第68話 幸せのオッドアイとマリッジリング
「サンドラ!」
バスティアンは、目ざとくサンドラを見つけて駆け寄った。模擬戦の合間の休憩で、サンドラは木陰で独り涼を取っていた。
「お前は、エーヴ隊だろう。休憩だからといって、隊を抜け出すな」
冷ややかな視線を送った。しかしバスティアンは気にしたふうもなく隣に座り込んだ。
「かたいこと言うなよ。せっかく天馬隊に配属されたんだ、仲良くしようぜ」
「……」
「まさか、本当に同じ隊になるとはなあ。さすがにサンドラ隊にはならなかったけど、それでも、俺たちは何かの縁で繋がっているんだろうなあ」
「……勝手に繋げるな。お前とは、何の関係もない」
「それにしても、あんたは槍さばきはもちろんだけど、隊の指揮も上手いんだな」
「私の話を聞いているのか?」
「模擬戦は、ほとんどサンドラ隊が勝つもんなあ。エーヴが悔しがってたぜ」
「……指揮に慣れているだけだ。そのうちみんなに抜かれる」
「へえ。あんたは、軍に入る前はシルヴィアさまの侍女をしていたって聞いたぜ。なら、どこかの貴族のお姫さまなんだろ? お姫さまが軍の指揮をしていたのか?」
「……シルヴィアさまこそ、ご実家のカトゥスでは、軍人でいらっしゃった。姫であろうと軍歴があってもおかしくはない」
「シルヴィアさまは、特別だと思うけどなぁ。あんな人、めったにいないよ」
「まさしく神に選ばれた人だ」
キラキラと輝くオッドアイを、バスティアンは眩しそうに見つめた。
「―前から思ってたけど、サンドラの色の違う瞳、すごく綺麗だよな」
「……」
「初めて会ったとき、その瞳がとても印象的で、目が離せなくなったよ。あ、もちろん、美人、ていうのもあるけどさ」
「……」
「―こおらっ! バスティアンっ」
何と返事をしたらいいか戸惑っていると、エーヴの怒鳴り声が響いた。
「姿が見えねえと思ったら、こんなとこで油売ってやがって。サンドラを口説いてんじゃねえよ」
「ヤっベ! エーヴのやつ、怒ると怖いんだよ。―じゃあな、サンドラ。またな」
バスティアンは小さく手を振ると、慌てて駆け出した。白銀の髪が風に揺れた。サンドラは、その後ろ姿をぼうっと見つめ続けた。
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「シルヴィア、今日は俺に付き合え」
いきなりだった。リオネルは、相変わらずベランダから部屋に入ってくると、前置きもなく言った。
「―突然何ですの、旦那さま? 付き合う…?」
面食らって訊き返す。
「町に用事がある。それに付き合え」
「それは別に構いませんけど…どちらへいらっしゃるのです?」
「ついてくれば、わかる」
「……お誘いくださるのは嬉しいのですけど、いつも行き先は内緒なのですね」
「そうだっけ?」
「ぷっ…」
思わず吹き出してしまった。どうにも憎めない男である。
「……わかりました。マノン、着替えを手伝って」
「いや、そのままでいい」
動き出そうとしたマノンをリオネルが遮った。
「用事があるのは一カ所だけで町中を歩くわけじゃないし、今日は寒い。町娘の格好をしなくてもいい」
確かに朝から空がどんよりと厚い雲に覆われて、一際冷え込んでいる。マノンによると、こんな日は雪が降るのだそうだ。
「……はい。仰せのままに」
着替える代わりに厚い毛皮のコートを羽織って部屋を出た。皇宮の正門に出ると、馬車が待っていた。寒さに慣れていないシルヴィアへの配慮であるのは間違いない。
同行するのはマノンのみである。いつも外出時には必ずといっていいほど従いてくるギーがいない。新兵の訓練がトリュフォー一人では手が回らず、ギーと手分けしているのだ。ちなみにコレットは、お留守番である。
「―新兵の配属は、終わったそうですね」
「ああ。第一段階はな。アニェスの領地から4百集まったし、こっちの志願兵も未だ引きも切らないそうだ」
若い夫婦の会話が軍事というのも、変わっている。マノンは、二人を見比べながらそう思った。
新婚なのだし、最近ようやくお互いの気持ちを確かめ合ったばかりだ。もう少し甘い会話をしても良いだろうに。
「入隊希望者が1千人に迫る勢いだとか。ご領地からの志願兵を含めてほぼ2千ですか。目標の2千5百まで、もう少しですね」
「アニェスが悲鳴を上げてるよ。急に兵を増やしたから、軍団名簿の作成だとか配属だとか、事務仕事がてんてこ舞いらしい。エマとソフィが手伝っているけどな」
「アニェスさまの多才ぶりにはほんとに頭が下がりますわ。第三軍団の事務仕事まで担ってらっしゃるなんて」
「それも、考えなきゃな。常備軍の最終目標は1万だ。早晩、専属の事務部門を創設する必要がある」
「私一人遊んでいるのは気が引けるわ。アニェスさまのお手伝いをしようかしら」
「気にすることはない。内々のことは、全てアニェスに任せてある。お前の手が必要なら、直接依頼があるだろうさ」
「そうですか…。そうそう、旦那さま。兵舎も建て増す必要がありますわ。サンドラが愚痴っていました。部屋が足りなくて、四人部屋に六人詰めこまれているのですって」
「……金がかかるな。覚悟の上とはいえ、実際に動き出してみるとあれこれと物入りが増えて頭の痛いことだ」
「ガイヤールとの条約はまだですの?」
「今、アダンが奮闘している。ほぼ同意はできた。あとは利率とか細かい条項を詰めているところだ。……改めてシルヴィアには感謝しなくちゃな」
「……はい?」
「ピパリだよ。かなり財政に貢献してくれている。あれのおかげで少々無理してでも、常備軍増強の決断ができた。ありがとう」
「そんな…。お礼なんておやめになって。私は妻ですから、旦那さまをお助けするのは当然ですわ」
二人はしばし見つめ合った。心なしか瞳が潤んでいるようだ。ようやく甘い雰囲気になったかとマノンが身を乗り出した、そのとき。馬車がゆっくりと止まった。
「―目的地に着いたようだ」
リオネルは何かを振り払うように馬車を降りると、シルヴィアをエスコートした。
「……ここは!」
それは、貴金属店だった。大通りからは、外れた場所らしい。辺りはひっそりと静まり返っている。
「旦那さま…! もしかして―」
シルヴィアは、金色の瞳をキラキラさせてリオネルを振り返った。
「そのまさか、さ。マティスで約束したろ? 結婚指輪を作ろうと思って連れてきた」
「嬉しいっ。冗談ではなかったのですね!」
「当たり前だろ。そんな大事なこと、冗談で言うか」
「ありがとうございます、旦那さまっ」
「……さあ、中へ入ろう」
リオネルは、頭をかきながら店の扉を開けた。
店舗内は、あまり広くはなかった。ショーケースも何もない。一見すると何の商売をしているのかわからない。
「いらっしゃいませ、リオネル殿下」
奥から、落ち着いた雰囲気の上品な中年女性が現れた。
「お待ちしておりました」
「よう。今日は頼む」
「畏まりました。こちらが、お妃のシルヴィアさまですね」
事前に話を通していたのだろう、女性は、じっとシルヴィアを見つめた。
「初めまして。デュラン商会の当主を務めております、クロエ・デュランと申します」
「シルヴィア・カトゥスと申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
クロエの目配せで、若い男性がシルヴィアとマノンのコートを預かっていった。
「―では、ご用意いたします。少々お待ちくださいませ」
クロエは、いったん店の奥へ引っ込むと、直ぐに大きなジュエリーボックスを二つ持ってきた。蓋を開けると、指輪のサンプルがぎっしりと並んでいた。
「わあ…素敵」
うっとりとため息が漏れた。一つのボックスには、シンプルな指輪が、一方のボックスには、宝石付きの指輪が並んでいる。シルヴィアは、中でもエメラルドの付いた指輪にしばらく視線を奪われた。
「当商会では、完全オーダーメードでご提供しております。指輪だけではなく、ネックレスやイヤリングなどアクセサリーのご相談について何でも承りますよ」
「……ここは、皇室ご用達の貴金属店なんだよ」
リオネルがそっと囁く。
「皇室だけじゃない。たいていの貴族連中は、こぞってクロエの世話になってるぜ」
「恐れ入ります。当商会は、品質は当然としてカット技術など最高級の商品をご提供しております」
クロエは、丁寧に頭を下げた。さすが、普段から貴族階級を相手にしているだけあって、上品この上ない。愛想笑いなど一切しないが、返って信頼感が増す。
「本日は、ご結婚指輪のオーダーと承っております。こちらはサンプル商品ですが、デザインや色、質感などをお試しください。その上でご要望をお聞きしてオリジナルの一品をお作りいたします」
「……本当に選んでよろしいの?」
上目遣いでリオネルに尋ねる。
「当たり前だろ。好きなのを選んでくれ。ペアリングにするから、お前の選んだものに俺のサイズを合わせる」
「ありがとうございます。―わあっ。どうしよう」
さまざまな指輪に目移りしてしまう。形状だけでもストレートやウェーブ、V字などがあるし、素材もプラチナやシルバー、ゴールドなどから選ばなければならない。
「マノンっ。どうしたらいい? こんなにたくさんあると、わけがわからなくなるぅ!」
シルヴィアはマノンにすがりついた。
「落ち着いてください、シルヴィアさま。まずは、いろいろ試してみましょう」
それから、ああでもないこうでもないと、二人は大騒ぎを繰り広げた。
その間、リオネルとクロエが何やら話し込んだり、時々クロエがアドバイスしたりしながら時が過ぎ、ようやく一つに落ち着いた。
それは、プラチナ素材のウェーブだった。ダイヤが散りばめられているが、過度に派手にならずに上品なデザインとなっていた。
「旦那さま、これにします!」
サンプル指輪を嵌めた手をリオネルに示した。
「……よく似合っているよ」
「ありがとうございます」
シルヴィアは、思わずはにかんだ。
「刻印はどうなさいますか」
クロエが尋ねる。
「お名前やイニシャルになさる方が多いですが」
「それはもう決めてあるの」
輝く笑顔が花開いた。
「こう、入れてください。―『ガゼルのご加護を』、と」
「……それは、どういう意味なんだ?」
「古くからカトゥスで使われている挨拶みたいなもので、『あなたの幸福をお祈りします』という意味ですわ」
「ふ〜ん…」
「旦那さまにも、ガゼルのご加護がありますように」
「……シルヴィアにも、ガゼルのご加護を」
シルヴィアは、幸福感で胸がいっぱいになった。愛する人が傍らにいる。手を伸ばせばすぐ届く所にいる。
外では雪が降り始めたようだ。しんしんと降り続くそれは、かなり積もるかもしれない。しかしシルヴィアは、寒さなどまったく感じることなく、心の底から暖かい気持ちで満たされていた。
【裏ショートストーリー】
シルヴィア「こんなに幸せでいいのかしら」
マノン「もちろん、いいですとも。シルヴィアさまは、人々を幸せにする方。ご本人こそ、幸せでなくちゃあ」
シルヴィア「大げさねえ。あたしにそんな力はないわ」
マノン「ご謙遜。それにしても、素敵な指輪が見つかって良かったですねぇ」
シルヴィア「旦那さまに何かお礼をしたいな」
マノン「それなら、シルヴィアさまに大きなリボンをつければ、よろしいかと〜」
シルヴィア「……どういうこと?」
マノン「シルヴィアさまご自身が、リオネルさまへの最大のプレゼントになりますよぉ」
シルヴィア「……! マノンっ、なんて、はしたないことをっ」
マノン「そうでもしなきゃ、リオネルさまは、一生手を出さないかもしれませんよぉ」
リオネル「……そろそろ、帰るぞ」
シルヴィア「旦那さま…!」
リオネル「ん? どうした、顔を赤くして」
シルヴィア「な、何でもありません!」
リオネル「……何でキレ気味なんだ? 俺、何かしたか?」
シルヴィア「ち、違うんです。旦那さまは何も悪くありません」
マノン「リオネルさまが悪いとすれば、何もしないところですねぇ」
リオネル「……?」
シルヴィア「マノンっ、余計なこと言わないでよ!」
マノン「シルヴィアさまも、待ってるだけじゃ、先へ進みませんよぉ」
リオネル「ああ…! それで機嫌が悪かったのか。寒いのに待たせてごめんな。クロエとの話は終わったから、皇宮へ帰ろう」
マノン「……ダメだ、こりゃ」




