第72話 蠢動と果断
その日は、市内の宿屋に泊まることになった。市民が泊まるような普通の宿である。そのことを気にする者など誰一人いない。
無論、シルヴィアとリオネルは、別の部屋である。三部屋しか取れなかったので、シルヴィアとマノンが同室となった。
近くのレストランで夕食を取ると、早々に休むことにした。明日から、多少荒事をすることになるかもしれない。身体を休めるときには休む。軍での生活で身についた習慣である。
その夜だった。草木も眠る深夜。音もなくシルヴィアの部屋の窓が開いた。二つの影が部屋に降り立つ。それぞれ短剣を手にしている。シルヴィアとマノンの寝ているベッドの傍らに立つと、いきなり短剣を突き刺した!
しかし、短剣は目的を果たせず、剣身に受け止められていた。ベッドから飛び起きたシルヴィアは、お腹に蹴りを入れた。影は壁に吹き飛ぶ。追いかけるように剣を振るい、袈裟がけに斬り倒した。
横を見ると、とっくにマノンの姿はない。影の骸が転がっているだけだ。とっさにシルヴィアは駆け出した。マノンの行き先もおそらく同じだ。
「―アニェスさまっ!」
アニェスが寝ていたはずの部屋に飛び込んだ。そこには、剣を片手に下げ佇む二人の姿があった。
「……良かった。ご無事だったのね」
「私が駆け込んだときには、もう終わってましたぁ」
マノンがのんびりと言った。
「―これ、アニェスさまが…?」
ベッドの傍らに転がる影に目をやった。
「アニェスさまは、ほんとに凄いわ。剣もお出来になるなんて」
「この中では、一番下手っぴぃですけどね」
「でも、暗殺者を返り討ちにするくらいは腕が立ちますわ」
「―アニェスっ!」
遅れてリオネルが飛び込んできた。瞬時に状況を把握すると、いきなりアニェスを抱きしめた。
「ごめんな〜、お前を独りにして。お兄ちゃんの判断が間違ってた。許してくれ〜」
「お、お兄さま…!?」
戸惑うアニェスには構わず、抱きしめ続ける。美しい兄妹愛なのだが、嫉妬心がむくむくと湧き上がってくる。
(いくら妹が大事だからって、何も、あからさまに目の前で抱かなくたっていいじゃない!)
「でも、もう安心しろ。今からお兄ちゃんが添い寝してやる。ゆっくり寝てくれ」
「嫌です! 私はもう子どもじゃありません。独りで寝られます」
「ダメだよ、危ない。周りは敵ばかりなんだから。お兄ちゃんが守ってあげる」
「嫌ったら、嫌!」
「アニェスさまっ!」
シルヴィアは、力ずくで二人を引き離した。
「ご安心くださいっ。添い寝なら、私がしますっ」
「お義姉さままで…」
「おいっ、シルヴィア。お前はマノンと寝ていろ。アニェスは俺が守る」
「ダメですっ。旦那さまは、何をするかわからないわ。アニェスさまを守れるのは、私しかいない」
「どういう意味だ!? 俺がアニェスに何かするわけないだろう」
「あのう…論点がズレていると思いますけどぉ」
遠慮がちにマノンが声をかける。
「問題にすべきなのは、部屋割りじゃなくて、暗殺者の雇主が誰なのかということだと―」
「「部屋割りのほうが大事だ!」」
「は、はい…」
二人に怒鳴られて、シュンとなるマノン。そこへ。
「……うるせえなあ。真夜中に大きな声出してんじゃねえよ」
宿泊客らしき男性が顔を覗かせた。状況を見て、悲鳴を上げた。
「うわーっ! ひ、人が殺されてるっ!?」
「あっ、待って―」
引き止める間もなく、男性は駆け出した。
「だ、誰か来てくれぇーっ!」
「―くそっ、暗殺者との斬り合いの音を聞かれてしまったか」
「……違うと思いますぅ」
唇を噛むリオネルに、マノンは小さく突っ込みを入れた。
「まずいわ。きっと衛兵を呼ばれちゃう。説明しても問答無用で連れて行かれる可能性のほうが高いと思うわ」
「お義姉さまの言う通りです。相手が確定した以上、ここに留まるのは得策ではないわ。―マノン。案内して」
「はい」
マノンを先頭に宿泊所を出ると、闇に向かって走り出した。荷物も馬車も諦めるしかない。
「アニェスさま、御者さまを置いてきてしまったわ」
「仕方がありません。今は彼の裁量に任せましょう」
「……」
マノンが指笛を吹いた。すると、数人がさっと周りに集まって並走を始めた。その中によく見知った顔があった。
「ファニー!?」
「シルヴィアさま、ご無事で」
「あなたも来ていたのね。心強いわ」
マノンは、夜目が効くのか迷わず暗闇の中を突き進む。やがて一軒の商家にたどり着いた。見た目はよくあるごくありふれた店構えだった。そのまま滑り込むように店内へ入った。
「ここは…」
店内には、さまざまな商品が置かれていた。雑貨や生活用品、玩具、中には安物のアクセサリーもある。
「奥へ」
マノンに促され、店舗の奥へ進む。リビンクらしき部屋へ入ると、数人の男女が一斉に膝をついた。
「すまない、世話になるぞ」
リオネルは、当然のように最奥の大きなソファへどかっと座り込んだ。アニェスもその脇のソファにちょこんと座る。
「シルヴィアさまもどうぞ、おくつろぎください」
マノンに言われて、リオネルの隣に腰を落ち着けた。
「……ここって、もしかして―」
キョロキョロと部屋を見渡す。アニェスが答えた。
「ええ。カルパンチエにおける紅烏団の拠点ですわ」
「こんなことなら、初めからここに泊まれば良かったですねぇ〜」
マノンが自らお茶を運んできた。
「……こんな施設が、国中にあったりして」
「ありますよぉ。主な都市にはすべて設けてありますぅ」
「なるほど、そうか。だから、座礁事故の情報もすぐリシャールに届けられるのね」
思った以上に諜報網は、広く国内を覆っているらしい。
「―これで少しすっきりしましたね、お兄さま。自らシッポを出すなんて」
「だな。いきなり口封じに動くとは思わなかったが」
「計画性も何もありません。計画を立てる暇もなかったのでしょうけど」
「……きっと、私たちがこんなに早く乗り込んでくるとは思っていなかったのですよ」
「それが第一の計算違いでしょうね」
アニェスは、シルヴィアにうなずいてみせた。
「早馬で私たちが来ることがわかった彼は、慌てて証拠を隠した。適当に誤魔化すつもりが、むしろ私たちが核心に触れてきた。これが第二の計算違いですね。早晩発覚すると恐れて、暗殺者を送り込んだ…というところでしょうか」
「場当たり的だわ。動けば動くほど不利になっていくことがわからないのかしら」
「……座礁事故という想定外の出来事にパニックになってしまったのでしょう」
「残る問題は、何を隠したかったか、という点だな」
「本人を直接問い詰めるか、証拠を探すか…いずれも手間がかかりそうですね」
「それに、おそらく拘束されていると思われる乗員の人たちが心配です。場合によっては、彼らこそ口封じされかねないわ」
「そうですね、お義姉さま。それが一番手っ取り早そうだわ」
「にゃっ!? まさか、アニェスさま…」
アニェスは、輝くばかりの笑顔を浮かべた。まさに女神のごとき美しさだった。
「彼らに証言者になってもらいましょう。事情を知っているに違いないし救出もできる。一石二鳥だわ」
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シルヴィアたちは、即座に行動を開始した。襲われた直後に襲い返すとは、向こうも思ってもいないに違いない。戦術の要は、敵の虚をいかに衝くか、である。
マノンたち紅烏団の先導で、難なく総督府に侵入した。
「どこに囚われているのかな」
「まずは、庁舎を探りましょう。たいてい、地下に罪人を収容する牢を設けているはず」
アニェスの提案で庁舎に入り込んだ。真夜中だから静まり返っている。公共の建物の夜というのは、なぜこうも不気味なのだろう。無機質で人気がないからだろうか。
そんなことを考えながら地下へと進むと、案の定、牢が並ぶ場所にたどり着いた。
「……ついに来たか」
牢の中から、人の声がした。それは、諦念とはほど遠い、力強さに溢れた声だった。
「総督は、俺たちを始末することにしたらしいな。―そうなんだろ、暗殺者さんたちよ?」
【裏ショートストーリー】
諜報員A「シルヴィアさまたちは、宿泊所でお休みになったようです」
ファニー「油断するな。何が起こるかわからねえんだから」
諜報員B「俺たちは、このまま待機ですか」
ファニー「そうさ。呼び出しがあったら、すぐ動けるようにしとけよ」
諜報員A「総督府は探らなくていいんですかい?」
ファニー「まだ動くな。いずれ探ることになるだろうがな」
諜報員B「えらい、きな臭いですよね」
ファニー「ああ。お宝の匂いがぷんぷんするぜ」
諜報員A「……それはちょっと、まずいんじゃないですかい、団長? 俺たちはもう盗賊じゃねえんですから」
ファニー「バカ野郎! 誰が盗みをやるって言った? そうじゃなくて、総督のヤロウが何か美味い話を隠してやがる、と言ってんだ」
諜報員B「美味い汁の元を持ってる、ということですか」
ファニー「そうだよ。それをシルヴィアさまたちが暴こうって話さ」
諜報員A「俺たちも、すっかり正義の味方側になっちまいやしたねえ」
ファニー「バカ言え。盗賊のときだって、あたいたちは義賊を名乗ってたんだ。初めから正義の味方側さ」
諜報員B「……あっ! 今、合図の指笛がしました!」
ファニー「あたいたちの出番だよっ。みんな、遅れるな!」
諜報員A・B「へい!」




