイのお導きに違いない。これからは、お互いの主のため、私たちも協力し合いませんか」
「……ええ。喜んで」
「良かった、ご賛同いただけて。―では、いずれまた」
リュカは、丁寧に頭を下げて去っていった。その後ろ姿を、マノンは、ぼうっと見送るのであった。
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父が戦で死んだ。11歳のときだった。
最初に思ったのは弟をどうやって食べさせていくかだった。無論、父が死んで悲しい。しかし、残された自分たちは、この先も生きていかなければならない。弟はまだ7歳だった。泣いている暇はない。
弟を食べさせるためなら、どんな仕事も厭わないつもりだった。そんなとき、皇帝の側妃から声がかかった。父は、しがない下級騎士だ。どうしてそんな高貴な人が自分たちを知ったのか、当時はよくわからなかった。
今も真相は不明だが、おそらくオリヴィエ・ジラールを始めとした騎士仲間が伝手を頼って最終的にエルザに辿り着いたのだろう。
エルザは、優しかった。マノンにとっては、神の如き存在だった。娘の皇女アニェス付きの侍女として雇われた。弟ギーは、皇子リオネルの従者となった。
アニェスは、当時2歳だった。彼女は既に光り輝いていた。2歳にして威厳に満ち溢れ、女神のような神々しさだった。彼女を前に自然とひざまずいていた。
皇子のリオネルは、元気いっぱいの少年だった。アニェスとは違い威厳は感じられず、下町で走り回っている少年と何ら変わらなかった。しかし、天真爛漫で底抜けに明るく、親しみやすい皇子だった。
先輩侍女のソフィにくっついて、必死に仕事を覚えた。ここを追い出されたら行くところがない。そのころからだろう、お人形のようなと称される笑顔を覚えたのは。マノンにとってそれは、素顔を隠す仮面だった。素顔は、冷徹で現実主義者で利己主義者なのだ。
侍女仲間との付き合いも上手にできた。いろいろな噂話を集めてはアニェスに面白おかしく聞かせた。アニェスは、ころころとよく笑ってくれた。
ようやく居所を得られたと安堵したのも束の間、大恩人であるエルザが死んだ。急病とされたが、直前まで元気にアニェスの遊び相手になっていたのだ。子ども心に、何か伺いしれない闇があることを感じた。
アニェスたちの救世主となったのは、皇妃アレクシアだった。実子のいなかったアレクシアは、アニェスたちを我が子同然に養育してくれた。おかげで、マノンたち姉弟も、職を失わずに済んだ。
同時に、新たな仕事を課された。武術の習得である。皇宮内に不穏な動きがあることは、知っていた。皇子間に争いがあることも。武術の習得は、アニェスを護るためであると即座に理解した。
素質があったのだろう。剣術と拳術をすぐにマスターした。中でも拳術は、誰にも負けないほどの実力を得た。
新たな仕事は、もう一つあった。情報収集である。もともと噂話を集めていたほどだ。携わるほどに適性が開花し、次第に皇宮に広がる深淵の存在を知った。
情報収集のためなら、手段を選ばないようになった。ハニートラップもその一つだった。特に貴族や金持ちの中年オヤジたちは、少女が大好きらしい。カラダを投げ出せば面白いように機密情報をペラペラとベッドの中で漏らしてくれた。
特に性交に抵抗はなかった。痛いだけで大して気持ち良くはないが、これも仕事のうちだ。喘ぎ声を適当に上げていれば、男は勝手に喜んでくれる。
カラダが汚れただの、ふしだらだのという感覚は初めからなかった。だが、アニェスに叱られたときだけは、落ち込んだ。
どこかでウラの仕事に携わっていることを知ったのだろう。13歳になっていたアニェスは、カラダを売るようなマネは、自分自身を傷つけるやり方だと言って、泣きながら叱った。
女神を泣かせてしまった、という罪悪感で心が打ちのめされた。アニェスを悲しませたくない。それ以来、ハニートラップは封印した。
それから二年後、大事件が明らかとなった。アニェス毒殺未遂である。食事に毒が混入されていたのだ。見抜けなかった己を責めた。必死に犯人を捜した。しかし、手がかり一つ掴めなかった。日に日に衰弱するアニェスを励ますことしかできなかった。
そんな折、リオネルと猫耳族の王女との結婚が公にされた。しかも、輿入れ当日、結婚相手が変わっていた。アニェスは、陰謀を疑った。マノンに猫耳王女の侍女になるよう命じた。事あらば、王女暗殺も視野に入れての措置である。
だが、それは杞憂だった。むしろ、猫耳王女は、稀に見る英傑だった。彼女のおかげで、消えかかっていたアニェスの命が再び大きく灯された。
この人ならば、信用できる。一生仕えてもいいと思えた。しかし自分は、本来は闇に属する人間だ。太陽のような王女の側近くに仕える侍女といった、陽のあたる場所は似合っていない。
一度は猫耳王女から離れることを決意した。王女は、全力で慰留してきた。自分のような闇の人間を好きだと言って。
しばらく侍女を続けることにした。情にほだされた訳ではない。侍女の仮面は、素顔を隠すのに都合が良いと思っただけだ。
皇宮内、特に皇子たちの身辺の捜索は、ずっと続けていた。だが、第四皇子ガブリエルだけは、どうしても深く探れない。
あるところまでいくと、鉄の壁が現れて先へ進めなくなるのだ。例えば、生母クレールは、長らく病に臥せっているという。しかしどんな病状でどこで養生していてどんな医者に診てもらっているのか、皆目わからない。
そしてついに、手がかりを見つけた。ガブリエルの従者、リュカだ。
しかも、マノンと個人的に繋がりのある人物だった。これを利用しない手はない。場合によっては、かつて封印した手段を使ってでも。
「―ノン! マノンっ!」
「……は、はい、シルヴィアさま。何でしょう?」
「ンもうっ。人の話聞いてない。何をぼうっとしているの?」
「申し訳ありませぇん。ちょっと考え事をしてましたぁ」
「しっかりしてよ。あなたが頼りなんだから」
「シルヴィアさま、それはヒドい。私だって頑張っていますっ」
「ごめんごめん。コレットも頼りにしているわ」
シルヴィアの周りは、いつも騒々しい。しかし、不快ではない。未知の刺激でいっぱいだ。シルヴィアとは、なんと奇跡のような人物なのだろう。
打算だけではない。この場所が気に入っているのだ。シルヴィアの側にいることが心地良い。確かにそう感じている自分がいる。
本来の棲み処は、闇のはずなのに。闇に棲む人間。それが本当のマノン・ルブランという女なのだから。
【裏ショートストーリー】
コレット「マノンさまっ。ヒドいじゃないですか! 私にウソつくなんて」
マノン「ウソじゃないわぁ。誇張よ、誇張ぉ」
コレット「……10歳もサバ読むなんて、誇張じゃ済みませんよ」
マノン「いいじゃなぁ〜い。16も26も大して違いないわよぉ」
コレット「大有りですっ。同い年だと思ってたのに、まさかお姉さんだったなんて、ショックです」
マノン「はははっ…」
コレット「笑い事じゃありません。しかもギーさまが弟さまだったなんて。憧れの君だなんて言っちゃったじゃないですか、恥ずかしいっ」
マノン「私は、何度も違うって言ったよぉ」
コレット「照れてると思うのが普通でしょう。いったい、マノンさまは、いくつウソをついているんです?」
マノン「……結構それ、心が傷つく」
コレット「マノンさまって、水臭い。それならそうと、初めから言ってくださればいいのに」
マノン「まあ、いろいろあってねぇ。コレットを騙そうと思った訳じゃないのぉ。ごめんねぇ」
コレット「いえ、そのことじゃありません。マノンさまの本命のことですよ」
マノン「はあっ!?」
コレット「初めから、リュカさま狙いだったのですね」
マノン(……違う…とも、完全には言い切れないな)
コレット「ずいぶん、お話盛り上がってましたものね。リュカさま、イケメンだからなあ。優しそうだし。いいなあ。私もそろそろアプローチし始めようかなあ」
マノン(……恋バナ、訊いてほしいのかな。めんどくさい)
コレット「……」
マノン「……コレットは、誰か好きな人でもいるの?」
コレット「ええーっ!? 恥ずかしいっ。そんな、好きっていうかあ、ええとね、彼はね…………」




