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第87話 プレゼンと出奔

「旦那さま、アニェスさま。ご機嫌よう」


シルヴィアは、マノン、コレットを従えて、アニェスのサロンを訪れていた。


「ご機嫌よう、お義姉さま」


アニェスは、神々しい笑顔で迎えた。


「お兄さまにお願い事があるそうですね」


テーブルにいざないながら言った。


「ええ。アニェスさまにも是非ともお聞きいただきたくて、お邪魔しました」


「また何か、始められるのかしら」


アニェスの声が弾んだ。


「楽しそうだな、アニェス」


「それはそうですよ、お兄さま。お義姉さまが何かしようとすれば、必ず楽しいことが始まるのですもの。お義姉さまのお話、楽しみで仕方ないわ」


「そう期待されちゃうと、かえってお話ししづらくなるわ」


シルヴィアは苦笑いを浮かべた。


「以前にもお話ししたように、そろそろ、コーヒーの事業を始めようと思いますの」


「コーヒーといえば、カルパンチエで一度試飲させていただいた、黒いお茶ね?」


「そうです、アニェスさま。そのコーヒーを売り出すために、是非ともお二人のお力をお貸しいただきたく、罷り越しました」


「前置きはいいから、要件を早く言え」


じれたようにリオネルが言った。


「では、遠慮なく。―お店を一つ、私にくださいな」


「くださいな、って、そう簡単に言うなよ。玩具屋で、ぬいぐるみ買うのとはわけが違うんだぞ。店舗まるまるとなりゃ、それなりの金が必要だ」


「なるほど。だから、私なのですね」


「はい。リオネル家の財布を握ってらっしゃるのは、アニェスさまですから」


澄まし顔で言う。


「今日は私、アニェスさまへのプレゼンテーションのつもりでお伺いしていますの」


「ふふっ。やっぱりお義姉さまは面白いわ。―続けてください」


「はい、アニェスさま」


目を丸くするリオネルを無視してアニェスに向き直った。


「新しい商品を売るにはどうしたらいいか。まずは、商品を知ってもらうことだと思うんです」


「つまり、宣伝ね」


「仰るとおり。初めは既存のお店の端っこの方にでも置かせてもらって、口コミで広めようと思ったのですが、目立たないし、時間がかかるわ。なら、いっそのこと、自前でお店をまるまる持ってしまえば、話が早いと思いついたのです」


「とても、興味深いわ」


「コーヒーの専門店、私は『カフェ』と名付けたのですが、このカフェを開きたいのです」


「それは、喫茶店とは、違うの?」


「喫茶店は、お食事も出しますよね。カフェでは当面、コーヒーだけにしようと思いますの」


「それで、コーヒーの専門店なのね」


「あ、コーヒーだけと言いましたが、スイーツも用意します。ターゲットは女性ですから」


「女性…」


「まずは女性方に知ってもらいたいんです。女性の情報網は侮れません。気に入ってくださる方から口コミが広がれば、評判になると思うんです。そうすれば、女性同士誘い合って来てくださるようになって、鼠算的にお客さまが増えるという目論見なのです」


「男性はどうなさいますか。お客さまが女性ばかりでは、入りづらいのでは」


アニェスは、リオネルを殊更見ながら言う。リオネルは、肩をすくめただけだった。


「女性の中には男性を連れて来る方もいらっしゃるかもしれないわ。女性のお誘いを断る男性はいらっしゃらないでしょう? そうなれば、男性の間にも評判が広がると思いますわ」


実は、カフェはシルヴィアのオリジナルではない。ブランシャールで人気になったコーヒー店がカフェを名乗り、カトゥスにも進出してきたのだ。そのカフェが、コーヒーとデザートのみの形態だったのである。


ブランシャールでもそうだったが、カトゥスでは最初に女性の間で爆発的な人気となった。店舗がオシャレでコーヒーとデザートだけというシンプルさが受けたのだ。


「―なるほど。それはそうね。とてもいいと思うわ」


アニェスの黒い瞳から、強い光が溢れてきた。その表情は、リオネルそっくりである。


「わかりました、お義姉さま。店舗を一つ、ご用意しましょう」


「ありがとうございますっ、アニェスさま」


シルヴィアは、アニェスの両手を握った。


「―お話し中、失礼いたします」


侍女が顔を出した。見たことがないのでお付きではなく、一般の侍女なのだろう。


「天馬隊のミラベルという方が、至急シルヴィア妃殿下にお会いしたいとお出でなのですが、いかがいたしますか」


「ミラベルが…?」


シルヴィアは、アニェスを窺った。大きくうなずくのを見て、侍女に答えた。


「構わないわ。ここへ連れて来て」


「―セ、セリーヌっ! たいへんなの!」


侍女の案内でサロンに入ってきたミラベルは、いきなりシルヴィアにすがりついてきた。既に涙目である。


「どうしたの? そんなに慌てて」


「サ、サンドラが…サンドラが…!」


「ミラベル、落ち着いて」


ミラベルがこれほど取り乱すのは、珍しい。よほどのことが起こったに違いない。ミラベルの顔を覗き込んだ。


「しっかりしてよ。それじゃ、何もわからないわ。サンドラがどうしたの?」


「サ、サンドラがいなくなっちゃったの」


「……どういうこと?」


「き、昨日の午後の調練から、す、姿が見えなくなって、急いで捜したんだけど、ど、どこにもいないの。へ、部屋を見にいったら、き、綺麗に片付けられていて荷物がないし、ひ、一晩たっても帰ってこない」


「……」


「エ、エーヴは、一人でどこかへ行っちゃうし、わ、わたし、もうどうしていいか―」


「サンドラが行方不明…」


シルヴィアは、宙を睨みつけた。まるでそこに敵がいるかのように。


「―旦那さま、アニェスさま。申し訳ありません。隊でトラブルが起きたようなので、これで失礼いたします」


「何か俺に手伝えることがあれば、遠慮せず言え」


リオネルは意味ありげにマノンに視線を投げた。紅烏団を使え、ということだろう。


「ありがとうございます。お気持ちだけいただきます。これは天馬隊の問題。隊で解決します。―ミラベル、行きましょう」


シルヴィアは、ドレスの裾を翻して歩き出した。


「……絶対に見つけてみせるわ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


サンドラは一人、居酒屋にいた。


皇都リシャールから馬で一日の距離にある町だった。一晩、この町で泊まるつもりだった。このまま真っ直ぐ東南へ向かえば、旧クニークルスに至る。


さっきから、浴びるように酒を飲んでいたが、一向に酔わない。酒にはすこぶる強く、今まで酔ったことがなかった。


(もう、帰れない。こんな気持ちのままじゃ、みんなにも迷惑になるし…)


バスティアンは、優しかった。いろいろなことを話してくれた。サンドラの話も、真剣に聞いてくれた。空色の瞳をくしゃっと崩して、よく笑ってくれた。


でもそれは、愛ではなかった。一人でいるサンドラのために、気を遣ってくれていただけだった。それを愛だと勘違いしてしまった。


(バスティアンに会わせる顔がない。エーヴにも…)


バスティアンとエーヴが付き合っていることも知らずに、恋心を抱いてしまった。なんと愚かなのだろう。なんと恥知らずなのだろう。よりにもよって、親友の彼氏を好きになってしまうとは。


クニークルスに帰ったところで、何のあてもない。もう既にそこは、サンドラの知っている懐かしい故郷ではないのだ。それなのに、今は無性に恋しい。様変わりしているに違いなくとも、故郷をこの目で見てみたい。


「―おいっ! 店主はどこだ? 出てこい!」


突然、男が騒ぎ出した。いかにもガラの悪そうな大男だ。連れの男は、うつむいて静かに酒を飲んでいる。店内が静まり返った。


「私が店主ですが、どうかされましたか?」


小太りの人の良さそうな中年男性が出てきた。


「どうもこうもあるか。この店は、客に虫入りの酒を出すのか?」


「えっ…虫など入ってはおりませんが」


「だったら、これは何だ?」


大男は、甲虫を店主の目の前に突き出した。


「しかし、うちは衛生面には特に気を使っております。虫が混入することはありえません」


「ふざけんなよ。俺がウソついているって言うのか?」


「いえ、そうは申しませんが…」


「なら、認めるんだな?」


「いや、しかし…」


「俺たちが飲み食いした分、タダにするなら、勘弁してやる。そうでなけりゃ、考えがあるぞ」


「―考えとは、何だ?」


サンドラは、立ち上がっていた。ほとんど何も考えてはいなかった。静かに飲んでいたいだけなのだ。邪魔をするやつは、許さない。


「店の中で暴れるつもりか?」


「なんだ、てめえは。関係ねえやつは引っ込んでろ」


「お前に聞いているんじゃない。そこで座って飲んでるやつ、お前に聞いているんだ」


「なんだと〜!?」


「―待て」


いきり立つ大男を抑えて、うつむいて酒を飲んでいた男が立ち上がった。大男に比べれば、小柄で痩せていると言ってもいいほどだ。しかし…


(―こいつ、かなり腕が立つ)


おそらく、大男は手下で、主人は小男のほうだ。


「うさぎ娘。オレに聞いてどうするつもりだ?」


「そっちの男は、三下だ。お前と話したほうが早い」


「ほう。うさぎ娘は、腕に自信があるらしい。オレと勝負してみるか?」


客たちが一斉に壁際へ避難した。


小男は、腰の剣を抜いた。サンドラは、槍を構えて小男と対峙した。


空気が変わった。お互い、身動き一つしない。息が詰まるほどの緊張感が支配する。じりじりとした時間が流れた。このまま永遠にすべてが固まり、石になってしまうのではないかと思われた、そのとき。二人は同時に動いていた。


槍と剣が交錯する。


「ひっ……!」 


誰の悲鳴であったろうか。小男の腹に槍の柄が食い込んでいた。小男は静かに倒れた。


「団長ーっ!?」


大男が慌てて小男に駆け寄った。


「―心配するな、みね打ちだ。死んじゃいない」


大男は、気絶した小男を背負うと脇目も振らず居酒屋を飛び出していった。


「ふん―」


サンドラは、大男の背中に冷たい視線を投げつけると、飲み直すべく振り向いた瞬間、はたと気がついた。


「あっ―! あいつら、結局、飲み代を踏み倒していっちゃった!?」

【裏ショートストーリー】

ランドルフ「よう、アダン」

アダン「ランドルフか。珍しいな、何しに来た?」

ランドルフ「……ご挨拶だな。何しに来たはないだろう。シルヴィアさまに呼ばれたんだよ。コーヒーの店を出すそうじゃねえか」

アダン「その件は聞いてる。俺もシルヴィアに呼ばれてるんでな、打ち合わせに来いって」

ランドルフ「じゃあ、一緒だ」

アダン「シルヴィアは、ほんとに変わってる。王女さまが商人ごっこをするとはな」

ランドルフ「なんでも、コーヒー専門店を出店するとか。なかなかいいアイデアだと思うぜ。猫耳王女さまは、商売の才覚があるね」

アダン「俺に言わせりゃ、王族の道楽さ。失敗して赤字になっても身上が潰れるわけじゃねえし」

ランドルフ「アダンは、シルヴィアさまに辛口だな。呼び捨てにしてるし、気に入らねえのか?」

アダン「逆だよ。俺はあいつを買ってる。あんなに頭のいい女はそうはいねえ」

ランドルフ「頭のいい…ね。顔のいい、の間違いじゃねえのか」

アダン「お前は、女を顔で選ぶタイプか」

ランドルフ「顔がいいのに越したことはねえだろう」

アダン「……まあ、いいさ。お前と女のタイプを議論する気はねえ」

ランドルフ「お前も変わってるといえば変わってるよ」

アダン「どこが」

ランドルフ「王族に取り入る商人はゴマンと見てきたが、お前のは、商売抜きに見える。よっぽど先見の明があるのか、それとも打算抜きのボランティアか、はたまた好きな女に入れあげているのか…もしくは全部か」

アダン「勝手に言ってろ」

ランドルフ「いずれにしろ、面白え連中と知り合えた。お前たちと巡り合わせてくれた女神シルフィに感謝するぜ」

アダン「……悪魔の導きじゃなきゃ、いいがな」

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