第65話 風習と決闘
リオネル家内の調定者は、アニェスである。無論、最終決定者は、リオネルではある。ではあるが、アニェスの裁定の追認者でしかない。
それは、幼いころから変わっていない。ギーがかつて、アニェスのことを鷹匠と評したことがある。鷹であるリオネルを制御できるのは、アニェスのみだったのだ。しかし、シルヴィアの登場によって、鷹匠がもう一人増えた。
シルヴィアの輿入れで変わった未来において、リオネルが登極した後の役割も基本、同じである。私的な調定者は、アニェスであり、公的な調定者はシルヴィアとなる。
皇帝が絶対の独裁者であるはずの帝国制は、リオネル朝においては集団指導体制であった、と評されるのは、このためである。
三者の権力構造は、絶妙なバランスの上に成り立っていた。それは、お互いに深い信頼の絆で結ばれていたから可能だったのであり、その意味において、歴史上類を見ない唯一無二の体制であった。
リオネルに続いてシルヴィアにも婚約者問題が浮上した今も、調定に乗り出したのはアニェスであった。それは必然であり、未来の政権の原型は既に出来上がっていたのである。
「改めてご挨拶させてください。私はリオネルの妹でアニェスと申します」
関係者は、アニェスのサロンに集められていた。
ここは、アニェスの自室に隣接しており、名の通り応接室として使用されている。10人は座れる大きなテーブルやソファなど高級な家具が揃えられたとても広い部屋である。
私的なお茶会なども開かれるが、サロンという言葉自体が政治的にも重要な意味を持つことになる。が、それはまた、後の話。今は、シルヴィアの婚約者問題である。
「カトゥス王家の姫君さま並びにルプス王家の御曹子さま、ようこそ、リオネル家へ。歓迎いたしますわ」
「……けっ! 歓迎なんかいらねえ。俺はシルヴィアを連れ帰るだけだ」
「アズール! 皇女殿下に対して失礼な口を効いてはなりません! 控えなさい」
グロリアがたしなめるが、当人は、足を組んでそっぽを向いている。
「申し訳ありません、皇女殿下。まさかアズールがこんなことを考えているとは予想だにしておらず、帯同を許したこと、私が浅慮でございました」
「いえ、いいのですよ。聞けば、お義姉さまの幼馴染でいらっしゃるとか。お会いしたくなるのも当然でしょう」
「私たちも含めて、幼いころから四人で遊んだ仲なのです」
「―アニェスさま、リオネルさま」
シルヴィアは、身を乗り出して釈明した。
「確かにアズールは幼馴染です。でも、それ以上でもそれ以下でもありません。ましてや、許婚だなんて親同士の口約束に過ぎないのです。正式に約束をかわしてもいません。本当なんです!」
「俺たちは、一対一の婚約の儀式をかわした。正式な婚約者だ」
「なんだと―」
リオネルが真っ青になって固まった。
「一対一の婚約の儀式だと…」
「ち、違うんです! ヘンな意味じゃありません! ―アズール、誤解を招く言い方しないでよ!」
「―アズールの言う儀式というのは、果たし合いのことですわ」
グロリアがおっとりと言う。まるで優雅なダンスのことでも話しているように。
「猫耳族と犬牙族の間で行われている風習で、お見合いのようなものです。将来夫婦としての相性が良いか、戦闘で占うのです」
「まあ、変わった風習ですわね」
「古い風習です」
ティアナが口を挟んだ。
「今どき、儀式をやる者なんかめったにいません。たまたまシルヴィアが腕自慢の乱暴者だったから受けたまでで」
「ちょっと! ティアナお姉さま、言い方!」
シルヴィアが慌てて抗議した。
「乱暴者は、ないでしょ。酷いわ」
ちらっとリオネルの様子を伺う。さして気にした風でもなく、聞き流している。もし、納得しているのであれば、それはそれで気に入らないが。
「シルヴィアは、俺を負かした。今まで誰にも負けたことがなかった俺に。だから、妻として認めたのだ。俺は、俺より強い者を妻とする」
「だから、それは、あなたの勝手な言い分でしょ。あたしは、始めから迷惑だってお断りしているのよ」
「そういう奥ゆかしいところがお前の良いところだ。俺の妻に相応しい」
「あたしの話聞いてる? あたしは、嫌だって言ってるの」
「みんなの前だからって、恥ずかしがることはない。俺はお前のことが好きなんだ。愛している、シルヴィア」
「げっ…!」
ストレートな愛の告白に、場が固まった。猫耳まで真っ赤にしてうつむくシルヴィアに視線が集中するのがわかった。
(あたしのバカバカっ! なんでここで赤くなるのよっ。みんな誤解しちゃうじゃない!)
上目遣いでリオネルを盗み見た。顔色がどす黒い。少し体が震えているようでもある。
(怒ってる! リオネルが怒ってるわ。何か言わなくちゃ…)
しかし、うまく言葉が出てこない。焦れば焦るほど、頭の中が真っ白になっていく。
「……アズールさまは、ずいぶん直線的な方ですのね」
アニェスは、静かに言った。場をなだめるように。
「ただ、お義姉さまは、既に兄の妻となられています。アズールさまのお気持ちは頂くとして、あなたが連れ帰るというのは現実的ではないと思いますが」
「それは承知している。だから、リオネルに決闘を申し込む」
「にゃっ!? 決闘? 何を言い出すの!」
シルヴィアは、血の気が引いた。
「勝ったほうがシルヴィアを妻とする。これなら文句はあるまい」
「大有りよっ。あたしは賞品じゃないのよ、そんなことで決めないで―」
「―いいだろう。受けて立つ」
「にゃにゃっ!? 旦那さま、いけません。おやめください!」
「……仕方がない人たちね。それなら、気の済むまでやり合いなさい」
「アニェスさままで…なんで…」
「しっかりして、シルヴィア」
思わずよろめくシルヴィアをグロリアが抱き止めた。
「皇女殿下。本当によろしいのですか」
グロリアは、真っ青になったシルヴィアを抱きしめながら、アニェスに言った。
「男性方の自分勝手な言い分で、シルヴィアの人生を決めてしまうようなことをお認めになるなんて」
「男は、時にバカな意地の張り合いをするものですわ。それで納得するのなら、簡単で良いではありませんか」
「……」
グロリアは、真意を探るような視線を向けた。アニェスは、それを快活な笑顔で受け止めた。
「まあ、見ていましょうよ、グロリアさま。男ってバカなだけに、自分たちで決めたルールは、ちゃんと守るものよ。女と違って後腐れがないのが良いところだわ。―そんなに心配そうなお顔をしないで。大丈夫、きっとうまくいくから」
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「―得物は自由だ」
「承知」
リオネルとアズールは、静かに向かい合った。練兵場である。かつて、シルヴィアが入隊試験を受けた場所でもある。
どこで聞きつけてきたのか、兵たちが鈴なりに集まってきていた。中でも、サイノスが最も衝撃を受けた表情をしていた。無論、リオネルの相手が犬牙族の王子だったからだ。
グロリアに支えられて、シルヴィアは心配そうな視線をリオネルに向けた。気負った様子はなく、自然体のように見えた。手には模擬剣を下げている。
「私が立会人となります」
アニェスが双方の間に立った。
「命を取る以外なら、何をしても良いこととします。決着はどちらかが負けを認めるまで。よいですね」
「……」
「では、始めっ」
合図とともに、アズールが突進した。模擬剣を無造作に振りかぶる。リオネルは、受け止めた。が、巨大な棍棒で殴られたような衝撃で吹き飛ばされた。
「きゃあァァァっ!?」
シルヴィアは悲鳴を上げた。リオネルは、よろよろと立ち上がった。たった一撃だが、かなりのダメージを受けたに違いない。
「旦那さまっ! アズールの腕力は犬牙族の中でも一番です! まともに受けてはダメよっ」
「シルヴィアっ、人間族の応援なんか、するなっ!」
アズールが抗議する。まるで無防備に佇んでいる。リオネルは、地を蹴って肉薄した。がら空きの胴に斬撃を打ち込む。しかしアズールは、剣で受け止めていた。
「なっ…!?」
またアズールは無造作に剣を振るった。紙の人形のようにリオネルの身体が宙を舞う。
「嫌ぁーっ!」
シルヴィアの悲鳴とともに身体が地面に叩きつけられた。
「……勝負にならないわ」
グロリアが呟く。確かに、リオネルの剣はまるで刃が立たない。このままでは、早晩リオネルは動けなくなる。
「ど、どうしよう、お姉さま。旦那さまが…リオネルさまが負けちゃう」
「シルヴィア…」
涙目でうろたえるシルヴィアに、グロリアは瞠目した。こんなに弱々しい妹は、初めて見た。
「―あなた、殿下のこと…愛しているのね?」
「嫌よ、リオネルさまと別れるなんて嫌っ」
シルヴィアは、グロリアの胸に顔を埋めた。グロリアは胡桃色の髪を抱えるようにして撫でた。
「……政略結婚だったはずなのに、本当の愛を見出したのね」
シルヴィアは泣き崩れた。
「―見て! 殿下が立ち上がったわ」
ティアナが指差した。リオネルは、懲りずに真正面からアズールに斬りつけた。
「ダメぇーっ!」
シルヴィアの悲鳴に重なってリオネルの剣が弾かれた。しかし、振り払われる瞬間リオネルは剣を放した。剣だけが空を飛んでいく。間髪入れず懐から小型剣を抜き放ち力任せにアズールの顎を打ち砕いた。
どぅっとアズールは仰向けに倒れた。
「ひっ…!?」
シルヴィアは、悲鳴を飲み込んだ。アズールは、すぐに飛び起きた。
「……きさま―」
腕を伸ばした瞬間、膝から崩れた。ピクリとも動かない。アニェスが駆け寄り容態を確認すると、声を張り上げた。
「―それまで! アズールさま、気絶により、お兄さまの勝ちとする!」
【裏ショートストーリー】
サイノス「兵舎内が騒がしいが、何かあったのか」
エーヴ「リオネルさまが決闘するんだってよ」
サイノス「決闘? なんで?」
エーヴ「セリーヌの実家から、姉ちゃんたちが会いに来たんだけどよ、セリーヌの許婚とかいうやつが取り返しについてきたんだってよ。そんで、勝ったほうがセリーヌを妻にするんだと」
ミラベル「セ、セリーヌに許婚が、い、いたんだ」
エーヴ「男って、どうしてこうもバカなんだろうねえ」
ジュスタン「……面白そうな話してるね。僕も混ぜてよ」
エーヴ「てめえはいつも会話に入ってこねえくせに、どうしてこういうときだけ興味を示すんだ」
ジュスタン「我が麗しのセリーヌ絡みなんだろう? それなら、僕の出番だよ」
サイノス「誰が麗しだ、お前は引っ込んでろ」
ジュスタン「そういう君だって、セリーヌのことを密かに崇拝しているじゃないか」
サイノス「俺は、お前のようなゲスではない。人として尊敬しているだけだ」
ジュスタン「ひどいなあ。僕は、セリーヌの忠実な薔薇の騎士だよ」
エーヴ「……ジュスタンは放っておいて、決闘を見に行こうぜ」
ミラベル「サ、サンドラがいないよ。こ、声をかけようよ」
エーヴ「あいつは今、『これ』で忙しい。そっとしておいてやれ」
ミラベル「親指…?」
ジュスタン「それじゃあ、サンドラは放っておいて、みんなで見に行こう」
エーヴ「……てめえが仕切るなっ」




