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第84話 愛のミーティングと恋のレクチャー

「……本当に何もなかったのですか?」


「ええ。何も」


セシルに問われて、シルヴィアは金色の瞳を伏せた。


王立図書館である。セシル、マノン、コレットの四人で再び作戦会議を開いていた。無論、リオネルとの『妊活大作戦』である。


「本当の本当に? 一晩一緒にベッドの上でお過ごしになられたのですよね?」


「一緒というか、旦那さまは、ぐっすり寝てしまわれたし、私はお気に入りのクッションで寝たから…」


しかし、シルヴィアは正直、内心嬉しい思いもあった。いつも暗殺を警戒しているリオネルが、目の前で安心しきって寝入っているのだ。心を許してくれている証左ではないか。


「……にわかには信じられません。が、これがきっと英雄の証拠なのでしょうね」


「はい…?」


「物語の英雄は、大抵何らかの欠落を有しています。性格であったり、能力であったり。何でも100%できたら、物語として面白くない、という側面もあるでしょうが」


「……」


セシルは、性格の穏やかな良い娘である。友だち想いでもあるし、思いやりもある。ただ、欠点を挙げるならば、物語好きが高じて架空世界を現実世界にも当てはめようとするきらいがある。


「シルヴィアさま、リオネルさまには、性欲という一点において、感情の欠落が認められます」


(……なんか、ダメ人間と言われているような気がする…)


シルヴィアは、がっくりと肩を落とした。


リオネルを招き、性欲をそそるはずの数々の料理を供して、初夜を迎えるはずだった。途中までは思惑通りに事が進んでいるように思えた。


誤算だったのは、朝ご飯抜きだという空腹のところへ、満腹になるほど食べさせたため、性欲より睡魔が先に訪れて寝入ってしまったことだった。


翌朝、シルヴィアのベッドの上で目を覚ましたリオネルが言うには、


『すまんすまん。夕べは腹が膨れたら急速に眠くなっちまって、つい寝てしまった。初めてシルヴィアの部屋で夜を明かしたなぁ。あっはっは』


……だ、そうだ。お気に入りの丸型クッションで一晩過ごしたシルヴィアは、それでもこの後、妄想しないでもなかった。


キラキラ輝く冬の朝日が窓から差し込む中、お互い無言で見つめ合い、どちらからともなくキスを求め交わし合うと、静かにベッドの中へ―


『―邪魔したな、シルヴィア。ベッド占領しちまってすまなかった。料理、美味しかったよ』


『あ、旦那さまっ…』


引き止める間もなく、リオネルはベランダへ飛び出し去っていってしまった…。


「……何も起こらなかったものは、仕方がありません。シルヴィアさまの責任ではありませんよ」


セシルは慰めるようにシルヴィアの肩に手を置いた。この娘は、いつの間にかシルヴィアを名前呼びしている。


「では、作戦を変更しましょう」


「どうするのですか」


落ち込んだままのシルヴィアに代わり、マノンが尋ねた。


「味覚、嗅覚で駄目なら、今度は視覚、聴覚に訴えましょう」


「視覚、聴覚?」


「人は、情報の8割を目で得ると言われています。ならば、露出の高い服を着るのです」


「にゃっ!?」


驚いてシルヴィアは顔を上げた。


「男性というのは、女性の裸に性的興奮を覚えるものと、相場は決まっています。娼館などといやらしいところに入り浸るのも、それが理由でしょう」


「ちょ、ちょっと待ってください、セシルさま。いくら何でも裸で会うわけにはいきませんよ」


「ご夫婦なら、問題ないかと」


「いやいやいや、いくら夫婦でも、いきなり裸というのは…」


「ですから、露出の高い服、と申し上げました」


「で、でも、やっぱり恥ずかしいわ。露出の高い服、ということは、肌をたくさん出す、ということでしょう?」


「当然、そうなります。というか、肌を見せることが目的なのですから、自明の理ですね」


「……」


「それだけではありません。聴覚にも訴えねば」


「……それは、どうするのですか」


「ロマンチックな場所にリオネルさまを連れ出し、耳元で甘い言葉をささやくのです」


「にゃにゃーっ!?」


思わず絶句した。そんな娼婦まがいのこと、断じてできない。


「妊活のためですよ、シルヴィアさま」


「そんなこと言われても…」


「ご決意なさったはずではございませんか。リオネルさまに相応しい妻になるのだと」


確かにそれはそうだが、リオネルに相応しい妻になるのであれば、そんなはしたない真似は、むしろ、してはならないのではないか。


後に冷静になって振り返ってみるとそう思えたが、このときは普通の精神状態ではなかったのだろう。結局、シルヴィアは大きくうなずいて、握りこぶしまで作っていた。


「……そうですよね。旦那さまのために、私、頑張りますっ」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「―でさ、ベッキーは何て言ったと思う? 『お兄ちゃんに伝えておいてください、今夜は罰として夕ご飯抜きですっ』、だってさ。まるで飼い犬扱いだよな、クロヴィスは」


「ふふふっ、ベッキーさんは、可愛らしいな」


「……」


明るく笑うサンドラを、バスティアンは眩しそうに見つめた。


「―ん? どうした、バスティ。私の顔にすすでも付いているのか?」


「ははっ。火事場じゃねえんだから、そんなもの、付くかよ」


顔を撫でるサンドラを指差して笑い転げた。


「……じゃあ、なんだよ」


「笑顔が可愛いな、と思ったんだよ」


「えっ―」


思わず絶句した。


「サンドラは、ムスッとしてることが多いだろ。ちょっと怖い感じがするんだよ。でも、笑うとこんなに可愛いんだから、損してる」


どんな顔をしていいかわからず、うつむいてしまった。


「サンドラには、笑顔のほうが似合ってる。俺は、好きだよ、サンドラの笑顔」


確かに姉エマとは違い、愛想笑いなどしないサンドラである。決して機嫌が悪くてムスッとしているわけではなく、これが地顔なのだ。


(でも、面白くもないのに、笑えない。みんな、どうして笑顔でいられるんだろう)


シルヴィアやアニェス、エマたちの笑顔を思い浮かべた。皆、キラキラと輝いている。


「……バスティ! エーヴ中隊長が呼んでるぞ」


いつものように、隊員が呼びにきた。休憩時間の終わりらしい。


「おお! わかった、今行く! ごめんな、サンドラ。俺、行かなくちゃ」


「ああ。気を付けてな」


「―サンドラ!」


走りかけてバスティアンが振り向いた。


「今度の休みに、食事にでも行かないか?」


「えっ…!?」


「ほら、フレイモスの日に行こう、って話したレストランだよ」


「ああ…」


エーヴたちとの約束があって、断った件だ。結局、バスティアンのほうが急遽参加して、あの火事に遭遇した。


「……わかった。いいよ」


「ほんとか? ―やったぁ!」


空色の瞳がくしゃっと崩れた。


「楽しみにしてるよ。じゃあ、当日よろしくな」


バスティアンは、笑顔で走り去っていった。サンドラは、遠ざかる後ろ姿に小さく手を振って見送った。




その二人の様子を物陰からじっと見つめる者がいた。駆けていくバスティアンにサンドラが手を振るのを見て、指の爪を強く噛んだ。考え込むように身動き一つせずその場に佇んでいたが、やがてサッと走り去った。


日の下に現れたそれは、厳しい顔つきのエーヴであった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「いらっしゃい、サンドラ」


エマは、笑顔で妹を迎えた。サンドラは、遠慮がちに部屋に入ってきた。


「すまない、いつもエマには迷惑かけて」


「迷惑だなんて、思っていないわ」


エマは、サンドラをソファに座らせた。サンドラから相談事があると打ち明けられて、自室に招いたのだ。


「むしろ、頼ってくれて嬉しい」


ティーカップを目の前に置きながら、にっこり微笑んだ。


「……それで、相談事、ってなあに?」


一瞬、眩しそうにエマの笑顔に見惚れたサンドラは、慌てて視線を手元に落とした。


「……実は、男性から食事に誘われたんだ」


「あら。素敵じゃない。例の彼? 火事の中から女の子を一緒に救出したという?」


「バスティアンという」


「うん。―それで?」


「男性と二人きりで食事になんて、行ったことないから、どうしたらいいか、よくわからなくて。男性経験の多いエマなら、わかると思って」


「ちょっと。誤解を招く言い方しないでよ。私、そんなに尻軽女じゃないわ」


「ご、ごめん。そういう意味で言ったんじゃないんだ」


「ふふっ。いいわ。―そうね、まずは情報収集かな」


「情報収集…?」


「何事も情報を制するものが勝利を握るのよ」


「……」


「どういうお店に連れていってくれるのか、食事の後、どこかへ寄るのか、事前に彼からデートプランを聞き出しておくこと」


「デ、デート…!」


「何を驚いているの? デートに誘われたのでしょ?」


「……デート…なのかな。食事に誘われただけなのに」


「まあ…呆れた。そこから説明しないといけないの?」


「わ、悪かったな」


「ふふふっ。サンドラって、可愛いわぁ」


「うるさいっ。余計なこと、言うな」


真っ赤になったサンドラを、エマは愛おしそうに見つめた。


「それじゃあ、ゆっくり恋のレクチャーをしましょうか。姉として、恋の先輩として、ね」

【裏ショートストーリー】

バスティアン「相談があるんだけど」

クロヴィス「相談? 珍しいな、お前が悩み事を打ち明けるなんて」

バスティアン「悩んでるというか、困ってるというか…」

クロヴィス「俺とお前の仲だ、なんでも言ってみろ」

バスティアン「それじゃあ、言うけど…女性へのプレゼント、って何が喜ばれる?」

クロヴィス「ぶぅぅぅーーっ!」

バスティアン「うわっ、汚えっ! お茶を吹くなよ」

クロヴィス「だって、いきなりわけわかんねえこと言うから!」

バスティアン「わけわからくねえだろ!」

クロヴィス「あのなあ…。俺がわかると思うか? 彼女もいねえ俺が」

バスティアン「妹がいるだろが、ベッキーが」

クロヴィス「ベッキーは、女じゃねえ」

バスティアン「……それ、ベッキーの目の前で言うなよ、殺されるから」

クロヴィス「そうじゃねえよ、妹だぞ、そういう目で見たことねえっつってんだ」

バスティアン「いや、だから、ベッキーにプレゼントくらいしたことあるだろ? どういうもので喜んだか教えてくれ」

クロヴィス「う〜ん。そういやあ、小さいころは、毎年誕生日プレゼントをあげてたなあ。ここ数年、お祝いしてねえけど」

バスティアン「……薄情な兄貴だな」

クロヴィス「まあ、あいつが喜んだといやあ、ぬいぐるみとか、おままごとセットとか、お人形とかかな?」

バスティアン「ガキへのプレゼントじゃねえんだよ。……ダメだこりゃ」

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