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第91話 天才と天才

「……と、こういう顛末でした、アニェスさま」


シルヴィアは、兵舎にあるアニェスの執務室を訪れていた。ここでは日頃、アニェスが軍関係の仕事をこなしている。今日も溜まった事務を片付けていた。助手として侍女のソフィが忙しそうに書類と取っ組み合っている。


「お二人には、幸せになってもらいたいわ」


両手にあごを乗せて、アニェスは眉根を寄せた。


「でも、気になるのは、騒動のきっかけになったエーヴという小隊長ね」


「アニェスさまも、そう思います?」


我が意を得たりと、シルヴィアは大きく頷いた。


「エーヴは、すぐわかるウソをついて親友を貶めるような、心の狭い女性ではありません。友だち思いの心根の優しい娘なんです」


「それなのに、ウソをついた…。彼女にとっては、ウソではなかったのかも」


「きっと、エーヴもバスティアンのことが好きだったのじゃないかしら」


「そうでしょうね。親友を追い落として自分がカノジョの地位に取って代わろうとした…とまでは考えてはいなかったと思うわ。単にそうであればいいな、という願望を口にしてしまったのでは」


「……私、どうしたらいいと思います? 彼女の気持ちを考えると、手放しでサンドラを祝福する気になれなくて」


「それは、いけないわ。お義姉さまの気持ちもわからなくはないけど、サンドラたちのことは心から祝福してあげてください」


「はい…。でも…」


「一番辛いのはエーヴなのよ。そのエーヴが黙して語らないのであれば、お義姉さまが無理にほじくり返してはダメ」


「……」


「お義姉さまが、例え太陽の女神の如きお人でも、()()そのものではないわ。毎回すべて上手く解決できるとは限らない」


「いくら何でも、私が女神だなんて、そんな思い上がってはいませんよ」


「陳腐だけど、ここはエーヴを温かく見守ってあげることが最善かと」


「……そう、なのでしょうね」


「―でも、安心しました」


「はい?」


アニェスから、それこそ女神の如き輝く笑顔を向けられて、戸惑いの表情を浮かべた。


「お義姉さまも、判断に迷われることがあるのだなあ、と思って」


「そりぁ、そうですよ。むしろ迷ってばかりです」


「私からすれば、何事にも自信に満ち溢れて人々を導いていく。そんな方ですわ、お義姉さまという方は。このごろでは、本当に女神さまの生まれ変わりなのでは、と思い始めていたところですのよ」


「そんな…。ヒドイわ、アニェスさま。私はただの猫耳族の可愛い王女です」


「ふふふっ! そうでしたわね、可愛い王女さま」


アニェスは、鈴の音を鳴らすように笑い転げた。


(女神の生まれ変わりというなら、アニェスさまの方こそよっぽど生まれ変わりだわ)


このよく笑う少女を、シルヴィアは、うっとりと見つめた。


「―お話し中、申し訳ありません、姫さま」


ソフィが書類を手に、困った顔で訴えてきた。


「どうしたの?」


「こことここが何度計算しても数字が合わなくて」


「どれ―?」


「……あっ、アニェスさま。私、これで失礼いたします」


シルヴィアは、慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい、お義姉さま。もっとおしゃべりしていたいのだけど」


「いえいえ、お忙しいのに話を聞いていただいて申し訳ございません」


「また時間を見つけてお話しましょ」


「はい、喜んで」


一礼し、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。すると。


「あっ…!?」


まさにドアをノックしようとしていた人物と鉢合わせした。


「ギーさま!?」


それは、ギーだった。ギーも驚いたらしく、片方だけの左目を大きく見開いた。


「―これは失礼いたしました。シルヴィアさまがお出でとは存じ上げず」


「こちらこそ、ごめんなさい」


「アニェスさまとご歓談中でしたか。それでは出直して参ります」


「あっ、待って、ギーさま」


身を翻そうとしたギーを慌てて引き留めた。


「私の話はちょうど終わったところなの。どうぞお入りになって」


「よろしいので…?」


「構わないわ、ギー。入ってきて」


入り口でのやり取りを聞いていたらしいアニェスからも、声がかかった。


「……では、失礼いたします」


ギーは、一人の人物を手招きして共に部屋へ入ってきた。ギーが伴った人物を見て、シルヴィアは歓声を上げた。


「まあっ! バルケッタ!? バルケッタじゃないの!」


「ご無沙汰しております、シルヴィアさま」


熊爪族のバルケッタは、にこりと微笑んだ。


「マノンさまも、その節はお世話になりました」


マノンが小さく手を振った。


アニェスの病を治す薬草を得るべく赴いたペレーズ山の麓に住む熊爪族の少年、バルケッタ。


薬草を得た後、皇都リシャールへの帰還に同行してきて以来の再会だった。まだ一年経っていないが、背が伸びた気がする。もともと美少年だったが、顔つきも大人びてきて、イケメンになりつつあった。


「パストゥール語も、ずいぶん上達したのね」


「はい。ギーさまのおかげで勉学に専念することができました。大変感謝しております」


ギーを見て、やはりにこりと笑った。


「……確か帝国立の幼年学校で学んでいるのでしょ?」


「いいえ。幼年学校には通っていません」


「あれっ!? 学校、行ってなかった?」


「……いえいえ、そうではありません」


妙に慌てた様子でギーが口を挟んできた。


「幼年学校はちゃんと通っていました。今は、卒業したのです」


「にゃにゃっ!? 卒業、って、まだそんな年齢ではないわよね?」


「優秀な成績を収めたので、飛び級で卒業が認められたのですよ」


ギーは、我が事のように自慢げに胸を反らせた。寄り添う姿は、本当の兄弟のようだ。


「まあ…。驚いた。バルケッタは、頭が良いのね」


バルケッタは、照れたように頭をかいた。その様子は、年相応の少年である。


「では、この後はどうするの?」


ブランシャールの学校制度は、まず、7歳から15歳までが幼年学校で学ぶ。主に貴族の子弟が通う帝国立も庶民が通う私立も同じだ。リオネルやアニェスが学んだのが私立で、そこでアダンと知り合った。


幼年学校を卒業すると、女子は女学校か実家で家事見習いとなる。女学校に進むのはほとんどが貴族の娘であるが、いずれの進路も事実上の花嫁修行だ。


それに対して男子は、大学校に進むか実家で家業の手伝いを始める。女子同様、大学校に進むのはほぼ貴族の御曹子で、庶民は家業の勉強をするのが一般的だ。


熊爪族のバルケッタは、リオネルの推薦で特別枠として帝国立の幼年学校で学んでいた。同じように皇子の推薦があれば、貴族ではないバルケッタでも大学校に進むことはできる。


「僕は、働きたいのです」


バルケッタは、きっぱりと言った。


「確かあなた、12歳だったわよね? その歳でもう働くの?」


「もうすぐ13になります。―はい。大学校に進むことも考えましたが、やっぱりここまで学ばせていただけたのはギーさまやリオネル殿下のおかげですので、働いて恩返しをしたいのです」


黒目がちの瞳をキラキラさせて、バルケッタは言った。利かん気の強そうな顔つきは初めて会ったときから変わっていない。


「偉いわあ。コレットもそうだけど、最近の子は、働き者が多いわね」


シルヴィアは、後ろに控えるコレットを振り返った。


「特別なことではありません。熊爪族の男は、それこそ10歳から狩りに出ます。ブランシャール風に言えば、立派な労働者です。僕も熊爪族の村にいた頃は、狩りに出ていましたから」


「そうなのね。それなら、ギーさまの下で働けばよさそうなものなのに、なぜわざわざ別のところで働くの?」


「私の下では、軍人になるしかありませんから」


ギーがバルケッタの頭を撫でた。バルケッタは、嬉しそうに見上げた。


「私が言うのも口幅ったいのですが、バルケッタは、頭がいい。軍人より文官のほうが向いています。それで今日、アニェスさまにお願いに上がった次第でして」


ようやく、アニェスを訪れた理由の本題に入ったらしい。


「アニェスさま。リオネル軍で事務官としてバルケッタを雇ってはいただけませんでしょうか」


「この子を、ですか」


アニェスは、じっとバルケッタを見つめた。すべてを見透かすような美女の視線を、バルケッタは怯むことなく静かに受け止めている。


「必ずお役に立てます。幼年学校を首席で卒業した証書もお持ちしました」


ギーは、必死にアピールする。


「そんなものは、必要ないけど…」


「常備軍の人員が増えて、事務方が忙しいとお聞きしました。事務部門を新設するお考えもあるとか。でしたら、是非、バルケッタを使ってみてください」


「でも、まだ12歳の子どもを雇うというのは、どうなのかしら」


「もうすぐ13です。……これは、何ですか」


バルケッタは、目ざとくソフィの手元にある資料を指差した。先ほど、数字が合わないと騒いでいたものだ。


「―ああ、これは、食材の仕入表よ。数字が合わないの」


「僕に見せてもらえませんか」


「……いいわ。特に機密事項でもないし」


アニェスの許しを得て、ソフィから資料を受け取ったバルケッタは、一読した。


「―なるほど。確かにこことここの数字が合いません」


「えっ!?」


「これは、ここの計算が間違っているからです」


バルケッタは、資料をアニェスに向けて広げると、アニェスがたった今使っていた卓上ペンを手に取り、スラスラと計算し始める。


「―ここを、こう直せば数字が合います。そもそも、項目の並べ方に問題があります。そのために計算間違いをしやすいのです。項目をこうやって並べ変えれば見やすくなるし、計算間違いを無くせると思います」


「……驚いた」


アニェスは、黒い瞳を目一杯広げて少年を見つめ直した。 


「論より証拠とは、このことね。一読しただけで間違いを見つけて改善策まで提案するなんて」


「姫さまっ」


ソフィが珍しく興奮した表情でアニェスに訴えた。


「わかったわよ、ソフィ」


アニェスは苦笑いを浮かべながら、言うのであった。


「それでは、ギー。この子を預かることにするわ。―この子は、天才ね」

【裏ショートストーリー】

バルケッタ「ギーさま。これからご挨拶に伺うのは、リオネル殿下の妹さま、アニェス殿下でしたね。お会いするのは初めてです」

ギー「くれぐれも粗相のないようにな」

バルケッタ「承知しております。リオネル殿下を背後から支えておられる実力者であらせられる」

ギー「……少し言葉の選択が良くないな」

バルケッタ「あれっ…!? 申し訳ありません。完璧だと思ったのにな。どの辺りが良くなかったのでしょうか」

ギー「……今はやめておこう。後でゆっくり教えてやる」

バルケッタ「言葉は難しいですね。意図したこととは違う意味で捉えられることがある。その点、数字は白黒はっきりしていていい」

ギー「……」

バルケッタ「数字は絶対に意味を間違えない。僕は言語学より断然数学のほうが好きです」

ギー「数学は、いつも満点だったからな」

バルケッタ「あの…ギーさま…」

ギー「何だ?」

バルケッタ「僕は熊爪族です。アニェスさまは、獣人はお嫌いではないのですか?」

ギー「なぜ、そう思う?」

バルケッタ「幼年学校では、獣が人の真似をするなと蔑まれましたから。人間族は獣人が嫌いなのだと思いました」

ギー「アニェスさまはな、猫耳族のシルヴィアさまととても仲がいいんだ。まるで本当の姉妹のように」

バルケッタ「そうでしたか…」

ギー「心配するな。リオネル軍に獣人を差別する者など一人もいない」

バルケッタ「はいっ。ありがとうございます。これで高をくくってアニェスさまにお会いできます」

ギー「……アニェスさまにお預かりいただくのが心配になってきた」

バルケッタ「えっ!?」

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