第92話 曰く付き物件
「バルケッタには、驚かされたわ」
「初めて会ったときから、賢そうでしたものぉ」
「ギーさまが、一生懸命あの子に言葉を教えていたっけ」
「言葉を覚えるのが早くて、びっくりしたのを覚えていますぅ」
「そうね。あの当時は、あの子より言葉がわかるはずのあなたたちのほうが、あたしに何も話してくれなかったわよね」
「シ、シルヴィアさま。その話はここではちょっと…」
「あははっ。―なんだか、懐かしいわ」
「あのう、シルヴィアさま、マノンさま。私にもわかるように説明してください」
楽しそうに思い出話に花を咲かせる二人に、コレットが口を尖らせた。
「ごめんなさい。つい楽しくて、コレットを置いてきぼりにしてしまったわね」
シルヴィアは、かいつまんでバルケッタとの出会いを話して聞かせた。無論、都合の悪いことは省いて。
「……へえ〜。あの熊爪族の少年がねえ〜」
「今では、ギーさまの弟みたいなものね。ねえ、マ・ノ・ン?」
シルヴィアは、意味ありげにマノンを見た。マノンはというと、一瞬、瞋目したがすぐにぷいっと横を向いてしまった。
「……すると、将来はマノンさまの弟にもなるのですね」
「……!」
コレットに言われ、ぎょっとしたように振り返った。しかし、次の言葉で胸を撫で下ろした。
「だって、ギーさまはマノンさまの憧れの君ですもの。将来のご夫婦の弟君になられるでしょう?」
「……そういう意味か。―って、違ぁーうっ! 誰が憧れの君じゃ?」
「私、ちゃあんと見てましたよぉ? ギーさまがアニェスさまの執務室に入られたとき、マノンさまとアイコンタクトしているの。実は既に交際なさってたりして」
「冗談じゃない、何で私が…。シルヴィアさまっ。この勘違い娘に言ってやってくださいよ!」
「あはははっ! いいじゃないの、仲が良いのは確かなんだから」
「ですよねっ。お二人、どことなく似てるしお似合いだと思いますよ」
「……シルヴィアさまっ。なんで輪をかけるようなことを仰るんですかっ」
「―ここだわ」
マノンの抗議を無視して、ある建物の前で立ち止まった。大通りから一本外れた通りにある商業地区の一角である。
「……中にも入れるのですか」
「アニェスさまから鍵を借りてきたから」
ギィーっと軋む音を立てながらドアが開いた。ツンとすえた臭いがした。フロアには椅子やらテーブルやらが散乱している。カウンターがあり、その奥は厨房のようだ。やはり皿やティーカップが無造作に散らばっていた。
「……ここが例のカフェ候補の店舗ですか、シルヴィアさま?」
「そうよ、マノン」
「広さは充分だと思いますけど、荒れ放題ですね」
「そうね。かなり手を入れる必要があるわね」
シルヴィアは、カウンターの上にある得体の知れない物体をつまんで、ポイと床に捨てた。
「でも、短期間でよくこんな物件が見つかりましたね」
コレットが感心する。
「大通りからも近いし、南東向きの明るい店だし、空き店舗で残っていたのが不思議なくらい」
「アニェスさまがね、見つけてくださったのよ〜」
太陽のような笑顔が弾けた。
「しかも、とても格安なの。以前は繁昌したレストランだったのですって。でもオーナーが賭け事にのめり込んだ挙げ句、莫大な借金を苦に一家心中してしまったの」
「えっ!?」
マノンとコレットの笑顔が、瞬時に凍りついた。
「それ以来、買い手がつかなくて、ずうっと空き店舗だったらしいわ」
「シルヴィアさまっ」
マノンが真っ青になる。
「笑顔でそんな話、なさらないでくださいっ。怖いから!」
「にゃ? なんで?」
「カワイコぶらないっ。めちゃめちゃ曰く付き物件じゃないですかっ。ずっと空き店舗で格安、って当たり前です!」
「何怒ってるの。もしかして、幽霊が怖いの?」
「当然ですっ。怖いに決まっています!」
「大丈夫よ〜。幽霊なんていないから。いたとしても、あたしが追い払ってあげるから安心して」
「……変わったお人だとは承知していたけど、まさか、ここまでとは…って、コレット! さっきから引っ付いてきて何なの? うっとうしいっ」
「だだだだだだって、ここ、幽霊が出るって有名な処ですよ〜」
「あら、コレットは、知っていたのね」
「ちちちちち違います、シルヴィアさまっ。場所は知りませんでした。ただ、噂を耳にしていただけです」
震えながらマノンにしがみつくコレット。顔色は真っ青だ。
「誰もいないはずなのに、夜中窓に人影が映っていたとか、ドアが不気味な音を立てて独りでに開いたとか、そんな怖い噂が流れて―」
そのとき。入り口のドアが大きな音を立てて開いた。
「ギャアアアァァァ〜ッ!」
コレットは、耳をつんざく悲鳴を上げてマノンに抱きついた。
「なんだなんだ? 何事が起こった?」
悲鳴を聞いて、男が飛び込んできた。真っ直ぐコレットに駆けつける。
「何があった? コレット」
「―アダン!?」
それは、アダンだった。心配そうにコレットを覗き込んできた。
「……もうっ! アダンのバカっ! バカっバカっバカっ」
コレットは、涙目でポカポカとアダンを殴りつけた。
「痛てててっ。いきなり何すんだよ」
「タイミングが悪かったわね、アダン」
シルヴィアが苦笑いを浮かべた。
「ちょうど今、ここは曰く物件だという話をしていたところだったのよ」
「ああ、幽霊騒ぎの件か。コレットの怖がりめ、俺は幽霊じゃあねえぞ」
「声もかけないで突然入ってくるあなたが悪いんでしょ! このバカ幽霊っ」
「ごめんな。このクソ野郎としゃべりながら来たから、つい勢いでドアを開けちまった」
後ろに控えていたランドルフを振り返った。
「もうっ。驚かさないでよ。デリカシーがないんだから。ねえ、マノンさま。そう思いますよね?」
しかしマノンから返事が返ってこない。
「あれ? マノンさ…ま?」
不審に思って腕を取った。マノンは枯れ木が倒れるようにその場に崩折れた。
「―キャアアァァーっ!? マノンさまが気絶してるーっ!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……マノンさんは、大丈夫か?」
アダンが心配そうに顔を覗かせた。
ソファ型の椅子が残っていたので、軽く掃除をして(埃が舞い上がったのは、言うまでもない)、シルヴィアのコートを敷き、その上にマノンを寝かせた。
コレットがどこからか水を汲んできて、濡れタオルを額に載せている。甲斐甲斐しく世話をする様子は、本当の妹のようだ。
「まだ気が付かないけど、大丈夫だと思うわ」
「どうする? 侍女さんがこんな様子じゃ、今日の打ち合わせはヤメにするか?」
「……いいえ、予定通り話を進めましょ。マノンなら、コレットがついていてくれるから、心配いらないわ」
それにしても、気絶するほど幽霊が苦手とは思わなかった。熊爪族にも暗殺者にも怯むことなく立ち向かうあの『紅烏団』団長が、幽霊が怖いとは…。
(可愛いとこ、あるじゃない。ますますマノンのこと、好きになっちゃった)
気絶したままのマノンには悪いが、思いがけない一面が見られて、内心ほっこりしていた。
「……ここ、以前はレストランだったんですよね?」
ランドルフが厨房を覗きながら言った。
「ええ、そうですよ。竈門もあるし設備は整っているから、手網とかミルとか必要な道具が揃えば、すぐ始められます」
「道具なら、すべて本国から持ってきましたんで、あとは内装さえ施せば、イケるんじゃないですか」
「店内の広さも充分だし、椅子とテーブルは入れ替えるとして…食器も一から揃えないとダメだな」
アダンは、取っ手の折れたティーカップを持ち上げて見せた。
「そのあたりは、頼りにしているわ、アダン」
「……はいはい、猫耳王女さま」
アダンは肩をすくめた。
「什器食器は、お任せを」
「あと、コーヒーだけじゃなくて、スイーツも出したいの」
「ケーキセットみたいにするのか?」
「ええ。最初は、女性をターゲットにするつもりだから。もちろん、男性客も大歓迎よ。アダンも是非女性同伴でいらしてね」
「バカ言え。俺は関係者枠で優先して入らせろ。絶対に行列のできる店になるから」
「……」
「……何だよ、その変顔は?」
「失礼ねっ。あなたのこと、見直してたんじゃないの!」
「俺を見直すなんて、雪が降るようなことはヤメてくれ」
口調はつっけんどんな言い方だが、照れているのがよくわかる。ここにも、微笑ましい者が、いた。
「始める前から、行列ができるだなんて、嬉しいことを言ってくれるから」
「当然、そうなるんだろ? 売れるかどうかわかりもしないうちから、自信満々だったって聞いたぜ」
「そりゃあ、そうなんだけど…。店舗も見つかって、現実味を帯びてくると、なんだか本当に売れるのか心配になってきちゃって」
「へえーっ。あんたも弱気になることがあるんだな。少しびっくりした」
「私だって、初めてやることは不安になったりするよ」
コーヒーがパストゥール中で大人気になることは、わかっている。なにしろ、この身で経験してきているのだ。
それでもやはり、不安は残る。これまでいくつも歴史を変えてきたのだ。コーヒーの歴史が変わらないとは言い切れない。
だとしても…
「―まあ、そんなに深刻になるなって」
いつの間にか難しい顔をしていたらしい。アダンが慰めてくれた。
「俺たちが全力でサポートしてやるからよ。あんたはいつも通り、自信満々でいてくれや」
「……ありがとう」
いい仲間に巡り合えた。彼らを見渡しながら、本当に心の底からそう思った。
【裏ショートストーリー】
ランドルフ「今日は、物件の下見だっけ」
アダン「打ち合わせも兼ねてな」
ランドルフ「本当に売れるのかな。シルヴィアさまがえらい自信満々だから、話には乗っかったけど、大損して泣くのは見たくねえなあ」
アダン「……お前、コーヒー専門店は良いアイデアだって言ってたじゃねえか」
ランドルフ「あのときは、そう思ったんだよ。でも、考えてみりゃ、見たこともねえ飲み物を、そう簡単に受け入れられるとは思えなくなってな」
アダン「お前、商人だろ。シルヴィアが買うって言ってんだ。黙って売っとけ」
ランドルフ「そうは言ってもな。俺はシルヴィアさまが好きなんだよ。彼女が悲しむのは胸が痛む」
アダン「……ふ〜ん。お前、いいヤツだな」
ランドルフ「やっと気がついたか。人を見る目のねえヤツ」
アダン「……ふん。お前、イヤなヤツだな」
ランドルフ「あっはっは。面白え!」
アダン「ちっ…。なんでシルヴィアは、こんなヤツと組む気になったんかな」
ランドルフ「そりゃ、お前、俺が男前だからだよ」
アダン「……クソ野郎だな」
ランドルフ「おっ、そんなことより、ここじゃねえの、例の物件は。確かシルヴィアさまは、先に来ているんだっけ?」
アダン「人影が見えるから、シルヴィアだろう」
ランドルフ「霊の物件、って噂がある曰く付きだろ?」
アダン「……お前、やっぱりイヤなヤツだな…」
コレット「ギャアアアァァァ〜ッ!」




