第85話 目撃と癇癪
「この辺りのお店なんだけどな…」
サンドラは、キョロキョロと見回した。商業地区の外食屋が建ち並ぶ一角である。
今は、昼休憩の時間である。エマの助言に従ってバスティアンからレストランの情報を得て、兵舎を抜け出し下見に訪れたのだ。
『TPOに合わせて服をチョイスする必要があるわ。オシャレなお店なのか、気楽に入れるお店なのかによって、変えないといけないでしょ?』
「……あっ、ここだ」
外観は、普通のレストランだ。大衆食堂ではない。フレイモスの日にみんなで行った有名店ほどオシャレでもない。
「う〜ん…。普通のドレスでいいかな?」
フレイモスほど着飾る必要もないだろう。ただ、人生初デートである。やはり彼には綺麗と言われたい。
「でも、派手にし過ぎると、浮いちゃうかもしれないしな」
頭を悩ませつつ、通りを出たところで、目の端に何かが映った。ハッとして目を凝らす。
そこは、外食屋通りから出た別の通りで、雑貨屋などが多い。その一つ、アクセサリを扱う店からたった今出てきたカップルに視線が奪われた。
「―なんで…?」
カップルは、楽しそうに談笑しながらこちらへ向かってくる。とっさに物陰に隠れた。彼らは、サンドラに気が付かず外食屋通りへ入ってきた。彼女は、彼氏に微笑みかけながら、嬉しそうにアクセサリ屋の名前の入った袋をかざしてみせた。
彼らは、サンドラに見られているとも知らずに、大衆食堂へと吸い込まれていった。
「どういうことだ…? なんで二人が―」
真っ青になったサンドラは、よろよろと物陰から通りへ出てきた。カップルの姿が消えた店を呆然と見つめた。
バスティアンとエーヴが入っていった店を。
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「よう! シルヴィア。今夜はお茶をご馳走して…くれる―」
いつものようにベランダから入ってきたリオネルは、シルヴィアを一目見て、その場に固まってしまった。
「いらっしゃいませ、旦那さま」
シルヴィアは、いつものように、にっこりと輝くばかりの笑顔で愛する夫を迎えた。いつもと違うのは、その服装だった。
今夜は、両肩を出したイブニングドレスだった。しかし、ただのイブニングドレスではなかった。胸を強調するかのように極端に寄せて谷間を露わにしている。それは胸元しか布地がなく、おヘソが丸出しだった。スカートの裾は膝上までしかなく、細く引き締まった素脚がこれ見よがしに伸びていた。お化粧もいつもより濃い目で紅い唇が目立つ。派手なアイシャドーで悩ましげにじとっとリオネルを見つめていた。
「ど、どうしたんだ、その格好…?」
「これですか。ちょっと気分を変えてみようと思いまして」
「気分、って…どういう気分だよ」
「そのう…今夜は暑いから」
「……今は真冬だぞ」
「わ、私は、暑いんです」
「……」
「―リオネルさま。とりあえずお座りになってください。お茶をご用意いたしますから」
目が点になったリオネルに、マノンが声をかけた。まるで操り人形のようにギクシャクとした動きで椅子に座る。
シルヴィアも対面に座る。前かがみになった。嫌が上にも胸の谷間が目に映る。リオネルは、じっと胸元に視線を注いだ。
「―はい、リオネルさま。お茶でございます」
マノンが目の前にお茶を置いた。慌ててリオネルは胸元から視線をそらした。
「お、おお、ありがとう、マノン。……!」
ティーカップを手に取った瞬間、再び固まる。それは、紅茶ではなく、コーヒーだった。
「……もし飲みにくかったら、ミルクを入れてください。マイルドになって飲みやすくなりますよ」
シルヴィアは、ミルク入れをリオネルに押し出した。リオネルは、無言でコーヒーに注ぐ。
(コーヒーは、目を覚ます成分が入っているのよ。今夜は絶対寝かさないんだから)
この猫耳王女は、意味をわかって言っているのだろうか。
ともかくシルヴィアの心の声はリオネルに届くはずもなく、がぶりと一口飲み込んだ。途端、瞠目する。
「あ…ほんとだ。前に飲んだときより苦さが気にならない」
「でしょう? 旦那さまのように苦味が苦手な方にはミルクや砂糖を入れると飲みやすくなるんです。ファニー命名のミルクコーヒーですわ」
「へえ。これなら、俺でも飲んでみたくなる」
「そろそろ、コーヒーを売り出してみようと思っています。それには、旦那さまに是非ともお願いしたいことがあるのです」
「なんでも言ってみろ。シルヴィアの願いなら叶えてやる」
「ありがとうございます! まずはですね―」
「―コホンっ!」
マノンが大きく咳払いした。今夜のおねだりは、それじゃない!
「……おほほほっ。その話は、またのときにしますわ」
「……」
「あの…旦那さま。ちょっとベランダに出ません?」
「ベランダ…?」
「フレイモスの日、夜景が一番好きだと仰っていたでしょ。私も見たいわ」
「別に構わないが…」
シルヴィアは、当惑するリオネルを無理矢理連れ出した。
「―綺麗〜っ!」
シルヴィアは、歓声を上げた。
今夜も、リシャールにはキラキラと輝く夜景が広がっていた。まさに地上の星々だった。
(視覚もバッチリ。ロマンチックな場所も確保した。あとは聴覚よね)
セシルの言葉を思い出しながら、リオネルの肩に頭を乗せた。
「シルヴィア―!?」
リオネルが息を呑んだのがわかった。自分でもキャラではないことをしていると思う。羞恥心で今にも逃げ出したくなる。でも、やらなくては。リオネルに相応しい妻になるために。
「……リオネルさま。ええっと…あたし、今ドキドキして仕方ないの。大好きなリオネルさまのお側にいられて、そのう…とっても幸せ」
「……」
頭を持ち上げて、耳元に口を寄せた。
「……リオネルさまに…身も心も捧げ―捧げ―クシュンっ」
(しまっっったぁーっ)
肝心なところでクシャミをしてしまった!
口元を押さえたまま、顔を上げられなかった。めちゃくちゃ恥ずかしかった。せっかくここまで頑張ってきて、最後のトドメの甘い言葉で誘惑するはずだったのに、すべて台無しになってしまった。
そのとき。ふわっと何かが身体を覆った。
「―! リオネルさま!?」
驚いて顔を上げた。リオネルが、着ていた上着をかけてくれたのだ。
「バカだな。真冬のベランダに、そんな薄着で出るからだ」
「リオネルさま…」
「風邪を引く前に、部屋へ戻ろう」
「……」
(リオネル、なんて優しいの…)
上着を握りしめたまま、涙が溢れてきた。恥ずかしいやら嬉しいやら、いろいろな想いが渦巻いてどうにもならない。ついに感情が爆発した。
「―リオネルさまっ、あたしを抱いてくださいっ」
泣きながら、リオネルにすがりついていた。
「なっ―!?」
「お願いっ、抱いてっ…抱い―うわーんっ」
知らない間に声を上げて泣き出していた。まるで子どものように。
幼い頃、いたずらをして親に叱られたことを思い出した。申し訳ないやら悔しいやらで、感情をコントロールできなかった。どう言葉にしていいかもわからなかった。あのときの気持ちに今はとても近い。
突然の泣き声に驚いて、マノンが顔を出した。リオネルは、安心させるようにうなずいてみせた。何かを察したらしい、マノンは何も言わず部屋へ戻っていった。
「落ち着け、シルヴィア」
「嫌よっ、あたしは、リオネルさまに相応しい妻になるのっ! みんなに認められる立派な妻になるんだからっ」
「何わけのわからないことを言ってる! シルヴィアは、俺の自慢の妻だ!」
「嫌っ、嫌っ、嫌っ! お願いっ、悪魔にならないで! あたしから離れないで―っ!?」
気がつくと、リオネルの唇で口をふさがれていた。頭がしびれて何も考えられなくなった。やがて、全身の力が抜けてリオネルにしだれかかった。リオネルは、抱き止めてくれた。強く優しく抱き締めてくれた。心までその大きな身体に包まれたような気がした。
「―頼むよ、シルヴィア。落ち着いてくれ。俺は、離れたりしない。ずっと側にいるよ」
「リオネル…さま…」
「愛しているんだ、お前のことを。誰よりも、ずっと」
「―ごめんなさい…ごめんなさい…」
リオネルの暖かい胸の中で、シルヴィアは静かに涙を流し続けた。
【裏ショートストーリー】
バスティアン「今日は、付き合ってくれてありがとう」
エーヴ「別にいいってことよ。わたしも、田舎の両親への贈り物、買えたし。……でも、急に買い物に付き合ってくれと言われたときは、びっくりしたぜ」
バスティアン「すまねえな。俺の周りは、ヤロウばっかでよ、役に立たねえんだよ。女性へのプレゼントなんて、何を選んだらいいか皆目見当がつかねえし。助かったよ」
エーヴ「……それ、サンドラへのプレゼントか?」
バスティアン「ああ、そうだよ。あいつ、喜んでくれるといいけど」
エーヴ(そりゃあ、喜ぶさ。……何をあげたって、好きな男からのプレゼントならな)
バスティアン「……え? なんか言ったか?」
エーヴ「いや、きっと喜ぶっつったんだよ」
バスティアン「そうだといいな」
エーヴ「……デートでもすんのか?」
バスティアン「今度の休みにな。ここの近くのレストランを予約してあるんだ」
エーヴ「わたしとえらい差をつけるじゃねえか。プレゼント選びに協力してやったのに」
バスティアン「ごめんごめん。ここだって美味いメシ食わしてくれるぜ」
エーヴ「当然、バスティの奢りなんだろな?」
バスティアン「ったりメエだろ。好きなもの、ジャンジャン頼んでくれ」
エーヴ「それじゃあ、……バスティがほしい」
バスティアン「……冗談はよせよ」
エーヴ「悪ィ悪ィ。軽いジョークだよ(ほんとは、マジ…なんだけどな…)」




