第66話 皇女の覚悟と王子の決意
「……姉上方には、とんだ余興をお見せしてしまったな」
再びシルヴィアたちはアニェスのサロンに集まった。ただ、アズールはいない。脳しんとうを起こしていたため、診療所に運ばれ経過観察となっている。
奇策でアズールに勝利を収めたリオネルに、シルヴィアは泣きながら抱きついた。全身打ち身と打撲で痛がるリオネルには構わずに。離れようとしないシルヴィアをアニェスは説得するのに苦労した。
とりあえず二人一緒に診療所に連れていき、応急措置を施して戻ってきたのである。
「とんでもありませんわ、殿下。とても…その…良いものを見せていただきました」
「……決闘が良いもの?」
ティアナが姉に不審な目を向けた。
「少しも良くはないわ。殿下が負けるかもしれないと、ハラハラドキドキしていたのよ。寿命が縮んだわ」
「そうね、ティアナ。決闘は感心しないわね。でも、シルヴィアは、ここでとても幸せに暮らしていることがわかったわ」
「お姉さま…」
シルヴィアは、金色の瞳を潤ませた。やはり、この姉は自分のことをよくわかってくれている。
「シルヴィアは、リオネル家の一員として、すっかり打ち解けているようだし、安心もしました」
「いや、お礼を言うのはこちらのほうだ。シルヴィアには本当に力になってもらっている。妻にできて良かったと感謝しているんだ」
「まあ…。殿下もノロケられるのですね」
グロリアは、ふわりと笑った。
シルヴィアは、和やかに会話している二人を見て、心から姉に感謝した。
本来なら、グロリアこそが妻となって、リオネルの隣にいたはずなのだ。事情があったとはいえ、半ば強引に妹に嫁の座を奪われたのに、恨みがましいことを一つも言わない。それどころか、妹の幸せを我が事のように喜んでいる。
(―お姉さま、本当にありがとう。大好きよ)
「―殿下。改めまして、父王ティーノからの親書をお受け取りください」
グロリアは、一通の手紙を差し出した。
「お父さまからの親書…?」
寝耳に水である。戸惑うシルヴィアをよそにリオネルは一読すると、破顔一笑した。
「……ありがたい。ティーノどのは、我が申し出を快諾くださった」
「―話が見えないわ。どういうことですの、旦那さま」
シルヴィアは、つい詰問調になる。
「実はな、カトゥスに同盟を申し込んだんだ」
「同盟…? それは、私が輿入れしたことで既に成立していますが」
「それは、帝国との同盟だろ。俺個人との同盟さ」
「旦那さまとの同盟…」
「事あらば、お互いに出兵し合う軍事同盟だ」
「―!」
それは、もしブランシャールで内乱が起これば、カトゥスはリオネル側に立つということだ。
「私たちがシルヴィアに会いにきたのは本当よ。でも、殿下の申し出に対する回答をお持ちするのも目的の一つだったの」
グロリアが言う。ということは、少なくともグロリアは内容を承知していたことになる。
「……知らなかった。どうして教えてくださらなかったの」
「シルヴィアには黙って事を進めて悪かった。でも、事が事だし、カトゥスの立場もあるだろ。シルヴィアを通すと如何にも盾にとっているようで嫌だったんだ。だから、内緒にしていた。ごめんな」
「お兄さまは悪くありません」
アニェスが言う。
「口止めしていたのは、私なのです、お義姉さま。ご不快であれば、私をお責めください。甘んじてお受けします」
「アニェスさま…」
「ただ、決してお義姉さまをないがしろにした訳ではありません。お義姉さまを難しい立場に立たせたくなかったのです。ピパリで経済的な繋がりを得たとはいえ、カトゥスにとっては賭けのようなもの。私たちが負ければ、十中八九、カトゥスも滅ぼされましょう。断られたとしても仕方のないこと。でも、お義姉さまはお心を痛められるでしょう? きっと同盟を成立させようと無理をなさるはず。ですから、黙っていたのです」
アニェスの言葉には、思いやりの心が溢れていることが、痛いほどよくわかる。シルヴィアに余計な負担をかけたくないという愛情すら感じる。であれば尚更、相談してほしかった。リオネル家の将来に関わる重大事なのだ。
(あたしは、まだ信頼されていないのかな)
一瞬そう思った。顔に出ていたのか、リオネルがきっぱりと言った。
「シルヴィアのことを信じていない訳じゃないぞ。事前に相談しなかったことは不満だろうが、今回は堪えてくれ。お前を大事に思ってのことなんだ」
「……わかりました。納得はしないけど、理解はしました。それでも、やっぱり、一言、言ってほしかった」
「ごめんな」
「……羨ましい」
グロリアがぽつりと漏らした。
「シルヴィアは、本当にリオネル家の人になったのね」
「お姉さま…」
「シルヴィア。良い人たちに巡り合えて幸せね。このご縁を大事にするのよ」
「……はいっ、お姉さま。ありがとう」
「リオネル殿下。アニェス殿下。どうか妹のこと、よろしくお願いいたします。思い込んだら人の言うことを聞かないお転婆娘ですが、心根の優しい思いやりのある子なのです。どうか…どうかお頼み申し上げます」
グロリアは、深々と頭を下げた。
「―グロリアさま。どうぞ、お顔をお上げください」
アニェスがグロリアの手を取った。神々しいばかりに光輝く笑顔を浮かべて。
「お義姉さまは、私の命の恩人なのです。何条もって粗略にいたしましょうか。私たちにお任せください。必ずお守りいたします―命に代えても」
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「……失礼いたします」
サイノスは、巨体を丸めるようにして病室にそっと入った。目指す人は、ベッドにゴロンと寝そべっていた。
「―殿下。お加減はいかがですか」
サイノスが声をかけると、アズールはギロッと睨んできた。
「……サイノスか。久しいな」
「まさか、このようなところでお会いするとは、思ってもいませんでした」
「無様な姿を見せた」
「勝負は紙一重。決して恥ずべきことではありますまい」
「真剣勝負だったら、俺は死んでいた。まだまだ精進が足りん」
「殿下は、犬牙族随一の勇者であられます」
「ふん。そう思うなら、こんなところで傭兵などしていないで、戻ってこい」
「傭兵ではありません。正規の兵として入隊しているのです」
「なんだ。傭兵稼業はやめたのか。そういや、エテルナはどうした。一緒じゃないのか」
サイノスは、苦笑いを浮かべた。
「彼女とは、袂を分かちました」
「……そうか。お前も俺と同じだな。愛する女を失った」
「……」
「エテルナは、どこへ行ったか知っているのか?」
「さあ。音信不通ですので、今ごろどこでどうしているのか、皆目」
「……まあ、あいつのことだ、どこかで傭兵をしているのだろうが、だとすると、戦場で会うかもしれんな」
「それはお互い、覚悟の上」
「戦えるのか、サイノス? あいつを目の前にして」
「無論。犬牙族の宿命でございます」
「因果なものだな。かつては、ルプスの双頭・オルトロスと謳われた二人であろうに」
「……過去の話でございます」
「サイノス。気が変わったら、本当に俺のところへ戻ってこい」
「殿下…」
「正規兵だろうと、除隊は自由のはずだろ? ブランシャールは、これからもっと膨張していく。戦乱の世が来る。優秀な戦士がほしい」
「―申し訳ございません、殿下」
サイノスの薄墨色の瞳が力強く輝いた。
「今の軍が結構気に入っているのです。楽しい仲間に巡り合えましたし、直属の隊長がこの世に二人といない特別な方ですので、とことん付き合ってみたくなりました」
「……お前にそこまで言わせるとは、羨ましい奴。どこのどいつだ、それは?」
「ほかでもない、シルヴィアさまですよ」
「何!? ……痛たたたっ」
急に起き上がったせいか、アズールは頭を抱えた。
「殿下!? 大丈夫ですか?」
慌ててサイノスは背中を支えた。
「―大丈夫。大丈夫だ」
アズールは、またサイノスを睨んだ。
「シルヴィアめ。俺をフッた上に、サイノスまで奪いやがって、ふざけた奴だ」
「殿下! シルヴィアさまには何の罪もありませんよ」
「わかってるって。そう血相を変えるな」
アズールは、ベッドに身を投げ出した。そして、静かに笑い出した。
「殿下…?」
「……心配するな。気がふれた訳じゃない」
低く笑い続けながら、アズールは、真っ直ぐ白い天井を見上げた。それは、どこか吹っ切れたような、明るい表情をたたえていた。
「シルヴィアは、俺が見込んだだけのことはあるな。あいつこそ、これからの世界を引っ張っていくんだろう。そうと決まれば、俺もあいつに乗っかっていくとするか。―サイノス。俺は決めたぞ」
「は」
「ルプスは、シルヴィアと組むことにする。あいつと共に戦う。そうすれば、あいつも喜んでくれるだろ? あいつの笑顔は、反則だからなあ。あの笑顔が見られるなら、俺は、何だってやるぜ。なあ、そうだろ? サイノス」
【裏ショートストーリー】
ティアナ「シルヴィアが元気にしていて、良かったわ」
グロリア「そうね。いろいろな意味で心配な子だから」
ティアナ「……お姉さまは、平気なの?」
グロリア「何のこと?」
ティアナ「本来なら、お姉さまが嫁いでいたのよ。それを、あの子の我がままで輿入れ当日にお嫁を譲ってあげるなんて、私には考えられないわ」
グロリア「……」
ティアナ「あの子が幸せなのは、私も嬉しいけど、お姉さまの幸せはどうなるのよ。お姉さまがブランシャールで幸せになっていたはずなのに」
グロリア「そうね…。私もよくわからないんだけど、これで良かったんだ、って、なぜか強く思うのよ」
ティアナ「……どういうこと?」
グロリア「あの子が嫁いだことで、全てが上手く回り出した気がするの。私だったら、こうはならなかったのじゃないかしら」
ティアナ「何を言ってるのか、よくわからないわ」
グロリア「私もよくわからないって言ったじゃない」
ティアナ「ふ〜ん。お姉さまが納得しているなら、私は構わないけど、なんだかお姉さまがお可哀想だわ」
グロリア「ありがとう、ティアナ。憎まれ口が多いけど、本当は家族想いの優しい子なのよね」
ティアナ「ちょ、ちょっと、やめてよ、恥ずかしいから」
グロリア「私はティアナのことも、大好きよ」
ティアナ「だから、やめてって」
グロリア「ふふふっ。……シルヴィアに会いに来て、本当に良かった」




