第90話 花咲く恋と鳴かぬ蛍
「サンドラっ!」
サンドラたちが戻って来たと聞いて、待ちわびていたシルヴィアは兵舎の入り口まで迎えに出ていた。
彼女は、バスティアンと並んで歩いてきた。一歩引いて後ろをエーヴがついている。
「帰ってきた!」
三人の姿が見えると、兵舎まで来るのが待てず、シルヴィアは走り出していた。
「サンドラーっ!」
駆け寄ってくるシルヴィアを認めて、サンドラたちは足を止めた。
「シルヴィアさま。この度は、大変申し訳―」
バチーン、と高らかに頬が鳴った。サンドラはびっくりしたように頰を押さえて呆然と佇む。シルヴィアの金色の瞳からは、涙が溢れ出していた。
「……何で相談してくれなかったのよ! サンドラのバカ、バカ、バカっ」
「シルヴィアさま…」
「どれだけ心配したと思ってるの! 全部独りで抱えこんで逃げ出すなんて、そんなにあたしは頼りない?」
「申し訳ありません…」
「あたしたち、親友じゃなかったの? ピンチのときは、頼ってよ! もっと甘えてよ〜っ!」
シルヴィアは、サンドラの胸の中で泣きじゃくった。
「―セリーヌ。今回のことは、全部わたしが悪いんだ」
エーヴが、しょげ返った。
「わたしが、ウソをついたから。サンドラは悪くない。叱らないでやってくれ」
シルヴィアは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を上げた。キッとエーヴを睨みつける。
「エーヴのことも、あたしは怒ってるんだからね」
「……」
「今回の騒動の原因はファニーから聞いてるわ。あなたがついたウソが引き金だ、ってことはね」
「ごめん…」
「だからって、何であなたまであたしに一言もなく飛び出していってしまうの? まったく、あなたたちときたら、友だち甲斐のない人たちなんだから」
「ごめんよ。わたしが悪かった」
「シルヴィアさま。その辺で勘弁してやってください。二人とも悪気はなかったんです」
バスティアンが宥めるように仲裁に入った。しかしシルヴィアは、バスティアンも睨めつける。
「バスティアンっ! しれっとしてるけど、あなたが一番悪いのよ!」
「お、俺…?」
バスティアンは、空色の瞳を白黒させた。
「当たり前でしょ! 初めからちゃんとサンドラに気持ちを伝えていれば、こんなことにならなかったのよっ。どうせ浮かれて肝心なことは言葉にしていなかったのでしょう」
「……おい、セリーヌ。感情的になるなと言ったのは、お前だぞ」
三人がこの世の終わりのように落ち込むを見かねて、サイノスが声をかけた。
「そのお前が一番感情的になってどうすんだ」
「うるさいわね。あたしは、この人たちの心根が我慢ならないの。あたしを蔑ろにするにもほどがあるわ」
「シルヴィアさまっ」
突然、バスティアンが土下座した。慌ててサンドラとエーヴも跪く。
「この度は、お騒がせしこと、また御心をお痛めせしこと、誠に申し訳ございません。お叱りを受けたからではございませんが、改めてシルヴィアさまにお願いいたしたき儀がございます!」
「な、何よ、いきなり改まって」
「俺とサンドラは、今回のことでよくよくお互いの大切さがわかりました。身に沁みてかけがえのなさを痛感しました」
「……」
「サンドラには、結婚を前提にお付き合いいただけるよう申し込み、快諾いただいております。軍内部での恋愛はご批判を受けるかもしれませんが、どうか、交際をお認めくださいっ!」
「私からもお願いいたします」
サンドラも頭を下げた。
「シルヴィアさまを裏切っておいて、どの面下げて願い事をするのかとお思いでしょうが、どうか…どうかバスティアンとのお付き合いを、お認めください」
「……これじゃ、まるであたしが恋路を邪魔する悪者みたいじゃない」
シルヴィアは、大きなため息をついた。
「決してそのような―」
「いいのよ。二人の気持ちはよくわかったわ。バスティアンがきちんと考えてくれているなら、なにも文句はない」
「シルヴィアさま、では…」
「別に反対なんて初めから言ってやしない。―もちろん、認めます。二人の交際を認めるわ」
「ありがとうございますっ」
「バスティアン。あたしの大事なサンドラを任せるのだから、しっかり守ってね」
「無論でございます。命に代えても守ってみせます」
「ダメよ。命に代えないで。―どうしてみんなすぐ、命に代えても守ると言うのかしら。残された方は、たまったものじゃないわ」
「シルヴィアさま…」
「ただし! 今回のことは、不問に付すわけにはいかないわ」
「えっ…?」
「……覚悟は、できています」
驚くバスティアンとは対照的に、サンドラは静かな佇まいをみせていた。オッドアイは、澄んだ輝きをたたえている。
「無断で軍を抜け出したのですから、罰は当然です。どんな罰でもお受けする覚悟で戻ってまいりました」
「あら、そう。それは良かったわ。何でも受けてくれるのね」
シルヴィアの金色の瞳がくるめいた。マノンの言うところの、悪だくみをしているときの瞳だ。
「では、サンドラ。あなたに罰を与えます。―30日の間、カフェで接客をしなさい!」
「……」
しん、と静まり返った。その場にいた者は、誰一人シルヴィアの言葉を理解できなかったからだ。
「……あのう、セリーヌ。聞いてもいいか?」
恐る恐るエーヴが尋ねる。
「カフェ、って何だ? それに接客? 罰が接客、ってどういう意味だ?」
「カフェはね、あたしが売りだそうとしているコーヒーの専門店のことよ」
自慢げに胸をそらす。
「その店舗を近いうちにオープンするの。サンドラには、店員になって接客をしてもらうわ」
「……そんなんで罰になるのか? 罰ってもっと、重労働とかさ、拘禁するとかさ、ほかにあるんじゃねえの?」
「何か、エーヴは軽い仕事だと勘違いしているみたいだけど、人によっては、苦痛に感じると思うわよ」
「接客が苦痛とは思えないけど…。でも、いいや。罰はできるだけ軽い方がいいに決まってる。なあ、サンドラ?」
「……」
サンドラはエーヴに応えず、何やら考え込んでいた。
それを尻目に、シルヴィアはエーヴにも金色の瞳を向けた。
「他人事みたいに言ってるけど、エーヴ。あなたも接客、やってもらいますからね」
「えっ!? わたしも…?」
「当たり前じゃない。あなただって、勝手に軍を離れて単独行動したのには違いないのだから、サンドラ同様に罰を与えます」
「え~っ!? 聞いてないよぉ」
不平っぽく言うが、顔は余裕しゃくしゃくである。接客業は苦にならないらしい。
「それに、バスティアン。あなたもよ」
「……でしょうね。今の話を聞いていて、俺もサンドラたちと同罪だと思いましたよ。俺もそのカフェとやらで接客をするんですか?」
「そうよ。三人とも全員、よ」
「シルヴィアさまはご存知ないのでしょうけど、俺はマティスの商家の次男坊ですよ。接客には慣れています。罰にはなりませんよ」
「全部承知しているわ。いいから、あたしの言う通りにしなさい」
「……シルヴィアさまがそう仰るなら」
場が一気に和んだ。形だけの懲罰。これは、シルヴィアの温情だと誰もが解釈した。一人、サンドラだけが難しい顔を崩そうとはしなかったが。
自然とサンドラの周りに人が集まり、談笑が始まった。
「―エーヴ」
その人の輪から少し距離を置いていたエーヴに、ジュスタンがそっと身を寄せた。
「これで、良かったのかい?」
「えっ…!?」
エーヴは、ジュスタンを初めて見るような眼差しを向けた。
「サンドラは想いを遂げて幸せだろうさ。でも、君はどうなんだ? このまま彼に想いを告げないまま、身を引いてしまって、後悔しないの?」
「―ジュスタン。それ、誰かに話したか?」
「いや。僕の胸の内にだけ、しまってある」
「それなら、いい」
「……」
「わたしは、喜んでるさ。ダチが初恋を実らせたんだ。嬉しいに決まってる」
「ふ〜ん。だったら、僕は何も言うことはないよ」
「……お前、意外と良いヤツだな」
「今更気がついた? 僕は、とっても良いヤツなんだ」
「ぷっ…!」
澄まし顔のジュスタンに、思わず吹き出してしまった。
(いい仲間に巡り合った)
エーヴは、心からそう思った。
(彼への想いは、封印しよう)
そうも思った。
冬晴れの日差しは、意外と暖かく心地良い。しかし、春はまだまだ遠かった。
【裏ショートストーリー】
サンドラ「……バスティ、降ろしてくれ」
バスティアン「ダメだよ」
サンドラ「もう、痺れ薬は切れてる。一人で歩けるよ」
バスティアン「ダメだって。万が一にも、一人で歩いて倒れたら大変だ」
サンドラ「ふざけるな。私は、そんなヤワじゃない」
エーヴ「……バスティは、単におんぶしていたいだけなんだよ」
サンドラ「えっ…!」
バスティアン「……」
エーヴ「可愛いねえ〜、二人とも。顔が真っ赤だぜ」
サンドラ「エ、エーヴ! からかうなっ」
エーヴ「まあ、もうしばらく甘えてやりな、サンドラ。さすがに兵舎に着いたら、降ろすと思うぜ」
バスティアン「バ、バカ言え。もっと早く降ろすよ。子どもじゃあるまいし、いつまでもずっとおぶってるわけねえだろ」
サンドラ「……もし、バスティが嫌じゃなけりゃ、もう少しこのままでいたい」
バスティアン「えっ!?」
サンドラ「……バスティの背中、大きくて温かくて、心地いいから」
バスティアン「……」
エーヴ「ちぇっ。いっちょ前にノロケやがって。見てらんねえや」
サンドラ「そ、そんなんじゃない…」
バスティアン「……サンドラがいいって言うまで、ずっとおぶってるよ」
サンドラ「えっ…」
バスティアン「サンドラを守るって心に誓ったんだ。だから…」
サンドラ「……」
エーヴ「あ〜あ。冬だってのに、熱いねえ〜。イヤだ、イヤだ」




