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第8話 女神と女神

夢を見た。しかも悪夢を。野菜に襲われる夢だった。


野菜たちは、口々に不満をシルヴィアにぶつけてくる。無駄にするなと責める。美味しい料理を作れと迫ってくる。


(ごめんちゃ〜。あたし、料理できないのっ)


それでも許してはくれず、次々とのしかかってくる。やがて山と積まれた野菜の中に押しつぶされる。


「〜んんっ。く、苦しいっ―嫌ああぁぁぁーっ!」


飛び起きた。ベッドの上だった。フランベルジュが隣で見つめていた。


「……フランベルジュ。起きてたの?」


フランベルジュがクイっと顎を突き出した。釣られて反対側に目を向ける。両耳に指を突っこんだ、しかめっ面のリオネルが、いた。


「……うるせえなあ。その悲鳴、どうにかなんないのかよ」


「……だ、旦那さま!? なんでここにいらっしゃるんですか?」


無意識に掛け布団を引き寄せた。エプロン姿のままではあったが。


「ネコどのが倒れたと聞いたんでな、様子を見に来たんだ」


「もう小一時間は、付き添っているよ」


フランベルジュが囁いた。


「……ありがとうございます、私なんかのために。お優しいんですね」


「一応、俺の妻だからな」


「料理もできない妻なんて、呆れていらっしゃるでしょう?」


「そんなことは、ないさ。一週間、全力で努力していたろ? 結構、お前のこと、見直したんだぞ」


「見直したということは、やっぱり最初は呆れてたということでしょ?」


「そう卑屈になるな。本当に俺は感心してるんだ。あのエマの指導によく喰らいついた。それだけでも、尊敬に値する」


「そんな…尊敬だなんて」


正直、嬉しい。頑張った甲斐があった。報われた気がした。


(にゃっ!? あたしは、ここに残るために努力したのよね? 決して、リオネルに褒められたくて頑張ったんじゃ、ないよね?)


なぜか、心臓がドキドキする。リオネルの黒い瞳から、柔らかい光がこぼれている。それなのに、まぶしくてまともに見ることができない。


「―わ、私は自分のためにやったことです。別に…旦那さまに褒めていただこうと思ったわけじゃありませんから」


「わかってるよ。あくまでも同盟のため、祖国のためだろ?」


「そ、そうですとも」


「それでも、俺は嬉しかった。俺の妻は努力家だということがわかって」


「……!」


嬉しい…? どういう意味に取ればいいのだろう?


(あたしのこと、どう思っているのかな)


ブランシャールに来て初めて、明確にリオネルを男性として意識した。心臓が跳ね回ってどうにもならない。


「そうそう。義母(はは)上に認めていただいたそうだな。良かったな」


「は、はい。ありがとうございます」


「そのご褒美と言っちゃあなんだが、アニェスに会わせてやるよ」


「にゃっ!? 本当ですか」


「ちょうど、この2〜3日、体調がいい。明日も調子が良ければ、会わせてやる」


「はいっ。ぜひ、お願いします!」


「……ずいぶん、嬉しそうだな」


「そりゃ、そうですよ。ご兄妹の中で唯一の女性ですもの。女同士、仲良くしたいわ」


「……そういうもんか」


リオネルは、遠い目をした。


「だからと言って、長居するなよ」


「わかっています。―とっても楽しみだわあ」


輝くようなシルヴィアの笑顔を、リオネルは眩しそうに眺めた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「―失礼いたします」


シルヴィアは、音を立てないようにそっとドアを開けた。


部屋はとても広く、シルヴィアのそれより二倍はありそうだ。調度品は高級なもので揃えられている。中でも目を引くのは、一目で特注品とわかる巨大なキュリオケースである。埋め尽くすようにぬいぐるみが所狭しと置かれていた。


大きな窓にかけられたカーテンは今は全開され、暖かい陽射しが部屋に差し込んでいた。その窓際で、陽射しを浴びて光り輝く少女が、いた。黒髪、黒い瞳の少女は、ロッキングチェアに座って微笑んでいた。


彼女の周りだけ空気が違う。光に包まれた姿は婉麗で清淑であった。侵しがたい神々しさは女神の生まれ変わりのようだった。


「……お待ちしておりました」


爽やかな声音がシルヴィアを迎えた。思ったより力強い。


「ご療養中に申し訳ありません。どうしてもお会いしたくて、厚かましくも押しかけてしまいました」


シルヴィアは、うっとりと少女に見惚れた。


「私も、ぜひお会いしたいと思っておりました、シルヴィアお義姉(ねえ)さま」


陽射しの中で笑顔が燦として輝いた。


「……改めてご挨拶したほうがよろしいかしら」


「私たちの間でそんなものは必要ありませんわ、アニェスさま」


「アニェス、と、呼び捨てになさってください」


「そういう訳には参りません。旦那さまの大事な妹さまですもの。アニェスさまこそ、私のことはシルヴィアとお呼びください」


「……私、ずっと姉が欲しかったの。兄弟といえば男ばかりなんですもの。もしお嫌でなければ、お義姉さまと呼ばせてくださいません?」


「アニェスさまのお好きなように」


「ありがとう。あら、お義姉さまを立たせたままだったわ。気が利かなくてごめんなさい。―ソフィ」


「はい、姫さま」


侍女がすっと近づき、これも高級そうなアームチェアに(いざな)った。


「こちらへお座りください、妃殿下」


言われるがままに収まる。


「兄からお噂はお聞きしています。さぞかし兄には戸惑われたことでしょう」


「それは、もう。初めてお会いしたときは、どなたかわかりませんでした。その…皇子さまらしくなくて」


「ふふっ。野盗と間違われたとか。格好からして皇子さまではありませんものね」


アニェスは、鈴の音を鳴らすように笑い転げた。


「―失礼いたします」


ソフィが紅茶を運んできた。


「……」


アニェスは、ティーカップを手に取ったが、口を湿らす程度ですぐにサイドテーブルへ戻してしまった。


「兄は誤解されやすいのです。本当はとてもお優しい方なのに」


「私もそう思います。何かと私のことを気遣ってくださるし、看病もしてくださいましたし」


「お義母(かあ)さまの料理試験のことですね」


「はい! 旦那さまに紹介していただいた料理の先生、エマさまと仰るのですけど、その方のおかげで、皇妃陛下に認めていただくことができました」


「それは、良かった。きっとお義姉さまは大変な努力をなさったのでしょうね」


「とんでもない。全て、エマさまのご指導のおかげです。ただ、指導方法が独特で、正直面食らいました。あんなに豹変する方、初めて見ましたわ」


「まあ」


アニェスは笑い崩れた。病人とは思えないほどよく笑う明るい少女だ。


「旦那さまだって意地悪なんですよ。エマさまの豹変のこと、絶対ご存知のはずなのに、事前に話してくださらないのですもの」


「ふふっ…! 兄は、少々子どもっぽいところがあるから。ほら、よく言うでしょう、男の子は好きな女の子にわざと意地悪をするって」


「にゃっ!? それって、まさか―」


「まあっ!? 可愛いっ」


アニェスは手を叩いて喜ぶ。


「お兄さまの言う通りだわ。驚いたときは本当に、にゃあと言うのね」


「……」


「あっ、ご、ごめんなさい。お気を悪くしたかしら」


黙り込んだシルヴィアを見て、明るい笑顔が一転、暗い翳が差した。そうすると、途端に病人のような表情になる。実際、病人なのだが。


「お義姉さまのこと、揶揄したり貶めたりするつもりはなかったの。兄が面白可笑しく話すものだから、いつもの冗談だと半分信じてなくて…。それで、つい、興奮してしまって…本当にごめんなさい」


「いいんですよ、気にはしていません。もう、これって口癖みたいなものだから。人間族の方からしたら、物珍しいでしょうし」


「本当に、ごめんなさい。私のこと、嫌な女だと思わないで。お義姉さまに嫌われたら、私…」


黒い瞳が潤んだ。今にも涙がこぼれそうだ。シルヴィアは、つと立ち上がり、アニェスをロッキングチェアの上から抱きしめた。アニェスは驚いたように瞠目した。


「……大丈夫。こんなことくらいで、義妹(いもうと)を嫌いになんか、ならないわ」


「お義姉さま…」


ついに、大粒の涙が一粒、こぼれた。シルヴィアは、そっと拭った。


「―おい、ネコ! 妹を何泣かしてんだ」


突然、窓をガラっと開けてリオネルが現れた。


「旦那さま!? またベランダから出入りなさって…!」


「お前、アニェスに何をした? ことと次第によったら、殺すぞ」


シルヴィアの言葉を聞かず、アニェスとよく似た黒い瞳に殺気をみなぎらせる。


「違うの、お兄さまっ!」


アニェスが必死に訴える。


「私が心ないことを言ったのに、お義姉さまが寛大にも許してくださったんです。落ち込んだ私を慰めてくださっていたところなの。決してお義姉さまは悪くありません」


「……」


リオネルは、ジロジロと二人を見比べた。やがて、頭をかきながら謝罪した。


「俺の早とちりだったか。すまなかったな、シルヴィア」


「いいえ。気にしてはいません。それより…」


今度はシルヴィアが兄妹を見比べる。


「旦那さまは、妹想いのお兄さまなのですね」


「ええ。とても優しい兄ですわ」


照れたようにそっぽを向いたリオネルの代わりに、アニェスが答えた。


「―起き上がって、だいぶ時間が経つ。そろそろ休め」


リオネルは、ぶっきらぼうにアニェスに言った。


「えっ…もっとお義姉さまとお話ししていたいわ」


「無理をして、また熱が出たらどうする」


「……わかりました」


一度うつむいたアニェスは、再び輝く笑顔をシルヴィアに向けた。


「お義姉さま。また遊びにいらしてください。もっともっとお義姉さまのこと、知りたいわ」


「ええ、喜んで。何度でもお伺いするわ。また旦那さまの悪口を言い合いましょうね」


「ふふふっ。お義姉さまって、楽しい方なのね」


鈴の音のようなアニェスの笑い声が、部屋中に染み渡っていった。

【裏ショートストーリー】

アニェス「お義姉さま、お優しい方で良かった」

ソフィ「そうでこざいますね」

アニェス「決して刺客なんかじゃない。むしろ、お兄さまのお力になれる方だわ」

ソフィ「例の勘、ですか?」

アニェス「私の勘、当たるのよ」

ソフィ「存じ上げていますよ」

アニェス「お義姉さまの存在が全てを変える、そんな気がするわ。ああ、見たい。新しい世界をこの目で見てみたいわ」

ソフィ「姫さま…」

アニェス「今ほど、生きていたい、と強く思ったことはないわ。叶わぬ夢だけど」

ソフィ「……必ず、生きてご覧になられますわ」

アニェス「あなたが気休めを言うなんて、珍しいわね」

ソフィ「気休めではございません。姫さまが仰ったのですよ、妃殿下の存在が世界を変える、と。であれば、姫さまの運命も変わるはずではございませんか」

アニェス「そうなるかしら」

ソフィ「なりますとも。……私の勘は、結構当たるのですよ」

アニェス「ソフィったら…」

ソフィ「姫さま付きの侍女を申しつかって、初めてお会いした折のことを、今でも覚えております」

アニェス「……何度も聞いたわよ。幼くてよく覚えていないけど、私があなたに言ったのでしょ?」

アニェス・ソフィ「お前は生涯、私の侍女となって宮廷を差配するであろう…」

ソフィ「私は、そのとき確信したのです。この方は必ず皇室を支えるお方になられると。私が今ここにいるのは、姫さまに言われたからではございませんよ。私が望んでここにいるのです。どうか姫さまも、強くご念じください。生きる、と」

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