第88話 親友(とも)の行方
「バスティ! サンドラがいなくなった!」
演習場の隅で隊員と雑談していたバスティアンは、面食らった。エーヴがいきなりすがりついて泣き出したからだ。
「ちょ、ちょっと待て。何が何だかわからん」
「わたしのせいだ…。わたしがウソついたから、それでサンドラは、真に受けて―」
「とにかく、落ち着け。落ち着いて順序よく話せよ―あ、いや、待て」
隊員たちの好奇に満ちた視線を感じて、慌てて離れた場所へエーヴを引っ張っていった。周りに人がいないことを確認して、改めてエーヴに向き合う。
「―エーヴ。いったい、何があった?」
エーヴは泣きながら、昼休みに交わしたサンドラとの会話を伝えた。
「……なんでそんなウソをついたんだ?」
バスティアンは、大きなため息をついた。
「最初は否定したんだよ。だけど、あいつが勘違いしたまま話し続けるから、ついそれに乗っかっちゃったんだ」
「だからって、付き合ってるは無いだろう」
「ごめんよぅ…」
泣きじゃくるエーヴを宥めすかして、どうにか落ち着かせた。
「……それで、サンドラはいつからいなくなったんだ?」
「午後の模擬戦に来なかったって、ミラベルが…」
「そうか。すると、昼に食堂を出た足でそのままどこかへ行ってしまったわけか…」
「どうしよう、バスティ。わたし、サンドラを傷つけちゃった」
「……」
「―謝らなくちゃ。わたし、サンドラに謝らなくちゃ」
「そうだ! 謝れ!」
「バスティ…」
エーヴは、驚いて目を瞠った。
「サンドラの性格は知ってるだろ? 親友のお前が俺と付き合ってる、なんて言ったら、身を引くに決まってる」
「そうだよね…」
「だから、ちゃんとサンドラの目を見て謝れ」
「えっ…?」
「そのためには、サンドラを見つけなくちゃな」
バスティアンは、片目を瞑ってみせた。
「バスティ…」
せっかく泣き止んだエーヴの目に、また涙が盛り上がった。
「見つけるったって、どこをどう捜せばいいかわからないよ」
「俺に心当たりがある」
「え…」
「たぶん、あいつの行き先は、クニークルスだ」
「クニークルス、って、サンドラの故郷だろ? 兎脚族の王国があったけど、今は滅んじゃってないよ」
「今はないかもしれないけど、きっと故郷に帰りたくなるんじゃないかな。相当な思い入れがあるから」
「……」
「リオネル軍に入ったのだって、裏切ったと思い込んだお姉さんを殺すためだろ。人一倍、故郷にこだわりのあるあいつが傷ついた心を癒すなら、そこしかないよ」
「……バスティは、サンドラのことを、よく知ってるんだな」
「いろいろサンドラが話してくれたからだよ」
「……許してくれるかな」
拭っても拭っても、後から涙が溢れてくる。
「サンドラはわたしのこと、許してくれるかな」
「許してくれるさ。―親友だろ」
「……」
「―さあ、行こう。追いかけるぞ。まだそう遠くへは行っていないはずだ」
「……うんっ」
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「……すると、お昼以降、誰もサンドラを見た人はいないのね」
兵舎のシルヴィアの部屋である。中隊長以上には個室が与えられている。大隊長のシルヴィアの部屋はまだ真新しかった。
「もしかしたら、エーヴは何かを知っているかもな」
サイノスは、腕組みしながら思案顔をした。
「可能性は高いでしょうね。一人でどこかへ行ってしまったのでしょ」
「た、たぶん一人じゃなくて、バ、バスティアンと一緒だと思う」
「バスティアン? 火事のとき子どもを一緒に助けたのよね」
「サンドラとバスティアンは仲がいいから」
ジュスタンがポツリと言う。シルヴィアは耳聡く聞き逃さなかった。
「ジュスタン。仲がいいって、どういう意味?」
「文字通りの意味さ。二人は好き合っているんだよ」
「にゃにゃーっ!? それ、ほんとう?」
「美の女神マイアの忠実なる下僕たる僕が言うんだから、間違いない」
「そ、それでエーヴは、バ、バスティアンに報せに行ったのね」
「……知らなかった」
シルヴィアは、胸を抑えた。我が事のようにドキドキした。
「まさか、あのサンドラに好きな人ができたなんて」
「み。みんな知ってるよ。ち、中隊が違うのによく、ふ、二人で会って、わ、笑い合ってるの、見てるもの」
「そうだったのね。―ごめんね〜、みんな。最近、隊の様子を見に来れなかったから」
「セリーヌは忙しいから、仕方がない」
「慰めてくれてありがとう、サイノス」
「セ、セリーヌ、どうするの? こ、このままやみくもに捜しても、み、見つからないよ」
「……隊員たちは、どうしてる?」
「隊員は兵舎で待機させているよ。休日で外出していた者が多くて、召集するのに手間がかかったけど」
「ありがとう、ジュスタン。それじゃあ、捜索にはまだ動員していないのね」
「隊員総出で捜索するのかい?」
「いいえ。このまま待機させておいて。あまり騒ぎを大きくしたくないの。サンドラが戻りづらくなるでしょ。特にエマさまには絶対に内緒よ。エーヴ以上に大騒ぎするに決まってるから」
「そ、それじゃ、どうやって、さ、捜すの?」
「こういうときこそ、彼女たちに頑張ってもらうわ」
「彼女たち…?」
「―失礼いたします」
そのときドアがノックされた。
「噂をすればなんとやらだわ」
シルヴィアは、にっこりと微笑んだ。
「どうぞ、入ってきて」
それは、ファニーだった。部下を二人従えている。
「お召により参上いたしました」
ファニーは、片膝をついて頭を垂れた。
「前置きなしで話すわね。―ファニーはサンドラを知っているかしら?」
「無論です。兎脚族のべっぴんさんですよね。マティスでは、散々にやられました」
「そうだったわね。そのサンドラが行方不明なの。煌豹団で捜し出して、あたしのところへ連れてきて」
「畏まりました」
「連れ帰るときにもし抵抗するようなら、あたしの帰還命令だと伝えて」
「承知いたしました」
「それでも四の五の言うようなら、首に縄をつけてでも連れ帰りなさい」
「……それは、ちょっと」
ファニーは、橙色の頭に手を置いた。
「あの槍には敵いません。あたいらが返り討ちに遭うのが関の山で」
「正直ね」
シルヴィアは、笑い声を上げた。
「―そのときは、あたしが怒っていると伝えなさい」
「……よろしいので?」
「構わないわ。あたしに相談もなしに出奔するなんて、絶対に許さない」
「承りました」
「あっ、あとエーヴとバスティアンがサンドラを捜しに勝手にほっつき歩いているから、ついでに一緒に連れてきて。彼女たちには説教しなくちゃ」
「はっ」
ファニーは一礼すると風のように消えた。
「……い、今のがマティスで、は、配下にしたという、諜報団?」
ミラベルの問いかけに、シルヴィアは、しまった、というように口元を手で覆った。
「あっ、ごめ〜ん。みんなに紹介するのを忘れてたわ」
「この際だ、そんなものは後回しでいいが―」
サイノスがいかにも不審そうな視線を向けた。
「元盗賊と聞いた。あてになるのか?」
「ファニー・ドレフュスというの。あたしは、信頼しているわ」
「どこからどう見ても胡散臭そうだけど、我が女神さまが信頼しているなら、僕は認めるよ」
サイノスがジロッとジュスタンを睨んだ。
―お前の方がよっぽど胡散臭いだろうが!
と、言いたそうだったが、かろうじて飲み込んだようで、何も言葉には出さなかった。
「彼女たちは純粋なだけよ。あたしは好きだわ」
シルヴィアは、金色の瞳を煌めかせながら、自信たっぷりに言った。
「必ず結果を出す、出せる人たちよ。じっくりここで待っていましょ。彼女たちなら、絶対にやり遂げてくるから」
【裏ショートストーリー】
ファニー「サンドラさまの足取りは掴めたかい?」
隊員A「ええ。結構すぐにわかりやした」
隊員B「兎脚族のべっぴんさんが、真っ昼間から堂々と街中を歩いて皇都から出て行った、っていうんですから、そりゃ、目立ちますよ」
ファニー「どっちへ向かった?」
隊員A「東南方向だそうです」
ファニー「ふ〜ん。確かサンドラさまはクニークルス出身だったな」
隊員B「数年前まで兎脚族の王国があったところですね」
ファニー「……皇都から東南に向かえば、その先はクニークルスだ。サンドラさまはクニークルスに向かったに違いねえ」
隊員A「そうなんですか?」
ファニー「女の勘さ。クニークルス方面を重点的に捜索する。盗賊仲間にも応援を要請しろ」
隊員B「へい!」
隊員A「にしても、お頭…」
ファニー「……」
隊員A「……じゃなかった、団長。力付くでも連れてこい、っていうシルヴィアさまのご指示は、ちとムリがあるんじゃねえですかい?」
ファニー「んなこと言っても、やるしかねえだろ」
隊員A「俺たちじゃ、歯が立たねえですよ」
ファニー「それでも立てるんだよ。てめえは、普段から無駄に肉を食いちぎってるだろが」
隊員A「そりゃひでえ」
隊員B「てめえは、人一倍歯が丈夫だからな」
隊員A「ふざけんな。噛み殺すぞ」
ファニー「……エーヴさまが単独で動いているのも気がかりだ。たぶん、二人の間に何かがあったんだろうな。出奔するほどの重大な何かが…」




