第69話 風見鶏と気丈夫
降り始めた雪は一晩中降り止まず、皇都リシャールを白銀の世界に変えた。
初めて積もる雪を見たシルヴィアは、はしゃいで中庭に飛び出した。雪だるまを作ったり雪玉を投げ合ったりひとしきり騒いだあと、寒さに耐えられず、あっさり部屋へと戻っていった。
宮廷人たちは、雪に慣れているので騒ぐ者など誰もおらず、シルヴィアを冷ややかに見ていた。が、一人だけ好奇心に溢れた視線を送る人物がいた。
若紫色の髪と撫子色の瞳をした彼女は、真冬の寒さにもかかわらずじっと視線を注いでいたが、やがて奥へと消えていった。その先は、アニェスの部屋のようであった。
「雪って、ほんとに軽くて冷たいのね。手がかじかんじゃった」
「手で掴む分には。でも、屋根に積もるほどの量になると、とても重くて埋もれると窒息いたしますよぉ」
「そうなんだ」
「子どもの頃は雪が降ると楽しくてはしゃいだものですが、大人たちは、嫌がってましたよ。雪かきが大変だとか言って」
「雪かき、って何、コレット?」
「え…道に積もった雪を片付けることですよ。雪があると往来に支障をきたすので、脇に除いて人が通れるようにするのです」
「へえ…」
「ほかに、雪おろしというのもあります。先ほどマノンさまが仰ったように、雪はとても重いので下手をすると屋根が潰れてしまうのです。そうならないよう、屋根から雪を落とすことをいいます」
「……世の中、知らないことばかりねえ」
「シルヴィアさま。感心ばかりしていないで、そろそろお支度を。今日は、アニェスさまにお呼ばれの日ですよぉ」
「そうだった、そうだった」
侍女は、主人のスケジュール管理も重要な仕事である。一つひとつがコレットへの指導も兼ねているのだ。
急いで身支度を整えると、二人を従えてアニェスを訪れた。例のアニェスのサロンである。サロンには既に先客がいた。
「あっ…! 妃殿下、ご機嫌麗しゅう」
姫君たちが立ち上がった。それは、お茶会でシルヴィアをいびったリゼット、ロジーヌ、セシルの三人だった。
とたんにマノンとコレットの顔が強張る。シルヴィアは無表情のまま挨拶を返した。
「……これは、皆さまお揃いで。ご機嫌よう」
シルヴィアは、問うようにアニェスを見た。アニェスは、にっこり微笑んでうなずいてみせた。
「先日は、妃殿下に対して私たちの大変失礼なる振る舞い、どうかお赦しください」
リゼットは、いきなり深々と頭を下げた。
「リゼット姫さま。まずは、お座りになって。これでは話もできないわ」
アニェスに促されて、三人娘は席についた。シルヴィアもアニェスの目配せで空いた席に収まる。
「―お義姉さま。驚かせてごめんなさい。実は、前々からリゼット姫さまにお義姉さまとの仲介を頼まれていたの」
アニェスは、ソフィがケーキタワーと紅茶を調えるのを待って話し始めた。
「マティスにお出かけになったり、カトゥスのお姉さま方の来訪があったりで、なかなか機会がなかったのだけど、ようやく落ち着いたから、お呼びしたのよ」
「……妃殿下には、さぞお怒りかとは存じますが、私たちも本意ではありませんでしたのよ」
ここぞとばかりリゼットが愛想笑いを浮かべながら言った。
「お茶会は、ミレーユさまの指示で仕方なく私の名前で妃殿下をご招待したのです。あのときの振る舞いだって、ミレーユさまの指示で、やりたくもない役回りをしただけですの。決して本心からではございません。妃殿下が誤解されていては一大事と、こうしてアニェス殿下におすがりして、場を設けていただきました。何卒、ご寛大なるお心をもってお赦しくださいますよう、伏してお願い申し上げます」
またしてもリゼットは頭を下げた。ロジーヌも仕方なさそうに倣う。セシルだけは、真に申し訳なさそうに丁寧に頭を下げた。
(……まったく、調子いいわね、リゼットという姫君は。全部ミレーユのせいにするなんて。ある意味、この人が一番たちが悪いかもね)
内心そんなことを思ったが、シルヴィアはおくびにも出さず、輝く笑顔を見せた。
「お顔をお上げください、皆さま。私は気にしておりません」
「そうですか! ああ、良かった!」
リゼットは、パァっと表情を明るくさせた。
「誤解なさっておられないようで、一安心しましたわ。―ねえ、ロジーヌ、セシル」
「……ええ。本当に」
振られて、仕方なさそうにロジーヌは同意した。
「妃殿下。あの場に同席しながら、ミレーユさまをお止めできなかったこと、心から悔いております」
セシルは、誠実そうに顔をゆがめながら謝罪した。
「どうか、お赦しください」
「セシルさま。お気に病まないで。皆さま方のお立場もお有りでしょうし、本当に私、気にしてはおりませんの」
「そう仰っていただけると、少し心が慰められます」
「―ねえ、妃殿下。これを期に、私たちの間で友情を育みましょうよ」
セシルを制するように、リゼットがしゃしゃり出てきた。
「え…ええ。それは、是非とも」
「では、これからは親友同士だわ。妃殿下、今後何かあったときは、私になんなりとお命じください。必ずお役に立ててみせますわ」
それから、小一時間ほど、ほとんどリゼットの独演会と化した。いかに自分が有能で役に立つかということをしきりとアピールした上で、宮廷内の噂話などを多数披露した。
ほとんどが取るにも足らないくだらない話ばかりだったが、稀に有益な情報も含まれていた。例えば、長兄ラファエルの生母ジュスティーヌと四男ガブリエルの生母クレールは親友同士、などなど…。
シルヴィアは、辛抱強くリゼットの話を聞いていた。端で見ていたマノンが後に絶賛するほど、完璧な淑女の態度だった。
リゼットは満足したのか、綺麗にケーキと紅茶を平らげて退出していった。
「―妃殿下」
帰り際、セシルは他の二人に聞こえないよう、そっと囁いた。
「恐れながら、近いうちに一人でお会いいたしたく存じます」
若紫色の髪のセシルは、撫子色の瞳をくるめかせながら、下がっていった。
「―お疲れさまでした、お義姉さま」
アニェスは、含み笑いをしながらシルヴィアを労った。
「ええ。本当に疲れました」
「あの女、言いたい放題言い散らして帰っていきましたね」
マノンが憤慨する。
「全〜部、ミレーユのせいにしていたけど、絶対ウソだわ」
「まあいいじゃないの。少なくとも表面は、あたしに敵対しないと言っているのだから」
「……リゼット・マヤール。別名、『風見鶏のリゼット』」
アニェスが言う。
「『風見鶏のリゼット』…?」
「宮廷では有名人ですわ。機を見るに敏で、優勢な勢力を見極めて、都度従く相手を変えていく」
「あんな不誠実な人は、そうはいません。シルヴィアさま、絶対に信用なさってはいけませんよ」
マノンは、まだ憤慨している。よっぽど腹に据えかねているのだろう。
「信用はしないわ。でも、風見鶏があたしの側につく、と仰ってくださるのだから、風はあたしに吹いていると判断してよいのでしょ?」
「えっ!?」
「要は、使いようよ。風見鶏がついていれば優勢。離れれば劣勢。情勢判断をするのにうってつけじゃない」
「ふふふっ」
アニェスが鈴の音を鳴らすように笑い転げる。
「お義姉さまは、本当に楽しい方だわ。まったく、仰っるとおり。馬鹿と鋏は使いよう、とは、まさにこのことだわ」
「あら、アニェスさまもお口の悪い」
「……お義姉さまに口の悪さがバレたことだし、少しお口直ししません?」
「いいわね。是非お願いします」
改めて、ソフィがケーキと紅茶を入れ直した。マノンたちも、別テーブルでケーキを楽しんでいる。
「―リゼット姫さまはともかく、セシルという姫さまは、初めから私に好意的なの。どういった方がご存じですか」
「セシル・ユゴー。ユゴー伯のご長女です。ユゴー伯は中堅といったお家柄かしら。物静かな姫さまで、読書が趣味と聞いたことがあります」
「そう…ですか」
「気になることでも?」
「あ、いえ。直感で、芯の強い積極的なお方なのかな、と思ったので。物静かというのがイメージに合わなかったの」
「信念のお方という印象はあります。物静かな方が消極的とは限りませんでしょう?」
「確かに。別れ際、私に囁いていかれたの。後でお一人だけで私と会いたいのですって」
「そう…。私は親しいわけではないので、為人は伝聞でしか知りません。でも、味方にして損はない、という気がします」
「アニェスさまの勘はよく当たるとお聞きしました。では、安心してお会いすることにいたします」
「……ところでお義姉さま。結婚指輪をお求めにいらっしゃったそうで」
「早耳ですね。情報源は旦那さまですか」
「お見込みのとおりですわ。デュランはオーダーメードだから、出来上がるまで時間がかかりますね」
「ええ」
「とても楽しみ。出来上がったら、私にもお見せください」
「もちろん。真っ先にお見せしますわ」
「フレイモスまでに届くといいですわね」
「……もう、そんな時期ですか」
フレイモスとは、大晦日の一週間前に行われるお祭りのことである。天空の女神フレイを祀るお祭りで、パストゥール大陸中でお祝いされる。無論、カトゥス王国でも、毎年王家主催で行われる一大イベントである。
「もうすぐ、新年なのですね」
年が明け、冬が終われば、ルメール戦が始まる。シルヴィアにとっても一大決戦である。姉グロリアの手紙によれば、ギーが戦死する未来が待っている。
(―何としても、守ってみせる。ギーさまを死なせるわけにはいかない)
密かに心に誓うシルヴィアであった。
【裏ショートストーリー】
マノン「あの風見鶏、絶対に信用できないわ」
コレット「……申し訳ありません。私がお茶会のお返事をしてしまったばっかりに、シルヴィアさまにご迷惑をおかけしてしまって…」
マノン「コレットのせいじゃない。風見鶏が悪いのよ」
コレット「マノンさまは、お優しい」
マノン「元気出して、コレット。このチーズケーキ、美味しいよ」
ソフィ「……その風見鶏は、今はシルヴィアさまに従うのが得策と判断したようですわね」
マノン「ほんとに面の皮が厚いったらないですよ。お茶会で散々シルヴィアさまをいびったくせに」
ソフィ「時々でお立場を変えることに後ろめたさを感じないのでしょうね。でなければ、のこのこシルヴィアさまにお会いにくるなんて、できるわけがない」
マノン「常人離れしているわ。ある意味、怪物のような人です」
ソフィ「それに引き換え、シルヴィアさまのご態度は、とてもご立派でした」
マノン「それです! 私が言いたいのは!」
ソフィ「……お声が大きい」
マノン「あ…、ごめんなさい。でも、シルヴィアさまこそは、私たちの誇りですわ。風見鶏の長ったらしい自慢話を辛抱強くお聞きになって。私だったらとっくに苛ついて、話を途中で折ってやるものを」
ソフィ「まさに、上に立つ者のご態度です。例え内容に実がなくとも、下の者の意見を聞くことは上の者の務めゆえ」
コレット「マノンさま。こちらのフルーツタルトも食べていいですか」
マノン「ダメよっ、私の楽しみでとっておいてあるのに」
コレット「でも、フルーツケーキ、食べましたよね。同じようなものを独り占めって、良くないと思います」
ソフィ「……上の者は、下の者の意見を…」
マノン「私はフルーツが好きなのっ。あなたはモンブランを食べなさい」
コレット「ええっ!? 嫌です!」
ソフィ「……上の者は…」
マノン「生意気ね。少しは先輩に譲りなさいよ」
コレット「横暴ですっ」
ソフィ「……ダメだ、こりゃ」




