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第70話 情報網と天賦の商才

「シルヴィアさま。ご報告に上がりましたが、よろしいでしょうか」


「……いいわ。報告して、ファニー」


「はっ。煌豹団76名、紅烏団内での訓練、全て終了いたしました!」


「そう! よく頑張ったわ!」


シルヴィアは、嬉しそうにファニーを抱きしめて労った。


元盗賊のファニーたちは、マティスで忠誠を誓い、シルヴィアに従って皇都リシャールへ入ってからというもの、秘密の特訓を受けていたのである。


シルヴィア直属の諜報隊、『煌豹団』を発足させたはいいが、元盗賊にいきなり諜報活動をしろといってもそれは無理である。そこでマノンに頼み込み、リオネルの諜報隊、紅烏団に編入し、諜報のイロハを叩き込んでもらっていたのだ。その訓練が終わったのだという。


「これで、煌豹団は自立できるわね」


「はっ。シルヴィアさまのため、全力を尽くします」


そういうファニーは、侍女のお仕着せを着てシルヴィアの前に畏まっている。皇宮に潜入するに際して、変装したのである。これも、立派な訓練の一つなのだ。


「―お頭っ、大変です!」


ドアが乱暴に開かれ、農民の格好をした男が飛び込んできた。


「バカ野郎! 皇族のしかも貴婦人の部屋にノックもせず入るヤツがあるかっ」


ファニーが怒鳴りつけた。黙っていれば貴族の姫君でも通用しそうな美人なのだが、さすがは元盗賊、柳眉を逆立てて怒るさまは迫力満点である。


「す、すいやせん、お頭」


「それにあたいはお頭じゃねえ、団長だ。何遍言ったらわかるんだ」


「す、すいやせん、団長」


「しかも、てめえ、皇宮を出入りするのに、農民の格好ったあ、どういう了見だ。使用人の格好してこいっ」


「す、すいやせん」


「ったく。あたいのメンツをつぶすんじゃねえよ。たった今、シルヴィアさまに褒められたばっかなのによ。―で、何が大変なんだ」


「えーと…こういうとき、団長に耳打ちするんでしたっけ? それともシルヴィアさまに聞こえるように、大声出したほうがいいすかね?」


「こういうときは、耳打ちするんだ、ド阿呆がっ」


「あっはっはっ」


シルヴィアがお腹を抱えて笑い出した。


「面白ーい! 漫才みたいっ」


「め、面目ありません。さっきは胸張って一人前になったなんて報告してしまいまして」


ファニーは、恐縮して身を縮める。


「いいよ、いいよ。仕事で結果を出してもらえれば」


「はっ。精進いたします」


「―諜報員さん、あたしに聞こえるように報告して。団長への耳打ちは、今後でいいから」


「へ、へい」


男は、ファニーがうなずくのを確認してから、報告し始めた。


「二日前、南部カルパンチエの港で大きな事故が起きたようです」


「事故…?」


「他国の船が嵐に巻き込まれて座礁したとの由。現地では大変な騒動になっていると、紅烏団経由で情報が入ってきました」


「一応確認するが、訓練じゃねえよな?」


ファニーが尋ねる。


「訓練じゃありません。いや、実は情報伝達の訓練の一環だったんですが、ほんとの事故の情報がもたらされたんで、急いで報告に上がりました」


「……カルパンチエといえば、我が国最大の貿易港ですぅ」


マノンが考え考え意見を述べた。


「外国船となれば、大型船でしょう。それが座礁となれば、貿易に支障が出るんじゃないですかぁ」


「二日前といったら雪が降った日よね。きっと南部でも低気圧が発生して、海が荒れたのね」


「しかも、国内だけじゃなく、国際関係にも影響があるかもしれないですよぉ。外国の方の救助とか、いろいろ気を遣わないといけないしぃ」


「外国船の事故…カルパンチエ…なんか、聞き覚えがあるのよね」


「聞き覚え、ですかぁ?」


「船は転覆したのでしょうか」


コレットが心配そうに言った。


「積荷も多かったでしょうに。海に流されてなきゃいいけど」


「―積荷! それよ、それ!」


シルヴィアは、文字通り飛び上がった。


「コレット! よく気がついてくれたわ、ありがとうっ!」


シルヴィアはコレットに抱きついた。コレットは、わけがわからず目を白黒させた。


「ファニーも報告ありがとう! 早速の大手柄よ!」


「は、はい…?」


ファニーもわけがわからず戸惑う。


「急いで旦那さまにお伝えしなくちゃ!」


「シルヴィアさま。おそらく紅烏団から報告は入っていると思いますが」


「違うわよ、ファニー! 大事なのは事故そのものじゃないの」


「……」


「上手くいけば、リオネル軍の財政が潤うわ!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


馬車が雪の残る街道を爆走していた。シルヴィアはフランベルジュに乗ると言い張ったのだが、馬上疾走したら確実に凍えてしまうとリオネルの猛反対を受け、やむなく馬車に同乗したのである。


ファニーから外国船座礁事故の報告を受けて、急ぎリオネルに説明すると、即断してくれた。早馬を先駆けで飛ばし、今は馬車でカルパンチエへ向かっているところである。


「概要は聞いたが、詳細を説明してもらおうか、シルヴィア」


「はい」


リオネルに問われて、車内を見やった。リオネル、アニェス、マノンである。初めにリオネルと共にシルヴィアの話を聞いたアニェスは、どうしても同行すると強く主張したのだ。難色を示しはしたものの、全般的にアニェスに甘いリオネルは、最後には承諾した。


「カルパンチエで座礁した外国船、十中八九南の大陸シェルンバッハの船です。交易品を積んでいると思われますが、今回、最も重要なのは『コーヒー豆』です」


「コーヒー豆…。聞いたことないな」


「シェルンバッハでのみ栽培されている植物で、嗜好品なのです。まだブランシャールには入ってきていませんが」


「その嗜好品が、どうしてそんなに重要なのです?」


アニェスが小首を傾げた。この際だが、彼女はどんな仕草も美しい。一瞬、見惚れるが、そんな場合ではないと己を叱咤する。これは、時間との勝負なのだ。


「必ず大流行するからです。ブランシャールだけではありませんよ。パストゥール中でバカ売れするのです」


「それだ、わからないのは。見たことも聞いたこともない嗜好品が、どうして売れるとわかる?」


リオネルの口調が尖る。


「それは…」


本来の未来である姉グロリアがリオネルの妻となる世界で、大流行するから、とは言えない。しかし、ここは何としても説得しなくてはならない。


思い出したのだ。姉グロリアからの手紙を。それには、こう記されていた。南部の港町カルパンチエで船舶事故が発生し、それがきっかけでコーヒー豆がブランシャールに入ってきた、と。ここで権益を独占できれば、ピパリどころではない莫大な利益がもたらされるのだ。


「それは、私の勘です」


「なんだと!?」


「私を信じていただくしかありませんが、コーヒーを飲んだことがあるのです。味は苦いのですが、香りが良くて常習性があるので慣れると何度も飲みたくなります。リピーターが見込まれるし、苦味が苦手な方はミルクを入れるとか砂糖を入れるとかバリエーションが豊富なので、幅広く受け入られます」


「いろいろ疑問がある。ブランシャールにも入ってきていないものを、いっちゃあなんだが地方のカトゥスにいたお前が、何で飲んだことがあるんだ?」


「ごもっともな疑問ですが、偶然が重なったのです。シェルンバッハからの旅行者がピパリを聞きつけてカトゥスを訪れたことがあって、その方がコーヒーを持参していたのです。物々交換でいただいたので、そのとき味わいました」


ウソである。しかし、必ずリオネルのためになるのだ。ここは作り話でもなんでもして納得させるしかない。


「先にも言ったとおり、味が苦いので、好みが別れます。私は美味しく感じましたが、家族にはあまり評判がよくなくて、その場で終わってしまいました」


「好みが別れるんじゃあ、むしろ売れないんじゃないか。どうして世界中で流行ると思うんだ?」


「常習性があるからですよ。気に入った方は必ず常連客になります。固定客が計算できるのです。その人が家族や恋人に勧めて、次第に周りへ波及して売り上げも伸びていく、という見込みが立つのです」


「ずいぶん、お義姉さまがご熱心にお話しなさるので、興味を覚えて同行を願い出たのだけど」


アニェスは、黒い瞳をキラキラさせながら言った。


「まるでお義姉さまは、『見てきた』ように仰るのね」


(鋭い…! さすがアニェスさま。敏感に感じ取っているのね)


内心、舌を巻いた。アニェスの勘が当たるというのは伊達ではない。まさに、シルヴィアは『見てきた』のだ。


「たった一度飲んだことがあるだけで、そこまで確信を持てるなんて、お義姉さまの商才はただ事ではないわ」


「とんでもない! 紅烏団がいち早く事故の報せを届けてくれたからですわ。―マノンの情報網は世界一よ」


にっこり微笑みかけると、マノンは、頬を赤らめた。


「どうかしら、お兄さま。ダメ元でお義姉さまの言う通りになさっては」


「むう…」


「これだけ急ぐのは、おそらくいち早く積荷を抑えて権益を得ようということでしょ?」


「その通りです、アニェスさま! 確かカルパンチエは、ラファエルさまのご領地でしたわね?」


「そうです」


「ラファエルさまは、今はコーヒー豆の価値に気がついていません。今のうちなのです。リオネル家が交易の権利を得れば独占できます。莫大な儲けを得られますよ!」


「……初めから、俺は決めている」


リオネルは、達観したように目を細めた。それは、極東の国の修行者か何かのようだった。


「シルヴィアの言う通りにしよう、とな。だから詳細を聞く前から早馬も飛ばしたし、馬車も仕立てた。俺自身は今一確信を持てないが、シルヴィアには全幅の信頼を置いている。そのお前がこれほどまでに言うんだ。―いいだろう、好きにやってみろ。責任は俺がとる。思う存分やれ」

【裏ショートストーリー】

諜報員A「シルヴィアさまってのは、いい方だよなあ〜」

諜報員B「そうか?」

諜報員A「そうさ。俺みたいなもんにも、優しく声をかけてくれるんだぜ〜。美人だし、まるで太陽みたいな方だよ」

諜報員B「猫耳族だぞ。獣人じゃねえか」

諜報員A「……お前、獣人嫌いか?」

諜報員B「そうじゃねえけど、人間とは釣り合わねえだろ」

諜報員A「リオネルさまは、その猫耳族を奥さんにしているんだぜ?」

諜報員B「政略結婚だからな。形だけだろ」

諜報員A「でも、肩を抱いて歩いているのを見たことがあるぞ」

諜報員B「カラダだけ美味しくいただいているんだろうよ」

諜報員A「……最低だな、お前」

諜報員B「俺は、断然お頭だなあ。美人だし、強いし、そもそも恩人だしよ」

諜報員A「そりゃあ、俺だってお頭には感謝してるよ。路上で暮らしてたのを、拾ってくれたんだ。今こうしていられるのも、お頭のおかげだ」

諜報員B「一番良いのは、まだ独り身ってことだ。猫耳王女は人妻だけど、お頭は恋人すらいねえ」

諜報員A「……だったら、何だってんだ。鏡見たことねえのか」

諜報員B「ざけんなっ、殺すぞ」

諜報員A「ヘンな望みを持つんじゃねえよ。毛筋ほども可能性はねえんだからよ」

諜報員B「てめえに言われたかねえ。猫耳王女なんか毛筋どころかマイナスじゃねえか」

諜報員A「シャレたこと言ってんじゃねえ。何だよ、マイ…何とかって」

諜報員B「……女に惚れる前に、まずは勉強しろ」

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