第9話 お忍びと贈り物
「よく笑う、可愛らしい方だったわ」
短かったが、夢のような時間を思い出してうっとりする。
「あんな可愛い妹ができて、すっごく嬉しい」
「前から妹が欲しいって言ってたよね」
「あたし、末っ子だから。上ばっかりなんだもん。フランベルジュが思ってるよりあたし、ずっとずぅーっと、喜んでるんだよ」
「敵になる人間族の娘だけどね」
「ちょっと! マノンに聞かれるわよ」
思わずシルヴィアは、声を低めた。
「どうせ人間族にボクの声は聞こえないよ」
「そういうのって、あたしとの会話でなんとなくわかるものよ」
「そんな娘が、3ヶ月後には亡くなってしまうんだね」
「……そうね。一見、元気そうに見えたけど…」
姉グロリアの手紙では、病死した、と短く記されていた。挨拶をしに一度会っただけだったらしい。日頃の交流がなかったので、詳しく記すほどの情報も思い入れもなかったのだろう。
「仮に敵国の娘だって、あたしはアニェスのこと、好きになったわ。これから何度でも会うつもりよ」
「別に止めやしないよ。むしろ、彼女に良い思い出をいっぱい作っておやり」
「旦那さまは、アニェスさまが亡くなって、きっとひどく悲しんだんだろうな」
仲の良さそうな二人の様子を思い出す。兄妹の中で唯一、両親を同じくする兄妹である。
「何か、あたしにできることはないかな…」
「―シルヴィア」
あれこれ思いを巡らせていた、そのとき。窓がガラっと開けられた。
「……旦那さま。突然ベランダから現れたって、もう、驚いたりはしませんよ」
軽く睨む。
「驚かせるためにベランダから出入りしているわけじゃない」
リオネルは、さっと部屋に入ってくると、そこが己の指定席とばかりに、ソファにどかっと座った。
「ようやく、アニェスを寝かしつけてきた。珍しく興奮してて、なかなか寝ようとしないから手を焼いたよ」
「無理を、させてしまったかしら」
「いや、とても喜んでいた。優しくて楽しい義姉で良かった、とな。よっぽどお前のことが気に入ったらしい」
「私のほうこそ、アニェスさまと仲良くなれて、光栄ですわ」
「……なあ、シルヴィア。もし、良かったら、これから俺に付き合わないか?」
「にゃっ!? 付き合う…?」
「これから町に出るんだが、お前が嫌でなければ、一緒に来ないか?」
「―行く! 行きますっ」
即答した。
「マノン! 着替えるわ。手伝ってくれる?」
「畏まりました」
「着替える、って、その服じゃダメなのか? 充分綺麗だが」
リオネルは、ドレス姿をジロジロと眺め回した。
「ダメです。せっかく町に出るのですもの。ちゃんとした格好をしなくては」
「えっ…」
驚くリオネルを部屋から追い出し、マノンに手伝ってもらいながら、着替えた。
「―お待たせしました、旦那さま」
シルヴィアは、なんと町娘のいでたちで現れた。
「お似合いです、シルヴィアさま」
シルヴィアの格好を見ても無言のリオネルに代わり、ギーが感嘆の声を上げた。
「……あれ? ギーさま、いつの間にいらしたの?」
「リオネルさまのお忍びには、いつも随行しておりますので」
わかるようなわからないような返答をする。
「―行くぞ」
リオネルは、ぶっきらぼうに言うと、さっさと独りで歩き出した。
「……あれで結構、機嫌がよろしいんですよ」
リオネルの後ろ姿を見やりながら、ギーがシルヴィアにささやいた。
「もっときらびやかな服装で見えられるのかと思っていたのです。見栄っ張りな姫君のように。それが、このお姿ですから。リオネルさまは嬉しいんだと思いますよ。シルヴィアさまはリオネルさまをわかっていらっしゃる」
「私はただ、祖国にいたときの町に出る格好をしただけですわ」
「なるほど。それでそのような服もお持ちだったのですね」
「いかにも王女さま、なんて服装したら、誰も寄ってこないですもの。せっかく町に出るなら、みんなと気兼ねなく話がしたいわ」
「素晴らしいお考えです。―さあ、リオネルさまに置いていかれないよう、我々も急ぎましょう」
急ぎ足で後を追った。当然のようにマノンも従いてくる。
大通りは、今日も大変な賑わいだった。静かな皇宮から来ると、尚更活気が感じられる。人々の息吹が身近にある。
「あっ、リオネルさま。こんにちは」
早速通りすがりの人が気付いて、声をかけてくる。
「今日もお忍びですか」
「おう」
「リオネルさまだ」
「ほんとだ、リオネルさまだ」
たちまち群衆が集まってくる。しかし、取り囲んだりはしない。人々も慣れているらしく、リオネルの邪魔は決してしない程度で遠くから挨拶したり噂し合ったりしている。
(……これだけバレバレで、お忍びっていうのかな)
シルヴィアは、内心思う。ただ、それだけ民衆には人気があるということだ。どこの国でも、お高くとまった王族より、気さくな王子さまのほうが親しみが持てるに決まっている。
「リオネルさま。今日はお珍しいね」
野菜を売っている店主の親父から声がかかった。
「女性連れでお忍びだなんて。しかも、一人は猫耳族じゃねえですか」
リオネルとは違った意味で、シルヴィアは目立つ。頭の上の猫耳は、どうであれ見間違いようがない。
「バカだね、あんた」
おかみさんがたしなめた。
「つい最近、猫耳族の王女さまとご婚約なさったんだよ。あの方が、その婚約相手に決まってるだろ」
「そうだった、そうだった。―すんません、妃殿下。失礼な言い方をしちまって」
親父がハゲた頭をかきながら謝った。シルヴィアは、とっさに親父に駆け寄った。マノンが後に続こうとしたがギーに止められた。
「失礼なんて、そんなことはありませんよ」
シルヴィアは親父の手を取った。親父は、突然のことにびっくりして固まってしまった。
「私、猫耳族のシルヴィアと言います。妃殿下なんてよそよそしい呼び方はしないで、名前で呼んでください」
「へ、へい…」
「話せるねえ!」
ぽおっと顔を赤らめて呆然としている親父に代わって、おかみさんが威勢よくぽんっとシルヴィアの肩を叩いた。
「気に入ったよ。さすが、リオネルさまが見初めただけのことはある。シルヴィアさま、お近づきのしるしだ。この大根一本、持っていきな」
「にゃっ!? そんな、ダメですよ。ちゃんとお金を払います」
「あたしがいいって言ってるんだ、遠慮しないで持っていきなよ」
「で、でも…」
「シルヴィア。ここは甘えてもらっておけ」
「旦那さままで…わかりました。今日のところはご好意に甘えて頂いていきます。でも、おかみさん。次はちゃんと払いますからね」
「はいよ。今後とも、ご贔屓に!」
笑顔で別れた。
「……貰っちゃった」
マノンが持つと言うのを断って、大根を入れた紙袋を嬉しそうにリオネルに見せた。
「―やっぱりネコどのは、変わってるよ」
「ネコって呼ばないで、と何度も言ってるでしょう」
「猫耳族なんだから、しょうがない。お前も八百屋の親父にそう言ってただろう」
「そういう意味で、言ったんじゃありません!」
頬を膨らませた。
(……でも、おかみさん、リオネルが見初めた、とか言ってたな)
ちらっと横顔を盗み見る。あくまで自分たちは政略結婚だ。それは、お互いに割り切っているから、恋愛感情は存在しないはず、なのだが…
「―なあ、シルヴィア。何か欲しいものはないか?」
「にゃっ!?」
唐突にリオネルに言われて、頭がついていかない。急に欲しいものと言われても…。
「……何だ、その変顔は?」
気づくと、黒い瞳がこちらを見ていた。キラキラと輝いている。
「びっくりしているんです! 変顔って何よ、失礼なっ」
「すまん、すまん。どうにも、お前といると調子狂うよ」
「……」
「で、欲しいものはないかと聞いているんだが?」
「そんな、急に言われても…」
思案顔で小首を傾げたシルヴィアは、ふいに指をパチンと鳴らした。
「そうだ! ぬいぐるみ! 旦那さま、ぬいぐるみが欲しいです」
「ふ〜ん。意外と女の子っぽいところもあるんだな」
「ちょっと! 女の子っぽいって、私のこと、何だと思っているんですか」
「怒るな、怒るな」
なぜか、リオネルは楽しそうに笑い声を上げた。
「それじゃあ、玩具店に行ってみるか」
リオネルが玩具店など知っているのかと思ったが、スタスタとしっかりした足取りで進んでいく。やがて、一軒の店の前で足を止めた。
「……わあ、素敵」
中へ入ると、さまざまなおもちゃが溢れかえっていた。
幼児が遊ぶような木製の人形やおままごとセット、大きい子用の本格的な組立式お城の模型やパズル、大人も遊べそうなボードゲームなど、あらゆる玩具が取り揃えられていた。
「きゃあっ! 旦那さま、見てっ。これ、かわいいっ!」
猫の形をしたランプだった。しかも、付属のペンで自由に色を付けられるらしい。お試し品が置いてあって、触れるようになっている。
「……子どもかよ。しかも、猫のランプって…」
無邪気にはしゃぐシルヴィアに、リオネルは深いため息をついた。
「いらっしゃい! リオネルさま」
店主らしき男性が声をかけてきた。顔見知りらしい。
「今日は、女性連れですかい、お珍しい。……おや、この方は猫耳族。そうか、この方が奥方ですか」
「ああ。ぬいぐるみが欲しいというんで連れてきた」
「そうですか。―奥方さま。ぬいぐるみは、こちらにごさいますよ」
「私、シルヴィアと言います。名前で呼んでください」
「へえ…。なるほど、さすがはリオネルさまの奥方さまだ。では、シルヴィアさま、どうぞこちらへ」
案内されたコーナーには、ぬいぐるみが所狭しと陳列されていた。
「……これがいい!」
じっくりと吟味していたシルヴィアは、あるぬいぐるみを手に取った。それは、ユニコーンのぬいぐるみだった。
「シルヴィアさまは、お目が高い。最近、リオネルさまがユニコーンをお城にお連れになって以来、人気の品ですよ」
「はは…」
そのユニコーンこそ、フランベルジュであり、騎乗していたのが他ならぬシルヴィアなのだが、ここで説明する気にはなれなかった。
「これを包んでくださる?」
「はいっ、まいどっ」
「それと、綺麗にラッピングしてね。プレゼントにしたいの」
「なに!?」
驚いたのはリオネルである。てっきり、シルヴィア本人の所望だと思い込んでいたからだ。
「プレゼントだと? 誰のだ?」
「もちろん、アニェスさまですわ」
「……!」
リオネルは、ニコニコと微笑む猫耳族の少女を、初めて見たような目で見つめるのであった。
【裏ショートストーリー】
リオネル「ギーのやつ、どこへ行ったんだ」
シルヴィア「あれ? マノンもいないわ」
リオネル「……おい、ネコどの。あいつら、あんなとこにいやがる」
シルヴィア「ネコって呼ばないで…って、ほんとだ。何やってる…の…」
ギー「絶対に負けないぞ!」
マノン「私が勝つっ」
リオネル「……ボクシングゲームだな」
シルヴィア「ボタンを押すと、人形が殴り合うやつね…。二人とも夢中じゃないの」
リオネル「ギーにこんな子どもっぽいところがあったとは…」
シルヴィア「マノンも、いつもはお人形みたいに愛らしい顔してるのに、とても怖い顔…」
リオネル「まあ、仲が良いのはいいことだ」
シルヴィア「でも、いつの間に仲良くなったのかしら。ゲームまで一緒にするなんて」
リオネル「……さて、買い物も済んだし、そろそろ次へ移ろうか」
シルヴィア「……旦那さま。さてはご存知ね。白状しなさいっ。二人の関係は何なの!?」
リオネル「喉が渇いたな。ネコどの、お茶でも飲もうぜ」
シルヴィア「こおらっ! 誤魔化すな!」




